工学寮(こうがくりょう)は、明治初期に工部省の中に設置された技術者養成部局で、工部省が必要とする技術者を工学校、修技校、海外留学制度を通して一元的に養成しようとした。 すぐに修技校は各寮司のもとに置かれ、工学寮は工学校(小学校と大学校から構成)だけを管轄するようになり、その教師団長にヘンリー・ダイアーが就任すると大学校のみ開校された。 校舎敷地は、現在の千代田区霞が関三丁目、文部科学省および金融庁のある一帯(霞が関コモンゲート、江戸時代の日向内藤家上屋敷跡地)にあった。