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岡本悟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岡本悟
おかもと さとる
生年月日 1913年7月13日
出生地 広島市南区松原町
没年月日 1988年11月12日
出身校 東京帝国大学法学部法律学科
前職 運輸事務次官
所属政党 自由民主党
称号 正四位
勲二等旭日重光章

選挙区 全国区
当選回数 2回
在任期間 1965年7月7日 - 1977年7月3日
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岡本 悟(おかもと さとる、1913年7月13日[1] - 1988年11月12日)は、日本政治家官僚参議院議員(2期)。

経歴

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広島市南区松原町出身[2]旧制広島一中旧制広島高等学校卒業。1937年(昭和12年)、東京帝国大学法学部[2]法律学科卒業。同年、鉄道省入省[2]。大阪鉄道局書記[3]。運輸省観光局長、大臣官房長、鉄道監督局長を務める。

1963年(昭和38年)4月19日-運輸事務次官就任。1964年(昭和39年)、運輸事務次官退任[2]

1965年(昭和40年)、第7回参議院議員通常選挙全国区当選。 1971年(昭和46年)、第9回参議院議員通常選挙再選。 1972年(昭和47年)、七日会(田中派)理事。1977年(昭和52年)、第11回参議院議員通常選挙に立候補せず、引退。

1985年(昭和60年)、秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章(勲五等からの昇叙)[4][5]1988年(昭和63年)、死去。死没日をもって正六位から正四位に叙される[6]

役職

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  • 参議院議員として、運輸委員長・国土総合開発審議会委員等[2]
  • 1960年(昭和35年)6月-放射線審議会委員[7]
    • 7月-放射線審議会幹事[8]
  • 1963年(昭和38年)4月28日-放射線審議会委員免職[9]

脚注

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  1. ^ 『日本人事録 第6版 全国篇』235頁。
  2. ^ a b c d e 岡本 悟」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%20%E6%82%9Fコトバンクより2022年12月20日閲覧 
  3. ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、320頁
  4. ^ トランスポート 56-60ページ 1986年1月 運輸振興協会
  5. ^ 『官報』号外第132号1頁 昭和60年11月5日号
  6. ^ 『官報』第18540号7-8頁 昭和63年12月10日号
  7. ^ 人事異動
  8. ^ 人事異動
  9. ^ 人事異動

参考文献

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  • 『日本人事録 第6版 全国篇』中央探偵社、1963年。
官職
先代
朝田静夫
日本の旗 運輸事務次官
1963年 - 1964年
次代
広瀬真一
先代
山内公猷
日本の旗 運輸省鉄道監督局長
1960年 - 1963年
次代
広瀬真一
議会
先代
小笠公韶
日本の旗 参議院物価等対策特別委員長
1974年 - 1976年
次代
中村登美
先代
谷口慶吉
日本の旗 参議院運輸委員長
1969年 - 1970年
次代
温水三郎