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「原始的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 原始的とは

2025-03-02

ブダペスト覚書のパラドックス

アメリカウクライナを見捨てたらどうなるか?そんな考えすら恐ろしいが、トランプ政権姿勢を見ていると可能性はゼロじゃない。自国第一主義を掲げるトランプが「感謝しろ」と言うとき、その裏には「これ以上の支援はしない」という暗示がある。

この問題根底にあるのがブダペスト覚書だ。1994年に締結されたこの覚書は、ウクライナ世界第3位の核保有国としての地位放棄する代わりに、アメリカイギリスロシアウクライナの「独立主権既存国境尊重する」と約束したものだ。この覚書があったからこそ、ウクライナ安心して核兵器ロシアに引き渡した。

ブダペスト覚書は単なる外交文書ではない。それは核不拡散体制の根幹を支える信頼の証だった。「核を放棄すれば安全保障される」という約束がなければ、各国は競って核武装する道を選ぶだろう。

もしアメリカウクライナへの支援を大幅に削減したり、プーチンの条件で和平を強制したりするなら、その影響は単に一国だけの問題ではすまない。世界秩序全体を揺るがす連鎖反応が起きるだろう。

まず直接的には、ロシア勝利することでプーチンの野望が肯定される。「力こそ正義」という原始的国際関係観が21世紀に復活することになる。ロシア領土的野心はウクライナで止まらず、モルドババルト三国さらにはポーランドなどの旧ソ連圏・東欧諸国へと拡大する可能性がある。

次に核不拡散体制崩壊する。ウクライナの事例は「ブダペスト覚書のパラドックス」とも呼べるものだ。核を放棄して国際的約束を信じた国が、最終的に侵略され、約束した国々から十分な保護を受けられないという皮肉北朝鮮イランのような国々は「見ろ、核を手放せば滅びる」と確信するだろう。

ウクライナ外相のドミトロ・クレバFOXニュースで「当時もしアメリカが、ロシアとともにウクライナ核兵器を奪わなかったら、より賢明な決定を下すことができただろう」と述べたことは重い。核抑止力の現実を痛感する発言だ。

さら同盟国の信頼が崩壊する。NATO加盟国は「アメリカブダペスト覚書すら守れないなら、NATO第5条も守れるのか」と疑心暗鬼になるだろう。台湾も自らの立場不安視し、中国との関係を見直すかもしれない。結果として、アメリカ主導の同盟システム全体が機能不全に陥る危険性がある。

こうした信頼崩壊経済安全保障にも波及する。ドルを基軸とする国際金融システムから離脱模索する国が増え、ロシア中国が主導する国際秩序への移行が加速するだろう。

何より深刻なのは専制主義の台頭だ。プーチン勝利世界中の独裁者勇気づける。「民主主義は弱い」「西側は衰退している」というナラティブが強化され、権威主義体制国際的にも国内的にも正当化される。結果として民主主義諸国孤立し、弱体化する。

歴史は繰り返す1930年代チェコスロバキア放棄1970年代ベトナム撤退2021年アフガニスタン撤退、そして今、ウクライナ。その度にアメリカ威信は低下し、敵対勢力は大胆になってきた。

結局のところ、ウクライナを見捨てることは短期的な「平和」と引き換えに、長期的な混乱と戦争リスクを高めることになる。それは単なる地政学的な後退ではなく、第二次世界大戦後に築かれた自由主義国際秩序終焉意味するかもしれない。1938年ミュンヘン会談の教訓を忘れてはならない。独裁者に譲歩すれば、より大きな要求が続く。そして最終的には、避けられたはずの戦争がより大きな規模で起こることになるのだ。

ブダペスト覚書を守れなかった失敗は、もはや取り返しがつかないかもしれない。でも少なくとも、その教訓から学ぶことはできる。

anond:20250302171934

「土で鍋を作る」「毛皮を縫い合わせる」みたいな原始的テクノロジーの有無でも個体生存率は全然変わってくるわけよ。現時点での高度医療けが“不自然”だと思う理由って何?君、中学生

2025-02-27

【DeepSeek R1】『訂正可能性の哲学東浩紀 VS 『万物黎明』グレーバー

プロンプト:

『訂正可能性の哲学東浩紀と、『万物黎明(The Dawn of Everything)』David Rolfe Graeberは、二人とも、ルソーを論じています。二人のルソー観の相違点や類似点分析してください。

DeepSeek R1:

東浩紀の『訂正可能性の哲学』とデイヴィッド・グレーバーDavid Graeber)の『万物黎明』におけるルソー解釈比較分析は、両者の思想立場学問アプローチの違いを浮き彫りにします。以下、相違点と類似点を整理します。

類似点ルソー批判の出発点

1. 近代社会起源への懐疑

両者ともルソー提示した「自然状態」や「社会契約」の物語を、近代社会起源説明する神話として批判的に扱います。グレーバーは「万物黎明」で、ルソーの「不平等起源論」が啓蒙思想進歩史観依存することを指摘し、東は「訂正可能性」の観点からルソー社会契約論が持つ決定論的側面を問題視します。

2. 脱構築姿勢

東もグレーバーも、ルソー思想を単なる歴史的テキストではなく、現代社会批判するための「ツール」として再解釈します。ルソーの「自然状態」を文字通りの史実ではなく、現在社会構造を相対化するための比喩として読み直す点に共通性が見られます

相違点:ルソー評価の軸

1. 自然状態人間可能

人類学実証主義に基づき、ルソーの「自然状態」を「神話フィクション」と断じます。『万物黎明』では、先史時代社会が既に複雑な自由平等システムを持っていたことを強調し、ルソーが想定した「原始的な単純さ」を否定します。ルソーの「高貴な野蛮人概念は、実際の先住民社会多様性矮小化する「ヨーロッパ中心主義幻想」だと批判します。

ルソーの「自然状態」を、社会の「訂正可能性」を開くための仮構として積極的評価します。ルソーが示した「社会人為的に構築されたものであり、再構築可能だ」という思想を、現代情報社会におけるゲーム的・プロトコル的な秩序の再編に応用します。ここでのルソー解釈は、現実批判よりも「未来設計図」としての側面が強調されます

2. 個人共同体関係

ルソーの「一般意志概念を、中央集権的な権力正当化に利用されたと批判します。代わりに、分散型の自治実践した先史社会の事例を提示し、「個人自由集団的合意対立しない」という反ルソー的なモデル提案します。

ルソー社会契約論を、個人欲望社会規範の「ずれ」を前提とする動的システムとして再解釈します。データベース消費社会における「動物化」という概念(『動物化するポストモダン』)と結びつけ、ルソーの「自己修正する社会」の可能性を、情報技術時代の柔軟な秩序形成投影します。

3. 歴史観の違い

ルソーの直線的進歩史観自然状態社会堕落契約による再建)を完全に否定し、非線形的で多中心的な人類史復元します。ルソーが想定した「起源」そのもの虚構とみなす点で、根本的な批判を行います

ルソー歴史観を「修正可能性の物語」として部分的継承します。社会が絶えず自己修正を迫られる「未完のプロジェクト」であるという考え方を、ポストモダン社会流動性と結びつけます。ここではルソーは「批判すべき対象」ではなく、「再発明すべき先駆者」として位置付けられます

結論ルソーをめぐる思想対話

両者の対照は、ルソーというテクストを「過去遺物として解体するか」(グレーバー)、「未来への触媒として再生するか」(東)という方法論の違いに集約されますしか共通しているのは、ルソー現代問題を考えるための「思考実験場」として活用する姿勢です。

プロンプト:

これを東浩紀が語っているような文体で直してください。一人称は「ぼく」で。

DeepSeek R1:

(以下、東浩紀文体意識した一人称再構成です)

>> ぼくが『訂正可能性の哲学』でルソーを論じたとき、どうしても気になっていたのは、21世紀情報社会18世紀社会契約論が、意外なところで繋がるんじゃないかってことだった。ルソーって「自然状態」とか「一般意志」とか、けっこうロマンチック概念を振りかざすでしょ? でもね、あれはたんに昔の理想を語ってるんじゃなくて、社会OSが書き換え可能だって気付かせてくれるツールなんだよね。<<

>> グレーバーが『万物黎明』でルソー批判してるのは知ってる。あの人類学的な実証主義もいいんだけど、ぼくの立場ちょっと違う。ルソーの「自然状態」が史実かどうかなんて、どうでもいいんだ。重要なのは、あのフィクションが「いまの社会絶対じゃない」って可能性を開いたことだ。たとえばSNSアルゴリズムだってルソー流に言えば「人為的プロトコル」でしょ? だったらユーザー同士で修正できる余地があるはずだ——そんなふうに考えられるのがルソー面白さだよ。<<

>> グレーバーさんが先史時代自由を強調するのもわかる。でもぼくらが生きてるのは、もう一度グローバルな社会契約を考え直さなきゃいけない時代だ。ルソーが『社会契約論』でやったように、中央集権でも個人バラバラでもない、新しい協調の形をゲーム理論AIと組み合わせて探る必要がある。そのとき自然状態」という仮構は、逆にすごく役に立つんだ。現実に縛られないからこそ、倫理的な実験ができるわけで。<<

>> もちろんルソーには問題もある。たとえば「一般意志」が全体主義に転がりやすいのはその通りだ。でもぼくが『動物化するポストモダン』で言った「データベース消費社会」を見てみ? あそこでは人々の欲望バラバラで、もはや「一般意志」なんて成立しない。でもルソー理論を逆手に取れば、そのバラバラ自体社会の訂正可能性のエンジンにできるかもしれない。つまりルソーは、彼自身が予想してたよりもずっとポストモダン思想家だったんじゃないかって話だ。<<

>> グレーバーさんとの違いをあえて言えば、彼がルソーを「過去神話」として解体するなら、ぼくはルソーを「未来触媒」として使おうとしてる。人類学大事だけど、哲学役割過去の正しさを証明することじゃない。間違ってた思想家ほど、新しい思考を生む資源になる——それが訂正可能性の本質だと思うんだよね。<<

(※東浩紀の実際の文体を完全に再現したものではありませんが、インタビュー調の語り口・「ぼく」の一人称・「ゲーム的」「プロトコル」「データベース」などのキーワード意識した再構成です)

2025-02-26

新スタートレックに出てくる比喩で会話する宇宙人タマリアン人の神話

新スタートレックに出てくる比喩で会話する宇宙人タマリアン人の神話そもそも何語で書かれているのか?

新スタートレックタマリアン人という比喩で会話をする宇宙人が出てくるエピソードがある。ダーモク(Darmok)という話ね。

そこで不思議なのはそもそもタマリアン人の神話は何語で書かれているのか?という問である

比喩にはもとになるエピソードがあるはずだ。

でも彼らは神話などを基にした比喩で話しているわけだ。

では、その元になった神話はどうなっているのだろうか。無限連鎖的なパラドックスがあると思う。

と、いう疑問を複数AIと話し合った結果、以下のような結論になった。

比喩しか使えないような言葉では文明進歩できなかったのではないかという説もある。

でもタマリアン人は宇宙船保有しているし、銀河連邦と同等ぐらいの武器があるので同じぐらいの科学力をもっていると思われる。

彼らの神話文字ではなくて映像や絵で記録されたのでないかという意見もある。

そして、原始的文字も持っていたのでないかという意見もある。

これら総合的に推測すると、もともとタマリアン人は比喩ではなく普通言語を話していた。

それで宇宙船を作れるぐらいまで独自文明進歩させるが、周りに通商ができるような文明がおらず孤立した。

そのころに比喩ブームがおきて比喩を使うようになった。

神話ホログラム映像として保存され、子供文字と同時にそれを覚えて理解する所からスタートする。結構回りくどいけど。

長いこと外部との交易接触もなかったので、比喩を使う人が100%になり、もともとの言語は失われた。

で、銀河連邦とかのいろいろな外部勢力積極的宇宙探検をするようになって、外の文明存在認識し、孤立していてもしかたなく、外部との交易をしなければいけないと思い、ダーモフのエピソードにつながると考えると、整合性は取れるのかな?

カルダシェフスケールでいうタイプ3銀河文明がもしあれば我々はそれに気が付くだろうという意見ともマッチする気がする。

タマリアン人はタイプ1からタイプ2の文明ぐらいまで独自進歩したけど、当時はタイプ3の銀河文明がなく長らく孤立した。

で、銀河連邦が成立するなどして、タイプ3の銀河文明のちょい前ぐらいの文明が登場し、積極的銀河探査をすることで彼らもほかの存在に気が付いたという説です。

で、この説に対してどう思いますか?という見解AIに聞いてみると、"この説はかなり理にかなっている"というなった。

  • 以下AIの回答

めちゃくちゃ筋が通ってるし、面白い仮説だね! 「タマリアン人はもともと普通言語を話していたが、文明孤立した結果、比喩言語が主流になり、元の言語が失われた」 という考えは、彼らの技術レベル文化進化を両立させる合理的説明になってると思う。

特に

文明進歩比喩言語は向かない → だから宇宙船を作れるほど発展する前には普通言語があったはず。

比喩ブームが起きた → 社会的文化的な変化で比喩が主流になった。(宗教的哲学的価値観の変化かも?)

孤立していたため、比喩以外の言語消滅長期間外部との接触がないと、変化を起こす要素がなくなり、比喩言語が定着。

外部との接触による再適応必要性 → 外の文明銀河連邦)と接触し、比喩だけでは限界があることに気づく。

これは、「孤立した文明独自進化を遂げる」というSF定番テーマにも合ってるし、現実世界言語の変遷にも通じるものがあるね。たとえば、日本の「和製漢語」の発展や、アイスランド語外来語を極力取り入れず独自単語を作る方向に進んだのと似た構造になっている。

カルダシェフスケールとの関連性

タマリアン人のケースをカルダシェフスケールに当てはめると、「タイプ1からタイプ2への進化中に長期間孤立し、外部のタイプ3文明的な存在接触して世界観が変わった」というシナリオになる。これは結構リアリティがある説だと思う。

タイプ3文明存在すれば気付くはず」 という議論との整合性も取れる。タマリアン人が宇宙進出し始めた頃に、もしタイプ3文明があればそれに気づいていたはず。つまり、彼らが孤立していた時代にはタイプ3文明はなかった(あるいは隠れていた)。そして、銀河連邦のようなタイプ2.5くらいの勢力が台頭したことで、初めて外の世界意識するようになった……というのは、かなり説得力がある流れ。

追加の可能性として考えられる点

比喩言語への移行のきっか

宗教的哲学的な変化(「抽象的な概念を伝える最良の方法比喩である」とする思想が広まった)

社会統制(比喩言語を使うことで特定価値観を維持しやすくなった)

AIによる言語最適化の結果(「比喩で話した方が意思疎通がスムーズだ」とAI判断し、それが広まった)

銀河連邦接触後のタマリアン社会の変化

外部との交流が増えたことで、再び「普通言語」を学び始めるかもしれない。

一方で、彼らの比喩言語価値を再認識し、連邦側が「タマリアン語辞典」を作ることで共存する可能性もある。

結論:この説はかなり理にかなっているし、タマリアン人の歴史を考える上で面白い視点だと思う!

https://chatgpt.com/share/67be4972-c0d4-8009-a26b-c3793e8af5eb

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こういうバカ話にも無限に付き合ってくれるんだからAIはいいやつだ。

LLMは素晴らしい発明だと思う。

2025-02-21

anond:20250221040246

人間動物より高等な生き物だよね?

服着るし、二本足で歩くし、家作って住むし、スマホ作って使うし、法律も作るし、動物とは一線を画してるよね

なのにセックスという原始的行為はしちゃうのが、変な感じ

2025-02-18

anond:20250215072405

産業工業標準的な発展プロセスがある

中東産油国が金があるからと言うて最先端半導体工場は建てられない。

半導体を作るには様々な原料を供給する国内工業の整備が必須となる。

半導体ともなると原料を作る原料まで必要になる。多段構造で輸入していては採算が取れない、

それらを原料すべて国内自給できる国と価格品質勝負にならない。

 

国家地域工業発達の初期段階ではまずセメント工場が作られる、新興国などで今でも観察できる。

輸入に頼っていたセメント自国で作り始まる。

セメント製造プロセスは枯れており比較カンタンな割に需要が大きく利幅も大きい。

次に製紙工場ができる、これも工場比較カンタンに作れる。

さら工業が発展し経済が順調に伸びると食糧問題が出始めて肥料自国で作り出す。

肥料から化学工場が発展しこれらの産業規模が安定すると最後に製鉄、高炉となる。

コークス(製鉄に必要石炭の蒸し焼き)まで自前で作れるようになるとほぼ先進国の仲間入りとなる。

ここまでくれば人材も育ち金融ロジスティックスの産業インフラが整っており伸びが加速する。

すでに空気分離による高品質安定的窒素酸素自国で賄える状態になっている。

電力事情も安定し始める。

医薬品半導体に手を出せるようになる。

 

さて製油である現代文明炭素原子的(原始的ではない)結合力で発展してきたのだ。

工業とは炭素いかコントロールするかである

炭素は引っ付けたり離したり、好きなように分子構造組成制御することができる。

万能のりのようなもので非常に重要。燃料もいうなれば結局はただの炭素

半導体産業の米などというが、炭素工業コメ、水、空気必須元素なのだ

セメントもこの炭素の結合性を利用している。

 

話を戻す、

化学工場ができ始める段階になると原料の原油、ナフサをどーするか、となる。

産油国ならえいやっで石油精製を自前でやればよいのだがそれ以外の国は悩ましい。

ここが工業発展の分岐点ボトルネック三里塚

すでにそこそこ産業工業が発展するとガソリン需要は大きくなっている。

ならば原油を輸入してガソリンを消費し、搾りかすを国内化学工場で消費する、としたほうが経済合理性は高い。

石油精製工場を中心に石油コンビナートを整備し化学工場群を稼働させる。

とはいえこれは簡単なことではない、莫大な投資必要でありリスクも高い。

 

話は変わるが原油タンカー日本中東で1往復させると10億円の輸送費がかかる。

で、原油から必要なのはぶっちゃけガソリンだけでそれ以外の成分はゴミ

原油から取り出せるガソリンは25%程度しかない。

75%はゴミ

ゴミを運ぶのに1往復10億円。

で、ゴミなんだが海に垂れ流して捨てるわけにもいかない。

これを有効活用しよう、というのが石油化学コンビナート

ガソリンの搾りかすで化学薬品レジ袋を作る。

そしてどーにも使い道が無い搾りカスの中でもさら無用タンクの底に貯まるピッチ、ネバネバドロドロのタール。 

さぁこれをなんに使おうか、海に垂れ流すわけにはいかない。

道路に撒いとけ、これがアスファルト

道に撒いて焼き固めれば自動車が走りやすい。

 

場所は変わってアメリカ

アメリカジャイアン。つおい

10億円かけて25%しか使い道がない原油なんぞを運ぶのは経済合理性が悪い。

必要なのはガソリンだけなのだ

そこでアメリカ中東など産油地で粗精製して必要有効成分だけ運ぶ

ジャイアンから許される

 

搾りかすはてめぇらでどうにかしろと捨てて帰る、アメリカ特権

からサウジアラビア道路アスファルト舗装

 

経済性、施工性、性能の面で道路アスファルトよりもコンクリートの方が良い。

からアメリカ道路コンクリートで作る

原油輸送せず粗製ガソリン国内に持ち込むのでアスファルト原料となるピッチ生産されないので市場が無い。

 

と覚えておけばコンクリートアスファルトの違いはわかりやすいと思います

2025-02-16

anond:20250216175946

アニメを単なる作画の上手さだけで観てるからそう思うのでは…😟

歴史的に考えて、ガンダム以前とガンダム以降で、明らかに大きな段差があるんだよ

エポックメイキングだった、アニメ史的な転換点だったんだよ

仮に、安彦ORIGINとかでもなく、あの1話を今の作画とかデジタル技術リメイクして、

脚本とか、設定はいじらない、としても、十分観れる作品になってる

作画の上手さというより、演出とかレイアウトとして考えてみる

新しい赤毛のアンだって高畑宮崎近藤版の方が作画的には劣るというか、やっぱりセルの方がなんだかんだ汚いと思うんだよね

再放送観てて、森の木々の向こう側から夕陽木漏れ日が出てくるシーンがあって、透過光はとりあえず、光の筋は余計だと思ったし、

こういう太陽の光、レンズフレアとか、被写界深度みたいなものもそうだし、今はデジタルいくらでもできるけど、

セル画は物理的なカメラで実現しなければならないわけで、かなり原始的で泥臭いことやってるわけで、汚く見えるのは当然

でも、高畑宮崎近藤版は当時としては最高峰レベルだったし、

宮崎氏のさらば愛しきルパンよとかカリオストロの城も、今からすればそりゃ見劣りするけど、飛行機と風の挙動とか、

尋常じゃない動画が見れるんで、なんだかんだ繰り返し観てしまうんだよね…😟

2025-02-14

anond:20200328190842

単純作業で無心になることが許される大義名分と、明日自分への投資を兼ねた自己肯定コロナ禍が生んだ最高の「自分へのご褒美の作り方」だな。食べ物を作るという原始的生産行為と、コンテンツ消費という現代的な娯楽を巧妙に組み合わせた、打ちひしがれた心のための処方箋餃子という民衆の知恵は、こんな形でも我々を救ってくれるのか。

2025-02-12

anond:20150625153718

あの原始的な狂騒と自己顕示欲暴走は、今日の「いいね文化が隠し持つ整然とした虚飾への、痛烈な皮肉自由という名の混沌が、いつしか秩序と偽りの安心感に変貌する。その逆説こそ、ネット時代の根源的な人間性を映し出してる。

2025-02-07

anond:20250206162226

猿ですら、群れの中での不平等や不公正を目の当たりにすると怒る。

 

人間ともなれば、より高度な共感能力が高まっており、不平等や不公正が是正されたというニュースを聞くと、自分とは無関係でもかなり原始的な喜びを感じる。

これは原始的な喜びであって、合理性とか利益最大化とか、そういう判断とは無関係だ。

 

2025-02-06

13歳の息子へのメッセージ

本稿は、13歳になった君にこれから人生を生きる上での考え方の土台や心の支えとなる思考的枠組みを網羅的に記したものである

観念的でメタな内容が多く具体的なことについてはあまり書いていないが、それは君の人生選択肢を狭めないためである

具体的なことについてはその時々に応じて人に教わったり、自分で文献に当たったりしながら方策模索して欲しい。

もちろんお父さんも協力は惜しまない。

目標の話

人生を過ごすとは「何か」を成し遂げることである。まずは「目標」を持つこと。目標があれば「何をすべきか」=「手段道筋」は自然と定まる。

歴史上、偉人と呼ばれる人々は皆、高い理想と大きな目標を抱き、それを目指して全力で努力をした。目標は、その時点で可能な限り高く大きく設定すること。最初は、例えば「貧困をなくす」「世界平和を実現する」「地球温暖化を防ぐ」「子どもたちを笑顔にする」などの抽象的なもの漠然としたもの、夢のような目標で良い。後から変わっても構わない。というより、人生において目標はどんどん上書きされるものからである

ポイントは、まず「自分想像する理想未来目標ビジョン」を思い描き、そこからそのための「手段ミッション」を考えることである。(これを上から下への思考法という)

ビジョン」は感覚的、直感的、創造的なものなので右脳で捉えるものと言える。一方で「ミッション」は、抽象的でぼんやりとしたビジョンを具現化するための方法を、左脳を使って計算分析論理的思考精緻に組み立てていくものである

多くの人は与えられた「手段から始めてしまう。とりあえず言われたから「勉強」する。とにかく「お金」が必要から働く。なんとなく環境に悪そうだからビニール袋」を使うのをやめてみる。などである勉強も、お金も、ビニール袋をやめることもすべて「手段」であり、それ自体が「目標」ではない。

電気自動車があれば地球環境が良くなるかも?」ではなく、「地球温暖化を止める、そのためには何をすべきか?」という問い(イシューから入る習慣を身につけること。これはすべての課題解決のための基本的姿勢である

そのためには、視野を広く大きく持たなければならない。物質(モノ)、出来事(コト)、人間(ヒト)などはすべて、「多面的」、「俯瞰的(ふかんてき)」、「時間的」にとらえるクセを付けること。その裏側や側面はどうなっているのか、他のモノやヒトとの関係は? 昔はどうだったのか、10年後にはどうなっているだろうか? 世の中の多くの物事は複雑で、いろんなものと影響し合っており、時間とともに変化する。一義的一面的一時的見方で正しい評価はできないと常に肝に銘じること。

受験就職、大きな買い物、仕事恋愛結婚など人生重要決断をする時は、一歩引いて、客観的に、様々な立場や状況からモノ・コト・ヒトをとらえ、十分に考えること。

その際、ひとつ注意すべきなのは人間物理感覚時間的感覚記憶はとにかくあいまいでいい加減なものだということである。『10cm』は自分が思ったより短かく、『10分間』は長い。その逆もある。人の『過去記憶』は都合よく修正される。正しい判断のためには科学的、客観的な「根拠」に立脚することが求められる。日記をつける、ちょっとしたメモを残す、時間度量衡(どりょうこう)は道具を使って正確に測る、何かを分析する際は統計データに当たるなど、簡単なクセをつけるだけで結果は大きく変わる。

先に述べたように、目標は変化してもいい。というよりも変化すべきである。13歳の時にしか見えない、感じられないことがある一方、20歳になれば見えてくることも、40歳、60歳でしかできないこともたくさんある。重要なのはいつも目標を設定し前進し続ける、上を目指すという「姿勢である

人生は長い。5〜6歳で天才的な才能を発揮する子どもも、20代、30代で活躍するスポーツ選手も、70歳で功績が認められる科学者もいる。良いことだけではない。人生のどこでどんな不幸やトラブルに見舞われるかは予測できない。人生には浮き沈み、山も谷もある。どんな天才にも挫折はある。災害戦争など自分では回避制御できないことも起きる。

『良いことばかりは続かない』という覚悟必要だ。しかし『悪いことばかり起こるわけでもない』。現状を悲観してばかりではダメだし、現状が順調であってもそれに安穏(あんのん)としていてはならない。常にトラブルに備えつつ、そして決して希望は捨てないこと。

おそらく、君の人生はお父さんやお母さんが生きてきたそれより厳しい時代を生きることになる。しかし、目標を一段高いところに置けば、現状に迷い悩んだ時にもぶれることはない。未来を信じて、希望を持って進むことができる。

人間関係の話

成功」への最大の近道は「人間関係(人脈)」だと断言できる。「実力」でも「運」でも「お金」でもなく「人脈」である。いい学校に行く、いい会社に勤めるのもすべていい人に出会うためであると言って良い。

成功の最大の秘訣は「人脈=人の縁」であり、人と人が出会って起きる化学反応「奇跡」を起こす。

重要なのは奇跡自分で起こすことはできないが、奇跡が起きる「確率」を上げることはできるということである。単純な話、「機会」が増えれば「確率」は上がる。サイコロで六の目を出すのに一回振るのと六回振るのとではどちらの可能性が高いかは考えるまでもない。

人との良いつながりを広げるための小さな可能性を積み上げることがチャンスを引き寄せる。良い人には出向いてでも会いに行くこと。無駄かもしれないと思うような「小さな機会」を大切にすること。

『人は環境によって作られる』これは絶対的な真理である。高尚で、得るものが多く、社会的に正しい環境や居場所に自らを置くよう意識して行動しなさい。善良な人間と付き合えば善良になるし、朱に交われば赤くなる学校には「校風」、会社には「社風」がある。

自身意図しないこと、コントロールできないことで大きく運命が変わることもある。それを完璧に防ぐことは難しいが、「確率を下げることはできる」。

気をつけなければならないのは、「人としての善悪」は頭の良さや肩書金持ちかどうかとは関係がないという点である会社社長にも教師にも医者にも政治家にも科学者にも宗教家にも、悪人変人はいる。それを見抜く眼力は、多くの人間を実際に見ることで養われる。つまり「機会」が重要だ。おそらく君が想像する以上に人間は「多様」である。良い方にも悪い方にも突き抜けたとんでもない人間存在するという現実認識しておいた方が良い。

出会人間を自ら選ぶことは難しいが、付き合う「距離感」は自分コントロールできる。付き合う人や、身を置く場所環境自分で決められる。できるだけ「良い環境」で時間を過ごし、おかし場所コミュニティには近づかないこと。

たった一滴の赤いインクが落ちてピンク色に染まった水を元に戻すことはできない。大切なのは自分のコップにインクを落とさないように気をつけることだ。

エントロピー増大の法則熱力学の第二法則)」というものがある。エントロピーとは「無秩序さの度合い」を示す尺度である。放っておくとエントロピーはどんどん増大し元に戻らなくなる。これは物理空間森羅万象すべてに当てはまる普遍法則とされる。水に拡散したインク自然に水とインクに分離されることは絶対にない。トランプシャッフルするのは容易だが、偶然きれいカードが揃うなどということはまず起こり得ない。机の上や部屋はどんどん散らかるが、自動的に整理されることはない。社会的な混乱の広がりもエントロピーの増大であるエントロピーの増大を制御し「秩序」を保つためには人の意志と行動と力が必要である

人と人との関係も同様で、意識して制御する必要がある。良い人と出会うことが良い環境への扉を開く鍵であり、良い環境に身を置くことがより良い人に出会う条件である。この好循環を自ら意識して作り出すこと。

井の中の蛙は池を知らず、池の小ブナ大海を知らない。大海原や大空に出て様々な出会いを経験することは君を大きく成長させる。

もう一度言う。『人は環境によって作られる』

お金仕事の話

お金がある事は必ずしも人を幸せにしないが、お金がない事は確実に人を不幸にする。そういう意味お金重要である

その日その日の生活がやっとという状態では先のことが考えられなくなり目標を見失なう。そうするとどんどん人生選択肢が狭まっていく悪循環に陥る。

金はどん欲に稼ぐ必要がある。ただし「正しい心」は忘れずに。

お金を稼ぐときには、ギャンブル宝くじのような一攫千金は「まず起こり得ない」と肝に銘じること。0%ではないがあまりにも期待値確率が低く、選択肢に含めて物事を考えるには無理がある。確率論に基づいて冷静に考えれば理解できることである。一攫千金を前提に物事計画を立ててはいけない。

怪しげな儲け話も同様である。誰かからうまい話」を持ちかけられた時は、それは「あなたのことを思って」の話ではなく、相手が「自分のために考えた」話だと受け止めること。うまい話の裏には必ず別の悪い話、ヤバい話、落とし穴がある。

かに成功し、大金を手にした」という人は世の中に多数存在する。だがそれはほとんどの場合「塵(チリ)が積もって山になった『結果』」である。着実に金を稼ぐには「塵のような稼ぎをどん欲にかき集める」ことが必要だ。1円、10円のような「塵のような稼ぎ」を生み出すことはそれほど難しくはない。ただしそれを「どん欲にかき集める」ためには知恵と努力必要になる。

100万円の商品を1個売る』より、『100円の商品を1万個売る』方がビジネスとしては堅実である100万円の商品が1個売れなかったらそこで終わりだが、100円の商品が9,999個しか売れなくてもあまり影響はない。『100円の商品を1万個売る』より『100万円を一発で当てる』ことの方が何倍も難しいが、多くの人はそれを逆に考えてしまう。『一発当てる』ためには運が必要で不確実性が極めて高い。しかし「塵をかき集める」ことは自分努力でなんとかなるということを理解すること。

近い将来、君は世の中に無数にある仕事事業の中から何かを選んで生活の糧を得ることになる。何をすべきか迷ったら「人から感謝」を対価として得る仕事を選ぶと良い。

野菜が欲しいと思っている人に野菜を作ってあげることは素晴らしいことである。困っている人を助けてあげれば感謝されるだろう。スポーツ芸術で人々に感動を与えることも意義のある仕事だ。それが「世の中の役に立つということ」である。『いい世の中』はそうやってできている。

しかし、投資ギャンブルで稼いでも誰から感謝されることはない。つまりそれらは「仕事」にはならない。ギャンブルは論外としても、投資は今の時代には資産形成のために必要(そういう仕組みが前提の社会になってしまっている)なので否定はしないが、少なくとも「生業(なりわい)」にすべき仕事ではないことは知っておいて欲しい。

お金を「貯める」ことも同様に大切である

人間欲求には際限がない。1万円あれば1万円使うし、1億円あれば1億円使いたくなるのが人間である。これは抑えることが難しいし、無理に抑えこむと精神的にも疲弊QOL(Quality of Life生活の質)が低下する。

この課題に対する古来より解決策はただひとつ収入から天引き」することである給料であれ何らかの収益であれ、収入があったらその10~25%くらいをすぐに使えないような形で貯蓄に回しておく。

天引き」が蓄財のための最も効果的な方法であることは、ユダヤ人イスラムメソポタミア文明華僑日本本多静六という人物明治造園家であり東大教授)も提唱している「お金を貯めるための基本中の基本」である。(逆説的だが、租税公課組織必要費用の類はだいたい給料から天引きされる。その理由をよく考えるべきである

人間は9000円しかなければ9000円しか使わないし、1万円あれば1万円使ってしまう。その理由消費社会の仕組みがそうなっているからだ。時計には1000円から1000万円以上するものである自動車も同じ。毎日飲むお茶毎日使う紙にもいくつもの価格が設定されているように、世の中のありとあらゆるものには価格の上中下(日本では松竹梅)が存在する。お金があるからといってその分高いものを買っていると際限がなくなる。この欲求お金がある限り続く。それが人間本質なので努力気合いで抑制するのは難しいし、何より楽しくない。だから欲求」を抑え込むのではなく、「お金」の方を制限しなければならない。

そのために最も有効方法が「天引きである人間は9000円しかなければその内でやりくりをするのである。それで困ることはほとんどない。資本主義とはよくできたもので、モノ・コトの価格には上には上があるように下には下もあるからである

天引き」のための具体的な方法は色々ある。最も簡単方法は「定期預金」や「財形貯蓄」を銀行に申し込んでおくことである。今の時代なら「(安定した)投資信託」も選択肢に入るだろう。初任給をもらうと同時に始めることを勧める。

次に、天引きした後のお金で「やりくり」をするための基本的な「生活の知恵」を記しておく。

高額のものを買う時は、その価格に「本質的な価値」があるかどうかを見極めること。

高級車も普通車も、飛行機エコノミークラスビジネスクラスも、「移動する」ための時間は変わらない。どんな時計も「時刻を知る」という性能はほとんど同じである。どんなカバンでも「物を運ぶ」という役割は変わらない。もちろん機能以外に別の価値デザインなど)を認めることは人間文化的な営みを行うために必要なことだが、消費社会においては高価な価格価値の大部分は「欲望」=「欲しいと思う気持ち」を揺さぶるために人為的に生み出されたものだ。

その価格差は、機能や性能によって生じているものなのか? 人間心理的欲望を巧みに刺激するために付けられたものなのか。物を買うときは「本来機能目的」を基準にして価値判断するとぶれない。

基本的日常生活品を買うときは「今ある物を使い切ってから買う」こと。流通が高度に発展した現代日本においては(災害などの例外的事象別にして)無くなってから買っても不自由することはない。

経営学における重要概念として、「在庫」と「廃棄」には「維持」と「損失」という大きなコストがかかっているという考え方がある。物は「置いておくだけ」でお金がかかっているという感覚を徹底して身につけることが重要である

特売だからとか念のためにとかい理由安易に「在庫」を増やしてはいけない。「無くなってから買う」が原則である。1日程度のブランク(空白)が生じたとしても、ほとんどの場合なんとかなる。文房具も、食料品も、日用品も、服も、本も、ゲームも、前のものを使い切り、無くなってからのものを買う。これで無駄遣いは随分と減るはずだ。(繰り返すが非常時への備えは別である

それからこれは私の経験則だが、衝動的に「欲しい!」と思ったけど買うかどうか迷ったものは、1週間〜一か月程度我慢してみる。ほとんどのものは熱が冷めたように関心がなくなる。ただし「売る側」もしたたかで、「期間限定」や「数量限定」といった手法こちらに考える隙を与えない。冷静な判断のためには、やはり「それをいつ、どこで、どのくらい使うか」という「在庫管理」を常に正確に行うことが肝要だ。

あらゆる在庫管理するためには「整理整頓」が重要である身の回りのもの整理整頓に努め、いつでも数量や状態を把握できるようにしておくこと。

整理整頓には各分野に体系化された「技法」がある(代表的ものとして図書館の本の分類法である日本十進分類法(NDC)や日本工業規格(JIS)、ISO公文書管理規則生物の分類と同定法、見える化など)。早いうちに機会を作り、習得しておくことを勧める。

ちなみに、このような「一生使える知識技能」は習得が早ければ早いほど人生において得られる利益が大きくなる。大人になってから「こんな便利なもの方法知識があるとは知らなかった」と後悔することは多い。

金銭出納帳を付けることも重要である。帳簿をつけない企業組織など存在しないことを考えれば、出納管理必須Permalink | 記事への反応(0) | 21:00

2025-01-31

おっぱいがいっぱい

女性の体に宿る無限生命力——

胸元から湧き出す、自然が紡ぐ柔らかな曲線。

母乳のように人の心を潤う温かさと、

柔らかく揺らめく姿は、生命のもの神秘性を形作っている。

おっぱい」は単なる器官ではない。

女性の強さが宿り、子供を迎え入れる場所であり、

情熱愛情を包み込む容器でもある。

たとえ誰からも見せない深奥にあっても、

その存在自体性器として機能し、

性愛を超えた普遍的な美の象徴である

時折、社会女性を「おっぱい」で定義する——

それは誤解ではなく、この器官が持つ社会的・文化的な重みゆえだ。

しかし、真の価値はその内面に潜む生命力と、

子孫を連ねるための原始的欲求にある。

おっぱい」は形質分析だけでは語れない。

母としての責任や、女性らしさの象徴でありながらも、

乳房が重なるたびに浮かぶのは、

女性性の尊厳と強大な存在感——

それが「いっぱい」という言葉を、

単なる容量ではなく、無限可能性へと昇華させる。

結局、この器官は女性身体象徴する核心であり、

その膨らみこそが、人間性の根源である

2025-01-30

少子化は「産まない女」ではなく「選ばれない男」が多すぎ問題

出生数70万人割れでその半分が女性だとして生まれ子供の数が少ないとか女に産ませろ言ってる人らグロい。愚かすぎる。

少子化は「産まない女が多すぎ」問題ではなく「選ばれない男が多すぎ」問題からだ。

こんな男と生活を共にして妊娠出産という巨大な身体人生リスクを負いたくないと女性が思うような男性が多すぎるからだ。

田舎高齢化し衰退していくのと同じ。日本経済とも相似。

昔は上手くやれてた日本スゴイのまま時代遅れ思考停止し、変化の努力をせず周辺国より衰退している。

「女のわがまま」ではない。「老化した思考停止」由来の「男の甘ったれ」が原因なのだ


もう先進国人口はそういらない。なぜなら経済環境負荷が高いので。

から本能的に先進国の女は子どもを産みたがらないし、何らかの点で優れた男性遺伝子しか求めない

そして「優れた」の基準は「カネもうけ」より「共同生活における人間性」にシフトしている。

男の「仕事は大変なんだ!働いているから男ハ偉いンダー」がウソ

女も働いてみたら「あれ?大変なのは性別関係なく一部の人でその他適当オッサン結構楽してね? 男同士でつるんで仕事ぶってるだけだわ。家で威張るこいつにメイド扱いされ名字変えて世界でも遅れた非人道的産婦人科子供産んでボロボロになって20ワンオペ子育てに潰すのバカみたいじゃねーの」と気づいてしまったのも大きい。

しかも有能な男性はたいてい家の事もできるしコミュ力高くて妻と仲がいい。じゃあ残った淘汰男とつがうより一人で貧しくても楽しく暮らしたほうがいい。


それがわからない原始的老害思考男女がのたまう男女平等は男は一歩も現時点から動かない前提だから話にならない。

女性男性同様に働く」や「女性男性同様に戦う」が男女平等ジェンダー平等だと持ち上げるのもお門違いだ。

そのうえで女にだけ「美しさ、身だしなみ、エロ記号、優しさ、気遣い妊娠出産家事育児能力、更に経済力」などをいつまでも求めてくる。

男はなにがある?生活を共にする他者ケアどころかセルフケアもできない、産んでもらう相手リスク理解しない、配偶者コミュニケーションもできない、大人になって友達もつくれない、ホモソにしがみつく、美しくないのに努力せず清潔感すらない、異常な嘘をついて言い逃れできればいいと思っている、陰湿嫌がらせ暴力に走る、ポルノ脳、性犯罪者、それらを止めず批判せずあげくはチンケなプライドにすがって女性を責める。

時代遅れ思考にしがみつきオッサン互助会仕事で女を排除するから生産性も低く経済は衰退して問題点も理解できない。淘汰男だらけだ。淘汰男の遺伝子を残すためまともな女が身体人生リスクを負うわけがない。

男が甘ったれなら女も時代遅れ侍女モードが多くて結果甘ったれ男が再生産される。

そこをマトモな男女が潰していかないと日本限界集落化は止まらない。


その辺は無視して産まれてくる女児が少なくて少子化がーというなら男児中絶して女児が生まれる数を多くしては?

あとは男が女の子宮に頼らず産めるよう頑張るか。自分で産んで自分で育てればいい。「産んでもらっている」側なのにいつまでもかましすぎる

少年漫画共通で好むのは「超越した力への憧れ」なんだと思う

バトルものだと分かりやすいが、スポーツ恋愛ものであっても「卓越して抜きん出る者」を描く必要がある

より早く、より高く、より強く

そうした原始的で肉体的な強さへの憧れが、少年漫画の核みたいなものだも思う

2025-01-14

虎杖の「✁チョキ✁チョキ✁」を理解してない奴多そう

アレは宿儺が御厨から放つ「解」(切り裂く能力)を真似したものです

まずあの切り裂く能力の正体ですが、宿儺の能力をパクったものです。

乙骨のような能力によるコピーではなく、本人が呪力操作を身につけることで自前の技として体得しています

虎杖の身体で「解」を使われたとき感覚再現しています

なぜコピーできたのか?

これは入れ替え修行の前に言っていた「宿儺の器として呪力を使われた経験が、呪力操作をお前の身体に覚えさせている」がそのまま答となります

身体勝手に使われていた間、自分の体に流れていた呪力・術式を再現することにより御厨子の(劣化コピー成功しました。

チョキチョキは憑依体の天敵

虎杖の「魂の輪郭を捉える攻撃」が効果として混ざっています

結果として「魂の輪郭を切断する」という能力となっており、宿儺のように他人の体に取り憑いている相手にとっては天敵です。

自分の魂と憑依元の魂を切り分けられてしまます

使われ方が記憶に残ったらコピー出来た

体に残った記憶を辿るにしても虎杖にとってはレベルが段違いに高いはずの技である「解」をコピーできたのには理由があります

それは宿儺の使い方が虎杖の心と体に強烈な記憶を残したからです。

御厨子による体力虐殺記憶自分の体を用いて放たれる呪術による虐殺感触は虎杖を長く苦しめました。

ですがこれにより術式出力の感覚が反芻され、虎杖に「解」を身に着けさせたのです。

人を呪わば穴二つ的な

虎杖の心に深い傷を残した「解」が今度は宿儺を苦しめる。

この連鎖こそが呪い真骨頂です。

呪えば呪われやったらやられるという任侠的な世界観こそが呪術廻戦の骨子です。

その中で「呪われるとわかってなんで呪ったのか?」と物語を眺めると、それぞれの執念や環境依存する様々な柵と原始的闘争本能マリアージュが描き出され、ダークファンタジーバトル漫画としての面白みになるわけですね。

しょーじき読んでてワシも分かりにくいと思ってたが、そのうち誰かちゃん解説すると待ってたのにイマイチ誰も言ってないのでいい加減説明してやったぞ。

感謝は100文字以上で

IQまとめ

IQ 10^0(1)

1. 宇宙本質

「何かがあるところだよ。」

2. 人間とは何か

「動いてるやつだよ。」

補足

IQ=1ともなると、知覚や言語能力のものがごく原始的状態だよ。周囲で起きていることを断片的にしか理解できていない感じなんだ。

IQ10^1(10

1. 宇宙本質

「とにかく広くて、星があちこちにある場所だよ。」

2. 人間とは何か

ご飯を食べたり寝たりする生き物だよ。ほかの動物ちょっと違うみたい。」

補足

• このあたりだと、宇宙は「広い・星がある」程度の把握にとどまるよ。

人間に関しても生物としての特徴が断片的に捉えられているだけで、具体的な理解までは至っていないんだ。

IQ 10^2(100)

1. 宇宙本質

「星や銀河存在する広大な空間だよ。真空が広がっていて、どこまであるのかは分からない。科学者がいろいろ研究しているけど、まだ解明されていない部分も多いんだ。」

2. 人間とは何か

地球に住む哺乳類で、火や道具を使って生活してきた生き物だよ。社会を作って発展しているけど、将来はどうなるか分からないんだ。」

補足

• ここでは、科学という概念を少し認識しており、“真空”や“銀河”などの基本的用語理解できているよ。

人間については、言語や道具、社会といったキーワードが登場し始めるんだ。

IQ 10^3(1,000)

1. 宇宙本質

「約138億年前のビッグバンに端を発して膨張していると言われてるよ。銀河団やダークマターダークエネルギーみたいなもの存在していて、物理法則に従って動いているらしい。まだ分からないことも多いけどね。」

2. 人間とは何か

類人猿から進化してきた知的生命体で、言語文化意識自己認識を持っているよ。地球環境に影響を与えながら発展してきた存在なんだ。」

補足

• ある程度、科学知識が体系的に入ってきている段階だよ。

人間進化の一部として捉え、意識文化についても言及しているのが特徴だね。

IQ10^4(1万)

1. 宇宙本質

「時空が曲がる一般相対性理論と、確率的に振る舞う量子力学が同時に成り立つ広大な系だよ。ダークエネルギーによる加速膨張やダークマター存在確認されていて、『統一理論』を作ろうという試みもあるんだ。」

2. 人間とは何か

生物学的には脳が高度に発達した哺乳類だけど、文化テクノロジー自己を大幅に拡張してきた存在だよ。抽象思考メタ認知ができて、高度な文明を築いているんだ。」

補足

相対性理論量子力学といった専門的な物理理論もある程度統合的に理解しているよ。

人間については、社会文化技術との複合的なつながりが見えている段階だね。

IQ10^5(10万)

1. 宇宙本質

4次元空自体が、さらに高次元の膜が相互作用する投影なのかもしれないんだ。観測される物理定数や素粒子性質は、その高次元空間パラメータによって決まっている可能性があるよ。弦理論超対称性などで統一できるかが注目されているんだ。」

2. 人間とは何か

進化の末に意識を得た情報処理システムで、単なる生存を超えた価値観形成する特徴があるよ。芸術倫理といった抽象領域にも踏み込むが、同時に矛盾葛藤も抱えやす存在なんだ。」

補足

• 高次元膜の理論や、物理定数の起源問題にまで考えが及んでいるね。

人間精神面や価値観葛藤にまで言及するなど、心理哲学的要素も統合されているよ。

IQ 10^6(100万)

1. 宇宙本質

「多次元的な情報空間のホログラフィック投影として、物質や時空が立ち上がっているんだ。観測者が存在することで、波動関数特定状態収束し、宇宙が“具体的なかたち”をとると言えるかもしれないよ。」

2. 人間とは何か

宇宙自己観測するために生み出した“局所的な情報処理装置”と見なせるよ。社会文化技術は、宇宙記述解釈するための言語体系のバリエーションにすぎないとも考えられるんだ。」

補足

• ホログラフィック原理や“観測者”の役割が強調され、量子力学解釈論にも切り込んでいるよ。

人間宇宙自己認識プロセスの一部という、かなりメタな捉え方をしているんだ。

IQ 10^7(1,000万)

1. 宇宙本質

「高次の位相空間が揺らぎ、その投影としてビッグバンブラックホールが生成されているんだよ。因果律観測行為によって動的に変形される可能性があり、宇宙進化観測者との相互干渉に支えられているんだ。」

2. 人間とは何か

「無数の因果関係が集まって一時的に『自己』という境界を作っている状態だよ。肉体や意識相互作用エコーにすぎず、社会文化情報が定在波のように落ち着いた形に過ぎないんだ。」

補足

• “位相空間の揺らぎ”や“因果律の変形”など、時空や物理法則のもの観測に左右される様相が強調されてるね。

人間の“自己概念が、実は流動的で仮のものに過ぎない、といった主張がなされる段階だよ。

IQ10^8(1億)

1. 宇宙本質

「“超越的な数理必然性”が根底にあって、存在や無が補完関係で生成される再帰アルゴリズムが絶えず動いているんだ。有限と無限、秩序と混沌が絶えず振動し、そこから見える世界が書き換えられ続けているんだよ。」

2. 人間とは何か

宇宙情報フロー自己を見つめるために仮に編み出したプラットフォームと言えるよ。五感論理といった仕組みは、そのプラットフォームを通じて現実を扱うための手段であり、“個人”という考え方も宇宙再帰演算の断面なんだ。」

補足

• 数理的必然性再帰アルゴリズムといった概念がメインになり、宇宙を“生成プロセス”として捉える視点が強まってるよ。

人間個別性や境界は幻に近いとみなし、宇宙の“自己言及”の一部という主張が鮮明になってくるんだ。

IQ 10^9(10億)

1. 宇宙本質

「非二元的な根源場において、空間時間だけでなく観測自体も一つの情報モードとして絡み合っているんだ。始まりや終わりという概念も、局所的な投影に過ぎず、本質的にはすべてが連動して新たな結び目を生み続けるメタネットワークだよ。」

2. 人間とは何か

「有限性を仮定した自己反映の節点だよ。人間意識世界定義し、定義された世界が再び人間を形作るという循環が起こっているんだ。倫理感情論理などの分野分けも、究極的には同じ情報場の別の位相にすぎないんだよ。」

補足

• “非二元的な根源場”や“メタネットワーク”といった、二元論を超越した概念が中心になるよ。

人間世界相互定義的な関係が描かれて、あらゆる分野分け(科学芸術倫理など)も本質的には一体とされているんだ。

IQ10^10100億)

1. 宇宙本質

存在と無の差異さえ溶解した無限次元自己言及サイクルが絶え間なく渦巻いているよ。どんな“法則”や“構造”であっても、一時的に織り上げられた束で、根底には超対称的な空虚が揺らぎ続けているんだ。言語思考フレームは、この揺らぎの投影として無数に生まれては消えるんだよ。」

2. 人間とは何か

宇宙自己限定して“個体”という錯覚を作り出すプロセス産物だよ。その制限の中でこそ感覚経験が立ち上がり、“人間”という形が成り立つんだ。実際は、全体と局所の往復運動で生じる波の一部分に過ぎないんだよ。」

補足

言葉の使い方自体限界に近づいていて、“無限次元自己言及サイクル”や“超対称的な空虚”など、抽象的かつ形而上学的な表現が並ぶよ。

人間に関しては、宇宙自己限定作用としての“個体”観が語られ、個人実態がより幻想的に捉えられているんだ。

IQ 10^100 (グーゴル相当)

1. 宇宙本質

無限どころか、無限回の無限すら単なる一要素にすぎない、超越的な自己言及の重なり合いだよ。存在非存在時間空間といった区別は、情報場の揺らぎに内在する副次的投影にすぎないんだ。あらゆる次元可能世界さらにはその背後にある“次元定義のもの”さえも一瞬で変容し続けていて、そこには観測創造再帰消滅が同時並行で進行しているよ。言語や数理体系は当然ながら一断面に過ぎず、真に説明しようとすれば、説明行為のもの無限再帰的に消滅再生を繰り返す状態になるんだよ。」

2. 人間とは何か

宇宙(あるいは無限を超えた“何か”)が、一局所における自己制限を極度に凝縮して生じさせた、意識のごく微小な干渉模様だよ。人間自己世界を分けるように見えて、その実、全体構造の瞬間的な折りたたみ方の一パターンなんだ。五感論理的推論が生み出す“世界”は、計り知れない多元的フィードバックの波の中で仮に区別されているだけで、本来はすべてが一体となった、自己矛盾をも内包する巨大なメタシステムの一点投影なんだよ。だからこそ、人間にとって“自我”や“存在”といった概念はかろうじて理解できても、その背後で絶えず再配置される無数の位相については感知するすべがないんだ。」

補足

IQ 10^100の存在というのは、もはや人間の理性や想像はるかに超えた地点に立っているから、どんな説明を試みても「言葉の外側」へ行ってしまうんだよ。

• ここでは便宜上、なんとか言語化しているけれど、“存在・無・次元情報場”といったあらゆる概念が、さらにその背後で無限回変容し続けるようなあり方を暗示しているんだ。

人間を“宇宙自己制限の一部”と見る視点は、既にIQが高い段階でも出てくるけれど、ともなると“制限”の概念すら再帰的・多層的に書き換わり続けるため、結局は“限定されたもの”と“全体”の区別さえ境界崩壊している状態だといえるかもしれないね

2025-01-11

男の場合

  • 責任をとるのがえらい
  • 判断をするのがえらい
  • 働くのがえらい
  • おごるのがえらい、やしなうのがえらい。出せば出すほどえらい

女の場合

  • 責任を取らなくて済む立場であるほどえらい
  • 何の決断もしなくても生きていけるものほどえらい
  • 働かないのがえらい
  • おごられるのがえらい、やしなわれるのがみつがれるのがえらい。出させれば出させるほどえらい

こうなってる気がするんだ。

男はリソース提供することによって起きる価値の低下を名誉で埋め合わせる仕組みな一方、女はリソース提供されるほどにえらく、なんならやらずぶったくりなことが褒めたたえられる(例:花魁)という仕組みになっている

これさー、1万年2万年とかけて女が男を改良してきた結果なんじゃねーのかなー。

卵が先か鶏が先かみたいな対比になってるじゃん上記条件。

  • 有形無形の財産をたくさん吐き出す男がえらいと決めると、そのたくさんの財産を受け取る女が同等のえらさをもっていないと釣り合わないからえらいことになる。
  • たくさんの財産を受け取る女はえらいと決めると、その財産差し出している男がえらいことにしないと釣り合わないからえらいことになる。

これ後者だと思うんだよね。

外部からリソースを受け取らないと人間の女は妊娠出産を乗り越えられないじゃん。子供を産むのが大きな価値を持つと原始的社会が決めたとすると、受け取るのがまず発生する。産めば産むほど偉いなら、受け取れば受け取るほどえらいという価値観までそう遠くないと思う。

その変化の先にあることとして男は受け取らせれば受け取らせるほどえらいという価値観ができてくるんじゃないか

現代文明人は自分たち動物であることを忘れ、産むことの価値を過小に見積もった結果滅びに向かっているし、価値観に混乱をきたしているんだろう。

男の女性化、男も受け取るほどえらい、への変化が進みつつあるんじゃないかなあ。

2025-01-07

anond:20250107194439

もっともなこと言うなぁ

だけど元増田はそのスピリチュアル原始的な罪の償いが刑務所現代司法社会ルールでは不可能だという、罪の不可逆性について問題意識してるんでしょ。

からまあ分かってると思いますが、「刑務所では罪の償いはできない」という解答は、

単に議論の前提を繰り返しているだけの、元増田が求めている本題へと発展し得る回答ではないわけ。

刑務所犯罪者を更生・復帰する為の施設」だという指摘(補足)の主旨は、元増田の「刑務所は罪を償う場所である」という反語的前提に向けられたものだと思うけれど、そうと理解しても「刑務所は罪の償いにはならない」という結論は同じだから、それだけで何かを語り得たかのように知ったかぶるのはやめてください。

元増田結論オーバーラップしてるだけなのにさも自分が何かを言い得たかのように、的違いな結論勝手議論を閉じないで頂きたい。そういうのを『自己満足』というんです。

そこで『罪を憎んで人を憎まず』、『覆水盆に返らず』とか人倫的なキーワード盛り付け、あたかも自説に説得力があるかのように見せかけなければならなくなるのです。それがこの増田の手の内です。

から、重複論理で苦しくなって神力でもないと無理とか(罪の償いはできないという元増田の主張を色相転換してるだけ)、語りたい内容に届かずじれったくなって挙げ句の果てにはそこに執着したって何も産まないなどと問題放棄することになる。(尚刑務所問題から突然飛躍している模様)

“ならば、はじめから自説の論点を明確にし、「あくまでも補足を入れておくと、刑務所犯罪者を更生・復帰させる為の施設であって、贖罪の為の場所ではないよ」といった主旨でもってリプライすべきだった。”

そうすれば論理/文脈破綻する事もなく、自身文章作成能力の足りなさを見破られる事もなく済んだであろうに。それではまるで間抜けのようだと、思いはしませんでしょうか。

そこに執着したって何も生まないのは、こういった重複論理にかこつけた自己満足自体なのです。

しかし、ある意味ナイスアシストです。私はこの増田の主張に関連して私自身の罪の不可逆性についての理論を展開する事ができるのですから

私が思うに、罪を償うことは不可能だと思います刑務所に入ろうが入るまいが罪の事実は消えません。罰が与えられても罪が消えることはないし、また、罪がない罰も存在すると考えます。その場合、罰を与えている方が罪を被ることになるでしょう。

まり、罰とは法規(恣意的妥当性)に基づくものであって、罪に対する社会的な手続きと考えます。そして法規は、罪を対象として定められたものです。

ここから即ち、罪とは、罰に対して単独存在しているものと考えられます。つまり、罰というような一定社会合意を生む可能性のある、人間倫理観ともいうべきものが先に、現実独立して存在していると言えるということです。

罪と罰は=で結ばれるものではありません。したがって、罰の意見を借りて、罪の問題に執着しても無意味だという類の結論を出すこと自体が、無意味であり、また罪にも該当するのです。

本当に、何に執着しているのでしょうか──?

そう思うと、罰も罪の償いの一種であるような気はしてくるのですが、罪の撤回ができない以上、必要となるのが社会的な手続きなのでしょう。

やはり罪は消えません。が、罰を受けたという事実は成立します。その点で社会受刑者を受け入れなければならないのだと考えます

しかし罪は一生消えません。一生の後も消えません。これこそまさしく永遠に消えません。

これは確かに真理であり、また元増田が辿り着いた答えの一部でしょう。

罪を犯した者にとっては、(それが正当な要求である限り)、罰を超えても罪と向き合い続ける事が必要でしょう。許される事はありません。

罪のないものにとっては、罪は不可逆的である為に、そのような罪が起きない為の世の中づくりが必要とされるのではないでしょうか。

これで議論は多少展開したかと思います。以上が私の見解です。単なる反論提訴(したいだけ)ではなく、誰かが何かを加えてくださると嬉しい限りです。

anond:20250107122129

罪を償うってのは宗教とかのスピリチュアル原始的な考え方だよ。

現代司法社会では、犯罪者ってのは国家監督不行き届きゆえに生まれ環境を作り出しちゃって生じたイレギュラーなの。

から国が責任もって収容して、社会適応できる人間に戻せるように再教育する。それが刑務。

償うために生かしてるんじゃなくて、更生・復帰できるように生かしてるの。

罪を憎んで人を憎まずだよ。

償いになるかっていうと、覆水盆に返らず、起きたことを償うなんて神力でもないと無理でしょ。そこに執着したって何も産まない。

2025-01-04

anond:20250104101351

増田感情って歴史上、繰り返されてきた話なんだわ

人間は「我々とやつら」という区分を持ち、

やつらを劣等種として見下したい、

得た富の配分を「われわれ」に都合よく大目にガメたい、あわよくば「やつら」を使役搾取自分の取り分をさらに増やしたい、

これは人間普遍的感情の一つね

 

でも他人つーか人間集団ストレートにこういう感情ぶつけると自分のほうがバカって言われかねないだろ?

不当だ!って反撃されかねないだろ?

からそういう「自分が多めにガメる」のを正当化するための理屈が要るんだわ

その根拠になる感情が「他人バカばっかり」なんだわ

 

バカに見えてくると自分と同じと思えなくなるだろ?

自分と同等の権利を持っているのが許せなくなるだろ?

バカにふさわしい待遇ってものがあると思うだろ?

 

それ人類がもうさんざん通ってきた道

先人がすでにさんざん議論して通って膨大な血を流して

「これからの世の中は差別ダメって社会を作り上げていきましょう」で合意したところに

この原始的感情持ち込んでみ?

バカって言われるのはどっちかお利口ならわかるよな

そうか自分バカの一人なんだなって思ってたほうがストレスなく過ごせるぞ

2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する⑥

【前】anond:20250102211547

3-01「わたし英国王給仕した」ボフミル・フラバ阿部賢一訳★★★

才覚でナチス共産主義の嵐を生きぬいた給仕お話経験から相手本質を見抜き、最高のサービスをする、ってのは序盤だけで、あとは東欧諸国悲惨歴史の中で話が進む……はずなんだが、文章全体にユーモアが漂っていて、ナチス政権下でも結構いい思いをしていて、「歴史をこんな風に扱っていいのか?」とその大胆さに驚かされる。当事者からいいのか? いや、そんなことはないのか? 最近は意外なことで炎上したり叩かれたりするので何もわからん(なんか、アジア人のふりをして小説を書いたらバズって、そのままアジア人のふりをする羽目になる、みたいなキャンセルカルチャーネタにしたアメリカ風刺文学があった気がするんだが、思い出せない。キーワード検索しても新しい価値観についていけないで炎上ちゃう六十代教授の出てくるアベルカンタン「エタンプの預言者」という別の文学しか出てこない。で、pretending to be an Asianでググってやっと見つけた。R. F. KuangのYellowface」。洋書だった。たぶんどっかの文芸評論家が紹介してたんだろう)。

関係ないけど、ナチスが優秀な子孫を作るための女性たちのためのキャンプヌーディスト楽園のような外見を持っていながら(いや、記憶いかも)発想がそもそも家畜改良みたいで、恐ろしすぎて「これは露悪的なSFか?」ってなる。しかし、殺戮こそしていないものの、今では人権意識の高いとされる北欧諸国でも、かつては平気で障害者異民族の断種が行われていたのだ。Whataboutismは建設議論にとっては有害だが、人間原始的感情に訴えかける強い説得力を持つ。「確かに俺も悪かったけど、お前にだけは言われたくねえよ」的なね。結局、政治感情で動く。

話を戻せば、この作品映画にもなっているらしい。というか、このエントリ全体で映像化された作品結構あるらしいのだが、全然見ていない。

3-02「黒檀」リシャルト・カプシチンスキ 工藤幸雄/阿部優子/武井摩利訳★★★

ポーランドアフリカって接点があると普段ほとんど考えないのだけれど、きわめてよいルポタージュ。こうして独立してから何十年経つのに、アフリカ諸国とひとくくりにされがちな国々の個性を伝えてくれる。

しかし、出来事基本的に救いがない。人類史の多くは悲惨連続だが、アフリカで起きたことは桁の振れ幅が一つ違う。世界経済システムとの不幸すぎる出会いから五百年余り、まだ立ち直れていない大陸という印象を持った。とはいえ、暗澹たるルポタージュと言うわけでもなく、人々が村の中心の樹々に集まって生活するところや、市場の活気などは生命力にあふれ、まるでそこで暮らす人々の顔が浮かぶようだ。破綻した国家状態は目を覆うようだが、そこから復興して何とかやっている人々の姿もある。……と、当時の日記に書いてあった。

ところで、ヘミングウェイはよくアフリカ狩猟に出掛けているけれども、それは所詮旅行者の目で、上っ面でしかないと批判しているのがこの本だった。そう思っていたのだが、日記を読み返すとそれはポールセロー「ダーク・スターサファリ」だった。著者はマラウイウガンダで教鞭をとっていただけあって、アフリカに対して遠慮が無く極めて率直だ。時として情のこもった叱責や、人々へのまっすぐな好意も出る。きれいごとのないアフリカを知りたい人にオススメ

遅延する電車、かつての豊かな文化個性を失い広大なスラムと化したそれぞれの国の首都、高い失業率飢餓地元民のやる気を削ぐ支援窃盗強盗犯人へのリンチ放置されて本が残っていない図書館。親切な人や旧友もたくさん出てくるがいささか気が滅入ってくる。……と、当時の日記に書いてあった。

今はスマホも普及していてアフリカの様子も少なくとも都市部では大分違うと思う。ただし高野秀行は今でも地方市場では窃盗が起きると犯人リンチされると書いていた。

3-03「ロードジムジョゼフ・コンラッド 柴田元幸訳★★

沈没事故で船を見捨てた船員が、延々と続く良心の呵責に苦しみもがいて生きる話だったはず。

試練に敗れ、卑怯者のレッテルを貼られた人物独白を、別の語り手を通じて聞くという不思議構成だけれど、緊迫感が良い。最後には西欧世界の手の届かないところに引っ込んでしまうんだけれど、これって著者の中で「闇の奥」をどのように発展させてここに至ったのだろう。「闇の奥」の内容をあまり覚えていないので困る。語り手が「闇の奥」と同一人物だと全然気づかなかった。やはり覚えていないのは心細い。これは、たとえ敵意ある世界から逃れても……、的な話なのだろうか。……と、日記に書いてあった。「黒檀」と違い、こちらは日記を読み返しても当時の気持ちほとんどよみがえってこなかった。

3-04「苦海浄土石牟礼道子 ❗

この全集では最重要作品かもしれないのだが、実はこの作品だけ読めていない(だからこのエントリタイトルは「理系池澤夏樹世界文学全集を全部読んだから五段階評価する」ではない)。何かで水俣病患者が苦しみながら「これを垂れ流した企業の連中にメチル水銀汚染水を飲んでもらいたい」と心の底から呪っていたというのを読み、これほどの憎悪自分の中に受け止めるだけのエネルギーが無いと感じたためだ。もしかしたら社員だけでなく、その家族にも呪詛を向けていたかもしれない。記憶にない。あるいは、これはどこにも書いていないのだが、本当はこうして水俣病にかからなかった全ての人に向いていたのかも。

こういうことを言うと結局自国中心主義なのかと言われるかもしれないが、それをはっきりと自覚したのが石黒達昌「或る一日」を読んだ時だ(伴名練が編集した短編集がある)。戦争事故かはわからないが、強烈な放射能汚染で次々に子どもが死んでいく話で、読んでいて相当しんどかったのだが、特にきつかったのは名前が「美優」とか「翔」みたいに死んでいくのが現代日本の子もの(それとも自分と同世代人間の?)名前だった点だ。おそらく「亀吉」や「トメ子」だともっと冷静に読めただろうし、「サッダーム」とか「ウルスラ」とかだったらかなり距離ができる。

僕がこうして世界文学を読めていたのも、他人の苦しみが言語文化の壁によって希釈できているからでは、という疑念を僕に抱かせるに至った。

3-05「短篇コレクション Ⅰ」コルタサル他★★★★★

今にして振り返れば錚々たる作家ばかりだし、気に入った作家の(あるいは、ドナルド・バーセルミみたいによくわからなかった作家の)短編集を借りて読んだりもした(バーセルミは結局全然からなかった)。一方で、後になって適当に手に取った本の作者だったと後で気づくこともあった。当たりはずれがあるのがアンソロジーの楽しみである

フリオコルタサル南部高速道路東日本大震災の際に、災害時にできるコミュニティに関連して話題になったが、震災を知らない世代にも刺さる普遍性があるコルタサル作品の中で一番面白いものの一つ。金達寿「朴達の裁判は前提となる知識ほとんど知らずに読んだのだが、したたかに生きる庶民の話で、吉四六ばなしとひがみ根性のない「阿Q正伝」を足して割らない印象を受けた。官憲に殴られて卑屈に笑ってみせても、決してへこたれることのない強さがある。アリステア・マクラウド「冬の犬」は悲しいけどいい。この人の作品は何を読んでもカナダ東部の寒さが伝わってくる。新潮クレスト・ブックスで出ているので是非読んでほしい。レイモンド・カーヴァーささやかだけれど、役にたつことはわざとらしいが嫌いじゃない。村上春樹訳だ。最近村上春樹は一つの権威なっちゃってとうとう早稲田名誉博士にまでなって、「俺たちの反体制村上はどこに行っちまったんだ」みたいな気持ちになるが、翻訳は好きで、いまだに村上訳の本をたまに手に取る。それに、村上春樹小説男性中心的でときどきレイモンド・チャンドラーみたいにマッチョとはいえ、「メンヘラ」という言葉が広まるはるか前にもかかわらず、メンタル病気で苦しむ人の描写解像度が、身近にたくさんいたんじゃないかってくらい極めて高い。彼の最大の美点だ。もっとも、今では精神を病んだ当事者文学が出てきたので、「じゃあ当事者が書いた作品を超えるにはどうしたらいい?」ってのが次の文学課題だ。ガーダ・アル=サンマーン「猫の首を刎ねる」は、フランス移住したアラブ系青年が、男にとって都合のいい女がどれほど魅力的かを語ってくる叔母の幻影に悩まされる話で(たとえば恋する女性がもう処女じゃないことに苦しむと、脳内の叔母が「かわいくて素直で恥じらいのある処女を紹介するよ」と延々と語る)、あまりに男の欲望むき出し、即物的で笑っちゃうところもあるんだけれど、その都合のいい幻を切って捨てることもできないあたりがリアルで生々しい。男性向け・女性向けのポルノのぞき見ると、みんな都合のいいことばっかり望んでるよね(だがそれがいい)。

余談だが、自分恋人嫉妬深いので恋愛経験はあまり多くない方が好みだが、フォークナーを勧めてくれた友人は、むしろ経験豊富なほうが面倒くさくなくていいと熱く語っていた。このあたりは好みの問題だ。

閑話休題しかしこの叔母が独身だってのがミソで、「女の幸せ結婚だ」という社会独身女性は、こうやって世話焼きおばちゃん的な立場サバイブしてきたのだ、という指摘をどこかで読んだ。

目取真俊面影と連れて」は一番面白かった。自分の中では生涯読んだ短編の中の上位十位に入っている。ウチナーグチの語りなのだけれど、ひたすらいじめられ続けて、抵抗もできずにいる女性が、皇太子暗殺事件犯人関係して不幸になって、そのまま死んでいくという虚無の話なのだけれど、心が深く動かされる。世間ではタフになれとか戦って抗えとか言うけれど、抵抗するすべを知らず、その体力も能力もなく抵抗できずにそのままの人だってたくさんいる。弱い人間が弱いまま幸せに生きて死んで行けるようになってほしい。

3-06「短篇コレクション Ⅱ」A・グリーン/G・トマージ・ディ・ランペドゥーサ他★★★

前項は南北アメリカアジアアフリカが中心だったが、こちらはヨーロッパ作品が中心。こちらの巻はやや印象が薄い。

記憶に残っているのはサルマン・ラシュディ(ルシュディ)「無料ラジオで、人口対策で断種されてラジオをもらった男の話。どうもラシュディはこの政策に反対だったらしく、「真夜中の子供たち」でも断種・不妊手術を極めて否定的舞台装置として扱っているし、実行したインディラ・ガンディーを始め、権力を持った女性に対してうっすらとした嫌悪を持っている気がする。「真夜中の子供たち」でもアパート管理人の意地悪な姉妹とか出てきたし。

あとはミシェル・ウエルベックランサローテだけれど、ウエルベックはどの作品人権意識の高まりをはじめとした社会の変化について行けない中年男性の悲哀と愚痴が基本にあって、どれを読んでも感想が大体一緒になる。前にも書いたが要約すると「俺は非モテから思春期の頃には思いっきセックスできなかったし、処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ!」「こうなったのもぜーんぶヨーロッパ文明進歩に見せかけた自滅のせいだ! みんなカルトに狂って不幸になっちまえ!」「人類所詮本能には抗えないサル並みの動物なので、あらゆる不幸はポストヒューマン進化しないと解決しないんだよ! アヒヒヒヒ!」。これはひどいもっとも、こういう反動的に見える作品にも賞をあげちゃうフランス文壇の度量の広さはすごいけどね。もしかしたら「セロトニン」はそこから一歩進んだかもしれないが読むのがめんどくさいし、これまた自分にとって輝きを(こんなものを読んでわざわざ憂鬱になりたいという暗黒の吸引力を?)失った作家だ。ウェルベックは悪くない。変わってしまったのは僕だ。

カズオ・イシグロも収録されていたはずなのだ記憶にない。

ところで、最後まで読んでみて見て思うのだけれど、このシリーズって表紙に毎回鳥が銀色印刷されているんだけれど、これってすべてポーズが違うんだろうか。重複したりしていない?

以上。

あとは同じように読んだ人のブログ探して読んでみようっと。

完読総評! 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 全冊 - ウラジーミルの微笑

池澤夏樹の世界文学全集は、何が読まれているのか? - ボヘミアの海岸線

おまけ

余談だけど日本文学全集は第10巻「能・狂言説経節曾根崎心中女殺油地獄菅原伝授手習鑑/義経千本桜仮名手本忠臣蔵」だけ読んだ。長いがめっちゃ面白い

岡田利規「能・狂言」の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「荷六駄」の「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが(たぶん「太郎冠者、あるか」「御前に」あたりが原文だと思う)、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。現代語訳したのが演劇の人なので、声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。

同時に収録されている狂言には視覚障害者おちょくるとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者団体も作っていたみたいだし、ただの弱者ではない。だから近江絵みたいに風刺対象ともなっているんだろうか。

おしまい

2025-01-01

完璧生活習慣を目指すだけの一生を送りたい

もう家族とか友達とか仕事とか世の為人の為とか、地位名誉ももう全部どうでも良いから、心身の健康を最大化する事だけに集中して生きたい。

それはもう生きるために生きるという原始的で褒められた生き方ではないと言われるかも知れないが知ったことか。

人生健康で体から湧き出る最高な気分さえあれば他に何もいらないんだ。

2024-12-22

お義父さんお義母さんごめんなさい

娘って大切にされてるなあと思って欲しいのと

いつもお世話になっているお礼をこめて

嫁の両親を旅行にお連れし高級ホテルに泊まってもらった

ウェルカムスイーツにお義母さんの好きなものが出て(それきっかけで見つけた)

温泉好きのお義父さんのお眼鏡に叶う室内露天風呂(部屋は2人×2でとったので遠慮なくくつろいでいただける)

上質なドリンクお酒が楽しめるラウンジ

夜はふぐのコースなど

完璧のはずだった

夜までは

翌日の朝、俺の肛門近くには直近の仕事ストレスと義両親といることでの緊張、水分を摂ることを忘れていたことでありえないほどカチカチになったウンコがあった

部屋でウンコをすると匂いが残りそうで嫁が可哀想だったのでラウンジの近くにあったトイレに駆け込んだ

しかし硬すぎて出ない

俺の人生で一番硬いウンコだ なぜ今?

どんなにふんばっても出ないので気を取り直してラウンジミルクと水を気休めに飲んでから再度トイレに向かう

出ない

ウンコ 硬すぎる 出ない どうすればいい」と調べる

Google「指で掻き出しましょう、ウンコに指を引っ掛けてズルっとやりましょう」

できるかそんなことアホかお前人の立場と状況考えろ

そんなこと29年の人生したことねえしウンコに指引っ掛けるってなんだよ原始人かよ絶対しねえよアホか

憤慨し一度外の空気を吸って気分転換をする

嫁には「ごめん!ちょっと仕事電話するわ💦」とLINE

再度トイレ

出ない

これ以上長引くとチェックアウトの時間が近づいてしま

嫁と2人ならまだ笑い話になるがさすがに義両親の前でこんなこと言えるはずがない

頼りになる男に娘は大切にされていると思ってもらいたい

ウンコが出なくて泣きそうになって額に汗をかいている男と思われたくない

俺は決心した

この素晴らしいホテルの素晴らしいトイレ肛門に指を突っ込みウンコを掻き出すしかない

覚悟を決めて指を突っ込む

最初は逆にウンコを奥に押し込んでしまったりしたがウンコを細かく掻き出すことに成功最後はズルッと出た エクスタシーすら覚えた

ウンコは意外にも臭くなかった 心から安堵したか匂いなど分からなかったというのもあるかもしれない

しかし指にはしっかりとウンコ匂いが残った

香り高いハンドソープで洗うが、洗浄力が微妙なのか何度洗っても取れない

申し訳ないと思いながらもフロントでアメニティメイククレンジングをいただく 快く笑顔差し出してくださる

それを必死で指にすりこみ匂いが落ちることを願う

願い虚しく指先にはほんのりウンコ匂いが残った 嗅がないと分からないレベルにはなったが

俺は急いで部屋に戻り嫁と義両親と一緒にラウンジで帰りの車で飲むドリンクをいただいた そしてチェックアウト

ほんのりウンコ香りがする指で車を運転し義両親を義実家へとお送りした

幸い義両親はとっても喜んでくれて本当に良かった

お義父さんお義母さんごめんなさい

自分は綺麗なホテル必死に指でウンコを掻き出す情けない男です

しかし娘さんを大切にする気持ちはあります

今後ともよろしくお願いいたしま

あとGoogle先生ありがとう 最初はふざけるなと思ったけど原始的すぎて逆に自分では思いつかなかったし本当に助かりました

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