正示啓次郎
表示
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
正示 啓次郎 しょうじ けいじろう | |
---|---|
| |
生年月日 | 1911年5月16日 |
出生地 | 日本 和歌山県 |
没年月日 | 1994年4月17日(82歳没) |
出身校 | 東京帝国大学経済学部卒業 |
前職 | 国家公務員(大蔵省) |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
従三位 勲一等瑞宝章 |
第31代 経済企画庁長官 | |
内閣 | 第2次大平内閣 |
在任期間 | 1979年11月9日 - 1980年7月17日 |
選挙区 | 旧和歌山2区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 | 1960年11月20日 - 1983年11月28日 |
正示 啓次郎(しょうじ けいじろう、1911年5月16日 - 1994年4月17日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員、経済企画庁長官。位階は従三位。
来歴・人物
[編集]和歌山県出身。耐久中学、浪速高等学校文科甲類[1]を経て、1933年3月、東京帝国大学経済学部を卒業。1932年11月、高等試験行政科試験に合格。1933年4月、大蔵省に入り理財局属となる。1935年-1937年ニューヨーク駐在財務書記[2][3]、主計局総務課長、主税局次長、国税庁総務部長、同庁次長、大蔵省主計局次長、同管財局長、同理財局長などを歴任。1959年、農林漁業金融公庫副総裁に就任した。
1960年11月、第29回衆議院議員総選挙の和歌山県第2区に自由民主党から出馬し初当選。その後、1980年6月の第36回衆議院議員総選挙まで連続8回の当選を果たした。1983年12月の第37回衆議院議員総選挙に出馬したが落選。
衆議院議員としては、同院沖縄北方特別委員長などを務める。また、1965年6月に第1次佐藤内閣の外務政務次官、1979年11月、第2次大平内閣の国務大臣・経済企画庁長官に就任した。1994年4月17日死去。享年82。
その他、ユニバーサル証券参与を務めた。
参考文献
[編集]- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056。
脚注
[編集]
議会 | ||
---|---|---|
先代 渡辺美智雄 |
衆議院内閣委員長 1976年 - 1978年 |
次代 始関伊平 |
先代 床次徳二 |
衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長 | 次代 浅井美幸 |
公職 | ||
先代 小坂徳三郎 |
経済企画庁長官 第31代:1979年 - 1980年 |
次代 河本敏夫 |
官職 | ||
先代 河野通一 |
大蔵省理財局長 1957年 - 1959年 |
次代 西原直廉 |
先代 飯田良一 (心得) |
大蔵省管財局長 1955年 - 1957年 |
次代 森永貞一郎 (事務取扱) |
先代 東條猛猪 |
大蔵省主計局次長(筆頭) 1952年 - 1955年 |
次代 原純夫 |
先代 国税庁総務部長 |
国税庁次長 1951年 - 1952年 |
次代 高橋衛 |
先代 新設 |
国税庁総務部長 1949年 - 1951年 |
次代 国税庁次長 |
先代 主税局次長 |
大蔵省主税局監理部長 1948年 - 1949年 |
次代 廃止 |
先代 新設 |
大蔵省主税局次長 1947年 - 1948年 |
次代 主税局監理部長 |
先代 河野一之 (事務取扱) |
大蔵省主計局総務課長 1947年 |
次代 河野一之 (事務取扱) |