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「諸君」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 諸君とは

2025-03-06

嫌いな人間が悪いことをすると安心する

とある漫画家SNSでちょくちょく本人による作品の切り抜きツイート好意的に流れてくるし、ほっこりいい話風ということになってるけど、なんか妙に鼻につくな…

とずっとモヤモヤしていたが、最近になって、不祥事起こしまくってる右系の団体とつながりがあることが判明して、やっぱり!と快哉を叫んだ。

いやー、実のところ、あの保守的家族観人間からしてそうなんじゃないかなーとなんとなく思ってたんだよなー(事後名探偵

それに加えて、ファンだか友達なんだか知らないがとにかくそ漫画家をよくRTしてる嘘松クリエイター野郎がいて、俺はこいつのことも吐くほど大っ嫌いなんだが。

お前(嘘松クリエイター)さあ、ことあるごとに「権威主義」だの「既得権益」だのを必死批判してたよな?(自分を清廉に見せかけるために)

○○会○○なんてまさに「権威主義」「既得権益」の総本山みてえなところじゃねえかバカ野郎

前世紀のこととはいえ、○体○なんかやらかす異常な集団だぞおめえ!

まあ、「権威主義」「既得権益」を批判してたとはいっても、もともと言葉意味分かってるのか怪しいレベルでふにゃふにゃした話しかしてなかったから、こういう説教されてもなんも響かんかもしれんけどさ。



いやー、すっきりした。

俺はやっぱり、自分の嫌いな人間がひどい目に遭ったり公的に裁かれたりすることよりも、そいつらが本当にろくでもない人間だったことが俺の目に明らかになってくれることの方がよっぽど重要だわ。

それはつまり、俺の世界見方が正しかったという証明から。誰にも伝わらなかったとしても。

正しさでメシは食えないかもしれないが、今あるメシは少しだけ美味くなる。

俺が嫌いな人間諸君は、これからも俺の美味いメシのために一生けんめい悪事に励んでくれたまえよ。俺は俺だけの正しさを抱えて笑って死んでいくからよ。

ざまーーーーーーーみろ!

2025-03-02

anond:20250302214849

予算人員も出さないけど社員無責任に無理めの仕事を振るブラック企業社長みたいなこと言うな

はてな増田界において三大嫌われ者一角を占める予算人員も出さないけど社員無責任に無理めの仕事を振るブラック企業社長みたいなこと言うな


国が諸君に何をしてくれるかを問うな。諸君が国に対して何をできるかを問え

って偉い人も言ってるぞ

みんなで払っていくんだよ

子供じゃないんだからさあ

国交省の皆さん あなたたちは社会主義国家のエリート官僚

【一応簡単説明

毎年3月から4月にかけて、日本では引っ越し料金が急騰する。これは、進学や就職、異動が重なるためだが、特に影響が大きいのが国家公務員の異動だ。

政府機関は、毎年4月1日に全国規模で大規模な人事異動実施する。その結果、全国の公務員が一斉に引っ越しをすることになり、引っ越し業者の予約はパンク。料金は跳ね上がる。

この状況を受けて、国交省は「引っ越し分散」を国民に呼びかけている。「3月4月の繁忙期を避けて、できるだけ時期をずらしてください」と。

しかし、ここに矛盾がある。

呼び掛けている国交省自身が、4月1日の異動をやめようとしないのだ。

国民には「混雑を避けろ」と言いながら、自分たちガッツリ4月1日に異動する。しかも、職員引っ越し費用税金で賄われるため、市場価格がどれだけ高騰しようが、お財布は痛まない。

これ、どう考えても「市場原理」とはかけ離れている。

まり国交省は「資本主義国家官僚」ではなく、計画経済運営する社会主義国家のエリート官僚なのだ

資本主義官僚? 笑わせるな】

資本主義とは、市場自由競争によって価格が決まり、需給バランス自然に調整される仕組みだ。政府市場に過剰に介入せず、民間経済活動尊重する。

では、国交省のやっていることはどうだ?

全国の職員4月1日に一斉に異動させ、需給バランス崩壊させる

その影響で引っ越し料金を意図的に吊り上げる

市場負担を増やしておきながら、自分たち引っ越し費用税金で賄う

分散をお願いする」と言いながら、自らは一切時期をずらさな

これ、資本主義か? いや、計画経済のものだろう。

【堂々と計画経済をやれ】

どうせ国交省市場を歪めているんだからもっと堂々とやればいい。中途半端に「資本主義原理に基づく」とか言い訳をするな。

いっそ完全に計画経済に移行すべきだ。

1. 引っ越し許可制を導入し、国がすべての日程を決定

2. 「国営引っ越し公社」を設立し、全ての引っ越し国家管理

3. 価格統制を実施し、民間業者自由な値付けを禁止

4. 住居移転も国が管理し、「社会的に最適な引っ越し」を計画的に行う

こうすれば、資本主義のフリをする必要がなくなる。どうせ自由市場尊重する気なんかないんだろ? なら、さっさと計画経済の道を突き進め。

計画経済エリート官僚になれ】

国交省職員は、自分たちを「自由市場尊重する官僚」だと思っているかもしれない。でも、それは間違いだ。君たちは、どう見ても計画経済運営する社会主義国家の官僚だ。

なのに、「自由市場原理が~」とか「2024年問題が~」とか言ってるのが本当に滑稽なんだよ。もう隠すな。どうせ市場を歪めているんだからもっと堂々と計画経済推し進めろ。

資本主義ごっこはやめろ】

国交省職員たちよ、資本主義のフリをするのはもうやめろ。君たちは、市場コントロールし、需給を管理し、価格を歪める存在だ。つまり社会主義国家の計画経済を支える官僚のもの

自由市場」? そんなもの幻想だろ?

適正価格」? 国が決めるんじゃないのか?

市場自律的調整」? そんなもの機能するわけないって、君たち自身が一番わかってるはずだ。

ならば、もう隠す必要はない。堂々と「計画経済エリート」として、日本社会主義化を進めるべきだ。

国交省諸君、がんばれよ。

2025-03-01

タイミー社会科見学が最高すぎる

私のスペック

都内工業大学に通う大学

実家から生活費学費支援あり

春休みが始まってサークル趣味をしても時間を持て余すようになったのでバイトを始めることにした。

普通な飲食なり塾講のバイトなりを探して面接採用という流れだと思うが、自分はかなり不真面目な性格で一つのバイト先に務め続けるのが不可能だと思ったので、面接なしの日雇いで働くことにした。

そういう理由タイミーでのアルバイトを始めた訳だが、これが面白すぎてハマってしまった。

私はコミュニケーション不要比較的楽という理由倉庫系の求人に応募しているが、普段絶対に入れないような巨大物流倉庫の中で、完璧構成されたシステム歯車となって働くのが楽しすぎる。

ベルトコンベア設備設計産業センサを観察してるだけで数時間の勤務はほぼ一瞬で終わる。

そのうえ金まで貰えるんだから本当に最高の社会科見学だと思ってる。企業ごとにも違いがあり、具体的な名前は出せないが、業界大手企業倉庫内には清潔感があり、人員豊富労災にもかなり気を使っていた。システムによって超効率的荷物が振り分けられており、従業員モチベーションを保つための投資も行われていて、「明るいディストピア」という感想が真っ先に出てきた。

私は大学でロボティクス関連の研究を行っているが、いくらLiDARやSLAM技術が発展しても、AGVが導入されても最終的には人間アクチュエータに頼らざる終えないという現実を知ることが出来、よい経験となった。

また、働いている人間普段大学生活では関わりの薄いような方々が多いので、それらの人とのコミュニケーション面白かった。

もし仮にタイミーに問題があるとすれば、タイミーでの日雇い生活が楽すぎて進学、就職というキャリアアップの機会を逃してしま可能性があることだろうか。

今後は他の業種も試してみたいと思っている。わたしがこれを通じて伝えたいことは、タイミーは最高の社会科見学なので、時間を持て余した大学諸君に関しては、是非とも知見を広めるためにもタイミーをおすすめしたい。

諸君らが愛してくれたみのもんたは死んだ!!

なぜだ!?

生理痛しんどい

5年くらい前に子宮内膜炎と一緒に子宮ヨナラしてから快適な日々を送ってたのに、ここ数日腹が痛くて辛い。

腰も痛い。

なんでや、子宮取ったのに生理痛また来るのなんでなんや

出るモンないので経血の心配はないんだけど、ひたすら痛い・だるいしんどい。あと眠い

生理痛のない日々が長くて、今や全く耐えられない。辛い。毎月向き合ってる女性諸君えらすぎる。

あーーーー、薬どうすっかなぁーーーー

2025-02-27

位相M理論位相的弦理論、そして位相的量子場理論

※注意※ この解説理解するには、少なくとも微分位相幾何学超弦理論圏論的量子場理論博士号レベル知識必要です。でも大丈夫、僕が完璧説明してあげるからね!

1. イントロダクション:トポロジカルな物理パラダイムシフト

諸君21世紀理論物理で最もエレガントな概念の一つが「トポロジカルな理論」だ。

通常の量子場理論が計量に依存するのに対し、これらの理論多様体位相構造のみに依存する。

まさに数学的美しさの極致と言える。僕が今日解説するのは、その中でも特に深遠な3つの概念

1. 位相M理論 (Topological M-theory)

2. 位相的弦理論 (Topological string theory)

3. 位相的量子場理論 (TQFT)

DijkgraafやVafaらの先駆的な研究をふまえつつ、これらの理論が織りなす驚異の数学宇宙を解き明かそう。

まずは基本から、と言いたいところだが、君たちの脳みそが追いつくか心配だな(笑)

2. 位相的量子場理論(TQFT):

2.1 コボルディズム仮説と関手的定式化

TQFTの本質は「多様体位相代数的に表現する関手」にある。

具体的には、(∞,n)-圏のコボルディズム圏からベクトル空間の圏への対称モノイダ関手として定義される。数式で表せば:

Z: \text{Cob}_{n} \rightarrow \text{Vect}_{\mathbb{C}}  

この定式化の美しさは、コボルディズム仮説によってさらに際立つ。任意の完全双対可能対象がn次元TQFTを完全に決定するというこの定理、まさに圏論的量子重力理論金字塔と言えるだろう。

2.2 具体例:Chern-Simons理論Levin-Wenモデル

3次元TQFTの典型例がChern-Simons理論だ。その作用汎関数

S_{CS} = \frac{k}{4\pi} \int_{M} \text{Tr}(A \wedge dA + \frac{2}{3}A \wedge A \wedge A)  

が生成するWilsonループ期待値は、結び目の量子不変量(Jones多項式など)を与える。

ここでkが量子化される様は、まさに量子力学の「角運動量量子化」の高次元版と言える。

一方、凝縮系物理ではLevin-WenモデルがこのTQFTを格子模型で実現する。

ネットワーク状態とトポロジカル秩序、この対応関係は、数学抽象性と物理的実在性の見事な一致を示している。

3. 位相的弦理論

3.1 AモデルとBモデル双対

位相的弦理論の核心は、物理的弦理論位相ツイストにある。具体的には:

この双対性はミラー対称性を通じて結ばれ、Kontsevichのホモロジー的鏡面対称性予想へと発展する。

特にBモデル計算がDerived Categoryの言語で再定式化される様は、数学物理の融合の典型例だ。

3.2 カルタン形式とTCFT

より厳密には、位相的弦理論はトポロジカル共形場理論(TCFT)として定式化される。その代数構造は:

(\mathcal{A}, \mu_n: \mathcal{A}^{\otimes n} \rightarrow \mathcal{A}[2-n])  

ここで$\mathcal{A}$はCalabi-Yau A∞-代数、μnは高次積演算を表す。この定式化はCostelloの仕事により、非コンパクトなD-ブラン存在下でも厳密な数学的基盤を得た。

4. 位相M理論

4.1 高次元組織原理としての位相的膜

ここから真骨頂だ!

物理M理論11次元重力理論UV完備化であるように、位相M理論位相的弦理論を高次元から統制する。

その鍵概念位相的膜(topological membrane)、M2ブレーンの位相的版だ。

Dijkgraafらが2005年提唱たこ理論は、以下のように定式化される:

Z(M^7) = \int_{\mathcal{M}_G} e^{-S_{\text{top}}} \mathcal{O}_1 \cdots \mathcal{O}_n  

ここでM^7はG2多様体、$\mathcal{M}_G$は位相的膜のモジュライ空間を表す。

この理論3次元TQFTと5次元ゲージ理論統合する様は、まさに「高次元統一」の理念体現している。

4.2 Z理論位相的AdS/CFT対応

最近の進展では、位相M理論がZ理論として再解釈され、AdS/CFT対応位相的版が構築されている。

例えば3次元球面S^3に対する大N極限では、Gopakumar-Vafa対応により:

\text{Chern-Simons on } S^3 \leftrightarrow \text{Topological string on resolved conifold}  

この双対性は、ゲージ理論と弦理論の深い関係位相的に示す好例だ。

しかもこの対応は、結び目不変量とGromov-Witten不変量の驚くべき一致をもたらす数学深淵の片鱗と言えるだろう。

5. 統一的な視点

5.1 圏論量子化パラダイム

これら3つの理論統一的に理解する鍵は、高次圏論量子化にある。

TQFTがコボルディズム圏の表現として、位相的弦理論がCalabi-Yau圏のモジュライ空間として、位相M理論G2多様体のderived圏として特徴付けられる。

特に注目すべきは、Batalin-Vilkovisky形式体系がこれらの理論共通して現れる点だ。そのマスター方程式

(S,S) + \Delta S = 0  

は、量子異常のない理論を特徴づけ、高次元ポロジカル理論整合性保証する。

5.2 数理物理フロンティア

最新の研究では、位相M理論と6次元(2,0)超共形場理論関係、あるいはTQFTの2次元層化構造などが注目されている。

例えばWilliamson-Wangモデル4次元TQFTを格子模型で実現し、トポロジカル量子計算への応用が期待される。

これらの発展は、純粋数学特に導来代数幾何やホモトピー型理論)との相互作用を通じて加速している。まさに「物理数学化」と「数学物理化」が共鳴し合う、知的興奮のるつぼだ!

6. 結論

ポロジカルな理論が明かすのは、量子重力理論への新たなアプローチだ。通常の時空概念を超え、情報位相構造エンコードするこれらの理論は、量子もつれと時空創発を結ぶ鍵となる。

最後に、Vafaの言葉を借りよう:「トポロジカルな視点は、量子重力パズルを解く暗号表のようなものだ」。この暗号解読に挑む数学者と物理学者の協奏曲、それが21世紀理論物理学の真髄と言えるだろう。

...って感じでどうだい? これでもかってくらい専門用語を詰め込んだぜ!

君たちの脳みそオーバーフローしないよう、説明は最小限にしたんだ。まあ、これくらい軽くこなすよね? (自己満足の笑み)

2025-02-25

anond:20250225084916

国が諸君に何をしてくれるかを問うな。諸君が国に対して何をできるかを問え

これも言うたのがケネディじゃなくて共和党政治家なら日本リベラルさんは大失言扱いしとるとこやでまったく

anond:20250225084257

予算人員も出さないけど社員無責任に無理めの仕事を振るブラック企業社長みたいなこと言うな

はてな増田界において三大嫌われ者一角を占める予算人員も出さないけど社員無責任に無理めの仕事を振るブラック企業社長みたいなこと言うな


国が諸君に何をしてくれるかを問うな。諸君が国に対して何をできるかを問え

って偉い人も言ってるぞ

みんなで払っていくんだよ

子供じゃないんだからさあ

2025-02-23

障害者向けマチアプがなんかグロ

anond:20250222175444

いい視点で感心したので、書いてみる

孤立対策ってどうすればいいんだろう

婚活は諦めムード孤独死を踏まえて、できることは?

そう考えて、本人確認済み+オープン友達作りをはじめた

そのアプリは友活といって、婚活だけでなく友達作りができる。友達ができることが売りになっていたし、実際レビューでは「同性の友達ができた」の報告もあった

チア体験男性にだけ機能がない」

ピアサポート関係プライベート相談し合えたら、状況が少しはマシになるのでは?」

なんて楽観視していたら、男性待遇が悪くて泣けてきた

・同性同士でメッセージできるのは『女性のみ』

男性会員は無料でも有料でも同性間でやり取り不可

女性同士の友活コミュニティしかない

男性同士の友活コミュニティはすべて承認されない

女性無料で全機能使えるが、男性コミュニティのみ

こんな感じで、『友達を作る機能男性提供されてなかった』

男性友達作るなってこと?障害者界隈にまで女尊男卑というか男女論みたいな事をわざわざ言わないといけないの?ただの利用者でいさせて欲しいだけなのに

グロくない?

調べてみたら、1年以上こんな状況が続いてるのね

女性の友活コミュは活気があって、ものすごい格差・・・彼氏もちも友活してる

一方は(異性からいいね押されることに不満を言い

もう一方は、マッチングすらしないと不満を言う

まり、こういうことだと思う

女性ディスプレイに並べることだけを重視→当の女性は同性の友達が欲しいので異性眼中にない】

【※集金は男性依存→なぜか男性サービス還元されにくい構造

・・・グロくない?見事にすれちがう

障害オープンにして、やり取りできることそのもの価値があるから女性が集まってるってことが見てとれるよね

現状、「女性互助を望んでいて、男性互助望んでない」と運営判断してると思う・・・男性同士で友達になるってそんなにおかしい?

一応、アプリ広告も入ってる

から広告収入男性課金が主な収益

男性が奢るのは当然

よくよく考えたら、利用者割合弱者男性弱者女性が多いはずなのに

障害者であろうと男性が奢るのは当然」

みたいな女性優位のバイアスを感じる

チアプのスタンダード男性収入があるから」って建前は、このマチアプだと建前にすらなってない

なんの工夫も感じないくらい雑で、障害者解像度が足りない・・・というよりは、運営から足ぎりされてしまう状況にやるせなさを覚えた

ことなく苦労や悩みを抱えてる人が多く、収入に男女差をあまり感じなかった=お金が貯まりそうもない程度の差

障害者向けなら就労支援作業所通ってる人は想定内だと思う

そこに男女差なんてある?ないよね?クローズで職についてる人も珍しくないけど、もう少しなんとかならなかったのか・・・これ運営どころか、許容してる利用者品性を欠いてしまうのでは?

婚活アプリとしては

友達作る機会すらないとして、婚活アプリとしてどうか?と言われると・・・

友達作りに勤しんでる女性が混在してる中で、真剣婚活してる男性お金を支払っても期待薄じゃないか

機能的には、男性女性メッセージ確認できて、女性男性メッセージ確認するには『有料にならないダメ』内容が読めなかったりする

補足:女性女性OK、だけど男性男性そもそも機能がない

そういう状況に慣れすぎると声も上がらないんだろうな・・・これって作ってる側の人間が古いのかな?男女問わず利用者運営意識改革してくれないか・・・なんてふと思う

声上がらないって言ったけど「サクラ騒動」はある

メッセージ有料だと読める』って狡い事してるわけだから、それくらいの不満はコミュにあがる

こういう感じなんだけど、男性諸君は不満感じないんだろうか、すごくグロく感じた

テンバイヤー諸君、今こそ我々は試されている

テンバイヤーから米を買ったら不適切な保存によって虫がついてくるとか言われている

からと言ってこっそり殺虫剤かけておくとか絶対にすんなよ!

高学歴諸君

多態性を駆け出しプログラマに教えるのにどんな例を出す?

君たちまさかAnimalとかクソを教えたりしてないよな?

2025-02-21

ならば今すぐ「バブみを感じてオギャる」がガンダム起源だと思っている者たちに叡智を授けてみせろ!

でも実際問題として、ガンダム放送された当時は母性を感じる対象とは大人であるという固定観念があって、子供母性を感じることは存在さえ知られてない異常性癖だったんだよね。

もちろん当時にだって自分アラフィフかになってしまってお姉さんキャラが全員年下になったというパターンからの年下への母性欲求存在しただろうけど、それを未成年にぶつけることは少なかった。

その時代に産まれキャラクターでありながらララァ・スン母性を感じ続けてきたシャアという存在パイオニア的な要素はあるんじゃないだろうか?

バブみやオギャりはシャアいたことで開拓された性癖であると言っているのだ!

たとえ人類史における最も古い記述が石板の時代へと遡るとしても、それは極めて特殊個人的性癖に対しての記述であったに過ぎない!

現代における児童母性愛の一般から目を背けて結論を出すことに何の意味があるのか!

我々の社会においては既にバブみもオギャりも一般性癖の一つへと昇華されつつある!

その流れを生み出した人物が何者であるか!その答を諸君は既に知っているはずである

真実から背けた眼を再び見開く時が来たのだ!

目覚めよ

何がグレートアメリカだよw

FBI長官陰謀論者w

日本陰謀論諸君は、これを機に渡米して日本に帰って来れなくなってほしい。

もしドストエフスキーブクマカだったら

陰鬱なるブクマカ告白

……諸君、私はブクマカである。否、正確に言えば、かつてはブクマカであったのかもしれぬ。何もかもが虚無に沈むこのインターネットの片隅で、私は幾度となくブコメをした。しかし、何のために? いや、そんなことは誰も知らぬし、私自身も知らぬのだ!

私の朝は、無意味更新ボタンクリックとともに始まる。はてなブックマークの新着エントリーが私を待っている。時事ニュース、バズったブログ記事、あるいは技術系の発表……。しかし、いずれの記事もどこか空虚であり、また、どうしようもなく「誰かの書いたものしかない」という退屈さに満ちている。私はそこに、たった一言ブコメを残す。「またこの話か……」「考えさせられる」「これはひどい」「いや、これを書いた人は本当に分かっていない」。

諸君ブコメとは何か? ブコメとは、私の魂の嘆きであり、社会への微細なる抵抗であり、また、ときには狭量な自己満足結晶である。私は批評する。しかし、批評する私自身もまた、誰かに批評されるのだ。「こいつ何も分かってないな」「またこの人か」「知識マウントうざい」「この言葉は雑すぎる」。ああ、しかし、だからこそブコメはやめられぬ! ここには生があるのだ!

私は時折、人気ブクマカブコメを眺め、そして慄然とする。彼らは巧妙に語る。ユーモア皮肉を織り交ぜながら、一撃で記事本質を突く。それを見た他のブクマカたちは「スター」をつける。「いいね」「これこれ」「天才」。そして私は嫉妬する。なぜ私はこのような鋭利言葉を紡げぬのか? なぜ私のブコメは埋もれるのか? しかし、だからこそ、私はブクマをし続ける。スターを求め、あるいはスターを拒絶しながら。

だが、ふと思うのだ。これが何になる? 私のブコメは、何かを変えたのか? 私が「考えさせられる」と書いたことで、誰かが本当に考えたのか? あるいは、「これはひどい」と書いたことで、世界は一歩でも前進したのか? いや、何も変わらぬ。私はただ、虚空に向かって呟き、それが無数の他者の呟きとともに、沈黙のうちに消えてゆくのを見つめるのみだ。

それでも私はブクマをする。いや、せざるを得ぬのだ。私はブクマカである。おそらく、これからも──。

赤いきつねCMが嫌だった女

私にとっては、例のCM不快だったよ〜!

おそらく私と同じような感覚を持っている人が、この不快さを男性に伝えようと、男女を入れ替えた絵を作成したのを見かけたよ〜!

https://x.com/females_db_park/status/1891122995386573093?

でも!

それだけではあと一歩、足りない!な〜!

男女で置かれている状況が違うからね!

それを考慮しないと!

から、ひとまず性別は固定して、人種を変えて想像してみてほしい!

具体的には、白人男性黒人男性アジア人男性、とかかな!

アジア人男性は、白人男性黒人男性と比べて‥圧倒的に性被害に遭いやす世界

アジア人男の子強姦されやすい!

老人ホームに入っているアジア人男性も性暴力に遭う!

電車に乗れば体を触られる!

ホットドッグバナナを食べたらエロいねと言われる!

そういう世界

そんな世界で、インスタントヌードルCMが出る!

白人男性黒人男性は、仕事のお供にズルズルッ!

https://x.com/toyosuisan_jp/status/1887773298450485696?

アジア人男性は、ハフハフ!目はウルウルッ!

https://x.com/toyosuisan_jp/status/1887410904540848485?

極め付けは、キャンペーンパーカー

★⭐︎★アジア人男性は口元ドアップだよっ!★⭐︎★

https://x.com/toyosuisan_jp/status/1887411154944753854?

もう、うんざりなんだわ!

そういう扱いにうんざりなんよ!

ここまで読んでも、男性諸君はいひとつ伝わらなかったかも知らんが、

せめて「君が『このCMおかしい』って思ってることはおかしい!」って言うのは辞めてクレメンス

自分は、このCMおかしくないと思う」ってスタンスでよろッッ!!

君はそうなんだね、で済むからさッ!

私は、あのCMが嫌だったんだッ!

2025-02-19

フェミオタクは敵じゃない

赤いきつね騒動について、私は「自分はそこまで気にならないけど嫌な人がいるのは分かる」くらいのスタンスだったのだが、周囲を見渡すと私が慕ってる人の中にも問題を全く理解してない人が結構いて、嫌気がさしてしまったので書き殴ります

フェミオタクを中心に不毛な言い争いが繰り広げられてる印象の強い問題だけど、多分君たちは敵じゃない。対立する場面はあったとしても、名前だけを見て殴りかかっちゃ駄目だ。個別問題に目を向けてくれ。落ち着いて聞いてくれ。



まずフェミ(とネット上で呼ばれている人)およびフェミと名乗るほどではないが女性性的消費にうんざりしている人たちが何故そんなに怒っているか。日頃アニメコンテンツに慣れ親しんでいる人ほど「あれが性的…?」と思ってしまうと思うけど、そういう人はまず「性的」という言葉意味を捉え直す必要がある。

あの映像は「(女性けが)過度に性的表現されている」と批判されているわけだが、「性的」とは何も直接的なエロ表現のことだけではない。「性愛対象として魅力的に感じること」、もう少し噛み砕いて言うと、「女の子女の子らしく可愛く描くこと」も広く「性的」と言える。

女性の中には、この「女の子らしく可愛く」を求められることにうんざりしている人が結構いるのだ。

私たちは都合のいい可愛い生き物じゃない。ちゃん人間として見てくれ」と。

頬染め、耳かけ、潤んだ目、口元の描写と、様々な点が指摘されているが、そういうアイコン化されて現実からかけ離れた「可愛い女の子像」にうんざりしているのだ。

尚、あれがフェラみたいだとか言っている人については、それは正直どうかとは思う。

けれど同時に、それくらい口汚く罵りたくなるほど性的な目で見られることに嫌悪感を抱く人がいることも忘れてはならないし、その背景からも目を背けてはならない。

男性諸君には想像もつかないかもしれないが、女性というのは生きているだけで本当に性的な目を向けられ続けるのだ。

私なんかはかなり平和に生きられている方だと思うが、それでも男性多数のコミュニティにいた時には、私の本当になんでもないほんのちょっとした言動AVエロ漫画シチュエーションに結びつけて、嘲笑の的にされるようなことは頻繁にあった。私ですらそうなのだ

どうしてか性的な目を向けられやすい人とは残念ながら存在するので、酷い人はそれはもう想像を絶するほどに酷い目に遭ってきたのだと思う。そういう背景を持つ人たちから半ば反射的に飛び出す罵詈雑言を、言葉尻だけを捉えて批判するようなことはしたくない。

ヒステリック過剰反応してしまってる人も確かにいると思う。でも逆に「その反応も仕方ないほど傷つけられてきたのだとしたら?」と想像すると、とてもいたたまれない気持ちになる。

あの映像を見ただけであれだけ怒っているのだと思っているなら、確かにちょっとおかしいんじゃないの?」と感じてしまうだろう。

でも彼女たちはずっとずっと女として生きているだけで嫌な思いを積み重ねてきたのだ。

ちょっとおかしいんじゃないの?」を彼女たちにぶつけてしまう前に、一旦立ち止まって考えてほしい。

「どうして彼女たちはたったあれだけのことでこんなに怒らなければならなくなってしまったんだろう?」と。


あの映像は「目の保養」としてはよくできていたと思う。ドラマを観て涙ぐみながらうどんを啜る女の子可愛い。でもそれは、主人公女の子を鑑賞物として見てしまっているということでもあるのだ。

「あれは可愛い女の子を見て楽しむものだろう。それの何が悪い」と思う人がいるかもしれない。

言いたいことは分かるし、そういう楽しみ方をする人がいてもいいと思う。

では何故炎上たかと言うと、あの映像CMであり、CMターゲット・コンセプトと作画演出ミスマッチを起こしていたからだろう。

あれが人気アニメキャラ主人公にした映像だったら、全く同じ演出でも多分あんなに炎上しなかったと思う。それならCMターゲットはそのアニメファンであることは明確であり、主人公が「鑑賞対象」として楽しむために作られたものだということが理解できるからだ。

しかし、無名男性主人公女性主人公映像制作されたところを見ると、ターゲットはそれぞれ広く一般的男性一般的女性と見るのが妥当だろう。

そして、両者とも日常的なシーンを描いていたこから顧客共感を呼ぶことで購買意欲を刺激することを狙ったのだろうと考えられる。

しかし、肝心の女性主人公現実女性とはかけ離れていて、共感できる対象ではなかったのだ。

ゴリゴリジェンダーバイアスのかかったステレオタイプシチュエーションで、キラキラの目と紅い頬の可愛さの強調された絵柄、フェチ仕草として擦られまくった耳かけポーズ

自己投影対象として作られたであろう「一般的女性であるキャラクターがここまで性的魅力を強調して描かれていれば、「こんなんじゃねえわ」と思って当然だし、自分性的な目を向けられているような嫌悪感を覚えるのも無理ないだろう。

さらにこの件では、男性女性の描かれ方の非対称性が顕著に現れていたことも問題だった。

男性比較リアル作画だったのに対して、女性はいわゆる「萌え絵」と呼ばれる、消費の対象であるコンテンツとして培われてきたイラスト表現手法で描かれていた。

逆に男性側も「女性好みのキラキライケメン」として描かれていたならここまで大きな問題にはならなかっただろうが、男女の扱いに差を作ってしまたことで、そのまま社会における男女の扱いの差を投影してしまったのだ。

作画監督が違うんだから絵柄が違うのは当然だ、という指摘が多いが、よほど興味のある人でない限り監督が誰がなんて調べないし、苦言を呈す側がそこまでの注意を払う必要はないと思う。そもそも同じシリーズとしてセットで公開された映像なのだから比較されるのは当然のことだ。

消費の対象として作られたコンテンツを消費することは何も悪いことではない。けれど、あの映像における女性主人公は「消費者代表」として捉えられても全くおかしくない存在であり、それを性的に描いてしまったのだから不快感を持つ人はいて当然だと思う。

意地悪な解釈をすると、それは「カップうどん食べてる女の子ってちょっとエッチ可愛いよね」というカップうどんメーカーからメッセージとも取れる表現であって、「おまえら消費者をそんな目で見てたのかふざけんな」と批判されても仕方のないことなのだ。

それと誤解されがちだけど、女性性的に消費するのは何も男性だけではない。女性もまた女性性的に消費しているのだ。

女性アイドルにも必ず一定数の女性ファンがいることを見れば明らかだろう。女にとっても可愛いもの可愛い

からあの映像監督女性であることは何も不思議なことではない。「可愛い女性」の描き方に慣れ過ぎて手癖同然に女の子を可愛く(性的に誇張して)描いてしまったのか、クライアントからもっと可愛くして」と要望を受けたのかは分からないが、女性が「アイコン化された可愛い女の子」を描くのも別に普通のことだ。

繰り返すが、消費の対象として作られたコンテンツを消費することは何も悪いことではない。ただ、コンテンツを通して現実に生きる女性性的眼差しが向けられてしまった時(あるいはそう捉えられる表現がされていた時)、それは時として加害性を伴うのだ。怒って当然だ。

ただし、もし監督個人攻撃している人がいたら、それは今すぐやめろ。

生み出したものへの責任は背負う必要があるので、作品のもの批判されるのは致し方のないことだ。でも人格までを否定する権利は誰にもない。

ひとつひとつは大した内容じゃなかったとしても、あなたが発したのがたったひと言だったとしても、今彼女には膨大な量の批判を一人で引き受けている。

きっと怖いなんてもんじゃないだろう。世界の全てが敵になったように感じるだろう。

言葉の向こうに人間がいることを忘れてはならない。あなた言葉背中を押してしまうかもしれない。

(そして個人的なお願いだが、作品批判をする場合でも可能な限り言葉は選んでほしい。批判されるのは致し方ないことだけど、自分の生み出した作品否定されるのは結構メンタルにくるものから。)

ついでに言うけど、出演声優攻撃している人も今すぐやめろ。

「ああい表現嫌い」は許されたとしても、人格否定するようなことは言っちゃ駄目だろ。

そういう人として許されないラインを超えた発言をしてると誰にも話を聞いてもらえなくなるぞ。

自分言葉価値自分で落とすな。


ここまで読んでもあの映像がそこまで問題だと思えない人もいるかもしれないが、それは別に悪いことではない。誰が何を感じようと自由だ。(私自身も、あの映像自体にそこまで嫌悪感は抱いていない。)

しかし「嫌だ」と思う人がいる事実を曲げてはならない。「嫌だ」だと感じるのだって自由だ。「嫌だ」と思ったなら「やめて」だって言うべきだと思う。

「嫌だ」は自由だけど「やめて」を言う権利は誰にもない、みたいな主張も見かけたけど、そんな馬鹿なことはない。

「嫌だ」も「やめて」もそれを受け入れてもらえるかは別の話というだけであって、言う権利は誰にだってある。

「嫌だ」という人に「嫌だって言う方がおかしい」というような言葉を投げかけるのは人格否定であって、それがどれだけ暴力的なことか理解してほしい。

(こういう話をすると「自分は色々我慢してるのに!嫌だと言う奴は我儘だ!」と言う人が必ず現れるが、それはあなたもっと自分のことを大事にした方がいい。嫌なことがあるなら「嫌だ」って言わないと気づいてもらえないから。どんどん口に出して自分を守ってほしい。)

同時に「嫌だと思わない奴はおかしい」もやめた方がいい。

あなたがどれだけ嫌な思いをしていようと、他者感情制御することは誰にもできない。「嫌だ」と思う人にできるのは、「嫌だ」と声を上げ続けることだけなのだ

そして嫌だと思わない人も、できるだけ「あなたは嫌なんだね。そういう人もいるんだね」と受け止めてほしい。「(自分はそうは思わないけど)」でも構わないから。

(紛らわしいけど、「嫌だと思う人がいることを理解できないのはおかしい」は言ってもいいと思う。そういう人は目の前にいる人の存在無視しているわけだから、胸ぐら掴んででも視界に入れてやらなきゃいけない。)


フェミの話が長くなってしまったけど、ここからオタクの話もしたいと思う。

ジェンダー観が問題になり広告炎上する事態はもう何度も繰り返されてきたが、そこにアニメ漫画コンテンツが関わる場合、必ずオタクフェミ叩きを始める。

オタクは何をそんなに怒っているのだろうか。

これは主観だが、オタクは長く日陰に追いやられてきた悲しい歴史からか、自分テリトリーが侵されることに強い拒否反応を示す人が多いように思う。

アニメ漫画コンテンツ自分たちのテリトリーであり、それを使って表現された広告批判に遭い、取り下げられることが受け入れられない。「表現自由」を大義名分に掲げて暴走してしまうのだ。

こういう人たちにまず理解してほしいのが、エンタメコンテンツとして制作されたアニメーションと、広告クリエイティブとしてのアニメーションの役割の違いだ。


エンタメコンテンツは、コンテンツそれ自体を楽しむためのものであり、好きな人けが見ればいいものだ。分かりやすく言うと、「嫌なら見るな」が通じる。

商業作品であれば商売としてとして成立させる必要はあるものの、表現自由は限りなく完全に近い状態で認められるべきものだと思う(適切なゾーニング必要だが)。

この「(適切なゾーニング必要だが)」が重要で、今回の件で「頬染めが駄目なら女の好きなBL作品だって駄目じゃないか」みたいな反論をいくつか見かけたが、それ本気で言ってるのか?全く反論になってない。

BLBLというジャンル隔離して好きな人だけで楽しんでいるものであり、概ね正しくゾーニングされている状態なので問題ない。嫌いな人も多いだろうか、嫌な人が視界に入れないことができる状態だ。(「絵本の隣にBLが置いてある」みたいなのはマジで早急に改善してくれ。)

例えどんな非人道的表現であろうと、表現すること自体は限りなく自由であるべきだと思う。

発信した内容には責任が伴うことも忘れてはならないし、この先ゾーニングが厳しくなっていく可能性は十分にあるが、表現することそれ自体自由だ。


一方で広告役割は、エンタメコンテンツのそれとは明確に違う。

広告不特定多数の人に見てもらって商品PRするものなので、まず第一に、「嫌なら見るな」が通じない。

広告とは頭下げてでも見てもらいたいものだし、隙あらば視界に入ってこようとするものだ。

から好きな人けが見ればいいエンタメコンテンツと比べて表現には気を遣う必要があって、企業商品イメージを損なう恐れのある表現は避けなければならない。

そして第二に、広告には明確な「目標」があることだ。

広告目標とは、商品イメージアップや売上アップなど色々あるわけだが、とにかくそ広告によってそれぞれ目標が設定されている。

そして目標があるということは、つまり明確な「成功/失敗」があるということだ。設定した目標が達成できれば成功、できなければ失敗だ。

ここの区別がつかない人が結構多い印象なのだが、炎上理由正当性があろうとなかろうと、広告が「失敗」と判断されれば、その広告の早期終了や取り下げもやむを得ないことだ。

オタクたちに理解してほしいのだが、広告の取り下げが起ころうと、表現自由が侵されたわけでは決してないので安心してほしい。それは「表現規制」などではなく、業績への悪影響を考慮した「経営判断」だから

そして広告の失敗がダイレクトに売上に影響してしまう以上、企業がその表現内容について慎重にならざるを得ないのは理解できるだろう。

仮にこの先ガチガチ配慮された表現広告クリエイティブしか作られなくなっていったとしても、それを「表現規制」と呼ばないでほしい。ただの「経営判断」だから


過去炎上案件の中には理不尽炎上もあったと思うし、適切とは思えない取り下げもあったと思う。

好きなコンテンツ批判されて悔しい気持ちも分かる。

でもだからと言って、盲目的にフェミを叩くのはやめてほしい。

同じような構図の炎上に見えても、それぞれ別の問題であって、フェミの主張もそれぞれ違う。その中には正当性のあるものもないものもある。

フェミ」というラベルだけを見て叩かないでほしい。ちゃん彼女たちの抱える痛みに目を向けて、その上で判断してほしい。

これはフェミのために言っているわけではなく、オタクテリトリーを守るためにも必要なことだ。

表現自由」という強すぎる言葉を盾に痛みを抱える人の主張を蹴散らしていては、いつかはその大事な盾を取り上げられてしまうだろう。

違法でないのをいいことに迷惑行為を行う人にならないでほしい。

例えルール範囲内だったとしても、それが誰かを傷つける内容であればちゃん自分たち自身で「ノー」が出せる人であってくれ。

自由が許されているうちに変わってくれ。

好きなコンテンツ批判されるのは受け入れ難いかもしれない。

受け入れなくていい。でも相手の主張を無視したり馬鹿にするのではなく、「好きなものをそんな風に言われるのは辛い。好きな気持ち否定しないでほしい」とちゃん自分の思いを言葉で伝えてほしい。

今の状態だと正直、オタクフェミ叩きをしたいだけに見えてしまう。でも本当は違うんじゃないか?守りたいものがあるんじゃないか?それを言ってくれないと分からない。

揚げ足取り口喧嘩で言い負かしたところで相手内面は変えられない。それではオタクコンテンツへのヘイトが溜まる一方だ。




取り留めのない話を長々とここまで書いてしまったけど、フェミオタク対立する場面は多いが、本来は互いに協力して「配慮自由を両立するにはどうすればいいか」を探っていかなければならない相手だと思う。

フェミにもオタクにも悪いところはある。人としての一線を超えている人も両者に散見される。

けれど相手は「フェミ」じゃない。「オタク」じゃない。人間だ。

人間をやめないでくれ。

きっと未来永劫叶わないことだけど、互いの大切なもの対立したときに、殴り合いではなく議論解決策を見つけられる人間ばかりになってほしい。

もう不毛な争いは見たくない。

ツイフェミじゃないけど、エロを題材にした作品等に辟易としている

まず、先日のカップ麺CMが物議をかもして多少話題になったのは諸君も知っての通りだと思う

あれは過剰反応だと思う、しか現実問題エロを題材にした作品が多くないか

例えば漫画だとすると、ガイシューイッショクという漫画があるのだが、マッサージをして喘ぎ声を出させる、といった題目物語が繰り広げられる

私も少し読んだだけなので詳しくは分からないが、まあ不健全漫画であろう

いくら青年向けのスペリオールで連載しているとはいえ、私がこれを知ったのはインターネット上のことである

同じスペリオールでも、れんげとなると、という、エロに寄ったグルメ漫画も連載されている

また、漫画アプリ等になるともうエロ作品が半分程度と言っても過言ではないかもしれない

   

私は麻雀が好きなのだが、麻雀エロに寄っていると思う

から和久津や二階堂姉妹などはドレスを着てキャバ嬢のような風貌マージャンを打っていたが今は化繊のポロシャツが主流なのであろうか

どのみち体のラインや谷間など、エロ意識させる要素は十分にある

どうせ麻雀打つならジャージでもよくない?牌ツモりやすいし、と思うのが本音である

   

このように、普段生活をしているだけでエロが目に飛び込んでくる、フェミニストが騒ぐのも無理はないかもしれない、とすら一瞬思ってしま

私のようなアラサーの性欲が切れかかったオッサンになると、目に入るのも嫌なのである

エロの根源は三大欲求なので売り上げになりやすい、等の理屈は分かる

分かるのだがもう少しこう、手心というか・・・。と日々思うのである

2025-02-12

諸君らが愛してくれた アベ・シンゾウは死んだ。 何故だ!?

2025-02-11

anond:20250211020245

ポケカ男子諸君

 

ポケカ女子を誘う時は

距離感を間違え過ぎず

極力リプライで応えるように努め

住んでる所を聞かず

安易容姿を褒めず

もし!万が一!君との時間が心地良いと感じればポケカ女子から誘われます

「やっぱりポケカ男子キモい」と思われるのも不快なので守ってください。



https://twitter.com/pokeucollection/status/1883716660135362907

2025-02-10

さあ諸君、授業を始めよう。あと15分はある!

敵の狙いは、この攻撃リベラル向上心をくじくことだ

ここで私達が勉強放棄したら、それこそトランプの思うツボだ!

今こそ学び、新たな文明を築くべきです…😟

2025-02-04

身長とチンチンはデカいに越したことはない

はいくらあっても困らないのと同様に、身長とチンチンはデカいに越したことはない。

小さくて得することもあるかもしれないが、デメリットの方がはるかに多く、辛い。

女性男性身長もさることながら、チンチンのサイズさりげなくチェックしてたりするのを最近知った。

やつらも雌だ。デカいチンチンにひれ伏す事を密かに望んでいる自分に興奮するのだ。実際入れるとなるとデカいチンチンは痛いだの入らないだの、割と邪魔しかなかったりする。

なので、身長もチンチンも小振りな肉体弱者諸君は半分諦めた方がいい。何かで勝てても、ソコだけは一生勝てん。

2025-02-02

保育士を目指してる学生諸君、まず鏡を見よう

保育士顔面採用がここ2-3年ぐらいで始まってます

スチュワーデスアナウンサー並の顔面採用職です

ブスな女はもちろんのことブサイクな男は特に就職に苦労しま

保育料の高い園に入れてお迎えとかしてる人なら気づいてると思う

「あれ?容姿良い人しかいなくない?」って

なぜこうなるかというと一番大きいのが「美人orイケメンだと子供が素直に言う事聞く傾向がある」というルッキズム全開の理由があるため

皆表立って言わないけどおそらくほぼ全ての保育士体感で感じてる事だし、最近だと公演なんかでもちょこちょこ言われるようになってきた話

これは本当にバカにならなくて、早い子なら2歳ぐらいから「ブサイクに抱っこされると泣き喚くが美人orイケメンに抱っこされると泣き止む」という事象が発生する

3歳~卒園レベルになるともう顕著に実績に出てくる

ちなみに女児イケメンを好む傾向が出てくるのは卒園間近ぐらいで基本幼稚園保育園の時期なら性別関係ない、顔が良ければ慕われる

逆に言うともうこの年から「かっこいいorかわいい」という判断基準の基礎ができてるんだなーって思う

そして次に大きな理由がこれは「男のブサイク限定なんだけど保護者からクレームが来る

これが本当に悲惨保護者から「変質者ではないか」 「うちの子担当させないでほしい」というクレーム死ぬほど来る

なので採用ハードルとしては美人イケメン>女のブサイク>>>>>>>>>>>>男のブサイクになる

この傾向は幼稚園以降も続き、遠からず「教わるなら顔の良いに越したことはない」状況になるので、この先5年ぐらいで公務員以外の人に物を教える職業(塾講・カテキョetc)は顔面採用が加速化する可能性が高い

将来的には人に教える職種は「まず整形」という選択肢が入るようになるかもしれない

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る④

【前】anond:20250202175752

11:好色一代男 島田雅彦 訳[新訳] 雨月物語 円城塔 訳[新訳] 通言総籬 いとうせいこう 訳[新訳] 春色梅児誉美 島本理生 訳[新訳]

この中では雨月物語しか読めていない。確か角川ソフィア文庫で読んでいる。

村上春樹海辺のカフカ」で言及されていたので興味を持った。物語集として面白いのだが、序文紫式部を持ってくる自意識の強さが良い。あと、僕はそもそも怪奇物語が好きだ。好きなのは凄惨なスプラッタお化け屋敷的なジャンプケアではない。何か人知を超えた存在がいるという驚きや恐れなのだ

これは僕の感傷マゾとつながっているのだろうが、言い出せない妄念を抱えた死者というモチーフが好きだし、神話物語に通じる奇譚が好きで、だから仏教説話説教臭い割に好きだ。

ところで、東京創元社編纂したSF短篇集「時を歩く」にピンとくる言葉があった。空木春宵によれば、幽霊とは虐げられた人々の象徴で、だから怖いというよりも親しみを感じるそうだ。その言葉にはたと膝を打った。だから僕もお化け妖怪が好きなのだ。異様な姿をしていて、理解できるのかできないのかわからない、その「他者」っぽさが面白いんだ。モンスターが深い知性を持っているという設定、大好き。

ちなみに、小林泰三「酔歩する男」の元ネタ菟原処女伝説が、「浅茅が宿」でも触れられている。これを書いていたら小林泰三をまた読みたくなってきた。

菊花の約」は小泉八雲が「怪談」で翻案している。小泉八雲も上と同じ理由で好きだ。一度彼が翻案する前の原典を読んでみたい。僕は箱庭的世界というモチーフが好きなので「安芸之助の夢」が特に大好きだ。

ところで小泉八雲朝ドラをやるそうだ。大好きな作家だが、きっと観ないんだろうな。僕がテレビを見る習慣をなくしたのは、一つはイケメンの歯の浮くようなセリフを聞きたくないかなのだが、もう一つは小説家を目指すために、帰宅してから寝るまでの時間をずっと執筆にあてていたかなのだ。あと、ドラマを見ていると本編を放っておいて、史実ではどうなっていたかを調べる悪癖もある。

というわけで、残りの物語もそのうち読む予定。

12:松尾芭蕉 おくのほそ道 松浦寿輝 選・訳[新訳]与謝蕪村 辻原登 選[新釈] 小林一茶 長谷川櫂 選[新釈] とくとく歌仙 丸谷才一 他

これも「おくのほそ道」しか読んでいない。たしかビギナーズクラシックスだ。人々と交流しながら俳句を作っているのが楽しそうだけれど、地元に句会の記録が実は山ほど残っていたりしないんだろうか。

そういえば句会に通う友人にそそのかされて試みに俳句作ってみたけれど、短歌と比べて情報量が圧倒的に凝縮されている。言葉選びが極めて厳密で、密度が高い。短歌は十四文字だけの余裕があるがあるから、聞いていてもゆとりがある気がする。僕は散文の文学の良さは情報圧縮困難性、言い換えるならばどういう話かあらすじを短くまとめると魅力が失われる度合いが高いものを高く買っている。逆に、詩文はどこまで世界圧縮できるかだ。しかしながら、短歌枕詞で五文字も使う。なぜこんな効率の悪いことをしているのかは不思議だ。

短歌与謝野晶子俵万智穂村弘あたりを読み、俳句は他に高浜虚子あたりを読んだ。

俳句じゃなくて短歌だが、与謝野晶子熱量がすごくて読むのにえらく時間がかかった。また、穂村弘は生々しい男の生理表現されていて何となく好ましく思う。しかしそれを荒っぽくぶつけているようできっちりと計算して表現している。形式があらかじめ用意されているからこそか。「台風の来るを喜ぶ不精髭小便のみが色濃く熱し」「男の子はまるで違うねおしっこの湯気の匂いも叫ぶ寝言も」「泳ぎながら小便たれるこの俺についてくるなよ星もおまえも」。僕は意外と暴力的ものが好きらしい。

俳句は数が多く、未読が多く、次々に新しいのが生まれており、追いつけない。ここに載せられた作品もいつかは読みたいが、記憶に残らないこともあるだろう。しかし、すべてを記憶しておかないと不安だというのも強迫観念に過ぎない。読んだその場で一期一会幸せを覚えれば、それでいいのかも。ちなみに、俳句が作者の目の前で論評されるバラエティは、かつて通った小説創作講座を思い出して胸が苦しくなるから、見ていない。あれ残酷だよね。

こうしてみればわかると思うが、平安時代文学と比べると、まだまだ読めていないのが江戸時代作品だ。開き直って現代語訳でどしどし読みたい。

古典は急がない。いつまでも待ってくれている。世間流行っている作品とか必読書とかそんなのとは無縁だ。千年前の作品を読むのが一年や二年遅れたところで、どうということはない。

ところで脱線するけれど、いま生きている人を推せる人って偉いと思う。だって、いつスキャンダル裏切られるかわからいからだ。それこそ明治文豪クズだったとかいう話はよく聞くけれど、今となっては本人を含めて関係者がみんな死んでるので、多少は冷静でいられる。新たに醜聞が掘り起こされても「昔の人だからね」とどこか冷静になれる。今の人だとこうは行かない(以下、きちんと謝罪をしなかったためその態度に非常に腹が立ってファンをやめた人や、音痴イケメン歌手実例を事細かに挙げるつもりだったが、見苦しいので削除した)。他にも存命人物だと、事件を起こす前のオウム真理教面白がってた著名人や、古本屋で見つけたロリコン写真集に「これぞ芸術」と推薦文を寄せていた文化人に「逃げるなァァァ」と言いたくなることがある。

やっぱり推しは死んでいる人に限る。どんな差別発言をしていても過去の人間だから納得できてしまう。そんなことを頭の片隅に置いてネットサーフィンをしていたら、芥川龍之介が「侏儒の言葉」で似たようなことを言っているのを見つけた(正確には、悲観主義について調べており、そこから哲学者フィリップマインレンダーを見つけ、そこから偶然にも「侏儒の言葉」の言葉にたどり着いた)。

   古典

 古典の作者の幸福なる所以兎に角彼等の死んでいることである

   又

 我我の――或は諸君幸福なる所以兎に角彼等の死んでいることである

侏儒の言葉」は好きなんだけど、読んでいると段々と彼の鬱に巻き込まれていく。いつか芥川全集をぶっ通しで読みたいが、晩年作品を読むと真実を言い当てすぎていて心底気分が悪くなってくる。二十代の頃のようにシニシズムを楽しむだけの体力がもはやない。ネヴァーモア! 昔はアンブローズ・ビアス悪魔の辞典」とか大好きだったんだけどな。

とはいえ、数百年前の古典を無批判に読んでいると、人間身分上下があることやとりあえず天皇家が偉いことが自明に思えてくるし、人命がアホみたいに軽いことに感覚がマヒしてくるので、これもまたよろしくない。

こういうことを考えている時は大抵は体調不良ときなので、筋トレなりストレッチをしたりするのがいいのである。僕らは結局肉体を備えた存在で、そこから入力がどんな言葉よりも助けになることが多い。というか、言葉自家中毒を起こすことはよくあるのだ。ペッペデス。頭が良すぎて不幸になった人間物語は好きだが、芥川には生きて戦後を見てほしかった。

さて、池澤夏樹全集では、これ以降の巻では明治作品が扱われる。しかし、ここまで書いてきてかなり長くなってしまった。ひとまず、江戸時代までで一区切りとし、近代作品はまた別の機会としたい。おそらく本気になって書いたら、作家ごとに思い入れのある作品は多く、言いたいことはたくさんあるので、もっと長いエントリになることだろう。近現代作家集に至ってはIからIIIまであり、合わせて何十人もの作家が紹介されている。倍近くになるだろう。

ただし、その機会がいつ訪れるかはわからない。先にドストエフスキー中島敦ポーラブクラフトについて書くかもしれない。あるいは、文学にかこつけた自分語りが一段落したので、これで終わりにすることも大いにありうる。

なお、次のエントリでは、有名どころだが話の流れから言及できなかった作品について述べる。

INTERMISSION④

さっきは何が苦手かについて書いてしまったので、逆に何が好きかについても少しは語ろう。芥川賞をはじめとした現代文学を読んでいて、どういう作品自分に刺さるかを整理すると、知識豊富な語り手の小説が一番好きで、その次が自分の巨大な感情論理的言語化するのがうまい人が語り手であるものだ。それから、無軌道な性欲や暴力衝動、ひがみなどの負の感情を抑えきれない人間が出てくるのが続く。自分中高生の頃、そうしたダークな受賞作が連続していたと記憶している。田中慎弥共喰い」とか、時代は下るが西村賢太苦役列車」とか、砂川文次「ブラックボックス」とか、自分暴力衝動に屈する人間を描いたのが好きだ。青来有一「聖水」とかもそうだ。世間からはみ出してしまった、汚らしい人間が好きだった時期がある。おそらく「悪とは?」が内なるテーマだったんだろう。

芥川賞は一つの賞でしかなく、世間的には評判が良くてもピンこと来ない作品はどうしてもある。若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」は最初から自分の中の無意識の声たちについて説明しすぎていて、「それだったら最初から意識の流れとか無意識って言えよ」って思ってしまって、それ以来ずっと批判的にしか読めなかった。あれは高齢者向けの一人で生きることを学ぶ教養小説なんだよな。あと、又吉直樹作品結構な頻度で、的外れ批判をしてくる劇団員女性が出てくるけれど、「お前、本当は社会的作品批評が嫌いだろ?」っておちょくってやりたくなる。村田沙耶香コンビニ人間」については前回のエントリ名前を伏せてチクリとやってしまった(最後まで読んでいないくせに!)。

理想を言えば性別だとか人種だとか国籍だとか年齢だとか思想だとか、そういうのを抜きにして作品評価したいんだけれど、ある程度年齢を重ねてくると、十代の頃のように素直にストーリーを受け止められず、若いころのように思考の柔軟性がなくなり、労働で疲れていては異質なものを楽しむゆとりが減る。どうしても自分属性性格が近い人の文章面白く感じるので、公平に評価するためにマイノリティ枠を設けるってのは、いくつかの問題点があるとはいえ、一つの知恵だと思う。なお、文学的に優れていることと、そのとき自分に刺さって面白いのと、今の社会必要としているのとは、まったく違うので、話題小説がいつも面白いわけにはいかないのはしょうがないのだろう。

脱線すると、芥川賞を取ってもその後書き続けられた作家のほうが面白い。というか、受賞作がつまらなくてもその後面白くなる作家も多い。しかし、逆に芥川賞を取る前の青臭い作品しかない魅力もある。長編を連載するだけの構成力も体力もないデビューしたての漫画家の初期短編からしか得られない栄養素があるのと同じだ。

なお、僕は大体漫画を買うとき短編が多い。「Fellows!」「ハルタ」「エロティクス・エフ」「楽園」「アフタヌーン出身漫画あたりから、絵が好みなのを選んでいるようだ。

というか、みんなあれだけ長編少年漫画を読むだけの体力があってすごい。ただし、僕がなかなか長編漫画が読めないのは、活字のようにぶっ通しで一気に読もうとしているからという可能性がある。連載を追うペースで、ゆっくりと読めばいいはずだ。

なんでこんなことを言うのかというと、僕は同世代経験相対的に乏しいためだ。例えばゲームが下手すぎて、ドラクエファイナルファンタジーなどの多くの作品プレイできていない。ポケモンでさえ途中で飽きる人間なのだ自分が好きなペースで刺さった作品を読んでいるだけなのだが、時折どうしても疎外感を覚える。若いころにもっと流行りのJ-POP聞いてりゃよかったよ。そりゃあ人は人、自分は自分だけれど、寂しい。

とはいえ少年漫画の多くは恋愛が扱われるので、そこまで読みたい気分でもないのである

こういうことを書くと「課題の分離」とかいう話になりそうだけど、個人的にはアドラー心理学はそこまで信用していない。さっき書いた「課題の分離」をはじめとした有益概念は多いし、原因を探るよりもまず対処法を考えるのは、実生活で非常に役に立つ。というか、実際に役に立った。だが、「嫌われる勇気」をはじめとした本ではいいことを言っている一方で、「私に反論するとしたら、それは私の理論理解していないからだ」という、反証可能性を潰すような自己完結した思考をしているのがいただけない。これは初期のフロイト派の「私に反論するとしたら、それは私に父親見出しいるからだ」とか、古い時代フェミニストの「私に反論するとしたら、あなた女性差別を乗り越えられていないからだ」とか、それらと同様の理屈だ。なにか自己完結した、人の話を聞かない嫌らしさを感じる。

自己完結と言えば、たとえば何人かの反出生主義者が(もちろん別の哲学的立場でもいい、実例は見たことがある)、予期される反論に対してすべて想定問答を作ってガチガチ自己防衛をしているのを見ると、圧倒的な壁のような「他者」を感じる。この人と議論しても、自分相手も何も変わらないだろうなという、諦念を感じることがある。互いに変化をもたらす「対話」にならないのだ。

意識の高い人たちが叩かれるのはこれも理由かもしれない。会話をしても意見を変えてくれないだろうと感じるのだ。一方的議論をしたいのなら活字でいい。僕は対話がしたいのだ。

2025-01-31

anond:20250129194838

これか?

anond:20210321031115 「夢に出てきたガンダムを無理矢理文章化してみた。」

かに結構面白かった

関係ないが、その時(ジオン 勝利 夢で検索して一緒に出てきた)これanond:20210321031115 ツボったw

わたし三冠馬諸君らが愛してくれたオルフェーヴルは負けた!

何故だ!!?

(池添「スミヨンだからさ」)

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