はてなキーワード: 体育館とは
コロナ全盛期の頃の話なんだけど
ワイは市民ミュージカル団体の代表をやっていて、新規参加者の募集もやってる
自治体管理の体育館を借りてやっているので、団員は自治体指定の方法で管理しなくてはならない
「体育館利用予定日の前月末までに利用者の『氏名・生年月日・住所・電話番号』を名簿化して提出しろ。その名簿に載っていない人間の利用は一切認めない。」と言い出した
従うしかないので、新規参加希望者の方からは会う前に『氏名・生年月日・住所・電話番号』を俺に申告してもらうことになった
直球盛り盛りの個人情報の塊なので、正直俺も知りたくないんだが、名簿を作れと言われたので作らざるを得ない
そんでとある女が応募してきたので、俺が
「じゃあ募集要項にも書いてますが、必要なので『名前・生年月日・住所・電話番号』教えてください。」って言うと
たぶん募集要項をよく読まずに応募してきたんだろうけど
女「個人情報取り扱いのためのプライバシーポリシーは策定していますか?」とか言い出すんだよね
はぁ!?20名弱でやってる程度で金も集めてない趣味団体でプライバシーポリシー????
この段階で「あぁ、この人募集要項読まずに応募してきて個人情報教えたくないから断りたいけど、募集要項読まずに応募した自分の責任を認めたくなくて相手の責任にして断りたいんだな。」と気づいた
まあそこでこっちから断ってもよかったんだけど、おんなじようなこと言い出す人はこれからもいるかもなと思い、インターネット参考に3時間かけてプライバシーポリシー作った
そんで「このプライバシーポリシーに則って個人情報を使用管理します」って送ったら
特に理由も書かないで「やはり今回の参加は見送らせていただきます」だってさ
最初っから「うっかり見逃してましたが、個人情報提出するのが嫌なのでやっぱやめます」って言えばいいのにね
どうしてそう言えないんだろう
いじめられてたわけじゃないけどヤンキーが多くていやな環境だった
とにかく自分の都合のいいようにならないとブチギレるやつで嫌な奴だったけど逆らえないのでみんな渋々友達のような顔してる環境だった
でも当然反発するやつもおってそいつとヤンキーと同じような席になって案の定ちょっとしたいざこざになって殴られて鼻血出して俺が仲裁にはいるよくあるパターンだった
帰る時間に3階から降りるときヤンキーがトイレに行ったのでそのすきに一緒のタイミングにならないよう駆け足で帰るやつもいて、これから毎日あんな感じかなぁと思いながら玄関まで行った
玄関から帰った方が近かったので当時俺は玄関にこっそり靴を隠してた
えっ?と顔をあげると俺に向けてのおつかれだった
おつかれ、ってまた言ってきたのでおつかれと答えた
そんなこと言う奴じゃなかったのにな
鼻血のやつもなーあいつなんか変に勘違いしとるわーって独り言いいながら体育館の方に消えていった
そういうところで目が覚めた
時の砂粒は誰の掌でも等しく零れ落ちるわけではない。私は工場の窓ガラスに頬を押し付けながら、凍てついた冬空を眺めていた。遠くで鴉の群れが鉛色の雲を切り裂き、廃棄物置き場に降り立つ。ベルトコンベアのリズムに同期するように、記憶の歯車が軋み始める。
学生時代の図書室で、埃っぽい哲学書の間に挟まっていた自分。黄昏時の自転車置き場で、恋人の待ち合わせに浮き足立つ同級生たちを横目に、ただチェーンロックを掛ける手元を見つめていた自分。就活会場の鏡に映った、ネクタイの結び目が常に微妙に歪んだ自分。それら全てが、今この油臭い作業服のポケットの中で錆びたコインのように冷たく重たい。
「君の時間は溶解炉で精製されたアルミニウムインゴットと同じだ」
上司が新人時代に呟いた言葉が、溶接機の火花に混じって脳裏を掠める。均一な寸法、規格化された純度、交換可能な存在価値。十二年間、私は製品検査機が合格判を押す音を、自分という存在の承認音だと錯覚していた。
葬儀の夜、仏壇の蝋燭が襖に投げかける影が、両親の面影を演じる。母が編みかけていた芥子色のマフラーが編み棒にぶら下がり、父の眼鏡が新聞の折込チラシの上で小さな宇宙を形成している。遺品整理とは、消えゆく時間の化石を発掘する作業だと悟る。
工場の更衣室で、ロッカーを空けるたび舞い上がる鉄粉が、銀河の塵のように光る。私の勤務表は既に別の名前で埋まっている。工具箱の底で、学生証の写真が若き日の自分を嘲笑う。あの頃の一日が、今の一ヶ月分の密度を持っていたことに、遅すぎる気付きが胸を締め付ける。
雪解け水が軒先で滴る音が、沙時計の音に聴こえる晩。私は納屋の梁にロープを掛けながら、奇妙な計算をしていた。余命36年=13140日=315360時間。これを分割可能なら、受験生には集中力のピーク時の100時間を、余命宣告の患者には家族と過ごす1週間を、世界記録に0.01秒届かなかった陸上選手には、たった一度の深呼吸をする時間を。
首輪が軋む瞬間、窓の外で冬枯れの桑の枝がぽつりと折れた。その音が、遠い記憶の体育館で聴いた跳び箱の落下音と重なる。人生最後の自由落下で、ようやく理解した。時計の針が刻むのは等速運動ではない。密度によって膨張し収縮する相対値だと。そして最も高価な時間とは、誰かに捧げられることを待ちわびていた無償の時間だと。
天井の梁がきしむ。足元で埃が螺旋を描く。ふと、小学校の理科室で見た水の分子模型を思い出す。H₂Oの結合角が104.5度であるように、人生にも最適な角度があったのかもしれない。しかし今となっては、ただ重力に身を任せるだけだ。
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/002615620030226004.htm
次に、東京集中は自然に起こっているんだ、これは経済の流れであると言う人がおりますが、これは全く間違いでございます。
戦後、昭和十六年体制、あるいは一九四〇年体制と言われる中で、官僚が猛烈な勢いで東京一極集中を無理やり進めてまいりました。そのやり方というのは、まず、産業、経済の中枢管理機能を全部東京に移す。そのために、全国的な産業団体の事務局は東京都に置かなければならない、二十三区に置かなければならないという指導を徹底しました。
だから、もともと大阪にありました繊維業界の団体も、強引に、あの日米繊維交渉のときに無理やり東京に移しました。十年かけて移しました。名古屋にありました陶磁器工業会も移しました。京都にあった伝統産業振興会も東京に移しました。
かくして、主要な企業の本社は東京に移らざるを得ない。団体が東京に移りますと、団体の長になるような大企業の社長は、何々工業会の団体長になりますと週に三回ぐらい東京に呼び出される仕掛けになっていますから、地方に本社を置いていられない。これでどんどんと移転した。これが第一であります。
二番目は、情報発信機能を、世界じゅうで類例がなく、日本だけが東京一極集中いたしました。
例えば、印刷関係で申しますと、元売を東京一極に集中しております。今これがまた問題になっておりますけれども、東京にしか日販とかトーハンとかいう元売会社はございません。したがって、関西で出版していたエコノミストやPHPは発行が一日おくれる。大阪で印刷した本を川一つ挟んだ尼崎で売るためにも、必ず東京へ持ってこなけりゃならなくなっております。これは非常に強い犠牲でございます。したがって、雑誌の場合は締め切りが一日早くなる。これで東京以外で雑誌をつくることができなくなりまして、全部東京へ無理やり移しました。これは国土政策懇談会でも何回も問題になりましたが、政府、官僚の方は頑固に譲りません。香川県や長野県でも元売をつくろうという動きがありましたけれども、ことごとくつぶされてしまいました。
また、電波につきましては、世界に類例のないキー局システムをつくって、キー局は東京にしか許されていない。そして、キー局でないと全国番組編成権がございませんから、すべて東京都スルーの情報しか流れないようになっています。
さらに、文化創造活動も東京に集中いたしました。だから、特定目的の施設、例えば歌舞伎座でありますとか格闘技専門体育館でありますとかいうのは、補助金の関係で東京にしかつくれないようになっています。これで歌舞伎役者は全員東京に住むようになって、関西歌舞伎は一人もいなくなりました。あるいはプロレス団体も、東北地方にみちのくプロレス、大阪に大阪プロレスがあるだけで、四十団体はことごとく東京に集められました。
https://www5.cao.go.jp/99/e/kgiji/19990531chiiki.html
ここにも記述してありますが、日本の地域政策は、昭和初め、昭和16年ごろの決定がございまして、日本全体を有機型地域構造にするというような決定がございました。有機型というのは、人間の体のようにするということです。人間の体であれば頭は1つだということで、全国の頭脳機能を1つに集める。それは首都東京でなければいけない。
頭脳機能というのは、産業・経済の中枢管理機能と、情報発信機能と、文化創造活動である、こう定めました。そして、各地に地方中核都市をつくりまして、北海道なら札幌、東北6県なら仙台、中国なら広島とする。ここは地方限りの頭脳機能をもつ。各県限りのものは、県庁所在地に置くという、段階的なヒエラルキーをつくりました。
そして、すべての文化創造活動、情報発信機能、産業・経済の中枢管理機能を東京に集めることにする。その手法として様々なことがとられました。例えば、産業・経済の中枢管理機能を東京に集めるためには、各産業別、職業別に全国団体を作り、この全国団体の本部事務局は東京都に置かせるという政策をとりました。
私が通産省に入りました1960年代は、まさにこの政策を継続し、強化する真っ最中でございました。この方針に反して地方に、東京以外に、全国団体の本部があると、一日も早く東京へ来なければいけない。その対象になりましたのが、大阪にありました繊維業界、名古屋にありました陶磁器業界の2つでございまして、繊維業界については再三圧力をかけておりましたけれども、なかなか成功しませんでした。ところが、うまい具合に68年に、あの日米繊維交渉、これを折衝するにあたって、まずアメリカと折衝する前の条件は、紡績協会が、各種団体が東京に本部を移すことだ、こういう話をいたしました。
当時の局長室に、「敵は米国にあらず、大阪なり」という有名な看板を掲げられて、新聞にも出たことがあります。
いろいろ折衝したのですが、なかなか職員も大勢おられてそう簡単にいきませんで、日本繊維工業連合会という屋上屋の団体をつくりました。
銀行協会などもずっと東京にあったのですが、銀行協会長は東京にある銀行からしか出さないということがずっと続いて、三和と住友はダメということになっておりました。それが、70何年でしたか、本社機能を東京に移すことを条件に、まず住友銀行、次いで三和銀行が会長銀行になりました。それぞれ、会長銀行になると勲一等がもらえる、こういう仕掛けになっております。
それから、名古屋の陶磁器工業会も70何年に移転しまして、今は、陶磁器輸出組合だけが名古屋に残っております。
同様に、情報発信機能につきましても、非常に厳格に東京集中を行いました。吉本さんも東京へ進出しておられるようでございますけれども。そのもとになっているのは、NHKにつきましては全国放送は東京中央放送局から行う、民放につきましてはキー局は東京都にしか置いてはいけない。準キー局というのが大阪や、名古屋や、福岡や、札幌にあります。キー局でなければ全国番組編成権がないのです。準キー局は、キー局から番組と時間を割り当てられて放送するという仕掛けになっていまして、近畿地方だけとか、中国地方だけというのならいいのですが、それ以外はダメ。だから、例えば、広島カープという球団が広島球場で試合をやっているときでも、これを全国放送するときには東京のキー局でなければ放送できないというので、東京のテレビ局から全員が行っているというような仕掛けになっているわけです。
それから、全国的な文化創造活動を東京に集めるという仕掛けはどうしたかといいますと、特定の目的をもった文化施設は東京以外につくらせない。これは補助金交付規則で決めた。他のところでは、汎用性のある、劇場でいいますと多目的ホール、体育館でいいますと一般体育館(これはバレーボール、バスケットボールが2面取れる平場があるということが条件であります)、展示場でいいますと一般団体用展示場・美術館でなければいけない。格闘技専門の体育館とか、歌舞伎専門の劇場とかいうのは、東京以外につくってはならないということにしたのです。これも厳格に守られていまして、今でも、格闘技専門の体育館というのは、東京には、国技館、武道館等4つほどありますが、東京都以外ではまだないです。それから、歌舞伎座も、最近は南座が改装して、松竹座も民間ではやっていますけれども、国立劇場は両方とも東京へつくったというような形で、かなり厳格に守られております。
そうしますと、劇団や楽団をやる人のうち、素人は多目的ホールでも、歌舞伎は歌舞伎らしきものができますが、劇団や楽団を本格的にやる人は本物のところでないとできませんから、結局、東京でないと劇団はやれないということで、関西歌舞伎はなくなりました。シンフォニーも13か14が東京にある。25のうち6割以上が東京にある。ニューヨークでも5つぐらいなのに、東京だけ13も14もあるような格好になっている、というような仕掛けを作りました。
女子トイレの方が広い設計なんだよな。男子の個室は2個で小便器が三つが標準、女子は個室が6つと言う仕様。もち和式。ただし小さい学校なので、児童用のトイレは2カ所しか無いんだけど。
で、ちらっと問題になったのが、男児で立ちションがうまくできない子ってのが一定数いて、その子達がどうしても個室を使うので足りないのではないかとかそう言う話も出ていた。
昔は学校でうんこするとイジられるイメージだったが、時代はかわったものだなと。そう思ったのであります。
みたいな考えがあったわけですよ
で、俺は冬が一番好きだと言いたいんだけど、心が弱いので、わかりやすい秋の魅力に屈してしまって、本当の本音をいうならば秋が一番好きだということになる、と考えていた
しかし、最近、つってもこの2日くらいだけど、なんか寒さが和らいで、ほんの少しだけ春っぽい気配すら感じるくらいになってきてさ、なんか、春、良くね?みたいな 春にならねえかな、みたいな気持ちが出てきつつあるわけですよ
俺は夏が明確に嫌いで、春もそんなに好きではない(毛虫とか多いし)はずなので、冬が終わり春が来ることは歓迎されることでは全然なく、ゲッ、春かよ〜!となるはずだった
でもこう、なんつうかな、心浮き立つ感じがあんのよ
3〜4月くらいの、ちょっとまだ肌寒い時期に、外をうろついて、その辺に咲いてるインディーズの桜(花見の名所とかではないという意味)に目を留めたりしたいなあ!とか思っちゃうわけ
そしてなんか、大学生の頃の、どうでもいい一幕、ホントどうでもよくて、なんのエピソードにも紐付かない、サークルの練習後の夕方に市民会館を2階の出口から出たら、近くに咲きかけの桜があって、高さがあるから蕾もよく見えてさ、みんなで「もう春かぁ〜、つうかよく考えたら来週ってもう4月?!」みたいな話をしてたような、そういうことを思い出すわけ
あと、小学校の卒業式で、体育館に並べられたプランターから花の匂いがしてた感じとか、そういうこと
春が好きなのはいいとしても、思い出に浸っていてはいけないなと思う
春の思い出をバシバシ作りだして、ドンドン上書きしていきてえな、と思い始めた
なんかこう、タケノコのおにぎりとか作って、すげー遠出してひとりで食ったりしてえ
そういう思い出で、過去を塗りつぶしていきてえ
俺は、過去に勝つ
そして春にも勝つ
30年前 避難所で起きていた性被害 - Yahoo!ニュース
(黒瀬久美子さん)「レイプにあったっていうのを、直接彼女から聞いています。体育館の舞台裏、支援物資がいっぱい積んであるんですね。死角になるんですね。支援物資の整理を手伝ってくれないかみたいな形で。行って、その裏で」
避難所で性被害にあったという相談をたびたび受けたといいます。
(黒瀬久美子さん)「校舎のトイレに行こうと思ったら距離があるわけです。1人で行ったら見られた、触られた、ついてこられたとか、引っ張られたとか。こういう性暴力って本当に言えないだけに、言いにくいだけに、傷が深いですし、何年も何十年もかかるんですよね。抱え込んでいく」
震災の前から神戸で、女性の支援活動を行っていた正井禮子さん(75)のもとにも、性被害を訴える声が寄せられていました。
しかし、寄せられた「声」を世間に発信すると、一部のメディアはこれに懐疑的な目を向けたといいます。
(正井禮子さん)「神戸にダーティーなイメージをつけるなと言う人も多かった。性暴力を許さないって言ったことがなぜこんなにもたたかれるのか訳がわからんと思った。でもすごくたたかれるから」
(正井禮子さん)「被災地に希望をもたらす、被災地に光をもたらす報道をしようというのは、メディアの暗黙の了解だったと言われました」
なぜか、私へのあたりは強い。上司だけでなく、妻も。
今までの上司はみな、私には、「やめちまえ!」と厳しい態度をとる。なのに、年次考査ではいつもいい評価をくれる。
叱って育てたいとか思ってるのだと思う。
妻の稼ぎは、妻の交際費や嗜好品だけで消えて、生活費はおろか妻のスマホ代まで私持ちだし、にも関わらず家事は折半だったが、ことあるごとに怒鳴る。
「自分の言ったことをよく考えて」と言ったら、ものすごい形相で、トラウマになるくらい罵声を浴びせてきた。
その日以来、マンション内にベルリンの壁ができて、私は預けていたキャッシュカードを返してもらえないので、キャッシュカードを止めた。
ある日、彼女の荷物がなくなり、合い鍵と、キャッシュカードを止められた文句の手紙だけが残っていた。
女は、脳がサルの時代からアップデートされていないので、親切にすると感謝されるどころか、毛づくろいしてくれる格下の相手と認識するらしい。
戻れるなら、大学時代に戻りたい。
今考えると、誰もが同じ目的で集まりながらも、誰も他人の心に土足で上がってこないところがよかったのだと思う。
たまに、高校生や大学生が集団でやってくることがあり、彼らはキャッキャしながらお互いに重量を競ったりしたが、長続きしない。
長つづきするのは、自分と向き合って、他人を気にしない人たちばかりだった。
非力な男性をバカにすることも、肥満の女性をバカにすることもなく、それぞれがそれぞれのペースで、黙々とトレーニングしていた。
私は、体重の割にけっこうな重量を挙げられるようになって、ちょっとした大会でそこそこの成績をおさめた。
誇らしかったが、誰にも自慢していない。
ヒトより体を鍛えても、暴力に使うことはおろか、威嚇することもしないのが誇りだった。
見くびられるくらいでちょうどいいと思ってた。
あれから20年、誰になにを言われても、なにをされても平気な振りをしつづけたけど、ついに壊れた。
もう働きたくない。
家にもいたくない。ずっと自室に引きこもっていたい。
今までの貯金で、妻と子供を養っても向こう10年くらいは、なんとか生活できると思う。
その時、私は53歳。
うまく運用すれば、60歳まで逃げ切れるかもしれない。
とにかく、もう部屋から出たくないのに、妻は働いてほしいという。
みんな私を追い詰める。
まずな、髪型がビシッと決まってへんかったんや。ストレスで自分で切ってもうて、クルクルやったわ。
そんでな、ウェイ系が「ジミーズ」言うて俺らを見下してきよったんや。
バレーボール部やったけど、球拾いしかさせてもらえんくて、グレて体育館の外で関係ないことして遊んでたんや。
部活最後の試合ではキレてもうて、「殺せー!」言うて応援してたわ。
勉強については、授業中は寝てたし、塾にも行ってへんし、自学もしてへんかった(テストでは平均以上の順位やったけどな)。
周りの人間全員が敵やったから、仲の良い友達もあんまりおらんかったわ。
一人だけ近所に住む友達がおって、そいつとだけはキャッチボールとかして遊んでた。
中学時代の連中が年末に集まって焼肉食うことになっとるけど、嫌な思い出しかないし、こいつらはどうせ俺を見下してるんちゃうかと思うと、行く気せえへんわ。
・面白かった
・画面と音楽がオシャレや…
・画面が2000年代初頭のFUDGEのような
両立した映画、初めて
美しい…ってなった
声出して笑った
・斜めのツリーおもろい
ホスト精神は未熟な面のある偏屈ジジイなりの「がんばり」が伝わってきていい
面白いい
する程度には関係が砕けてきてたり、相手のメンツを立ててやるか
って思う程度には関係が深まってる(しかしまだ打ち解け100%では
手つき目付きが手練手管でエ⬜︎〜ってなった
・主人くんはモテる
ちょいちょい「足、長すぎませんか?」ってなった
地で風と木の詩じゃないですかー!
やったー!
主人公くんに成長をみた 顔つきもしっかりして…大人になって…!
・画面作りは昔なのに扱ってるテーマが2024年!って感じがして
不思議な感じがした
・グリーンブックの車?
・アジア人差別よくないネタで韓国人に人力車煽りして的外れ流れ、
的確〜ってなった
しかし白人の中にアジア人顔つきがいるだけでアジア人ってだけで
・先生でNHKで再放送やってる名探偵ポアロドラマ版ちょいちょい思い出した
・ちょいちょい「ここでお酒飲んで車で帰るということは飲酒運転なのではないですか?」
という場面があった ちゃんと観れてないのかマジで飲酒運転におおらかな時代だったのか
本で生計立てられることを祈ってる…
最初の体育で女子みんなでブルマの上にジャージはいてたら、男の体育教師が「何やってるさっさとジャージを脱げー!!」と怒鳴り散らして脱がされたの頭おかしい。
世間ではブルセラショップが流行ってるっつーのに、マラソンで下着みたいな服で町中走らされ足をジロジロ見られるクソみたいな思い出。
当時は風紀に厳しくて、スカートを短く改造してないかとか、たまに抜き打ちで体育館に並ばされて、おっさん教師どもが足元ジロジロ見て指導してきたけど、ミニスカートは許せないのに何でパンツみたいな体操服を強要するんだよ。
こういう話になると、ブルマは女が広げたんですーと騒ぐキモオタ男が居るけど、女性が考案して広げた当時の膝下丈のブルマと名前が同じなだけで全くの別物じゃん。
元増田にわりと近い?年代で共産党推薦の尾形氏に投票したので書いてみる。元増田のようにさっくり上手い文章書けなかったらごめんね。
名古屋市民歴は25年くらい、奥さん子持ち(小学生1人)で前回の衆院選比例では国民民主、今回は尾形氏に投票したよ。
悩んだ際の選択肢は2つ、元国民民主の大塚氏か共産党推薦の尾形氏か。
当日、大塚氏に勝ち目がありそうなら大塚氏に、そうでないなら意思表示として尾形氏に入れるかと考えていてまぁだいたい予想通りの結果になった。
もともとの課税に対する考えはほぼ元増田に近かったんだけど子どもに知的ではない発達障害の傾向があって公的扶助を受けていてちょっと変わってきたよ。
他の多くの支援と同じで子育て支援も多くの場合、年収制限がある。
知的障害ではないというのと増田がそこそこ稼いでいる(かといって富裕層というわけでもない)のが合わさっているとそれがなかなか厳しい。
うちの子のように「支援さえあれば人並みにいろいろできるだろうなぁ(願望)」という場合では公的な支援は受けられないことが多く、その場合は自腹、マンパワーと技術がいるのもあって教育費高い。
でも自分ですべてを教えるのは無理だし自分の子どものことだからがんばって払うけどさ。
という前提があったので各種支援から所得制限を外そうと動いてくれている国民民主党と大塚氏のことは市長選前から気にかけていた。
https://x.com/DPFPnews/status/1620258237902893056
国民民主党は中間層の手取りを増やす政策の優先度は高いが減税はそのオプションの1つで税金を集めて再分配をするのは認めているし小さな政府を目指しているわけではないという認識。
あとは子どもの支援によく動いてくれているのは住んでいる地域は共産党市議の方、もう少し広い範囲では立憲の方になる。国民民主党の方はみたことない気がするけど市内では民主党会派の一部で希少価値高いので仕方ないのかも。というわけで共産党には恩義を感じている。前提ここまで。
という流れで今回の大塚氏の公約で子どもに関する政策2つは給食無償化、子どもパス共に所得制限なし。言行一致で増田的には問題ないかな、というところ。
元増田にも書かれていたけど広沢氏の案では世代年収700万で制限となっているので奥さんも働いているわが家には関係なく…あと子どもの発達障害の関係で知り合った人たちには親にも特性ある場合が多く、こういった書類を学校などから受け取ってきても最初からもらうことを諦めているケースが多い。「いやいやこの紙持って区役所行って聞いてみようよ、もらえたらラッキーと思ってさ」といって連れていったこともあるので名古屋市に限らずできる限り子どもの支援は親を通さずとも受けられるようにしてほしい。
現在、国会では基礎控除、〇万の壁を壊す話がブームだが広沢氏の案が成立すると世帯年収700万に巨大な壁ができるのもなーというところ。
下のリンクは選挙期間内にはてブでみた資料。ほかに名古屋市が公開している資料はみつからなかった
https://www.city.nagoya.jp/zaisei/page/0000099733.html
年100億近くの税収の減収と市内総生産は減少~やや増、とやる価値あるんかなぁくらいの感じなんだけどこれ、調査の仕方おかしくないか?
毎年やってもいいと思うんだけど。これをみてすぐ辞めようではなく就任後に調査・検討いるって言える大塚さんえらいわ、と思ったけどそれを逃げだと思う人がいるのもわかる。でも減税したから大幅に税収増えたっていうのは言いすぎだよね。
減税の影響かとにかく公教育に金がなくて貧弱。
うちの子のように支援がいるのとは別に学校が雑巾の寄付を募る、校内の防火シャッターが壊れても予算がないので修理は来年度、避難所にもなる小学校の体育館にエアコンついてない(これは26年度までに小学校には整備される。中学校はそのあと)とか言い出すときりがない。最近では運動会で綱引きやるのにロープが足りないとか聞いたっけ。
少し前に市の小学校がPTAからお金受け取って問題になっていたけどテレビとか備品買う予算がないのが原因だからさぁ…
このあたりが自分の中ではウェイト大きくて河村氏後継の広沢氏は支持できなかった。
氷河期世代のはしくれで子どもの特性もあり河村さんの政策の中で良かったのは全国に先駆けてスクールカウンセラー(小学校はかけもちで週複数回訪問、中学は常駐で正規雇用)を設置したことなんだけど今回の選挙では話題にものぼっていなかったので自分と子どもはマイノリティなんだなぁと感じられたのもけっこうつらい。
選挙公報の内容はそう。QRコード読んでまでみてくれるのはよっぽどのファンかマニアだけ。
あと増田の行動範囲では大塚氏の選挙カーはみなかったが広沢氏の選挙カーは何度かみた。大塚氏のXでは繁華街を中心に回っていたようだけど市内全域すべて回る勢いで行かないとダメだったように思う。名古屋市民で大塚さんを知らない人はいても河村さんを知らない人はいない。こどもでも知ってる。この状況だとスタートにも立ててないよ。。
任期のほとんどは今の市議会で少数会派継続なのでたいしてなにもできない気がする。
10%減税は河村さんが強硬に反対していたマイナンバー利用とデジタル化で行革が進められて100億捻出できれば議会が説得できるかも?活用したいよねマイナカード
ただ1つ、元増田の身銭を切って~は賛同しかねる。これは誰も得しない。政治信条はともかく立憲米山さんのような頭脳はまれで政治家の多くは活動にプロのアドバイスが必要になるが年800万ではその依頼は不可能に近い。公約にした以上、広沢氏はやめられないだろうが河村氏が支給されている経費が議員より多い立場で給与削減に反対する議員を攻撃する材料にしていたのはよくないと思っていた。
後継者が企業創業者である広沢氏であるのも象徴的で資産家でないと市長選の対抗馬になれないようにしている。共産会派も一緒になってやってるので顔見知りの共産議員に言っても「そうはいってもねー」と流されてしまうが。
http://blog.livedoor.jp/minami758/archives/1144863.html
(追記)
読んでくれた人、元増田氏、ブクマコメントくれた方々ありがとう
(共産党に入れたって書いたらもっとボコボコに叩かれるのを心配していた)
ここに書いても伝わらないかもしれないけど以下、目についたとこだけですがレスします
うまく伝えられなくてすいません、大塚氏が勝てない状況で尾形氏が勝てると思っていたわけではないです。
実際のところ、市長が広沢氏でも大塚氏でも私が元気で働けているならさほど日々の生活には影響がなく大塚氏のほうがやや楽になるかな、子どもによい体験を積ませてあげられるかな、という程度です。
でも私が病気等で働けなくなった場合に今後の市長選や市議会選で共産党候補が泡沫候補として見えない存在とされてしまい会派が縮小してしまうと、子どもの生きづらさが格段に上がる可能性があるということです。
市内で国民民主は強い勢力とは言えないので協力とはいえ他の党にお願いして回るのはやりづらさがあったのかな、と思います。それでもやるべきだったとも。