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田寺俊信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田寺 俊信(たでら としのぶ、1882年明治15年)12月30日[1] - 没年不詳)は、日本の内務警察官僚。官選県知事姫路市長。族籍は兵庫県平民[2][3]

来歴

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兵庫県出身。兵庫県議会議長・田寺敬信の長男[2][4][5][6]第三高等学校を卒業。1909年東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業[2][5]1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、内務省に入省し鳥取県属となる[1][7][8]

以後、鳥取県試補、同県八頭郡長、同理事官・庶務課長、高知県理事官・教育課長、同地方課長・視学官奈良県理事官・教育課長・視学官、奈良県警察部長、長野県警察部長、香川県内務部長、埼玉県内務部長、愛知県警察部長などを歴任[1][7]

1926年9月28日、大分県知事に就任。狂犬病の対策などに尽力[7]1927年5月17日、知事を休職[9]1929年9月10日、滋賀県知事に就任。濱口内閣の方針に従い緊縮予算を提出し県会多数派の政友会と対立。さらに産米検査の実施を近江米同業組合の実施から県営に移管することを提案するが県会で二度否決され、田寺は内務大臣の指揮を受け原案を執行した[10]1931年1月20日、石川県知事に転任[11]。同年12月18日、知事を休職[12]1932年2月5日、依願免本官となり退官した[13]

1934年9月6日、姫路市長に就任。教育施設の充実、産業振興に尽力。市長を一期務め1938年9月5日に退任した[1]

人物

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1914年家督を相続する[4]。住所は兵庫県飾磨郡高岡村[4]。趣味は読書、旅行[6]

家族・親族

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田寺家
親戚

脚注

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  1. ^ a b c d 『日本の歴代市長』第2巻、957頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第6版』た42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月9日閲覧。
  3. ^ a b 『人事興信録 第7版』た51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月10日閲覧。
  4. ^ a b c d 『人事興信録 第10版 下』タ16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月9日閲覧。
  5. ^ a b 『帝国大学出身名鑑』タ10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月9日閲覧。
  6. ^ a b c 『大衆人事録 第3版』タ之部14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月20日閲覧。
  7. ^ a b c 『新編日本の歴代知事』1067頁。
  8. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』199頁。
  9. ^ 『官報』第113号、昭和2年5月18日。
  10. ^ 『新編日本の歴代知事』638頁。
  11. ^ 『新編日本の歴代知事』457頁。
  12. ^ 『官報』第1493号、昭和6年12月19日。
  13. ^ 『官報』第1529号、昭和7年2月6日。
  14. ^ 山脇圭吉 1934, p. 269.

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
  • 校外調査会編『帝国大学出身名鑑』校外調査会、1932年。
  • 山脇圭吉「日本帝國家畜傳染病豫防史(12)」『中央獸醫學雑誌』第47巻第4号、日本獣医学会、1934年、247-269頁、doi:10.1292/jvms1932.47.247NAID 130001714363 
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1984年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。