Nothing Special   »   [go: up one dir, main page]

コンテンツにスキップ

小濱新次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小濱 新次
こはま しんじ
生年月日 1915年5月12日
出生地 日本の旗 日本 茨城県結城郡千代川村(現在の下妻市
没年月日 (2005-07-30) 2005年7月30日(90歳没)
出身校 海軍航海学校高等科
前職 海軍兵学校教員
露天商
力士
所属政党無所属→)
公明党

選挙区 旧神奈川3区
当選回数 4回
在任期間 1967年1月30日 - 1976年12月9日
1979年10月8日 - 1980年5月19日

選挙区 西区選挙区
当選回数 2回
在任期間 1959年 - 1967年
テンプレートを表示

小濱 新次(こはま しんじ、1915年大正4年)5月12日[1] - 2005年平成17年)7月30日[1])は、日本の政治家衆議院議員(4期)を務めた[1]

経歴

[編集]

茨城県結城郡千代川村(現在の下妻市)出身[2]出羽海部屋に入門し、1930年10月場所で初土俵を踏む[2][3]

1936年(昭和11年)1月場所で幕下に上がったが、徴兵検査を受けて海軍に入り、横須賀鎮守府に勤務した[2]。その後は相撲界に復帰することなく、1941年(昭和16年)5月場所限りで廃業した[4]。最高位は東幕下10枚目だった[5]

後に海軍航海学校高等科で航海術を学び[4]海軍兵学校教員となる[6]。終戦後、神奈川県で露天商(下駄販売[7])を始め、第1回国民体育大会から相撲を再び取り始め神奈川県代表として出場した[8]

1959年(昭和34年)、横浜市会議員(西区選挙区)に就任し、2期務めた[2]

1967年(昭和42年)、第31回衆議院議員総選挙旧神奈川3区から公明党公認で立候補し当選した[9]。衆議院議員は通算4期務めた[10]

1980年(昭和55年)の第36回総選挙で次点で落選し[11]、政界を引退した。

2005年に死去した。生前は関東相撲連盟会長なども務めた。

栄典

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d 『現代物故者事典 2003~2005』241頁。
  2. ^ a b c d 相撲」2005年9月号 141頁。
  3. ^ 『VANVAN相撲界』1989年7月号 79頁。
  4. ^ a b 『VANVAN相撲界』1989年7月号 82頁。
  5. ^ 『VANVAN相撲界』1989年7月号 81頁。
  6. ^ 『VANVAN相撲界』1989年7月号 84頁。
  7. ^ 当時の部下だった金子勝雄(のち横浜市会議員)の証言。
  8. ^ 『VANVAN相撲界』1989年7月号 85頁。
  9. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』112頁。
  10. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』244頁。
  11. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』114頁。

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]
議会
先代
浅井美幸
 日本の旗 衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長
1973年 - 1974年
次代
松本忠助