出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
島津 久林(しまづ ひさもり)は、薩摩国薩摩藩家老日置島津家第8代。
日置島津家は、島津宗家15代当主島津貴久の三男島津歳久に始まり、2代常久以降に薩摩国日置(現・鹿児島県日置市日吉町日置)を領した。明治33年(1900年)に島津久明が男爵に叙され華族となった。
元禄4年(1691年)11月10日、薩摩藩日置島津家嫡子久健の長男として生まれる。
元禄12年(1699年)3月28日、鹿児島城に登城して元服。藩主綱貴が烏帽子親となり、理髪役は国老島津久輝が務め、島津又吉久昌と名乗った。[1]
享保12年(1727年)10月4日、家督を相続して薩摩国日置領主となる。元文3年(1738年)藩内の家格制定により、一門に次ぎ一所持より上の家格の大身分筆頭と定められた。[2]
寛保3年(1743年)閏4月23日、隠居して家督を嫡男久甫に譲る。
明和4年(1767年)閏9月25日、死去。
日置家8代当主(1727-1743) |
---|
宗家 |
忠久????-1227 | 忠時1227-1265 | 久経1265-1284 | 忠宗1284-1318 | 貞久1318-1363 | 総州家と奥州家に分裂
|
---|
総州家 |
師久1363-1376 | 伊久1376-1404 | 守久1404-???? | 久世????-1417 | 久林1417-1430 | 断絶
|
---|
奥州家 |
氏久1363-1387 | 元久1387-1411 | 久豊1411-1425 | 忠国1425-1470 | 立久1470-1474 | 忠昌1474-1508 | 忠治1508-1515 | 忠隆1515-1519 | 勝久1519-1526 | 貴久1526-1566 | 義久1566-1587 | 義弘1587-1602 | 家久1602-1638 | 光久1638-1687 | 綱貴1687-1704 | 吉貴1704-1721 | 継豊1721-1746 | 宗信1746-1749 | 重年1749-1755 | 重豪1755-1787 | 斉宣1787-1809 | 斉興1809-1851 | 斉彬1851-1858 | 忠義1858-1897 | 忠重1897-1968 | 忠秀1968-1996 | 修久1996-現在
|
---|
|
越前家 | |
---|
播磨家 | |
---|
伊作家 |
久長1281-1317 | 宗久1317-1354 | 親忠1354-1371 | 久義1371-1422 | 勝久1422-1433 | 教久1433-1442 | 犬安丸1442-1458 | 久逸1458-???? | 善久????-1494 | 忠良1494-1526 | 相州家相続
|
---|
薩州家 |
用久????-1459 | 国久1459-1498 | 成久1498-???? | 忠興????-1525 | 実久1525-1553 | 義虎1553-1585 | 忠辰1585-1595 | 断絶
|
---|
相州家→ 垂水家 | |
---|
豊州家 | |
---|
玉里家 |
久光1871-1887 | 忠済1888-1915 | 忠承1915-1990 | 忠広1990-現在
|
---|
加治木家 | |
---|
佐土原家 |
忠興1610-1637 | 久雄1637-1663 | 忠高1663-1676 | 久寿1676-1690 | 惟久1690-1723 | 忠雅1723-1753 | 久柄1753-1785 | 忠持1785-1816 | 忠徹1816-1839 | 忠寛1839-1896 | 忠亮1896-1909 | 忠麿1909-1926 | 久範1926-1944 | 忠韶1944-1973 | 忠範1973-現在
|
---|
重富家 | |
---|
和泉家→ 今和泉家 | |
---|
宮之城家 | |
---|
永吉家 | |
---|
日置家 | |
---|
北郷氏→ 都城家 | |
---|
佐多氏→ 知覧家 | |
---|