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遠敷郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福井県遠敷郡の位置(黄:明治期 薄黄:後に他郡に編入された区域)

遠敷郡(おにゅうぐん)は、福井県若狭国)にあった。旧上中町においては、平成の大合併の際、滋賀県高島郡6町村との合併越境合併)を検討していたことがあった。

郡域

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1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

歴史

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7世紀後半に制の小丹生評として建てられた[1]701年(大宝元年)に大宝律令により郡となる。713年(和銅6年)の好字二字令により、「遠敷」の字が宛てられた。825年(天長2年)7月に大飯郡が分置された。

戦国時代ごろから「中郡」とも呼ばれるようになり、江戸(藩政)時代には、本郡を上中郡(38ヶ村)・下中郡(72ヶ村)の2つに分けた。

近世以降の沿革

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  • 明治初年時点で、全域が小浜藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている村は以下の通り。藩政時代、【 】内の40村は上中郡、その他2町81村は下中郡とされた。(2町121村)
小浜町[2]、小倉畑村、虫鹿野村、挙野村、久坂村、堂本村、小倉村、下村、中村、西谷村、井上村、口坂本村、奥坂本村、納田終村、谷田部村、滝谷村、飛川村、五十谷村、窪谷村、桂木村、深谷村、和多田村、上田村、下田村、小屋村、深野村、三重村、青井村、府中村、和久里村、多田村、伏原村、湯岡村、生守村、野代村、尾崎村、須縄村、上竹原村、竹原町[3]、西津村、甲ヶ崎村、阿納尻村、若狭浦、仏谷浦、堅海浦、泊浦、阿納浦、犬熊浦、志積浦、矢代浦、田烏浦、加尾浦、西小川浦、宇久浦、羽賀村、奈胡村、熊野村、次吉村、栗田村、高塚村、太良庄村、遠敷村、国分村、金屋村、竜前村、神宮寺村、忠野村、下根来村、中畑村、上根来村、東市場村、上野村、門前村、池河内村、三分一村、四分一村、大興寺村、平野村、【下野木村、中野木村、上野木村、玉置村、武生村、兼田村、加福六村、堤村、杉山村、加茂村、新保村、大谷村、本保村、竹長村、日笠村、神谷村、井ノ口村、天徳寺村、三宅村、有田村、持田村、長江村、大鳥羽村、黒田村、麻生野村、海士坂村、末野村、山内村、小原村、三田村、無悪村、三生野村、安賀里村、脇袋村、下吉田村、上吉田村、瓜生村、新道村、熊川村、河内村】、新滝谷村[4]、槙谷村、志見ヶ谷村、奥田縄村、口田縄村
  • 明治4年
  • 明治初年(2町122村)
    • 竹原町が改称して竹原村となる。
    • 志見ヶ谷村が改称して染ヶ谷村となる。
    • 三宅村の一部が分立して仮屋村となる。
  • 明治5年(1972年) - 大区小区制により、本郡を敦賀県第三大区から第七大区の5大区に区分。(5大区35小区)
  • 明治7年(1874年)(2町132村)
    • 区割改正により、第二大区及び第三大区の2大区に区分。(2大区34小区)
    • 西津村の一部が分立して大湊村・小湊村・堀屋敷村・北塩屋村・福谷村・新小松原村・下竹原村・小松原村が分立。
    • 三宅村の一部が分立して市場村となる。
    • 瓜生村の一部が分立して関村となる。
  • 明治8年(1875年8月21日 - 第2次府県統合により滋賀県の管轄となる。
  • 明治12年(1879年)(2町128村)
    • 5月16日 - 郡区町村編制法の滋賀県での施行により、行政区画としての遠敷郡が発足。郡役所を小浜町に設置。
    • 滝谷村・飛川村・五十谷村・新滝谷村が合併して中井村となる。
    • 窪谷村・桂木村が合併して相生村となる。
  • 明治13年(1880年) - 大湊村・小湊村が合併して湊村となる。(2町127村)
  • 明治14年(1881年
  • 明治17年(1884年) - 有田村の一部が分立して下タ中村となる。(2町128村)

町村制以降の沿革

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1.小浜町 2.雲浜村 3.西津村 4.内外海村 5.鳥羽村 6.瓜生村 7.熊川村 8.三宅村 9.松永村 10.野木村 11.宮川村 12.国富村 13.遠敷村 14.今富村 15.口名田村 16.中名田村 17.南名田村 18.奥名田村(紫:小浜市 桃:三方上中郡若狭町 赤:大飯郡おおい町)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は現・小浜市。(1町17村)
    • 小浜町(小浜町[2]が単独町制)
    • 雲浜村 ← 西津村、竹原村、上竹原村[後の丸山を除く]
    • 西津村 ← 湊村[大部分]、堀屋敷村、北塩屋村、福谷村、新小松原村、下竹原村、小松原村
    • 内外海村 ← 田烏浦、矢代浦、志積浦、犬熊浦、阿納浦、西小川浦、加尾浦、阿納尻村、甲ヶ崎村、宇久浦、若狭浦、仏谷浦、堅海浦、泊浦
    • 鳥羽村 ← 海士坂村、麻生野村、三生野村、無悪村、黒田村、三田村、大鳥羽村、小原村、長江村、山内村、持田村(現・三方上中郡若狭町)
    • 瓜生村 ← 関村、瓜生村、脇袋村、上吉田村、下吉田村、安賀里村、末野村、有田村、下タ中村(現・三方上中郡若狭町)
    • 熊川村 ← 河内村、新道村、熊川村(現・三方上中郡若狭町)
    • 三宅村 ← 仮屋村、三宅村、市場村、井ノ口村、天徳寺村、神谷村、日笠村(現・三方上中郡若狭町)
    • 松永村 ← 池河内村、門前村、三分一村、四分一村、上野村、東市場村、大興寺村、平野村
    • 野木村 ← 杉山村、堤村、加福六村、兼田村、武生村、玉置村、上野木村、中野木村、下野木村(現・三方上中郡若狭町)
    • 宮川村 ← 大谷村、本保村、竹長村、新保村、加茂村
    • 国富村 ← 太良庄村、高塚村、栗田村、次吉村、羽賀村、奈胡村、熊野村、上竹原村[後の丸山]、湊村[一部]
    • 遠敷村 ← 上根来村、中畑村、下根来村、忠野村、神宮寺村、竜前村、金屋村、遠敷村、国分村
    • 今富村 ← 尾崎村、野代村、生守村、多田村、木崎村[6]、和久里村、府中村、湯岡村、伏原村、青井村
    • 口名田村 ← 相生村、中井村、口田縄村、奥田縄村、須縄村、谷田部村
    • 中名田村 ← 小屋村、上田村、下田村、和多田村、深谷村、深野村
    • 南名田村 ← 虫鹿野村、挙野村、小倉畑村、久坂村、三重村、染ヶ谷村、槙谷村、堂本村、小倉村(現・大飯郡おおい町)
    • 奥名田村 ← 納田終村、奥坂本村、口坂本村、井上村、西谷村、中村、下村(現・大飯郡おおい町)
  • 明治24年(1891年)4月1日
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和10年(1935年)4月1日 - 小浜町・雲浜村・西津村が合併して改めて小浜町が発足。(1町15村)
  • 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は437.27平方km、人口は44,676人(男21,799人・女22,877人)[7]
  • 昭和17年(1942年7月1日 - 地方官官制の一部改正により、若狭地方事務所を小浜町に設置。大飯郡とともに管轄。[8]
  • 昭和26年(1951年3月30日 - 小浜町・内外海村・松永村・国富村・遠敷村・今富村・口名田村・中名田村が合併して小浜市が発足し、郡より離脱。(8村)
  • 昭和29年(1954年1月1日 - 三宅村・鳥羽村・瓜生村・熊川村・野木村が合併して上中町が発足。(1町3村)
  • 昭和30年(1955年
    • 1月1日 - 知三村・奥名田村が合併して名田庄村が発足。(1町2村)
    • 2月21日 - 宮川村が小浜市に編入。(1町1村)
  • 平成17年(2005年3月31日 - 上中町が三方郡三方町と合併して三方上中郡若狭町が発足し、郡より離脱。(1村)
  • 平成18年(2006年3月3日 - 名田庄村が大飯郡大飯町と合併して大飯郡おおい町が発足。同日遠敷郡消滅。

変遷表

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行政

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滋賀県遠敷郡長[5]
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治12年(1879年)5月16日
明治14年(1881年2月6日 福井県へ移管
福井県遠敷郡長[5]
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 曽根直行 明治14年(1881年3月12日 明治14年(1881年)6月20日
2 須田安崇 明治14年(1881年)6月20日 明治15年(1882年9月14日
3 森川秀雄 明治15年(1882年)9月14日 明治19年(1886年4月22日
4 菅原良三郎 明治19年(1886年)4月22日 明治21年(1888年3月23日
5 藤田孫平 明治21年(1888年)3月23日 明治22年(1889年1月8日
6 西久保紀林 明治22年(1889年)1月8日 明治24年(1891年6月12日
7 柘植善吾 明治24年(1891年)6月12日 明治34年(1901年3月10日
8 山田正隆 明治34年(1901年)3月10日 明治35年(1902年1月21日
9 金谷充 明治35年(1902年)1月21日 明治35年(1902年)5月19日
10 山下中二 明治35年(1902年)5月19日 明治37年(1904年12月23日
11 近藤直一 明治37年(1904年)12月23日 明治40年(1907年12月10日
12 和田見龍 明治40年(1907年)12月10日 明治43年(1910年1月27日
13 大山綱岳 明治43年(1910年)1月27日 明治45年(1912年1月16日
14 土持兼白 明治45年(1912年)1月16日 大正3年(1914年8月21日
15 佐々木武介 大正3年(1914年)8月21日 大正4年(1915年12月25日
16 鷲田又兵衛 大正4年(1915年)12月25日 大正6年(1917年3月15日
17 色川圀城 大正6年(1917年)3月15日 大正7年(1918年7月13日
18 宍道達郎 大正7年(1918年)7月13日 大正8年(1919年10月8日
19 平田富資 大正8年(1919年)10月8日

脚注

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  1. ^ 藤原京藤原宮の北にある外濠から、各々「若佐国小丹生評木ツ里」「若狭国小丹生評岡田里」等と記す木簡が見付かった。木ツ里は後の大飯郡木津郷。奈良国立文化財研究所『藤原京木簡』一、147, 148、1978年、解説76頁。
  2. ^ a b 小浜清滝町、小浜津島町、小浜多賀町、小浜鈴鹿町、小浜塩竈町、小浜生玉町、小浜今宮町、小浜玉前町、小浜白鬚町、小浜広峯町、小浜酒井町、小浜龍田町、小浜住吉町、小浜日吉町、小浜神田町、小浜大宮町、小浜男山町、小浜鹿島町、小浜白鳥町、小浜貴船町、小浜浅間町、小浜香取町、小浜飛鳥町、小浜大原町の総称。「旧高旧領取調帳」には記載なし。
  3. ^ 記載は「竹原町/西津町」となっており西津村のうち町方を含む。
  4. ^ 記載は滝谷新田。
  5. ^ a b c 遠敷郡教育会編纂『若狭遠敷郡誌』
  6. ^ 和久里村のうち。本項では村数に数えない。
  7. ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。
  8. ^ 福井県編『福井県史』通史編6 近現代二

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 18 福井県、角川書店、1989年11月1日。ISBN 4040011805 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

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