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井田完二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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井田 完二(いだ かんじ[1]1897年明治30年)3月23日[2] - 1988年昭和63年)[3])は、日本内務官僚従六位[4]。井田特許事務所[1][5]

経歴

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福井県遠敷郡雲浜村(現:小浜市)生まれ[4]。井田謙治の二男[6][7]日本加除出版取締役・井田勝久(井田耕治)の弟[8][9]1922年[6]高文行政科に合格する[1][8][9]1923年京都帝国大学法学部独法科を卒業する[6][8][10]

内務省に入り、石川県警視地方事務官奈良埼玉愛媛広島各県勤務[8]。本省地方局地方債課長、財務課長、宮城広島各県警察部長を歴任[8]1934年3月18日から1935年1月19日まで広島市長職務管掌[11]1945年住宅営団理事となり、大阪支所長を兼ね、1949年大阪府立大学学生部長となり、後に退職、京都市内に特許事務所を開く[1]

人物

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宗教は禅宗[1][2]。趣味は庭球漕艇[2]絵画[1][7]。住所は奈良市東城戸町[1][7]。先妻・璋子は大日本麦酒監査役・内田恒太郎の三女で、息子、娘がいる[8][9]。著書に井田の短歌を集めた『楽書日記』、『続 楽書日記』がある[12]

家族・親族

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井田家

2002年に井田家住宅が国の登録有形文化財に登録されている[13]

親戚
  • 兄・井田勝久(日本加除出版取締役)[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第25版 上』い17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月22日閲覧。
  2. ^ a b c 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』山口2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月22日閲覧。
  3. ^ 井田完二、国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス。
  4. ^ a b 井田 完二デジタルアーカイブ福井公式サイト。2019年12月10日閲覧。
  5. ^ 井田完二「二・二六事件と私」pp.194-210
  6. ^ a b c 『人事興信録 第11版 上』イ8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月10日閲覧。
  7. ^ a b c 『日本紳士録 第52版』い87頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月7日閲覧。
  8. ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 上』イ8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月10日閲覧。
  9. ^ a b c 『人事興信録 第13版 上』イ7 - 8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月10日閲覧。
  10. ^ 『京都帝国大学一覧 自大正13年 至大正14年』卒業生姓名 法学士 法律学科464頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月21日閲覧。
  11. ^ 歴代広島市長広島市サイト。2022年4月9日閲覧。
  12. ^ 萩野脩二『交流絮語』184頁。
  13. ^ 登録有形文化財の状況” (PDF). 奈良県. 2024年1月21日閲覧。
  14. ^ 『人事興信録 第5版』う18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月10日閲覧。

参考文献

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  • 京都帝国大学編『京都帝国大学一覧 自大正13年 至大正14年』京都帝国大学、1913 - 1926年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937 - 1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 藤井麟太郎『日本紳士録 第52版』交詢社、1960年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。