占部秀男
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占部秀男 うらべ ひでお | |
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生年月日 | 1909年2月11日[注釈 1] |
出生地 | 日本 神奈川県 |
没年月日 | 1978年10月13日(69歳没) |
出身校 | 日本大学商科卒業 |
前職 | 東京都職員 |
所属政党 |
(日本社会党→) (左派社会党→) 日本社会党 |
称号 |
正四位 勲二等旭日重光章 |
選挙区 |
(全国区→) 東京都選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1956年7月8日 - 1974年7月7日 |
占部 秀男(うらべ ひでお、1909年(明治42年)2月11日[1][注釈 1] - 1978年(昭和53年)10月13日[2][3])は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員。
経歴
[編集]神奈川県出身[2][3]。1929年(昭和4年)日本大学商科を卒業した[2][3]。
1929年、東京毎夕新聞社に入社[3]。その後、東京都主事に転じた[3]。労働運動に加わり、東京都職員労働組合委員長(7期)、全日本自治団体労働組合(自治労)委員長(5期)、官公労議長などを務めた[2][3]。自治労政治部長、同東京都本部地方選挙対策委員長として、美濃部亮吉革新知事の実現に尽力した[2]。
1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で全国区に日本社会党公認で出馬して落選[4]。1953年(昭和28年)4月の第3回通常選挙で全国区に左派社会党公認で出馬して落選[5]。1956年(昭和31年)7月の第4回通常選挙に全国区から社会党公認で出馬して初当選[6]。以後、第6回通常選挙(全国区)、1968年(昭和43年)7月の第8回通常選挙(東京都地方区)でも再選され[7]、参議院議員に連続3期在任した[2][3]。この間、参議院逓信委員長、同公害対策特別委員長、社会党中央執行委員、同東京都本部委員長、参議院社会党副委員長などを務めた[2][3]。
1978年(昭和53年)死去、69歳。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈、正四位に叙される[8]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『日本人事録 第6版 全国篇』中央探偵社、1963年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会 | ||
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先代 光村甚助 |
参議院逓信委員長 | 次代 田中一 |