森越太郎
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森 越太郎(もり えつたろう、1867年10月11日(慶応3年9月14日[1]) - 1957年(昭和32年)11月3日[1])は、日本の海軍軍人、最終階級は海軍中将。
人物
[編集]尾張国前飛保村(現・愛知県江南市)出身[2]。1889年(明治22年)に海軍兵学校を卒業し、翌年に海軍少尉に任官した[3]。軍令部参謀、大本営参謀、陸軍大学校教官、海軍大学校教官、高雄艦長、沖島艦長、三笠艦長、海軍水雷学校校長、海軍技術本部第二部長を歴任した[3][4]。1918年(大正7年)、海軍中将に昇進し、翌年に予備役に編入された[3]。
その後、愛知時計電機株式会社顧問を務めた[3]。
1944年には地元の前飛保にすずり箱を寄贈。それは現在でも同市内の白山社の蔵に保管されている[2]。
栄典
[編集]- 位階
- 1891年(明治24年)12月14日 - 正八位[6]
- 1894年(明治27年)12月28日 - 従七位[7]
- 1898年(明治31年)3月8日 - 正七位[8]
- 1904年(明治37年)8月30日 - 正六位[9]
- 1908年(明治41年)12月11日 - 従五位[10]
- 1914年(大正3年)1月30日 - 正五位[11]
- 1918年(大正7年)12月28日 - 従四位[12]
- 1919年(大正8年)2月28日 - 正四位[13]
- 勲章等
脚注
[編集]- ^ a b 日本海軍将官辞典 2000.
- ^ a b 地域新聞尾北ホームニュース 2014年1月1日号
- ^ a b c d 最新業界人事盛衰録 1931.
- ^ 人事興信録 1928.
- ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、42頁。NDLJP:1276156。
- ^ 『官報』第2539号「叙任及辞令」明治24年12月15日
- ^ 『官報』第3453号「叙任及辞令」1895年1月4日。
- ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
- ^ 『官報』第6355号「敍任及辞令」1904年9月3日。
- ^ 『官報』第7640号「叙任及辞令」1908年12月12日。
- ^ 『官報』第451号「叙任及辞令」1914年1月31日。
- ^ 『官報』第1923号「叙任及辞令」1918年12月29日。
- ^ 『官報』第1971号「叙任及辞令」1919年3月1日。
- ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
- ^ 『官報』第3866号・付録「辞令」1896年5月21日。
- ^ 『官報』第5525号「叙任及辞令」1901年12月2日。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 通俗経済社編『最新業界人事盛衰録』通俗経済社、1931年。
- 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。