はてなキーワード: 1944年とは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E8%89%A6%E7%AB%B6%E4%BA%89
しかし対抗するアメリカは、経済恐慌からの立て直しの一環として建艦計画もその主要な柱の一つとしており、日本に数倍する建艦をスタートさせた。
1934年の第一次ヴィンソン案こそ条約保有枠を満たす程度の比較的小規模なものだったが、1938年に無条約時代最初の計画として成立した第二次ヴィンソン案は海軍力25%増強を謳い、戦艦3隻と航空母艦1隻等の増強を決めた。
既存計画と合計するとその規模は日本の4倍にも達するものであり、想定以上に過激な反応を見た日本は新たな対抗手段を求められた。
1939年、当初予定から1年繰り上げて第四次海軍軍備充実計画が策定され、戦艦2隻、航空母艦1隻等80隻の建造を開始した。
この計画ではアメリカの建艦に互することの困難さを認める兆候が早くも現れており、量的な対抗は不可能と考えられ始めていた。
だがアメリカは手を緩めなかった。
折から第二次世界大戦が勃発したこともあり、1940年の第三次ヴィンソン案ではさらに海軍力25%増強を目指した。
当案は議会の査定で11%増強に抑制されたが、それでも戦艦2隻と航空母艦3隻等を追加するもので、対抗上日本も第五次海軍軍備充実計画の策定で戦艦3隻、大型巡洋艦2隻、航空母艦3隻等第三次と第四次を合計したものにほぼ等しい大計画を立案し1942年からの着手を目指した。
そして1940年7月、ドイツのフランス攻略を受けて発表された最大の建艦計画が日本を震撼させた。
両洋艦隊法、スターク案と呼ばれた同計画は戦艦7隻、大型巡洋艦6隻、航空母艦18隻など216隻、海軍力実に70%増強を目指すもので、当時の連合艦隊総力に匹敵するという膨大な計画は、もはや日本の追随をまったく許さなかった。
対抗案として1944年スタートの第六次海軍軍備充実計画が検討され、戦艦4隻、大型巡洋艦4隻、航空母艦3隻などの建造を構想してはいたが、第五次計画の実現さえ危ぶまれる情勢の中、その実現はほとんど不可能と思われた。
「量産型」という言葉について、ニコニコ大百科などでは以下のように説明されている。
TVアニメ「機動戦士ガンダム」のキャラクター商品であるバンダイが発売したプラモデル『量産型ザク』が由来となった単語である。
現在、Google Booksや国会図書館デジタルコレクションによって、容易に用例を検索できるようになった。
併しながら多量生産の専門家が量産出来る様に設計したものを無線の専門家が色々無線の機械として使へるように手入れをすることによつて、初めてここに全くいまの無線の機械と形の変った量産型の無線機が実現するのでないかといふことを考えてゐるのであります。
中心磁極の形状が作働空隙附近の磁束を集中し得るか否かを検討する為に常識的に判断した理想的形状 Fig. 5 の左と、加工を簡易化して量産型とした場合 Fig. 5 の右との比較実験は、Table 2の如くその差を認められなかった。
モビルスーツと扱いが近い戦闘機に対しても「量産型」は使われている。
有名なP-51の戦争初期の量産型で、1943年〜4年頃に主として欧州戦線で活躍し、45年には改造されたD型が、B-29の護衛機として日本にもしばしば飛来しました。
ところが、推力1135kgの英国製DHゴブリンH-1B型ジェットを装備したロッキードXP-80はピストン式戦闘機では出し得ない時速800km以上を出したので、空軍ではすぐこれを制式に採用することにし、量産を命じました。こうして、最初の量産型YP-80A型(アメリカ製のJ-33型装備)は、1944年10月に完成し、以後P-80A、P-80B、F-80Cと次第に改良されて、1950年6月まで生産が続けられ、その生産機数は合計1753機に及びました。
陸軍からは昭和12年5月末立川飛行機に試作指示があり、同13年4月20日に第1号機が試飛行に成功した。テストは従来の陸軍の慣習を破って実地に詳細に行われたが、別に問題となるところもなく、同年11月1日に完成した11号機から量産に入った。量産型では、翼端失速を防ぐため固定スロットを設け、後期の型では翼端に2度の捩り下げを付けて旋回性能を向上させ、昭和19年初頭まで約860機が立川及び川崎両社で製作された。
表記の違う「量産機」についても、たとえば1950年『ロケット 5月号』。
ジェット機関を取付けて10発となったB-36は、試験機ではアリソンJ-35ジェット機関4基を装備したが、量産機ではJ−47ジェット機関4基に取換えられることになっている。
1950年3月初飛行、カナダ空軍の制式機に採用されて現在量産中の大型戦闘機で、アメリカ空軍でも本機を試験中であるといわれる。巨大なナセルを主翼上面に装着した定石破りの設計で、試作機はロールスロイス“エーボン”ジェットをつけていたが、量産機は本社“オレンダ”ジェットを装備。
などのように、こちらも多く見られる。
「ガンダムがきっかけで広まった」わけでもなく、もともと広く使われていたことは明らかである。
満州事変のあとから敗戦に至るまで、警視総監も知らなかった官僚検挙活動があったらしい
これは勿論全体の官吏が皆そうであるというのではありませんが、一部少数の者に限った不心得の人のことでしょうが、いわゆる官僚独善とか官吏独善とかということが起ってきたのではないかと考えるのであります
この頃になって…記事の解禁の結果、昨今の新聞紙上に散見致しておる記事を見ましても、あるいは興亞院であるとか、あるいは、当時の商工省ですか、ずいぶん大官の方々が、はなはだ面白からざる犯罪の嫌疑によって検挙されておる記事が、司法処分の解禁と共に見えてきたのです
こういうことがありますと新聞紙は勿論のこと、まあ司法処分のためには外に漏れるということはよくないことでしょうが、噂にも上れば、煙のある所に火はあるで、何らかの形で世間に現れます。あるいはまた他の模範と申しまするか、戒めにもなりはせぬかと思うが、とにかく先ほど申します通りに、ほとんど何らの聞く所もなし、何らの見る所もなかつたということは、如何にも、餘りにも、むしろ不思議位に考えるのであります。
もしや官庁あるいは官吏につきまして、何等かの新聞紙等に、制限と言いますか、命令と申しますか出ておりましたらば、あるいはすでに解かれておるのではないかと思います。もし未だそういうことに参っておりませねば、速かにご考慮を煩わしたい、こう考えるのでございます(貴族院議員 岡喜七郎・警視総監、1944年)
いよいよ明後日が大統領選挙本番ですよ! むっちゃドキドキしてきた……有権者の皆さん、今日くらいは選挙に備えますよね?
そういうことで、4年前(anond:20201105075811)に引き続いて、次の大統領はどうなるかを書いてみる。
これまでの史上最高齢での就任記録は、現職ジョー・バイデン大統領の78歳2ヶ月だが、ドナルド・トランプが就任したら、78歳7ヶ月での就任となり、史上最高齢。この場合、「史上最高齢で1期目を開始した大統領」と「史上最高齢で就任した大統領」は別人になる(前者がバイデンで後者がトランプ。バイデンの就任前は、前者がトランプで後者がロナルド・レーガンだった)。
アメリカ大統領の任期は最大で2期8年だが、2期務める場合はたいてい連続した2期を務める。しかし、トランプは2017~2021年、2025~2029年という非連続の2期を務めることになる。これは、19世紀のグローヴァー・クリーヴランド(1885~1889年、1893~1897年)以来、132年ぶり2人目。
歴史上、弾劾訴追され弾劾裁判にかけられた大統領は3人いる。このうち、アンドリュー・ジョンソンは再選を断念し、ビル・クリントンは2期目の途中だったのでその後の大統領選挙に出る資格を持っていなかった。トランプは、弾劾裁判にかけられたにもかかわらず再選された初めての大統領ということになる。
大統領と副大統領はペアで選ばれる。したがって大統領1人につき、彼に仕えた副大統領も1人というのがふつうだが、トランプは今回の選挙にあたって副大統領をマイク・ペンスからJ・D・ヴァンスに入れ替えた。1人の大統領に2人以上の副大統領が仕えることになったのは、リチャード・ニクソン大統領時代の1973年にスピロ・アグニュー副大統領が汚職疑惑で辞任して、ジェラルド・フォード下院議員が副大統領に任命されて以来、およそ半世紀ぶりである。選挙のタイミングで副大統領を交代させた結果としてそうなったのは、1944年にフランクリン・ルーズヴェルトがヘンリー・ウォレス副大統領を降板させてハリー・トルーマン上院議員を副大統領候補にすげ替えて以来、80年ぶり(なお、1976年の大統領選挙ではフォード大統領がネルソン・ロックフェラー副大統領を勇退させてボブ・ドール上院議員を副大統領にすげ替えたが、負けたのでここではカウントしない)。
カマラ・ハリスは、ヒラリー・クリントンが成し遂げられなかった悲願を達成することになる。
個人的には南アジア系と東アジア系を「アジア系」でごっちゃにするのはどうかと思うが、それはそれとして、彼女はインド系なので、初のアジア系大統領となる。
ハリスは黒人でもあるので、バラク・オバマ以来2人目の黒人大統領となる(アメリカの闇は、オバマとハリスがいずれも「奴隷の子孫」ではない点だろう。オバマはケニヤ移民の子供、ハリスはジャマイカ移民の子供であって、アメリカ南部で綿を摘まされていた人たちの子孫はまだ副大統領にもなれていない。どんだけ彼らへの差別が激しかったのかという話である)。
ハリスの下の名前「カマラ」はサンスクリット語に由来する。ヨーロッパに由来しない名前を持つ大統領は、オバマ以来2人目(上で書いたように、彼ら2人が移民の子供だという事情もあるだろう。奴隷の子孫である黒人はたいてい英語の名前を持っているので)。
民主党は、ジョン・F・ケネディの跡を襲ったリンドン・ジョンソン以来、2人連続でホワイトハウスを手にしたことはない。ハリスが勝利した場合、ケネディ暗殺以来半世紀ぶりに、民主党から2人連続で大統領が出ることになる。
副大統領は要職だが、選挙に強いかというとそういうわけではない。大統領の死亡や辞任によって昇格した副大統領はこれまでに9人いるが、大統領選挙に勝ってその座を手にした副大統領経験者は6人しかいない。しかも、そのうち2人(ニクソン、バイデン)は副大統領退任後に間を置いて大統領になっているので、現職副大統領として大統領選挙に勝ったのは、これまでに4人だけである(ジョン・アダムズ、トマス・ジェファソン、マーティン・ヴァン・ビューレン、ジョージ・H・W・ブッシュ)。ハリスが大統領選挙に勝利したら、歴史上5人目となる。
ハリス父はジャマイカ移民なので奴隷の子孫じゃないって言う人、南米やカリブ海諸国に多くの黒人が住んでいる理由について考えたことないのかな?この増田なんか歴史に関して論じてるのにあまりに片手落ちじゃない?
不正確な記述でスマソ。もちろんジャマイカ系ということはカリブ海に連れてこられた奴隷の子孫。そこは間違いない。ただ、
という2点があるので、やっぱり本来のアメリカの奴隷の子孫とその他の黒人とを区別することは必要だよなと。不正確なものいいになっちゃったのは申し訳ないけれども。
というか国民の士気を高める手段としてスポーツや娯楽産業は有効であり国家は可能であればぎりぎりまで行う
今のウクライナは総力戦というかつての古いタイプの戦争を行っているのだが
・アメリカでは当然のように終戦までメジャーリーグの試合が開催され続けた。
・イギリスでは平時のプロリーグは休止したが代わりに戦時リーグが発足し終戦まで開催された。
・日本ではプロ野球の前身である職業野球が1944年の夏まで公式戦を行いその後も終戦まで断続的に試合を開催した。(夏の甲子園も1942年まで行われた)
さらに大相撲に至っては日本中が焼け野原になる終戦に至っても場所を継続し続けた。
・ドイツではプロサッカーのブンデスリーグの前身であるガウリーガがカップ戦では1943年を最後にリーグ戦は1945年の敗戦間際まで運営され続けた。
人が死んでも天使になるわけじゃない、キリスト教的世界観においても
この表現を多用している一番有名な漫画はおそらくドラゴンボールだろう
どこかで発想の飛躍があったのかな
気になるねえ、ぐぐりましょうねえ
天使に限らず聖人などを描いた絵画にも、聖人の後ろに光が差す表現が用いられたのだとか
天使に限らないのであれば以降は天使の輪じゃなくヘイローとここでは書くようにしておこう、ブルーアーカイブ風の呼び方
発想としては仏教の後光と同じか
まだ足りない
天使や聖人を描いた絵画→???→漫画的表現の死者を表す記号としてのヘイロー、間に挟まるものを探さないと
なんかこれだ!って情報がなかなかヒットしないな
勘だけど風刺画が間に挟まる気がするんだよな
天使や聖人を描いた絵画のパロディで、天使を例えば政治家に差し替えた風刺画みたいなのがどっかにあるんじゃないか
それが転じて死者の頭上にヘイローを用いるのが一般化したとか?
一応、英語圏のイラストで死者の頭上にヘイローがあるイラストはまあまああるっぽいが……
日本でもなんかドラゴンボール以前に死者の頭上にヘイローがある表現をした漫画無いかな
……手塚治虫がやってる気がする
あの人だいたい何でもやってるからな、あとで探すか
うーん、探し方が下手
wikipediaの「光輪 (宗教美術)」の「大衆文化における使用」の記述が少ないな
英語版だと……英語版の「Halo (religious iconography)」には大衆文化の項自体無いのか
うーんアメコミにもヘイローの使用あるかもだが、アメコミに詳しくない
ここまで調べたというメモ
なんかコレ!っていう本があれば読みたいんだが、この疑問をずばっと解決する文化史本は無いかもなあ
今週の『サチ録』、番外編15を読んだ結果
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こういう路線で調べていくのがよさそうか
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なぜ亡くなった人の頭上に「天使の輪」を描くようになったのでしょうかよろしく... - Yahoo!知恵袋
漫画の記号的表現としては昔からある定番スタイルですよね。 ディズニーのアニメにも、ヨーロッパのカートゥーン(cartoon)にも良く死者の記号として使われていますね。
人間は死ぬと天使になりますか | ものみの塔 オンライン・ライブラリー
アリーロという,まだ7歳の幼い女の子が亡くなりました。悲しみに打ちひしがれた両親は,柩に横たわる白いドレス姿の娘を前に,ぼう然としています。慰めようとして,神父がこう言います。「神様は,天使をもうひとりお望みになって,アリーロちゃんをお召しになったのです。幼子の魂は,今ごろ,神様のみそばで翼を広げて飛んでいますよ」。
死んだ人間の魂が天使になる,と信じている人は少なくありません。公式の教理として教えられることはまれですが,映画やテレビの連続ドラマでは,死んだ人が翼のある天使になって,生きている人を守る,という話がよく取り上げられます。
あなたはいかがですか。愛する人が死後に天使になると考えておられますか。聖書は何と教えているでしょうか。では,天使の本質について,また死んだ人の本当の状態について,聖書そのものが何と述べているかを調べてみましょう。
うーん、「死んだ人間の魂が天使になる」という発想は無いわけではないのか
それが転じて天使ではない死者の霊魂的な何かの頭上にもヘイローが描かれるようになった?
っていうかドラゴンボールつまみ食い的にしか読んだこともアニメを見たこともないんだよな
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ここら辺の本があるいは参考になるか
だいたい最終章は「現代における天使がどのような姿で描かれているか」みたいな話題だから、そこに期待が出来る
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英語圏の情報を探そうとしてもゲームの『HALO』ばっかり引っ掛かってやりにくいったらありゃしない
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そうだ、『トムとジェリー』で爆死したトムが雲の上でヘイローつけた状態で不満そうな顔してるってオチのエピソードがあった気がする
プレゼントボックスに入ったトムが針でめった刺しにされるシーンは涙なしでは見られない
やっぱり「死んだら天使になる」って発想がポップカルチャーである程度一般的に表現されていたようだ
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ってことは
天使や聖人を描いた絵画→死後に天使になる認識、またそれを表現したイラストやアニメ→天使ではなく単なる死者にもヘイローがつけられた
……か?
まだ足りないぞ
キリスト教の教義だと死んでも天使になるわけじゃない、それはカトリックだろうがプロテスタントだろうがエホバだろうが他の何かであろうがだいたい同じだろう
ヘイローは聖なるものの加護を表すからどんな死者でもヘイローは頭上に表れる?
でもトムは爆死して天使になっとるじゃろがい
まだまだ調べないと納得できないな
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ひょっとしたら演劇やミュージカル側の文化が関係している可能性もある
死者を表現する記号として頭の上にヘイローをのっけた衣装を着ていた……とか、あるかもしれない
一応留意して調べる事
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「池にコインを投げる風習はいつから始まったのか?」みたいなテーマでおととい調べて日記書いたときは、その風習を有名にした「Three Coins in the Fountain」っていうアカデミー賞受賞作品を見つけたんだよな
聖者の記号としてではなく、単なる死者の記号としてヘイローを使った何らかのヒット作品があったので一般化したみたいなキッカケがひょっとしたらあるかもしれない
しかしあんまりこの仮説に固執するのはよくないな、気長に探そう
あるとすれば19世紀後半以降くらいのはず
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そうか、調べるポイントが二つに分かれちゃったんだなあ
②漫画的表現で死者が天使となった描写→漫画的表現で死者に(翼など他の天使的要素抜きで)ヘイローのみが付与される描写となった転換点を探すルート
こりゃ大変だ、いったん追加調査ここまで
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次にやる事
→実は守護聖人の頭上にヘイローだけでなく、翼がはえているなどあったりするかどうか
:積んでるキリスト教入門みたいな本をさっさと読む
→なんもかんも体系的な知識が欠けているのが悪い
→でもなー、自分の興味の向き先は「キリスト教の教義はこういうものです」って知識じゃなくて「人々はキリスト教をこのように解釈して信仰していました」という知識なんだよなあ、基礎の勉強ってどうしても飽きちゃって
→第一次世界大戦は1914年7月28日~1918年11月11日、ちょうど探したい年代
:キリスト教的素養がない私がヘイローの描写を見たとき、それが宗教的な性質を持っているのかそれとも記号化したものなのかを区別できるのか?という点について考える
:そもそもヘイローがあって翼があったらそれは天使とみなしていいのか?「天使」って何?「御使い」って何?何もわからない、調べる
→基礎(略
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②についてだが「ゲームのドット絵でキャラが死んだことを表現するのにヘイローが便利で、ドット絵で翼を描くのが大変だったから省略された」という仮説を思いついた
流石にお話として出来すぎな気がする、この仮説は最終的に棄却することになりそうだ
しかし調べるとっかかりとしては魅力的
ヘイロー関係ないけど「ゲームで戦闘不能をどう表現するか?」というテーマを調べるのめちゃくちゃ楽しそう
また別の機会に調べよう
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「Heaven Cartoons」というジャンルの風刺画があるらしい
画像検索してみるとなるほど確かに天国で天使がなんやかんやする種類の一コマ漫画
いつ頃から描かれているかをちょっと調べてみたがなかなか難しい
Wikipediaの「カリカチュア」のページの「主な作家」の項に載ってる人の代表作を一つずつ見ていくしかない
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星新一がアメリカの一コマ漫画を蒐集してそれについてエッセイを書いた『進化した猿たち: The Best』をkindleで購入
権利関係の問題のせいかほとんど掲載が無くなってしまっているようだ
もっと挿絵を見たいから挿絵が載ってる物理書籍のほうを読まないといけないなこれは
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やっとひとつ見つけた
ざっくり言うと政治家が天に召されている様子の風刺画が1868年?1869年?に描かれた、ってところか
翼があり、ヘイローもしっかり完備
しかし余談だけれど死後4年後たってから風刺画が描かれていて不思議だ
なんか「天使になる」ってのは語弊があって「昇天するときに天使と同じ装いをする」という言い方の方が正確なのかもしれない
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トムとジェリー以前のオールドカートゥーンを片っ端から観ているが、天に召されるシーン自体を全然見つけることができていない
ところでチャップリンの『キッド』に天使が登場するシーンがあった
オールドカートゥーンの本当に初期の初期は紙の漫画をそのまま映像化したようなやつだったから、漫画の文脈だと思うんだけどな……
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『マーク・トウェインの天国建設の旅』という論文を見つけたが、これは読む価値がありそうだ
絵やイラストとして描かれていなくても天国に行くとヘイローと翼とハープが通行証かのように与えられる認識は当時の人々視点で昔からあったようだ
18~19世紀の文学作品で天国を描写しているものを探すべきだな
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Elizabeth Stuart Phelps Wardという人が書いた『The Gates Ajar』という宗教小説がアメリカで1868年に刊行されめちゃくちゃ売れたらしい
当時の人々の天国観に影響ありそうに見える
In contrast with traditions of Calvinism, Phelps's version of heaven is corporeal where the dead have "spiritual bodies", live in houses, raise families, and participate in various activities.
カルヴァン主義の伝統とは対照的に、フェルプス版天国は、死者が「霊的な身体」を持ち、家に住み、家族を養い、さまざまな活動に参加する身体的なものである。
とのこと(『The Gates Ajar』のwikipedia英ページより引用しdeepl翻訳)
うーむ、おぼろげに流れが見えてきた気がする
『マーク・トウェインの天国建設の旅』という論文の序文あたりに19世紀半ば以降に天国ものの小説が流行ったみたいなことが書いてあったが、その一因はこの小説な気がする
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そういえばこの日記メモには記述をしていなかったが、宗教美術におけるヘイローは写実主義の高まりによって19世紀までにほとんど衰退しているらしい
なので宗教美術において死者(例えば聖人、殉職者など)にヘイローが描かれたものがあったとしても、カートゥーンのヘイロー描写がその影響を受けているとはちょっと考えにくいのではないか
一度断絶しているのでは?という疑問を持っている
ヘイロー描写は一度衰退し、再び風刺画やカートゥーンなどで記号として便利なので復活したという前提で調べている
あー、いや……この前提本当に大丈夫か?自信ないな
19世紀のアメリカで人々が見ることが出来た美術や絵画はどのようなものだったのか?というのがわからないと正確なことは言えないな……
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自分が確認した限り、カートゥーンアニメで「死んだら天使の装いをして天に召される」表現をやった一番古いものは『トムとジェリー』の『ネズミ取り必勝法』
オールドカートゥーンを全て総ざらいして確認したわけではないからもっと古いのがあってもおかしくはない(アカデミー短編アニメ賞受賞作品すらすべて確認できていない)
幽霊は沢山出てくるんだけどねえ
『ネズミ取り必勝法』はアカデミー賞とる程度には人気だったので、カートゥーンにおける元祖でなかったとしてもビジュアルイメージ固定に大きく貢献したといっていいかも
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キリスト教の教義では死者は天使になるわけではない、という認識があった(今でもそうではある)
→19世紀半ばにスピリチュアルな小説が流行り、人々の天国観を変えた
→それは死後に霊的な体を持った死者が天国で現世と同じような生活を営むものだった
→たまたま印刷技術の発展とタイミングが同じで新聞の挿絵、風刺画、漫画などで聖人でもなんでもない普通の人の死者の絵が多く描かれるようになった
→死者に天使の装いをさせた風刺画、紙の漫画、カートゥーンアニメでビジュアルイメージが固定される(この時点ではヘイローと翼はセット、あくまで天使など聖なる魂的な存在(専門用語を適切に使う自信が無いので曖昧な表現)と同じ装い)
→日本でキリスト教の文脈が無視された記号的な描写がされ、ヘイローのみで死者を表す記号的表現となる
……という流れだという仮説を立てることが出来た
うーん、自信ない
「18世紀以前に普通の死者も天に召されるときは天使と同じ装いをするという認識があった」と言える材料を見つけることができていない
印刷技術が生まれる以前だと絵画にそこらへんの人が天に召される絵なんて描かれないんだよなあ
探すとすれば厳格な宗教者が教義通りに書いた本でなく、人々を慰撫する目的で教義からすれば不正確な内容が書かれた本みたいなのがあればあるいは……(というか、それが『The Gates Ajar』なのよ)
また、『The Gates Ajar』などの天国観を変えるイベントによって死者が天使の装いをするようになった、とある程度の自信をもって言えるような材料は正直見つけることができていない
しかし、とりあえず一定のレベルで納得は出来たからこの疑問はクローズ
生産性の低さ、実質金利の低さ、多額の公的債務に行き詰まっている経済をどう刺激するかについて様々な議論がある。最新ぶっているが、実は老害の古臭い考え方「MMT」の支持者は、中央銀行が大量の国際を買い入れて通貨供給量を増やせば問題解決になると、頭の悪いことを言っている。これは典型的な「フリーランチ」である。
フリーランチは政策議論において長い伝統がある。政治的に人気があり、20世紀以前に何度も馬鹿のように繰り返された。MMT愛好家が提案した特定のフリーランチを受け入れたすべての経済圏の経験的事実として、持続不能な圧力が最終的に悲惨な結果を引き起こす可能性があることも判明している。
MMTが常にハイパーインフレ・大規模な社会的経済的破壊などをもたらし、その後やはり従来どおりにすべきだと言って元の経済政策が課されるのである。
今日のベネズエラ、2008年のジンバブエ、1994年のユーゴスラビア、1946年のハンガリー、1944年のギリシャ、1923年のドイツが、多額のコストがかかることをすでに証明してしまった。
既存経済学が何かを見落としていて、MMTが正しいことなどあり得るだろうか。
政府が生み出す歳入を上回る支出を刷る場合、通常国際発行で赤字を賄う。負債は将来のある時点で、例えば収入に比べて支出を削減する、または支出に比べて収入を増やすことによって貸し手に返済するという約束である。
政府が典型的債務を返済するために使用する所得税などのほとんどの税金は透明性がある。
対象的に、持続不能な赤字と爆発的に増大する政府債務の財源となる「税」はインフレ税、つまり人々が保有する貨幣の量よりも早く物価が上昇した場合に生じる、国民が保有する貨幣価値の実質的低下である。インフレは、追加の財を生産するために経済の供給側の能力を超えて中央銀行が大量の通貨を印刷した場合にも起こる。
これでシコれなくても俺は知らん
軍服というものは、伊達で着ているわけではなく、現在においては国際法上の意味がある。則ち、交戦者資格の獲得である。
現在の国際法上では、戦争は(基本的に)交戦者と交戦者・軍事施設間で行われるもので、それを外れた場合、戦争犯罪となる。これを容易とするために、戦闘を行う者は、保護されるべき文民と明確に区別されなければならないのだ。
この国際法は古くはヘーグ陸戦条規に端を発し、現在はジュネーブ諸条約追加議定書(77年)によって条件づけられている。
時期によっても異なるが概ね
にという条件が課せられる。諸条件を欠きながらも戦闘行為に参加した場合、交戦者として得られるべき保護、端的に言うと捕虜として正当な扱いを受ける権利を失う。ただし、その場でコロコロしていい訳でもない(現在では)。
さて、
2については、以前は「遠方より視認できる固有標章の着用」が義務付けられていた。
即ち、軍隊らしい立派なおべべを支給できぬ場合、交戦者たらんとする者共は「固有標章」だけで何とかしろというケースがあったのである。WW2における著名なケースを見てみよう
欧州を失陥しつつあった大英帝国はドイツ軍上陸の予感に、1940年5月国内の未動員人材を活用して戦力化することを決定した。これがLocal Defence Volunteers-LDV・地域防衛義勇隊、後に改称しホームガードである。ただし、装備品をほとんどダンケルクに置いてきた英軍に、そんな有象無象共に渡す制服などなかった。一時期かの有名なホームガード・パイク(水道管に中古の銃剣を取り付けたヤリ)すら取りざたされていたのである。そんな時こそ、「固有標章」の出番である。具体的には、腕章だ。
https://www.iwm.org.uk/collections/item/object/30077601
ただし、勝ち組なうえ、ケツモチとして米帝がついていたので、数カ月後には制服・真っ当な装備が支給されだした。しかしその前に100万のLDV腕章が製造されていたのである。
欧州を失陥しつつあったドイツ第三帝国は、1944年9月いよいよ枯渇した戦力の穴埋めに男子の総動員を行った。これによって編成されたのが国民突撃隊である。これにより、質はともあれ600万人の兵力が補充される予定であった。
負け戦中に600万人にパリッとした制服なぞ提供できるはずもなく、服装は「野戦向きなら何でもいい」自前。そんな時に国家がすがるのが、そう、腕章である。
黒地に国家鷲章と「Deutscher Volkssturm Wehrmacht」(ドイツ人民突撃軍)のステンシルが施されていた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Volkssturm#/media/File:Volkssturm_armband.svg
占領地どころか、沖縄まで失陥し、大日本帝国は本土決戦を覚悟していた。そのための補充兵力として45年6月、国民義勇戦闘隊を編成するための法整備が行われた。これは男女問わず(対象年齢に差あり)必要に応じて召集することができ、2800万人を動員する計画であった。義勇と名前がついているが、召集と書いた通り義務兵役の類である。
本土残地の正規軍にすらろくろく兵器物資がいきわたっていないところに2800万人の動員である。当然制服など配る余裕などない。なにせ武器だって自前で用意する想定である。そのための竹槍。
そんな時こそ腕sy・・・あれ?腕章ってば輪っかにする分布地余計に要るよね?ピコーンひらめいた!
というわけで、一般隊員は6×7センチの白布に「戦」と書いたものを右胸に縫い付けることと相成ったのである。なお、指揮官級は幅10センチの白い腕章をつけることになっていた。
なお、この部隊は樺太の戦いで実戦投入された以外は、交通職域で200万人が動員された程度にとどまった。
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000043434
確かに日本は「唯一の被爆国」だ。だが、1945年3月には「東京大空襲」があり、国会議事堂や最高裁判所が爆撃されただけでなく、10万人以上が亡くなっている。このときに何故戦争を終結させられなかったのか。何故反戦運動が起きなかったのか。本土決戦を覚悟していたわりに何故あっさりGHQの占領を受け入れ、寧ろ喜んだのか。結局、1945年4月~8月の期間に戦争を継続した意義はあったのか。「過ちは繰返しませぬから」も良いが、もう少し自分たちの弱さを直視したほうが良いのでは?未だに公共放送が芸能事務所創業者のスキャンダルを報道するのにもここまでコストが掛かるのを見ると、多くの報道機関が談合しているのを見ると、他の国ならば1945年3月には戦争終わらせることが出来たのでは、もっと早くに戦争終わらせること出来たのでは、というかそもそも開戦しなかったのでは、とか思ったり思わなかったり。
【追記】
・1944年頃から講話に向けた動きがあった、1945年2月には「近衛上奏文」があった
で、結局当時の一般の日本人は何をしていたのか? 自分の子供を戦地に無邪気に供給していただけなのでは?
日本人しか興味なさそうな言葉の定義に関する議論お疲れ様です。
何故隠蔽されてきたのか、報道機関は「忖度」していたのか、とかは興味がある。日本みたいに芸能事務所や広告代理店がメディアをハックしている事例とかも調べれば他国にあるのだろうか。
ChatGPT4くんに色々聞いてみた
例
・極度の貧困国の低所得層の人々は、1日あたり1000キロカロリー以下の摂取量を持つことがあります。このような低カロリー摂取は、栄養失調、免疫力の低下、成長障害、学習能力の低下、労働生産性の低下など、さまざまな健康問題や社会問題を引き起こします。
・世界保健機関(WHO)によると、極度の飢餓状態の人々は、1日あたり約400キロカロリー以下の摂取が報告されていることがあります
・日本の第二次世界大戦後期の苦しい時期、特に1944年から1945年、日本政府は配給制度を導入し、一般市民に対して食料を配分していました。
1944年当時の主食である米の1日あたりの配給量は、おおよそ300グラムでした。これにより、大人1人あたりの摂取カロリーは、おおよそ1,500キロカロリー程度だったと推定されています。(300gは2合でカロリーでいうと1100kcalくらい)
ホロコーストマニアになって2年以上の私だけれど、ホロコーストには理解しにくい話も多いとは思っている。何故増田にしばしばホロコーストの話を投稿するかというと、こんな話「チラシの裏にでも書け」だと思っているからで、チラシの裏といえば増田しか思いつかないからだ。チラシの裏でなくてもいいネタはちゃんとnoteとかに書いている。
歴史とは「起きた事実」について考えることであって、起きた事実を「実際には起こらなかった」と考えることではないので、事実認定は慎重ではあるべきだが、単純にその事実が信じられないからと言って否定的に考えるべきものではない。
しかし、ホロコースト否定派は、「自分が信じられないことは起こらなかった」と考える傾向が極めて強く、フランス人の修正主義者として名高いロベール・フォーリソンはとにかく自分が信じられないからと、アウシュヴィッツのガス室を代表例として徹底的に否定した。
さて、そのアウシュヴィッツ(ビルケナウ)の火葬場の火葬能力が現代の火葬場に比べて桁違いに処理能力が高いという史実は、もちろん否定派は信じない。1943年6月28日付のアウシュヴィッツの建設部がベルリンの親衛隊経済行政管理本部に送った書簡には、収容所全体の火葬場の能力として1日あたり、4,756体の処理能力があったと記されている。これは計算上、15分で一体を火葬していたことになるため、現代日本では一体1時間かかるので、実にその能力は4倍もあったことになる。しかも、アウシュヴィッツの火葬場は連続稼働が可能で、火葬場が壊れない限り(実際には何度も故障修理していたが)延々と火葬を続けることすらできた。従って実質的には、日本の現代の火葬場の4倍の能力どころではなく、約二十倍の遺体処理能力があったのである。日本の場合、いくら頑張っても1日に最大五体だが、アウシュヴィッツの火葬場は百体近い。
何故そんな高処理火葬が可能だったのかについては、一つは、日本の火葬場では、というか世界中の火葬場がそうだろうが、一炉につき一体ごとにしか遺体を火葬してはいけないからである。これは当たり前の話で、遺骨を遺族が引き取る必要があるからだ。だから、普通は火葬炉を一回ごとに冷ましてから、台車などで焼け残ったものを炉の中から取り出し、遺族が箸で骨を拾う儀式を行うのである。もちろん遺体を炉に入れる前には通常、僧侶が付き添って儀式を行ってから、となる。清掃も必要だし、あれやこれやで一回転あたり最低でも2〜4時間はかかる。つまり、日本の現代の火葬場はそれ以上処理能力を上げられないボトルネックが存在するのである。火葬場の人員上の問題もあるので、1日五回転がせいぜいなのだ。
アウシュヴィッツの火葬場ではそんなボトルネックなどない。儀式など必要ないし、遺骨を遺族が引き取ることもないから複数人の遺骨が混ざっても大丈夫だ。とにかく大量に死人が出るので、遺体処分だけが目的である。だから、焼却を妨げない限り、遺体は常時複数を炉に入れて焼却し、炉の下に落ちた焼却灰(完全焼却などされていない)は焼却中にガンガン取り出し、炉内の遺体を入れる箇所に隙間が出てきたら、連続的に新しい遺体を投入してゆく。火葬炉は、三つ(あるいは八つ)のレトルトが内部でつながった構造になっているので、それらそれぞれのレトルトで火葬している限り、炉内はあまり温度が低下せず高温を維持できるようになっていた。このように温度変化が少ない状態が続くので、理屈上は火葬材も長持ちするのが特徴でもあった。ただし、戦時下に建設された火葬場なので火葬材の品質が悪く、故障は頻発したようである。
しかし、そんな高処理能力の火葬場があったのに、それでも火葬能力が追いつかないほどの死体は発生することもあった。1日あたり最大で一万人も殺していたとされる時期、1944年5月から7月にかけてのハンガリー系ユダヤ人の大量虐殺を行っていた時期である。やっと本題である。
この時期、火葬場が足りないので、野外に穴(壕)を掘って遺体を焼却していたのだという。ゾンダーコマンドのシェロモ・ドラゴンの証言によると「長さ25メートル、幅6メートル、深さ約3メートルの穴が5つありました」だそうである。この証言の他にも野外焼却をやっていた場所もあった。司令官ルドルフ・ヘスの回想録によると、大半の遺体を野外焼却によって処理していたそうである。
否定派の疑問(難癖)の一つは、そんな大量の遺体を焼却するためには大量のガソリンが必要だったはずだから、終戦前年くらいの時期にそんな大量のガソリンを用意できたはずはなく、嘘に違いない、というものである。これはしかし、否定派は「ガソリンが用意できなかった事実」を証明していないので、難癖の域を出ないわけだが、実はアウシュビッツ収容所群の一つ、第3収容所であるモノヴィッツ収容所があったのは大企業であるIGファーベンの工場であり、ここではメタノールを製造していた。メタノールが燃料となることは言うまでもない。事実、誰の証言だったか忘れたが、野外焼却でメタノールを使っていたとする証言も見たことがある。
さらには、死体を焼却していると死体から脂肪分が溶け出して垂れてくるので、それを壕の底に溝を掘って溶け出した油をその溝に流して、別の場所に溜めてからその脂肪油を死体にぶっかけて燃料替わりにしていたのだという。もちろんそんな話否定派は信じない。
もう一つの難癖は、壕、すなわち地面に穴を掘ってそこに遺体を溜めて焼却することなど、科学的に考えてできるわけがないとするものである。何故ならば、穴の中が燃焼によって酸欠になってしまうからだ、という。しかしこれは、穴の形状にもよるはずである。凹型の壕ならば、それもあり得るかもしれないが、上に向かって広がっている穴ならばどうか。あるいは幅六メートルに対して深さ三メートル、長さ二十五メートルだから、これならば何となく酸欠になりにくい感じもする。もちろんその程度の理屈では否定派は納得したりはしない。
ところが調べていると、日本のあの関東防疫給水部、731部隊が撤退時に証拠隠滅目的で、大量の死体を同様に穴を掘って焼いていたとする証言があった。
外には穴が掘られており、穴の中に薪と"マルタ"が交互に積み上げられ、あとは火をつけるだけになっていました。(P93)
七棟と八棟の近くに、それぞれ大きな穴が一つずつ掘られていた。この穴に、直径一五センチぐらいの丸い鉄棒が何本も平行にわたされた。ちょうど、巨大なバーベキューの網のようである。
わたしたちは、二人一組になって各監房から「丸太」の死体を中庭に運び出した。運び出した「丸太」の死体は、鉄棒の上に並らべられた。
そのうえに、たしか重油だったと思うが、燃料がぶちまけられた。火が放たれた。瞬間、赤い焔とともにもうもうたる黒煙があがった。
「丸太」はこうして、次から次へと、鉄棒の金網の上で焼かれていった。全部で二〇〇体くらいはあったのではないか。(P116-P118)
残った骨などは砕いて近くの川に捨てに行ったというのだから、規模こそ違えど、やってることはアウシュヴィッツのまんまである。
論争相手にこれを示しても、どうやらホロコースト否定派であると同時にネトウヨでもあるらしく、731部隊の丸太処分の話など信じないのだという。
しかし懲りずにもっと調べていたら、広島の原爆でも、穴を掘って大量遺体の焼却処分をやっていたことがわかった。
ひる間の呻き声も次第に聞かれなくなって数多くの人が昇天していった そうして町のあちこちで穴が掘られやけただれた鉄骨を並べた上に死体がうづ高く積まれ油をかけて焼かれていった
穴に死体をうず高く積み上げ油をかけて火葬する風景が町のあちこちで見られた。 | NHK 原爆の記憶 ヒロシマ・ナガサキ
調べたのはネットだけだが、他にもいくつか穴で遺体を焼いていたとする記述は見つかった。
まず焼却燃料について、終戦間際の物資に窮乏していたはずの日本ですら、原爆被害の酷い惨状でも燃料となる油があったとする事実は、ナチスドイツ親衛隊が運営していたアウシュヴィッツ収容所で終戦前年に「ユダヤ人絶滅」作戦という中で、燃料を用意できなかったとする否定派の理屈を非常に弱めるだろう。
そして、ネトウヨが731部隊を信じないとしても、原爆被害の実態を否定するのは難しいはずである。
ともかく、怒涛のように証拠だらけなので、否定派の難癖は無意味である。
しかし、では何故穴を掘って遺体を大量焼却していたのか? 実のところ、そこがよくわからない。穴を掘る意味がよくわからないのである。
高いところから油をぶっかけやすいからだろうか? それとも、焼却後に遺体処分として埋めるのが簡単だからだろうか?
何か知っている人がいたら是非教えてほしい。近所の図書館に行って、司書さんにまで手伝ってもらって文献を調べたが、それでも結局その理由がわからなかった。
※前回書いた似たような内容の増田日記は削除しました。とにかく、何故「穴を掘って」遺体を大量焼却していたのか? 何か知っている人は教えてくださいませ。
そもそもの問いの立て方が間違い(酷いストローマン)。ホロコーストでのユダヤ人の犠牲者は、大雑把に言えば、アウシュヴィッツで100万、その他の約四箇所(マイダネクは少ないので計算から除外)の絶滅収容所で200万、ソ連等のその他の地域での虐殺で150万、ゲットーや強制収容所などで100万、その他50万、合計で600万人と言ったところ(繰り返し言うがかなり大雑把)。つまり、ホロコーストの象徴になっているアウシュヴィッツでは約100万人なので、それを6倍もストローマンした虚言・戯言である。
また、アウシュヴィッツでさえ「骨まで残さず焼却した」だなんてことはない。むしろ、非常に荒っぽい不完全火葬で、細かい話だが炉の中の死体を載せる格子から下の灰皿に落ちた残骸は、掃き出してランマーで細かく砕いて、集めて近くの川に捨ててしまったのである(司令官を含む複数証言)。他のヘウムノなどの絶滅収容所では焼却後、粉砕機を用いて骨類は砕き、周辺の土地へばら撒いた。また、犠牲者数こそ数万と少ないものの、マイダネク収容所には大量の遺骨が残っていた。「Majdanek bone」とすればその画像が得られる。
もしそうならば、確かに、大雑把に絶滅期間を500日とすると、十万体しか処理できないことになる。しかし、それは明らかに嘘である。何故ならば、別の収容所であるマウトハウゼン強制収容所の衛星収容所であるグーゼン収容所では、一基の火葬炉あたり、1日あたり20体以上の火葬をしていた記録が残っているからである。アウシュヴィッツには絶滅の現場であるビルケナウだけで46基の火葬炉(マッフル数)があり、1日あたり少なくとも900体処理できたことになって、500日なら45万体である。それでもまだ半分以下だが、アウシュヴィッツでは実は一体ごとに火葬するなどと言う丁寧な火葬などせず、複数遺体を同時に火葬していたので、能力自体はもっと増える。それに、ビルケナウの火葬炉はトリプルマッフル炉や八連マッフル炉になっていて、遺体を入れて火葬する場所が内部で繋がっており、高温を維持しやすい構造となっていて、連続焼却を前提とした構造だった。民生火葬場とは全く違い、遺骨を遺族に返却する必要はなかったのだ。(あっても、適当に遺族に誤魔化して骨壷に入れて渡した)さらに、犠牲者が多かった時期は、野外焼却を実施し、司令官のヘスは自叙伝で「ほとんどの火葬は野外焼却となった」と書いている。以上、百万体程度は十分可能だった。
実は、アウシュヴィッツの火葬炉は、最初の二日間程度、炉内を高温化するためにコークスが必要だっただけで、遺体の火葬自体にはコークスはほとんど必要なかった。何故ならば、複数遺体を同時に連続的に火葬していくので、それらの遺体自身が燃料化したからである。燃えにくい痩せてガリガリの遺体の場合にはコークスは追加されただろうが、太った新鮮な遺体(つまりは収容所に収容されずに即日ガス室で殺された人)ならば燃料替わりにさえ使われた。これらについての細かい技術的な話は、遺体処理を担当したゾンダーコマンドだったヘンリク・タウバーの証言を読むといい。
アウシュヴィッツの様々な議論(9):証人の宣誓供述書1:ヘンリク・タウバー|蜻蛉|note
青酸ガスの爆発濃度下限値は56000ppmであり、人間の致死濃度はせいぜい2000ppm程度(一般には300ppmとされるが諸説ある)である。いずれにしても、ガス室内だけの話であり、ガス室外に漏れ出したとしても、濃度は低下してしまうため、引火の危険があるとは考え難い。否定派は、シアン化ガスの「濃度」を無視する傾向がある。実際には例えば、10ppm程度だと致死に至る可能性は極めて低い。そもそも青酸ガスの元であるチクロンBは害虫(及び害獣)駆除剤であり、害虫駆除作業で使える程度の安全性がなければ使えなくなってしまって全く意味がない。なお、詳細な話をすると、この火葬場の隣のガス室は、アウシュヴィッツのメイン収容所にある、現在でも観光用に公開されているガス室(第1ガス室)のことであり、ユダヤ人絶滅の現場であるビルケナウのガス室のことではない。流石に第1ガス室で処刑最中には、隣で火葬作業をしていたとは思えない。そこでは毎日稼働させるような大量の処刑はしていなかったからである。ビルケナウのガス室では、火葬場はガス室から離れていたので、引火の危険性を考えること自体おかしい。
遺体搬送の働き手は、いつ死んでもいいユダヤ人のゾンダーコマンドである。また、20時間の換気は、ディゲシュ社が想定した害虫駆除作業箇所でのものであり、様々な場所を想定した上での安全性を配慮しただけのことであり、必要十分な時間よりかなり長いマージンをとっている。しかしアウシュヴィッツのガス室は、室内はガランとしたただの空間であり、致死濃度でさえなければ、あるいはガスマスクを使用していれば、少なくとも死ぬ危険はなかったのである。実際、何人かのゾンダーコマンドの証言ではガスマスクをつけていたとの証言がある。十分な換気能力の換気装置のあったガス室と、自然換気で行ったガス室があったが、生存者証言によるとわずかに体調を崩した程度の証言があるのみで、死者があったと言う証言はない。また、非常に細かい話としては、地下型のガス室になっていたクレマトリウム2や3では、金網投下装置なる特殊なチクロン投入装置があり、これを利用してユダヤ人殺害を確認したのち、ガスを放出し続けるチクロンBを容器ごと天井から引き抜いたため、「ガスを放出し続けるチクロンB」の問題はなかったのである。
それは、ロイヒターやルドルフは、殺人ガス室とされた場所には存在していない、(シアン成分が鉄分と結合して化学変化した長期的に安定的な)プルシアンブルーを害虫駆除室で試料採取し検量したからである。プルシアンブルーが、青酸ガスが使われたら必ず発生するという証明は一切されていない。その上、害虫駆除室の壁面をよく見ると、プルシアンブルーのある場所とない場所がはっきり分かれており、これは青酸ガスが存在してもプルシアンブルーが発生しない場合があるという証明になっている。プルシアンブルー以外のシアン化物質成分は、非常に水に流出しやすいことがわかっている(ビルケナウのガス室のあった火葬場は全てダイナマイトで破壊されており長年に渡って雨曝しだった)。さらに、害虫駆除室と殺人ガス室におけるチクロンの使い方は、その残置時間が全然異なる。害虫駆除ではシラミはなかなか死なないので、通常は丸一日の燻蒸を行ったのに対し、殺人ガス室では証言によるところ、せいぜい三十分以内であった。死体の火葬処理の方に時間がかかるため、一箇所のガス室での集団処刑はせいぜい1日に一回、多くても2回が限度だった。したがって、殺人ガス室の後とされる場所にプルシアンブルーが生成されていなくても、何ら不思議はない。以上のことから、プルシアンブルーを含めない検査方法でなければインチキである。それをやったのが、ポーランドの公的機関であるクラクフ法医学研究所であり、結論として殺人ガス室があったとみなして良い結果を得たのである。
ロイヒター&ルドルフレポートに対抗したクラクフ報告とは。|蜻蛉|note
野外焼却の証拠は、まず司令官ルドルフ・ヘスの自叙伝に記載されているものがある。他にも複数人の証言がある。また、1944年中の米軍による航空写真にそれら証言が伝える場所での煙が写っている、さらにはユダヤ人ゾンダーコマンドによる極秘に取られた焼却中の写真もある。さらには1960年代に行われた民間会社による野外火葬場所の発掘調査で遺灰などが発見されている。否定派は、「アウシュビッツに焼却用の燃料がなかったこと」「どのくらいの燃料が必要だったかの客観的根拠」など、否定すべき内容についての証明を一切行っていない。なお、アウシュビッツ・ビルケナウ収容所は、十万人規模の囚人と二千人規模の親衛隊員を有する巨大施設であり、燃料不足で燃料を使わずに活動・生活していたなど信じ難い。ユダヤ人絶滅は「総統命令」として実施されており、極秘作戦だったから、遺体の証拠隠滅も必須であり、戦争遂行と同じであって、何が何でも実施したであろうことは想像に難しくない。彼らは命令で動いていたのである。否定派は、何故ユダヤ人絶滅をやっていたのかを全く考慮していない。戦況が敗戦必至になって、絶滅作戦が中止されたが、それもまた親衛隊トップのヒムラーの命令であった。
今更何を……。[しかしいまだにアンネの日記のデマはツイッターなどでしばしば流れる]
Twitterホロコースト否定論への反論(18):アンネ・フランクの日記|蜻蛉|note
昔からあるアルマナック・デマと呼ばれる既に何度も論破された愚論。戦後のセンサスがアルマナックに反映されるのは1949年まで待たなければならない。それまでは、単に1939年の値からの推計値を記載していたのである。また、ニューヨークタイムズは後日、その数字を1200万人に訂正している。
ダッハウに米軍が入った時、大量の囚人の死体があったのは周知の事実である。ガス室のあった建物であるバラックX周辺にも遺体が山積みとなっていた。そして「浴場へ」と書かれた看板のある、ダミーシャワーのついた謎の部屋……、戦時中からドイツ軍がユダヤ人のガス処刑をしていることは広く連合国側に伝わっており、これらの状況からダッハウのガス室で大量虐殺をしていたと誤解しても致し方のない状況であった。米軍は当初勇足で「ダッハウのガス室での大量虐殺」を報告してしまった。しかし、直接的な目撃証言や裏付けのある証拠が当初は見当たらず、ガス室でのガス処刑があったとは言えないとわかるのは1960年代まで待たなければならなかった。のちに僅かな目撃証言と文書資料が見つかったが、裏付け能力に乏しく、「実験的なガス処刑があった可能性がある」くらいしか言えない。いずれにしても、歴史的事実がさまざまな調査研究により、後々になってより詳しく判明していくのは当たり前のことである。とくにおかしいところはない。
知らんがな。確かにNHKの番組ですら誤ったホロコーストの内容を伝えていることはある。実は著名な研究者ですら、非常に細かいところで誤った記述をしていることもある。しかし、日々のニュースでさえも、「先ほどのニュースの中に誤りがありました。訂正してお詫びします」を聞かない日はない。人は誤りを犯す生き物である。それが何か?
……ほんとにネット界隈(特にTwitter、Youtubeあたり)は修正主義支持者が多いので、誰か手伝って欲しいくらいなんだ……
我々は全ての非難をウクライナに転嫁する状況を作るよう土壌を耕している。ナルィシキン(ロシア対外情報庁(SVR)長官)と彼のSVRはウクライナが密かに核兵器を製造していたことを証明するために地面を掘り返している。F単語。彼らは我々はすでに分析し事案処理済としたものに必死になっている: 我々はただ証拠品とか証明とか専門職の存在とかウラニウムをでっち上げるということはできない。ウクライナは大量の劣化ウラン238を保有している──そんなものは何でもない。[核の]製造工程は密かに実行できるようなものではない。汚い爆弾は密かに作ることはできない。ウクライナの古い原子力発電所はそれら物質を副産物として極少量製造できるのみである。これらはアメリカ人がMAGATE[和訳者註: МАГАТЭ, IAEAのロシア語名称]とともに監視していて話題にするだけばからしい。
あと一週間で何が始まるか知っているか? 二週間でもいい。我々は大変ひどいことになり90年代の空腹の日々を思い起こさせるようになるであろう。株式市場も閉鎖しているから、ナビウリナ[中銀総裁]は正しい行動を取っているが、船に開いた穴を指で塞ぐようなものだ。状況はどのみち現状を突破するしより強烈になる。三日五日七日それ以上経とうが何も解決することはない。
カディロフは理由なくひづめを蹴っているわけではない。彼らにも旅路が待っている。彼は自分自身に無敵の者として名を付けた──彼が一度でも負ければ彼の人びとが彼を除去するであろう。
次。シリア。"諸君──待ち給え、ウクライナはすべて終わりになって我々はシリアの防衛を固めるのだ。" そうして今にも我々の現地増援部隊が補給品を使い果たせば、ばかげた熱風がやってくる……トルコは海峡を封鎖しており、シリアに補給を空輸するのは釜に現金をくべるのと同じことだ。留意されたい──これらは全て同時に起こっており、我々にはこれをすべて一つの書類山に投げ込んで分析する時間すらないのだ。我々の現在の状況は1943-1944年のドイツに類似している──しかしそれがウクライナにおける我々の _起点_ なのだ。時折筆者はこの過労状態の中で迷子になる。時折これはすべて夢ですべては以前のままであるかのように感じる。だ.っ.て.僕.は.星.だ.か.ら.。
刑務所について──状況は悪くなる。血を見るまで留め具の締め込みが始まるだろう。あらゆる場所で。正直に言って、純粋に技術的見地から、状況の統率を図るには、それが唯一の手である。
我々はすでに全軍動員状態にある。しかし我々はこの状態に長く在ることはできない。しかし我々の予定表は不明瞭であり、そして悪化の一途をたどる。統治は動員により道を誤る。そして想像したまえ: 100m走を走ることはできるだろう──マラソンでやってみたまえ。そして、ウクライナ問題に関して我々は100m走の構えを取ったが、しかし我々はマラソンに参加していたことが明らかになったのだ。そしてこれはどちらかといえば現在起きている出来事の簡単なあらましなのだ。
さらなる皮肉主義を提供するなら、筆者はプーチンが赤い釦を押して世界を破滅させるとは信じていない。第一に、これは一人の人間が決断することではなく、誰かが拒否するであろう。この手続きには大勢の人が関わり、たった一つ"赤色"の釦があるわけではない。第二に、これが実際正常に機能するかについてある種疑念がある。経験により制御手順がより透明であるほど問題の断定は簡単であることが示されている。そして誰が何をどう管理するかが不明瞭であるが、誇大表現に満ちた報告書がつねに書かれているところにこそ、常に問題があるものである。筆者には"赤い釦"装置が宣言された情報の通り機能する確信がない。だいいち、プルトニウム燃料は十年ごとに交換が必要なのだ[8]。第三に、これがもっとも不愉快で残念なのだが、彼自身の最も近い閣僚や助言役すら近づけないのであれば、筆者はそのプーチンの自己犠牲を信じていない。[9]
Changelogを入れたら末尾が切れてしまった…Changelogはリプにします。https://anond.hatelabo.jp/20220308162009
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https://twitter.com/igorsushko/status/1500301348780199937
最初はTwitterに流しましたが(https://twitter.com/Vorspiel2/status/1500677825044819971)、誤訳を修正し、追加情報を入れて清書しました。
なお、この文書の真正性について、まずこちらの評価をご参照ください。(イギリスの情報サイトBellingcatの幹部Christo Grozev氏による)
https://twitter.com/christogrozev/status/1500196510054637569
以下はその翻訳です。
昨晩[日本時間3/5早朝]、FSBの内部告発文書と称するものが公開された。そこには、ロシア軍のウクライナでの失敗と、今後数週間~数ヶ月におけるロシアの惨状の予測が記されていた。これが本物かは分からない—ウクライナは以前に、心理戦の一環として偽のFSB文書をリークしたことがある。
だがこれはそれとは違うようだ: 情報源は信頼できるもので(gulagu.netの創始者)、偽造にしては遥かに長い文書だ(長くなるほどボロが出やすくなる)。
私はこの文書を、知己のFSB職員2人(現職または前職)に見せた。2人とも、これは間違いなく同僚が書いたものだと判断した。彼等は結論のすべてには同意しなかったが、それはさておき。
文書はこちら。一読の価値がある: https://www.facebook.com/vladimir.osechkin/posts/4811633942268327
内部告発というのが仮に真であったとしても、内容に虚偽が含まれている可能性にご注意ください。
更に、私はロシア語は分からないので、露→英訳時に意図的か否かを問わず誤情報が紛れ込んでいる場合にはそのままになります。この点について、ロシア語が理解できる方はチェックをお願いします。
以下本文です。
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[冒頭は英訳者Igor Sushko氏のコメント。氏はウクライナ出身・アメリカ育ちのレーシングドライバー]
以下は、現職のFSB分析官による、ロシアの現状分析を英訳したものである。長いスレッドになるので心して読んでいただきたい。シェア歓迎。全文で2000語以上になる。カーテンの裏で起きていることに対する高度な洞察であり、幅広い題材を含む。
文意を明確にするための補足を、必要に応じて括弧書きで加えている。[日本語訳時に、追加の補足を角括弧書きで入れている。] では始めよう:
最近はろくに眠れていない。ほぼ24時間勤務で、頭に靄が掛かったような状態だ。過労なのだろうが、まるでシュールな世界の住人になったような気分だ。
パンドラの箱は開いた—本当の世界規模の惨劇は今夏までに始まるだろう—全世界の飢餓は避けられない。ロシアとウクライナは小麦の主要産地なのだから。(コメント: 世界規模の飢餓が起きるという予測には同意しない。)
我が国の指導者層に本作戦(ウクライナ侵攻)を決断させたのが何かは分からないが、彼等は揃って我々(FSB)の責任だとしている。我々の分析は非難され、もっと沢山報告を出すよう、最近はますます圧力を掛けられている。
こういう政治コンサルタント、政治家、権力者ども全員が混乱の元凶だ。何より重要なのは、誰もこんな戦争が起きるとは知らなかったということだ—開戦は誰に対しても秘匿されていた。
一例を挙げる— ロシアに対する隕石攻撃(コメント: 西側諸国による制裁を指すと思われる)[これは露→英訳時のミスと思われる。詳細はhttps://anond.hatelabo.jp/20220322231355を参照]があった場合の結果と影響の分析依頼があったとしよう—
そこで攻撃のモードを分析するが、一方これはあくまで仮説であって細部を強調するな、とのお達しがくる。なるほどこのレポートはどこぞの官僚がチェックリストとして使うもので、分析結果はロシアにとってポジティブなものでなくてはならない、
そうでなければ「仕事ができていない」と詰問されるんだな、と理解する。したがって、我々にはどんな攻撃にも対抗手段が揃っている、という結論を出さざるをえない。もう完全にやりすぎだ。
ところが、蓋を開けてみればこれが仮説ではなく現実に起こっており、こんな仮説に基づいた分析など全くのゴミ屑になってしまった。制裁に対抗できていないのはこのためだ。こんな戦争が起きることは誰も知らず、従って制裁への対抗策も準備していなかったのだから。
これは秘密主義と裏表だ—誰もが知らされていないのなら、準備のしようがあるだろうか?
カディロフは激おこだ。ウクライナが「FSBからキーウのチェチェン部隊の情報をもらった」と吹聴したことで、我々(FSB)と連中は一触即発になりかけた。
カディロフの部隊は戦闘に入る機会すらなく壊滅し霧消した。FSBからウクライナへのリークがあったという情報を私は持っていないので、推測するにその可能性は1-2%だろう—とはいえ、可能性を完全に排除できるものではない。
我々の電撃戦は完全に失敗した。そもそもが完遂できないタスクだ: ゼレンスキーと部下を開戦3日で確保し、主要な建物をすべて占拠し、城下の盟を誓わせたとしたら、
ウクライナの抵抗は最小限に抑えられただろう。理屈上は。だがそれがどうした? こんな「理想的な」展開であってさえ、解決不能な問題が残っている: 我々は誰と交渉する気だ?
ゼレンスキーは排除するとして、よろしい、では合意に署名するのは誰だ? ゼレンスキーが署名するなら、彼の排除後は合意は役立たずだ。ОПЗЖ(ウクライナの親露派野党)は協力を拒否している。
臆病者のメドヴェドシュク[実業家。プーチンの友人]は逃亡。指導者は他にもいるが—ボイコ[野党党首]は拒否、彼の支持者も理解しないだろう。ツァリョーフ[DPR・LPR議会議長]を呼び戻そうにも、ロシア国内ですら不評。ヤヌコーヴィチ[前大統領]を戻す? どうやって?
占領は不可能、ということになれば、我等の撤退後、[ウクライナ]新政府は10分ももたずに倒されるだろう。
占領するにしても、必要な人員がどこにいるというのか? 司令部、軍警察、防諜、諜報—ウクライナ人の抵抗を抑え込んだとしても、50万人は要る。これに更に補給と兵站が加わる。
こんなのは決まりきったことだ—質の悪いリーダーシップを量で補おうとするなら、何もかも分が悪くなる。繰り返すが、これは「理想的なシナリオ」での話だ。現実はそうではない。
それでどうなっているのか? 総動員を掛けることはできない。理由は2つ:
1)総動員を掛けたらロシアの国内問題で自壊する: 政治でも経済でも社会でも。
2)我々の兵站は今日ですら伸びきっている。これだけ巨大な分遣隊をウクライナに送り込めたとして、何が得られる? ウクライナ—広大な国土を持ち、我々に向けられる敵意は半端ない国において。
我々の道路はこんな大部隊の補給に耐えうるようできていないから、何もかもがストップするだろう。現在の混乱状況を鑑みれば、指導者層がどうにかできるものでもない。
この2つの理由が同時に存在している。どちらか一方でも、失敗には十分だというのに。
ロシア軍の損失について: 実数は分からない—誰にも。開戦から2日間は何がしかの情報が入ってきたが、今となってはウクライナで何が起きているのか誰も把握していない。主要師団との連絡は途絶えている。(!!)
通信は回復するかもしれないし、攻撃を受けて散開しているかもしれない。司令官ですら戦死者数・負傷者数・捕虜数を把握できていない。戦死者の合計数は千人単位だろう。1万人か、5千人か、2千人ですんでいるか。
こんなことすら、司令部の誰も知らない。もしかしたらロシア兵の戦死者は1万人近くかもしれない。しかもここにはDNRとLNRの戦死者は含んでいない。
ゼレンスキーを殺害ないし捕縛したとしても、状況は変わらない。我々に向けられる敵意はチェチェンのそれ並だ。今となっては、ウクライナの親露派ですら公然と我々に反抗している。
それもこれも、(ロシアの)トップがすべて決めたから。こんなシナリオ(ウクライナ侵攻)など、先制攻撃を受けない限り起こらないと聞かされてきたから。
我々が脅威を高めていくのは、戦闘によらず交渉で結果を出すために必要と聞かされていたから。ウクライナ国内でのゼレンスキー批判の準備も、ウクライナ侵攻など考慮にも入れていなかったから。
今日、ウクライナ市民の死者数は幾何的に増加しており、抵抗は強くなる一方である。歩兵部隊は都市侵入を試みているが—落下傘部隊20隊のうち、わずか1隊が「暫定的に」成功を納めたのみ。
モスル侵攻を思い出してほしい。まるで同じだ—どの国でも起こることで、何も新しいことなどない。ここ数十年のヨーロッパでは—セルビアが一番良い例だろう—都市を包囲しても数年は持ち堪えられる。ヨーロッパからウクライナへの人道的支援が始まるのも時間の問題だ。
我々のひとまずの期限は6月だ。というのは、6月になったらロシアには経済というものが無くなるからだ—何にも残らない。
大局的には、来週には(ロシアで)(戦争賛成派対反対派の)両者の一方が崩れるだろう。こんな(ロシア国内の)緊張状態は長続きできない、というだけのことだ。
分析のしようもなく、混乱状態で予測の立てようもなく、何が起きるか確度を持って言える人間など(ロシアには)誰もいない。
直感に従って、しかも強い感情に動かされて行動するなどというのは最早ポーカーではない。だが賭け金は釣り上がってしまい、どれかしらの手段はうまく行くだろうという望みに掛けるしかない。悲しいけれど、人間は往々にして計算違いを起こすし、そうなればすべてを失うことになる。
見渡してみれば、ロシアにはアウト[ポーカーにおいて「これを引けば勝てる」というカード。「勝ちの目」]が無い。勝ち筋などなく、どうやっても負けるしかない—ということだ。(ここで一旦中断。小休止後に再開する)
(ここから後半。こちらはもっと興味深く、ラストには喜ばしい方向で驚くべきことが記されている)
我々は前世紀の失敗を100%なぞっている。「弱っちい」日本を蹴散らして瞬く間に勝利するつもりが、実は我々の軍はずたぼろだった。[日露戦争]
その後、また勝ちを目指して戦争[第一次世界大戦]をおっ始め、軍隊再教育のためにボリシェヴィキの徴兵を始めた。当時よく知られていなかったボリシェヴィキは戦争反対のスローガンを掲げ、ああいった行動に出た…
プラスの面も見よう: 懲罰部隊を前線に送り込むなんてことは考えもしないよう、我々は手段を尽くした。政治犯や社会不適合者を徴兵したら、前線の士気は下がるだけだ。
敵軍(ウクライナ)の戦意は高い。恐ろしく高まっている。戦い方をよく知っているし、有能な指揮官も多数居る。武器も補給もある。世界的な人道破局の舞台を整えているようなものだ。
我々が最も恐れていることは: 首脳が古くからの問題を新しい問題で糊塗しようとしていることだ。ドンバスで2014年に起きたことの大きな理由がこれだ—我々は西側諸国をクリミアの「ロシアの春」から引き剥がす必要があった。それで、いわゆるドンバス危機を演出し、西側の注意を逸らして
交渉材料にするしかなかった。だがそれで問題はさらに大きくなった。そこでエルドアンに圧力を掛けてサウス・ストリーム(ガスパイプライン)を4本引かせた上で、シリアに侵攻した。
ソレイマニ(イスラム革命防衛隊)が自分側の問題を解決するために、わざと偽情報を我々に流したために起きたことだ。その結果、クリミアの問題は片付けられず、ドンバスの問題も無くなっていない。
サウス・ストリームは(ガスパイプライン)2本に減らされ、シリアは宙吊り状態だ—我々が撤退すればアサド政権は倒され我々は無能扱いされるが、我々が駐留し続けるのも困難だし意味もない。
こんな「ウクライナ電撃戦」を誰が思い付いたのかは知らない。もし仮に我々が正しいインプットを受け取っていれば、少なくとも初期の計画には疑問点があり、大部分を再評価するよう指摘できただろう。それはもう大量に。
それが今や、我々はクソみたいな(PGな言葉遣いは英訳者による)ハマリ状態で、どうしたら良いかも分からない。「非ナチ化」「非武装化」というのは分析のカテゴリには無い。というのも、具体的に数値化されたパラメタが無く、目的達成を何をもって評価できるのか分からない。
今や我々は、頭のおかしい参謀がトップにヨーロッパとの紛争を決断させるのをただ待つだけだ。要求は制裁の緩和だ—制裁を弱めるか、それとも戦争か。
西側が拒絶したら? その場合、本物の国際紛争に巻き込まれる可能性も否定しない。1939年のヒトラー同様に。我々の「Z」[紀章]は鉤十字同様に扱われるだろう。
(ウクライナでの)局地的な核攻撃はありうるか? イエス。但し軍事目的ではない。こんな兵器は防御を崩す役には立たない。使うなら目的は我々以外(西側諸国)の恫喝だ。
我々はウクライナに全責任をおっ被せるシナリオの土壌を作っている。ナルイシキン(ロシア対外情報庁官)と配下のSVRは、ウクライナが密かに核兵器を製造していた、という証明をせっせとこさえている。クソったれ。
連中は、我々がとっくに分析し放棄した論を押し通そうとしている: [核兵器開発の]専門家やウランがあったことの証拠や証明など、でっち上げることは不可能だ。ウクライナには劣化同位体238[ウラン238。劣化ウラン]が1トンある—だが問題にはならない。核燃料サイクル上、作り出すことを秘密にはできない。
「汚い爆弾」にしても秘密裏に製造することはできない。ウクライナの古い原発では、それに必要な物質は副産物として最小限産出されるのみだ。アメリカはMAGATE[IAEAのロシア語表記]と共にこういう施設を監視しているから、こんな論など出したら馬鹿にされるだけだ。
1週間後には何が起きているだろうか? 2週間後でもよい。我々はドツボにハマり、古き良き、空腹の90年代を思い出すことになるだろう。
市場が閉じつつあるのに対抗して、ナビウリナ[ロシア連邦中央銀行総裁]は正しい措置を講じているようではあるが、所詮は船に空いた穴を指で塞ぐようなものだ。状況はどのみちどんどん悪化し続ける。3日とか5日とか7日、などのうちには最早解決しない。
カディロフが地団駄を踏んでいるのも故ないことではない。彼等には彼等の野心がある。彼は「無敵」として名をあげた—もし失敗したなら、自分の部下達に引き摺り下ろされることになる。
それからシリア。「諸君—耐えろ、ウクライナは片づける、そうしたら我らのシリアでの地位を強化する。」実際のところ、ロシアの分遣隊はいつ補給が切れるかも分からず、その後には熱波が待っている…
トルコは海峡を封鎖したし、シリアに物資を空輸するのはかまどに金をくべるようなものだ。しかもだ—これはすべて並行して起こっている。ひとまとめにして分析する時間すら無い。
我々の現状は1943-1944年のドイツのようなものだ—だがこれはウクライナでの「初期状態」にすぎない。
過労でくらくらするし、これは夢で、実は以前と何も変わっていないのではないかと思うことすらある。
監獄について—今後も悪化するだろう。ナットは血が滲むまで締め付けられるだろう。どこでも。有り体に言って、純粋にテクニカルな観点では、現状をコントロールし続けるにはこの手しかない。
我々は既に総動員体制だ。だがこんな体制は長く続けられない。タイムテーブルがどうなっているのかは分からないが、状況は悪化の一途だ。国家統治というのものは、総動員を掛けたら狂い始めるものと決まっている。しかもだ: 100mを疾走できるとして—それをマラソンでやったらどうなるか。
で、ウクライナ問題について100m競走よろしく飛び出したものの、よく見たら参加登録したのはマラソンだった、ということだ。しかもこれは、現状のかなり簡潔な要約でしかない。
更に皮肉なことを言えば、私はプーチンが核の赤ボタンを押して世界を終わらせるとは信じていない。
まず、それを決められるのは1人ではない。誰かが反対するだろう。このプロセスには多数の人間が関与している。「赤」ボタンを1個押すだけ、というものではない。
経験的に知られているとおり、制御構造に透明性があるほど、問題点は見つけやすい。誰が何をどうコントロールしているか混沌としているにも関わらず、虚勢を張った報告ばかりが飛び交う状況にこそ、問題が潜んでいるのが常である。
「赤ボタン」システムが言われているとおりに稼働するかは確信が持てない。それに、プルトニウム燃料は10年毎の交換が必要だ。
3つ目、これが最も唾棄すべきで悲しいことだが、私個人の信念として、側近や忠臣すら近づかせないようになったプーチンが、自分自身を犠牲にするなどとは思えない。
プーチンが恐れているのがCOVIDなのか暗殺なのかはどうでもいい。もしプーチンが、自分が最も信頼していた人々すら恐れているのだとしたら、自分自身と最愛の人々を破壊するなんてことができるものかね? (英訳終)