勝山館
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勝山館 (北海道) | |
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別名 | 上之国館、和喜の館 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 蠣崎氏 |
築城年 | 1473年(文明5年) |
主な城主 | 蠣崎信広、蠣崎光広 |
遺構 | 曲輪 |
指定文化財 | 国の史跡 |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯41度48分3秒 東経140度5分58秒 / 北緯41.80083度 東経140.09944度 |
地図 |
勝山館(かつやまだて)は、北海道檜山郡上ノ国町にあった中世の日本の城(山城)。昭和52年(1977年)4月12日、「上之国館跡」のうちの一つ「勝山館跡」として国の史跡に指定された[1]。
概要
[編集]築城年代は不明だが、館北端にある館神八幡宮(たてがみはちまんぐう)の創建が文明5年(1473年)と伝えられているため、この頃の築城と推定されている。蠣崎信広あるいはその子光広以降、蠣崎氏の本拠地とされていたが、光広の時代の永正11年(1514年)に松前の徳山館に本拠を移転して以降は、主要な副城として脇館転じて「和喜の館」と称され一族を配した。
夷王山の中腹、南から北へと伸びる斜面を利用して長さ270m、幅100mで総面積20.9haの規模を有する。さらに城の背後から山頂に向かって中世和人の墳墓群(夷王山墳墓群)が存在する。
戦後、夷王山墳墓群の調査が先行され、館そのものの本格的調査は昭和52年(1977年)の史跡指定後の昭和54年(1979年)になってからである。その結果、15世紀後期から16世紀後期にかけての陶磁器・金属器・漆器・骨角器など7万点におよぶ遺物が出土しており、主要な遺物921点が国の重要文化財に指定されている[2]。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(102番)に選定された。
脚注
[編集]- ^ 上之国館跡・花沢館跡・洲崎館跡・勝山館跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 遺物の点数は『月刊文化財』537、p.30による。
参考文献
[編集]- 永田富智「勝山館」(『北海道大百科事典 上』北海道新聞社、1981年)
- 松崎水穂「勝山館」(『国史大辞典 15』(吉川弘文館、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9)
- 「新指定の文化財」『月刊文化財』537号、第一法規、2008