赫連 昌(かくれん しょう)は、五胡十六国時代の夏の初代皇帝赫連勃勃の三男で、第2代皇帝。もとの名は折。 赫連勃勃の部将として活躍し、424年の後継争いで太子を殺した廃太子を討ち取って自分が太子となった。425年に即位すると、北魏に敗れ、427年に都統万城を落とされ上邽に逃亡し、翌年秦州に奔った所を捕らえられた。太武帝の庇護下で会稽公となり(428年 - 430年)、太武帝の妹の始平公主を娶り、次いで秦王となった(430年 - 434年)。434年に後継の弟の赫連定が殺されて夏が滅亡すると、謀反と西走を試み誅殺された。