泉州市
中華人民共和国 福建省 泉州市 | |
---|---|
洛陽橋 | |
福建省中の泉州市の位置 | |
中心座標 北緯24度55分 東経118度35分 / 北緯24.917度 東経118.583度 | |
簡体字 | 泉州 |
繁体字 | 泉州 |
拼音 | Quánzhōu Shì |
カタカナ転写 | チュエンヂョウ シー |
閩拼 | Chôan-chiu-chhī |
閩東語 | Cuòng-ciŭ-chi |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 福建 |
行政級別 | 地級市 |
政府所在地 | 豊沢区 |
市委書記 | 張毅恭 |
市長 | 蔡戦勝 |
面積 | |
総面積 | 11,015 km² |
人口 | |
総人口(2017) | 865 万人 |
経済 | |
GDP(2017) | 7,548 億元 |
一人あたりGDP | 87,260元 |
電話番号 | 595 |
郵便番号 | 362000 |
ナンバープレート | 閩C |
行政区画代碼 | 350500 |
市花 | 刺桐花、含笑花[1] |
公式ウェブサイト: http://www.fjqz.gov.cn/ |
泉州市(せんしゅうし、拼音: チュエンヂョウシー、閩南語白話字:Chôan-chiu-chhī ツアンチューチー)は中華人民共和国福建省に位置する地級市である。居住人口は約865万人(2017年)で、福建省で最多の人口を持つ。かつては海上交易の中心地として繁栄し、イブン・バットゥータやマルコ・ポーロはこの都市(ザイトン、イタリア語: Zaiton[2]、閩南語: 刺桐)の繁栄を記録に残している。ザイトンは街路樹のアブラギリがある街とアラビア人が命名し、ヨーロッパに伝わった名前。五代十国時代の中期から後期、晋江王留従効によって建てられた清源軍(平海軍)政権はここに定都し、そのため「千年の古都」[3][4][5][6]と「閩南の古都」[7][8][9]と称される。2021年、泉州市は「泉州:宋元中国の世界海洋商業貿易センター」として、世界文化遺産の一つに登録された[10]。
地理
[編集]泉州は別名鯉城、刺桐、温陵とも言い、福建省東南部にある。市内に戴雲山脈があり、晋江が流れる。近隣の都市としては、約150キロメートル北東の福州、75キロメートル南西の廈門などが挙げられる。
歴史
[編集]春秋時代(前770年-前403年)に、越(前600年-前334年)の領土となった。
戦国時代(前475年-前221年)になると、前306年に楚が越を滅ぼし、百越の土地に越人が流れ込み閩越(前306年-前110年)が成立。
秦代(前221年-前207年)の前222年に閩中郡を設置、開発が行われこの土地に本格的な行政区が設定された。
260年(永安3年)に呉により東安県(現在の南安市)が設置された。
西晋(265年-316年)末に発生した中原における戦乱(八王の乱)により中原より移民が多く流入し、中原の先進的な技術や文化をこの地に伝えている。
南朝梁の天監年間(502年-519年)には南安郡の郡治が設置された。
589年に隋が泉州と改称した。606年に閩州に戻され、607年に建安郡と改称されて郡制が施行された。
唐代(618年-907年)に州制が施行されると700年(久視元年)に武栄州が設置され、711年(景雲2年)に再び泉州と改称され現在までこの名称が使用されている。唐代にはベトナムやインド、アラビア半島にまで及ぶ海上交易ルートが確立し、明州や広州と並ぶ貿易港となった。760年の揚州大虐殺や、878年の広州大虐殺の影響で、西方への国際貿易が泉州や福州に集中した。
909年に王審知が福州で閩国を建国。しかし、その後の内乱で福州の治安が悪くなると、泉州に国際貿易が集中するようになった。
945年、南唐は閩国を攻め滅ぼしましたが、泉州は自治を維持しました。947年、留従効が支配する泉州は南唐から事実上の独立を得ました。949年、南唐は清源軍を設置し、泉州と南州(漳州)を管轄し、留従効を清源軍節度使に任命し、後に留従効を晋江王に封じました。964年、北宋はそれを平海軍と改名しました。清源軍は事実上独立した割拠政権であり、4主29年(949年-978年)の歴史があり、その領域は現在の閩南と莆田を含み、泉州がその首都でした。留従効が泉州を統治する際、海外貿易を大力に拡大し、泉州城を拡張し、城内に刺桐樹を植えるよう命じました。泉州は「刺桐城」として世界的に有名になりました。978年、平海軍節度使の陳洪進は北宋に投降するよう強制され、史称「泉漳納土」です[11][12][13]。
1279年に崖山の戦いで南宋(1127年-1279年)が滅亡すると、元朝(1271年-1368年)に協力したアラブ人の蒲寿庚が重用され港湾都市として発展した。「陶磁の道(海のシルクロード)」の拠点として漢人のほかにもアラブ人やペルシャ人などが居住する国際都市として発展し、『アラビアンナイト』にも「船乗りシンドバッド」の住む舞台として登場する事からも中世イスラム世界にも知られた都市であったことが推察され、またマルコ・ポーロの『東方見聞録』には「ザイトン[14]」の名称で紹介されている。14世紀にはイブン・バットゥータも訪れ、『三大陸周遊記』に約100艘の大型ジャンクと数え切れないほどの小型船が停泊する「世界最大の港」と記している。
明代(1368年-1644年)には海岸線の後退に伴い港湾都市としての機能が失われ、海上交易の中心地は長楽[15]や廈門などに移行していった。一方で、永楽帝の治世の頃から、鄭和が当時南洋と呼ばれた東南アジアの呂宋国(現フィリピン)、マジャパヒト王国(現インドネシア)、マラッカ王国(現マレーシア)との貿易を海賊から保護したため、南洋へ労働者として赴き、華僑、華人となった人も多くでた(南洋貿易)。泉州は琉球からの貿易船の指定港でもあり、商館「来遠駅(泉州琉球館)」があったが、1472年に福州に移った[16]。
現地では、南安、恵安、永春、晋江など、出身地ごとに同郷コミュニティーを作り、会館を建てて、経済的や人的サポートを行った。中には、ゴムのプランテーション、食品加工、新聞発行などで、財をなした者もいた。
中華人民共和国成立後は行政改編が相次いだが、1986年1月に地級市としての泉州市が成立し現在に至っている。
行政区画
[編集]4市轄区・3県級市・5県を管轄する。
泉州市の地図 |
---|
年表
[編集]泉州専区
[編集]- 1949年10月1日 - 中華人民共和国福建省泉州専区が成立。恵安県・晋江県・南安県・安渓県・永春県・同安県・莆田県・仙游県・金門県が発足。(9県)
- 1950年9月2日 - 泉州専区が晋江専区に改称。
晋江地区
[編集]- 1950年10月17日 - 永安専区徳化県を編入。(10県)
- 1950年11月1日 - 晋江県の一部が分立し、泉州市が発足。(1市10県)
- 1956年3月26日 - 閩侯専区永泰県・福清県・平潭県、永安専区大田県を編入。(1市14県)
- 1956年7月21日 - 平潭県の一部が福清県に編入。(1市14県)
- 1957年3月 - 同安県の一部が竜渓専区竜渓県に編入。(1市14県)
- 1958年8月8日 - 同安県が廈門市に編入。(1市13県)
- 1959年8月1日 - 永泰県・平潭県・福清県が閩侯専区に編入。(1市10県)
- 1963年4月27日 - 大田県が三明専区に編入。(1市9県)
- 1970年2月17日 (1市8県)
- 莆田県・仙游県が閩侯専区に編入。
- 廈門市同安県を編入。
- 1970年12月 - 金門県(中華人民共和国が統治する区域=嶝島群島のみ)が同安県に編入。(1市7県)
- 1971年6月17日 - 晋江専区が晋江地区に改称。(1市7県)
- 1973年6月5日 - 同安県が廈門市に編入。(1市6県)
- 1983年4月28日 - 莆田地区莆田県・仙游県を編入。(1市8県)
- 1983年9月9日 (1市6県)
- 莆田県の一部が分立し、地級市の莆田市となる。
- 莆田県・仙游県が莆田市に編入。
- 1985年5月14日
- 泉州市が地級市の泉州市に昇格。
- 晋江県・恵安県・南安県・安渓県・永春県・徳化県が泉州市に編入。
泉州市
[編集]- 1985年5月14日 - 晋江地区泉州市が地級市の泉州市に昇格。鯉城区・郊区を設置。(2区6県)
- 1985年12月22日 - 郊区が鯉城区に編入。(1区6県)
- 1987年12月17日 - 晋江県の一部が分立し、石獅市が発足。(1区1市6県)
- 1992年3月6日 - 晋江県が市制施行し、晋江市となる。(1区2市5県)
- 1993年5月12日 - 南安県が市制施行し、南安市となる。(1区3市4県)
- 1997年6月3日 - 鯉城区の一部が分立し、豊沢区・洛江区が発足。(3区3市4県)
- 2000年4月12日 - 恵安県の一部が分立し、泉港区が発足。(4区3市4県)
経済
[編集]泉州は福建省の経済中心地であり、GDPは23年間に渡って福建の第一位であった(1999年-2021年)。安渓県は中国屈指の烏龍茶の産地であり、ほかにも晋江市などの靴(中国の3大産地の一つ)、南安市の石材、徳化県などの磁器(中国の3大産地の一つ)、永春県の酢(中国の4大名酢の一つ)などを有する。
言語
[編集]文化
[編集]閩南語を用いた伝統芸能が盛んである。無形文化財に相当する「国家級非物質文化遺産」に指定されている「南音」、「泉州北管」、「泉州拍胸舞」、「梨園戯」、「高甲戯」(柯派)、「泉州提線木偶戯」、晋江布袋木偶戯(指人形劇)、恵安の石彫り、泉州花灯、徳化磁器の焼き物技術、恵安の女服飾、打城戯、五祖拳、水密隔艙福船製造技術、烏龍茶製造技術、閩南伝統民家建築技術、霊源の時茶、南安英都抜抜灯、蟳埔の漁村女性の習俗、泉州(李尭宝)刻紙(切り紙絵)、木の人形の頭の彫刻、安海嗦囉嗹の習俗などがある。
観光
[編集]名勝
[編集]- 山
- 海
- 深滬湾海底古森林自然保護区(晋江市)
- 崇武古城(恵安県)
- 橋
名所・旧跡
[編集]- 泉州開元寺(鯉城区)
- 泉州府文廟(鯉城区):封建時代の教育施設。現在では市民の教育の場として開放され、様々な催しが開かれている。
- 清浄寺(イスラム教)(鯉城区):清浄寺の名称で中国十大寺院のひとつにも挙げられるほど知られるモスク。北宋の1009年に基礎が作られ、閩南式の拝殿を持つが、現在は東隣に新しいコンクリートのモスクが建造されている。
- 泉州天后宮(鯉城区):航海を祈願する場所として媽祖を祀り、華僑の間では信仰が篤い。
- 通淮関岳廟(鯉城区):関羽と岳飛を祀る霊廟。市内で随一の信仰を集める。
- イスラム教聖墓(イスラム教)(豊沢区)
- 草庵(マニ教)(晋江市)
伝統的建物
[編集]公園
[編集]博物館
[編集]- 泉州博物館(豊沢区)
- 中国閩台縁博物館(豊沢区)
- 泉州海外交通史博物館(豊沢区)
- 泉州華僑歴史博物館(豊沢区)
- 泉州イスラム教博物館(豊沢区)
教育
[編集]下記の高等教育機関を有す
- 公立大学:華僑大学、泉州師範学院、福州大学晋江キャンパス、福州大学石油化工学院泉港キャンパス、福建農林大学安渓茶学院(デジタル経済学院)、福建医科大学第二臨床医学院
- 私立大学:仰恩大学、閩南理工学院、閩南科技学院、泉州信息工程学院
- 私立の学部独立学院:福州大学至誠学院晋江キャンパス、福州大学至誠学院泉港キャンパス、福建農林大学金山学院(安渓)
- 私立の学部専門学校:泉州職業技術大学
- 公立専門学校:黎明職業大学、泉州医学高等専科学校、泉州幼児師範高等専科学校、福建電力職業技術学院、泉州経貿職業技術学院、泉州工芸美術職業学院
- 私立専門学校:泉州工程職業技術学院、泉州軽工職業学院、泉州紡織服装職業学院、泉州海洋職業学院、泉州華光職業学院
交通
[編集]空港
[編集]鉄道
[編集]バス
[編集]道路
[編集]- 高速道路
- 国道
世界遺産
[編集]
| |||
---|---|---|---|
洛陽橋 | |||
英名 | Quanzhou: Emporium of the World in Song-Yuan China | ||
仏名 | Quanzhou : emporium mondial de la Chine des Song et des Yuan | ||
面積 |
536.08 ha (緩衝地帯 11,126.02 ha) | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
文化区分 | 遺跡 | ||
登録基準 | (4) | ||
登録年 | 2021年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター | ||
使用方法・表示 |
10世紀から14世紀にかけて、泉州市が東アジアおよび東南アジアの海上貿易ネットワークの拠点として繁栄していたため、市内には11世紀のモスク、ムスリムの墓、行政庁舎、石造りの埠頭、製陶と製鉄の遺跡、古代の交通網と橋、パゴダ、石碑などの様々な考古遺跡が見られる。第44回世界遺産委員会拡大会合で2021年7月25日、中国政府が推薦した「泉州:宋元中国の世界海洋商業貿易センター」(遺産地点16ヶ所、ID:1561rev)を審議し、「世界遺産リスト」への登録を決定した[10]。
指定資産
[編集]UNESCO公式サイトによると、16ヶ所の資産からなる[19]。
- 旧市街(1561rev-001、市舶司遺跡、徳済門遺跡、天后宮、南外宗正司遺跡、府文廟、開元寺、清浄寺を含む)
- 順済橋遺跡(1561rev-002)
- 真武廟と江口埠頭(1561rev-003)
- 石湖埠頭(1561rev-004)
- 六勝塔(1561rev-005)
- 万寿塔(1561rev-006)
- 安平橋(1561rev-007)
- 草庵の摩尼光仏造像(1561rev-008)
- 洛陽橋(1561rev-009)
- イスラム教聖墓(1561rev-010)
- 老君岩造像(1561rev-011)
- 九日山祈風石刻(1561rev-012)
- 磁竈窯系金交椅山窯跡(1561rev-013)
- 徳化の窯跡(尾林・内坂窯跡、1561rev-014)
- 徳化の窯跡(屈斗宮窯跡、1561rev-015)
- 安渓青陽の下草埔製鉄遺跡(1561rev-016)
登録基準
[編集]この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
脚注
[編集]- ^ “泉州市树市花细说古城 刺桐成片成林含笑香满街巷”. 2021年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月12日閲覧。
- ^ マルコ・ポーロ、『東方見聞録』
- ^ “千年の古都泉州、装い新たに”. 法新社(日本)转引人民日报海外版. (2022年12月26日) 2023年1月16日閲覧. "泉州市は街角の生活文化から旧市街地の刷新を実現し、市井の人々の間から古都の文化を広げ、多様性のある文化空間をつくり、発展のなかで歴史と文化ある地域を守っていこうとしている。"
- ^ “多彩贵州航空将新开贵阳-泉州航线”. 中国新闻网. (2021年7月28日) 2023年3月1日閲覧. "纯粹原始的闽南文化,在这里讲述着千年古都的大气风范,守护着中华的古老文明。"
- ^ 何宏耀、肖宁遥 (2019年5月24日). “传中国璀璨文化 展华夏盛世风采” (简体中文). 厦门大学国际中文教育学院/海外教育学院. 2023年3月1日閲覧。 “华文系教师代表和各班优秀留学生代表一行36人来到千年古都——泉州进行文化考察。”
- ^ 何婧莹 (2017). 泉州创意产业分析与改进对策研究——以“领袖天地”为例 (硕士 thesis). 华侨大学. 2023年3月1日閲覧。
作为千年古都、海上丝绸之路起点的泉州有先天优势
- ^ “柏林中国文化中心举办“中国影像节”展映 暨泉州主题文化沙龙”. 中国新闻网. (2022年7月16日) 2023年1月16日閲覧. "中心工作人员对闽南古都泉州的历史文化进行了简短介绍。"
- ^ “閩南古都泉州遊”. 澳门日报. (2020年11月18日) 2023年3月1日閲覧。
- ^ “泉州:值得吃货专程前往的福建美食之都!”. 搜狐. (2020年1月15日) 2023年3月1日閲覧. "这里是“爱拼才会赢”的精神原乡,闽南古都泉州。"
- ^ a b “Quanzhou: Emporium of the World in Song-Yuan China” (英語). UNESCO World Heritage Centre. 2023年5月14日閲覧。
- ^ “留晓宏:"晋江王"留从效后人,面朝开元寺春暖花开”. 2021年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月8日閲覧。
- ^ “乾德年间(963〜968年)”. 2019年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月26日閲覧。
- ^ 风雨江山三百年:两宋白话史
- ^ ザイトンは、「刺桐」の閩南音、もしくはアラビア語で「オリーブ」を意味する「ザイトゥーン」(زيتون)に由来する。
- ^ 鄭和が寄港したのがザイトンではなく長楽であったことから、明初の1400年代頃には海岸線が後退していたとみられる。
- ^ しまぬゆ 1: 1609年、奄美・琉球侵略「しまぬゆ」刊行委員会、図書出版 南方新社, 2007、p78
- ^ 县级以上行政区划变更情况 - 中華人民共和国民政部
- ^ 福建省 - 区划地名网
- ^ “Quanzhou: Emporium of the World in Song-Yuan China - maps” (英語). UNESCO World Heritage Centre. 2023年5月17日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 泉州市人民政府
- 泉州府文廟
- 東アジア文化都市――中国、泉州
- 泉州観光(日本語)