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鋤柄玉造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鋤柄 玉造(すきがら たまぞう、1889年明治22年)9月23日[1] - 1955年昭和30年)1月18日[1])は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将功三級[2]

経歴

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愛知県出身[1][2]1909年(明治42年)海軍兵学校第37期卒業[3]1920年(大正9年)海軍大学校甲種20期卒業[4]

1931年(昭和6年)10月、第13潜水隊司令を経て、同年12月、海軍大佐に進む[2]。ついで、1932年(昭和7年)12月に「迅鯨」艦長、1933年(昭和8年)10月に「大鯨」艤装員長、1934年(昭和9年)3月に「大鯨」艦長を経て、同年11月、海軍潜水学校教頭に転じ、翌年11月、「金剛」艦長に任じられた[2]1936年(昭和11年)12月、佐世保防衛隊指令に転じ、1937年(昭和12年)12月、海軍少将に進級と同時に第3潜水戦隊司令官を発令された[2]

軍令部出仕を経て、1938年(昭和13年)9月、第2根拠地隊司令官に任官し、広東へ赴任[1]。翌年11月に帰朝し、舞鶴鎮守府附、1940年(昭和15年)5月、第5潜水戦隊司令官、1941年(昭和16年)5月、第1潜水戦隊司令官を経て、再び軍令部に出仕し、同年10月、海軍中将に進級し、羅津特別根拠地隊司令官を発令され、太平洋戦争に突入する[5]

1942年(昭和17年)9月、軍令部出仕となり、同年12月に予備役に編入[6]1944年(昭和19年)5月、召集を受け船舶警戒部長を務めたのち、1945年(昭和20年)9月、召集解除となった[6]

1947年(昭和22年)11月、公職追放の仮指定を受けた[7]

著作

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  • 述『事変と我海軍』横浜貿易協会、1938年。

脚注

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  1. ^ a b c d 福川 2000, 205頁.
  2. ^ a b c d e 外山 1981, 142頁.
  3. ^ 外山 1981, 139頁.
  4. ^ 外山 1981, 付録第一7頁.
  5. ^ 福川 2000, 205-206頁.
  6. ^ a b 福川 2000, 206頁.
  7. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、69頁。NDLJP:1276156 

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。ISBN 482950272X 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500034