海軍兵学校卒業生一覧 (日本)
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海軍兵学校卒業生一覧 (日本)(かいぐんへいがっこうそつぎょうせいいちらん(にほん))は、海軍兵学校 (日本)の卒業生・修了生の一覧である。なお、原則としてWikipediaに記事が存在する人物を掲載する[1][2]。
各人名の表記方法の意味については次の例示を参照のこと。なお同期、同階級については五十音順に配列する。
- 平時の自決、殉職
卒業生
[編集]1期
[編集]2名。
2期
[編集]3期
[編集]4期
[編集]5期
[編集]6期
[編集]7期
[編集]8期
[編集]9期
[編集]10期
[編集]11期
[編集]12期
[編集]13期
[編集]14期
[編集]築地時代の最後の卒業生。
15期
[編集]江田島移転後最初の卒業生。
16期
[編集]17期
[編集]18期
[編集]- 大将:安保清種・加藤寛治(首席)
- 中将:佐藤皐蔵・下村延太郎・吉岡範策・吉田清風
- 少将:秋沢芳馬・佐野常羽・平賀徳太郎・増田高頼
- 少佐:殖田謙吉
- 注:伏見宮博恭王(ドイツ帝国海軍兵学校・海軍大学校卒、18期相当として処遇)
19期
[編集]20期
[編集]21期
[編集]日清戦争に従軍した最も低い期。
22期
[編集]- 中将:吉川安平
23期
[編集]24期
[編集]25期
[編集]26期
[編集]27期
[編集]28期
[編集]29期
[編集]- 大将:高橋三吉・藤田尚徳・米内光政
- 中将:荒城二郎・大湊直太郎・八角三郎・米村末喜
- 大佐:井上清純・堀内宗平・中山友次郎・溝部洋六(首席)・有沢四十九郎
- 中佐:堀田正路
- 少佐:石丸藤太
- 大尉:相原四郎・佐久間勉
30期
[編集]- 大将:百武源吾(首席)
- 中将:今村信次郎・重岡信治郎・濱野英次郎・松山茂
- 少将:金子養三・鹿江三郎・館明次郎・ 常盤盛衛・森田登
- 大佐:上村従義・林忠次郎・津留雄三・松平胖・横尾敬義
- 中佐:下村忠助
- 中尉:池田宏平
31期
[編集]32期
[編集]卒業を繰り上げて少尉候補生として日露戦争に従軍する。
- 元帥大将:山本五十六
- 大将:塩沢幸一・嶋田繁太郎・吉田善吾
- 中将:井上継松・大野寛・堀悌吉(首席)
- 少将:太田質平・三戸基介・山内豊中
- 大佐:大関鷹麿・黒羽根秀雄・水城圭次
- 中佐:山県武夫
- 少尉:阿武天風・玉木信助
33期
[編集]- 大将:豊田副武・豊田貞次郎(首席)
- 中将:有地十五郎・有馬寛・阿武清・出光万兵衛・小野弥一・坂野常善・杉坂悌二郎・中村亀三郎・原敬太郎
- 少将:秋山虎六・植松練磨・小槙和輔・立花一・寺本武治・毛内效
- 大佐:猪瀬乙彦・蒲田静三・羽仁潔・渡辺汀
- 中佐:井上二三雄
34期
[編集]35期
[編集]明治41年(1908年)4月30日未明、卒業後の遠洋航海に際して台湾高雄港内で巡洋艦松島が爆沈し候補生33名が殉職する事故が起きる。
- 大将:近藤信竹(首席)・高須四郎・野村直邦
- 中将:小林宗之助・下村正助・谷本馬太郎・野田清・原五郎・星埜守一
- 少将:岡田偆一・佐藤脩・柴山昌生・島津忠重・町田進一郎
- 大佐:高橋忠治・高山忠三
- 中佐:国府尽平
36期
[編集]- 皇族:有栖川宮栽仁王
- 大将:沢本頼雄・塚原二四三・南雲忠一
- 中将:熊岡譲・近藤英次郎・坂本伊久太・佐藤市郎(首席)・清水光美・高橋伊望・細萱戊子郎 ・新見政一
- 少将:鈴木嘉助・竹田六吉・中杉久治郎・雪下勝美
- 大尉:安達東三郎
37期
[編集]- 皇族:北白川宮輝久王(小松輝久)
- 大将:井上成美
- 中将:岩村清一・太田泰治・大川内傳七・小沢治三郎・草鹿任一・桑原虎雄・後藤英次・桑折英三郎・小松輝久・鮫島具重・鋤柄玉造・戸苅隆始・原顕三郎・樋口修一郎
- 少将:飯倉貞造・岩下保太郎・春日篤・岸本鹿子治・木幡行・佐倉武夫・佐藤正四郎・中山道源・藤森清一朗・松永寿雄
- 大尉:武部鷹雄
- 中尉:阿部新治
38期
[編集]- 中将:稲垣生起・大野一郎・河瀬四郎 ・栗田健男・五藤存知 ・小林仁・須賀彦次郎 ・杉山六蔵・副島大助・戸塚道太郎・原清(首席)・牧田覚三郎 ・福田良三 ・松浦永次郎 ・三川軍一
- 少将:越智孝平
- 大佐:関田繁里
39期
[編集]- 大将:伊藤整一・遠藤喜一・高木武雄・山縣正郷
- 中将:阿部嘉輔・阿部弘毅・宇垣完爾 ・岡敬純・梶岡定道・角田覚治・金沢正夫 ・鎌田道章 ・ 志摩清英・田結穣・中村俊久・西村祥治 ・原田清一・原忠一 ・三輪茂義・和田操
- 少将:山崎助一
- 大佐:犬塚惟重・ 難波祐之
- 中佐:五十嵐恵・山口三郎
- 大尉:霜上正太郎
40期
[編集]- 元皇族:上野正雄
- 中将:阿部勝雄・阿部孝壮・ 宇垣纏・岡新(首席)・大西瀧治郎・岸福治・木村 進・吉良俊一・左近允尚正 ・鈴木義尾・妹尾知之・千田貞敏 ・醍醐忠重 ・多田武雄・寺岡謹平・福留繁・ 山口多聞 ・丸茂邦則・宮里秀徳・森国造・山口儀三郎
- 少将:秋山勝三・井原美岐雄・勝野実・城島高次・東郷 実・松本象二郎・三木森彦・森徳治
- 大佐:山下知彦
41期
[編集]- 中将:秋山輝男・一瀬信一・市丸利之助・上野敬三・大杉守一・大田実・ 大森仙太郎・木村昌福・草鹿龍之介 ・澤田虎夫・高柳儀八・田中頼三・ 中原義正・橋本信太郎・原田覚・保科善四郎・前田稔・松永貞市・山崎重暉
- 少将:柿本権一郎・古宇田武郎・星野応韶
- 大佐:青木泰二郎
- 少佐:草刈英治
- 大尉:国分正三
42期
[編集]- 中将:秋山門造・有馬馨 ・伊崎俊二 ・市岡寿・大西新蔵・ 金子繁治 ・河野千万城・小柳冨次・小林謙五・近藤泰一郎・白石万隆・長谷川喜一・ 三戸寿・ 山田定義
- 少将:石川信吾 ・岡田次作・奥田喜久司・加来止男・鍋島俊策・美濃部貞功・森友一・渡辺清七
- 大佐:島津信夫
43期
[編集]- 中将:有馬正文・伊集院松治・岩淵三次・柴崎恵次・中澤佑・矢野志加三・矢野英雄
- 少将:濱野力(首席)・堀内多雄(次席)石井敬之・伊藤良秋・小川貫爾・大林末雄・小畑長左衛門・上阪香苗・黒木剛一・高木惣吉・田中菊松・鳥越新一・橋本象造・三好輝彦・山形政二・横井忠雄・横川市平・吉見信一
44期
[編集]- 中将:佐藤康夫・篠田勝清・渋谷紫郎・ 早川幹夫
- 少将:朝倉豊次・大野竹二・加瀬三郎・鹿目善輔・ 黒島亀人 ・ 栗原悦蔵 ・小島秀雄 ・島本久五郎・野元為輝・松田千秋・湊慶譲・牟田口格郎 ・柳本柳作
- 大佐:石原二郎・西田正雄
45期
[編集]- 皇族:伏見宮博義王
- 中将:有賀幸作
- 少将:浅野新平、今里博 ・岡田為次・菊池朝三・北村昌幸・古村啓蔵・佐々木半九・渋谷清見・富岡定俊・長井満・中瀬泝・平出英夫・松原博・松本毅 ・森下信衛
- 大佐:吉村真武
- 中佐:岡村徳長
46期
[編集]- 皇族:山階宮武彦王
- 中将:猪口敏平・貝塚武男・杉浦嘉十・安田義達
- 少将:阿部俊雄・小川莚喜・香川清登 ・亀井凱夫・酒井原繁松・高田利種(首席)・平井昌平・前田精・柳澤蔵之助・山本岩多・山本親雄・横井俊之
- 大佐:加藤榮吉・田村久三・前田直
47期
[編集]48期
[編集]49期
[編集]11月入校から7月入校に変更される。
50期
[編集]51期
[編集]士官と同様の長ジャケット型制服に変更される。
- 少将:木阪義胤、木梨鷹一・戸上一郎・山本祐二・永井貞三
- 大佐:有泉龍之助 ・井浦祥二郎・稲葉通宗・榎尾義男・扇一登・大井篤・実松譲・島村信政・溪口泰麿・樋端久利雄(首席)・小園安名・豊田隈雄・花房博志・三代一就・山田盛重・横田稔・若色伊三郎
- 中佐:工藤俊作
- 少佐:黒井明・堤正之
52期
[編集]- 皇族:高松宮宣仁親王
- 少将:入佐俊家
- 大佐:庵原貢・伊藤茂 ・猪口力平・宇都木秀次郎 ・遠藤忍 ・源田実・柴田武雄 ・清水洋・鈴木正一・立花止・玉井浅一・内藤雄・原田毫衛・福地周夫・淵田美津雄
- 少佐:生田乃木次
53期
[編集]ワシントン海軍軍縮条約の影響で採用者が激減する。
54期
[編集]ワシントン海軍軍縮条約の影響で引き続き採用者が激減した。戦死者を除き中佐以下で終戦を迎える。
55期
[編集]53期、54期で激減した採用者は52期の半分程度にまで復活した。
56期
[編集]57期
[編集]58期
[編集]59期
[編集]60期
[編集]61期
[編集]62期
[編集]63期
[編集]64期
[編集]65期
[編集]66期
[編集]67期
[編集]68期
[編集]69期
[編集]在学期間が3年となる。
70期
[編集]71期
[編集]72期
[編集]73期
[編集]74期
[編集]採用生徒数が1000名を超える。兵学校始まって以来、初の在校生徒の戦死者が出る。
75期
[編集]敗戦により閉校する事が決定したため、急遽、卒業式を行い75期生には卒業証書を、それ以降の生徒には修了証書を与えた。
- 皇族:賀陽宮治憲王
- 青木彰・赤池弘次・石井勝・岩崎俊一・ 太田敏郎・岡田善雄・尾崎巌・久保正大・小菅卓夫・小林公平・小林登・佐藤和男 ・佐藤英夫・茂野録良・篠原宏・高橋玄洋・平松一朗・古谷俊夫・松野良寅・松本善明 ・三好達・ 吉田學
76期
[編集]77期
[編集](生徒)
海軍兵学校予科
[編集](予科生徒)
- 有馬正高・今井敬・早坂暁・小口高・小沢昭一・栄久庵憲司・小畠郁生・加藤武・木田元・木谷順行・佐野洋・多田省吾・田中稔・佃公彦・友部達夫・成田豊・平林鴻三・深代惇郎・吉田庄司・古田幸男・福島重雄・中島道郎
海兵士官学校より転入
[編集]機関科
[編集]- 機関中将:山本安次郎
留学
[編集]退寮・退学
[編集]脚注
[編集]- ^ 海軍兵学校を考える会によってほぼ完全な一覧が作成されている。
- ^ 江田島市江田島町津久茂の品覚寺には、同寺を訪れた海軍兵学校の生徒が名前を記すとともに心境などを書き添えた「津久茂帳」と呼ばれる記名帳があり、明治37年(1904)から昭和20年(1945)までの記名簿は21冊、記録された名は3000人余りにのぼる。