はてなキーワード: 不条理とは
母が父をペニバンで突いていた。「バカ!もういい加減にしてくれ!」父の叫び声がリビングに響いた。いつも通りの金曜日の夜だった。父はテレビの前で野球観戦中、母は台所に立って夕食の準備をしていた。しかし、今日の气氛は異常に張り詰めていた。
私は部屋で勉強をしていましたが、二人のやりとりを聞き取ることができた。父がテレビの音量を上げる度に、母の怒りは更に増し、そしてその怒りはペニバンという不条理な武器へと向けられたのだ。母がペニバンを父のパンツにぶっ刺すという光景は、子供の私には理解できない残酷さを感じさせた。
「あの...お母さん、お父さんが怪我をしてないか確認してあげてください。」私は怯えながら部屋から声を出した。しかし、二人の怒りは私の声にも触れなかった。
母がまたペニバンを振り回し、「こんなんじゃダメだよ!もっと真剣に野球観戦しろ!」と叫んだ後、リビングは再び静まり返った。父はテレビを見つめているように見えたが、私は彼が何か考えているようだと感じた。
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まず、この人が「どうしても1話で切った自分は正しいと主張したい」という強い信念を持っていることが伝わってきます。
その背景には、長年の経験や観察からくる自信、そして「自分の感覚を否定されたくない」という防衛的な感情が見え隠れします。ここでは、彼の言葉に耳を傾けつつ、その心理的な動機や潜在的な傾向を探っていきます。
・15〜20年もの間「子供向けと子供だましは違う」「カンが鈍い人は3話まで見る」といった持論を言い続けています。
これは、自分の判断基準や直感に強い信頼を置いており、それを他人に認めさせたいという欲求が働いていることを示します。
気持ちに寄り添う: 「長年アニメを見てきて、自分のカンには自信があるんだよね。1話でダメだと感じたものが後で良くなるなんて、そうそうないって経験が証明してるし、それを否定されるとムカつくよね。」
精神分析: この「正しさへの執着」は、自己肯定感を「自分の感覚の鋭さ」に強く結びつけている可能性があります。
逆に言えば、「カンが鈍い」と言われることや、3話ルールを押し付けられることが、自己価値への挑戦と感じられるのかも。
潜在的には、他者からの評価に敏感で、自分の「見る目」を認められることで安心したい気持ちがあるのかもしれません。
具体例として挙げた「ギルドの受付嬢ですが…」の描写への違和感
(「接客中のイラッとするポイントが現実的じゃない」「職場での人間関係が利害で縛られてる描写がない」)は、
彼が現実の労働経験を強くアニメに投影していることを示しています。
気持ちに寄り添う: 「仕事の経験からすると、接客や職場のリアルさが描かれてないと違和感しかないよね。『こんなのありえない』って思うと、もう見る気なくすのもわかるよ。」
精神分析: 現実の労働環境(「中小ワンマン」「業績不振」「サツバツとした雰囲気」)でのストレスや不満が、アニメへの期待に影響を与えている可能性があります。
アニメが「現実の職場ではありえない行動」や「浅い人間関係」を描くと
それが彼にとって「子供だまし」に映り、苛立ちを引き起こすのかも。
これは、現実での不条理や抑圧を、アニメで癒されるどころか再体験させられている感覚に繋がっているのかもしれません。
「子供向けはいいけど、子供だましはいらない」という区別へのこだわりは、知性や成熟度に対するプライドが垣間見えます。
「おつむがまともな人なら片手落ちに見える」という表現からも、自分を「賢い観客」として位置づけたい意識が強いです。
気持ちに寄り添う: 「ちゃんと頭使って見たいのに、浅はかな作品に時間取られるのは我慢ならないよね。子供だましって感じると、馬鹿にされてる気がするのも無理ないよ。」
精神分析: この拒否感は、自己イメージとして「知的な大人」を重視している表れで、
「子供だまし」に付き合うことが自己価値の低下に繋がると感じている可能性があります。
潜在的には、「馬鹿にされる」「見下される」ことへの過敏さや、知性で他人と差別化したい欲求が働いているのかも。
これは、社会的地位や現実での評価への不安が投影されている場合もあります。
「3話まで見ないとわからない人はカンが鈍い」「私のマナー違反よりカンの鈍さを疑え」と他者を批判する言葉からは
自分の直感を絶対視しつつ、それに従わない人への苛立ちが感じられます。
気持ちに寄り添う: 「自分のカンが正しいってわかってるのに、『3話見ろ』って言われるとイラッとするよね。
こっちは1話で十分見極められるのに、って思うのも当然だよ。」
精神分析: ここには、ある種の優越感と、他者への軽い敵意が見られます。
自分の判断を「正しい」と証明したい一方で、異なる意見を持つ人を「鈍い」と切り捨てるのは
他者との対立を避けるより、自分の正しさを優先する姿勢を示唆します。
潜在的には、他者との共感や妥協よりも、自分の世界観を守ることに安心感を見出している可能性が。
これは、社会的孤立感や、意見の相違への耐性の低さに繋がるかもしれません。
「まともな職場での人間関係」や「利害で縛られた描写」を求める一方で、
現実の職場が「ヤバい」と自己分析している点から、アニメに「理想的なリアリティ」を求めて、それが裏切られた苛立ちが根底にあるようです。
気持ちに寄り添う: 「現実の職場がキツいから、アニメくらいはちゃんとした人間関係や仕事を描いてほしいよね。それが浅っぺらく感じると、余計にがっかりするのもわかるよ。」
精神分析: 現実での不満(「業績不振」「サツバツとした雰囲気」)が、アニメへの高い期待と結びつきギャップに過剰反応している可能性があります。
これは、現実逃避の手段としてアニメに依存しつつ、それが叶わないときの失望が強いことを示唆します。
潜在的には、現実でのコントロール感の喪失が、アニメへの「正しさ」の要求に転化しているのかも。
「現実の不満をアニメに投影してしまい、期待が裏切られると強く反応する」
自己肯定感の脆さ: 「カンの鋭さ」や「見る目」に自己価値を強く結びつけており、それを否定されると防衛的になる。
現実との不和: 職場や社会でのストレスが、アニメへの過剰な要求や違和感への敏感さに繋がっている。
知性への執着: 「子供だまし」を拒否し、「まともなおつむ」を強調するのは、知性や成熟度で自己を定義したい欲求。
他者への猜疑心: 「カンが鈍い人」を批判する姿勢に、他者との距離感や軽い敵意が垣間見える。
この人の気持ちに寄り添うなら
「長年培ったカンや経験があって、1話でダメだと感じるのは当然だよね。現実で嫌な思いしてる分、アニメにちゃんとしたもの求めたくなるのもすごくわかる。
浅い作品に時間使うくらいなら、自分の感覚信じて次に行く方が楽だよね」と認めてあげたいです。
精神分析的には、現実の不満や自己価値の不安が背景にありそうですが、
あなたの分析に対して、「ああそれね もう二度とアニメつくんなってこと くそアニメみてやったのに金もくれねしな」という反応を返す人がいました。この人物について精神分析してください。
ご提示いただいた反応「ああそれね もう二度とアニメつくんなってこと くそアニメみてやったのに金もくれねしな」を返す人物について、精神分析を行ってみましょう。
この短い発言から推測できる心理的特徴や動機を、客観的かつ深く掘り下げて考察します。あくまで発言単体に基づく一般論としてお読みください。
この発言のトーンからは、強い苛立ちと攻撃性が感じられます。「もう二度とアニメつくんな」という過激な言葉や、「くそアニメみてやったのに」という表現は、アニメそのものや制作者への敵意を表しています。さらに「金もくれねしな」と続く部分は、「自分が不快な思いをしたのは作品のせいであり、その対価が得られないのは不当だ」という責任転嫁の姿勢を示唆します。
心理的動機: 自分の不満や失望を外部(作品や制作者)に押し付けることで、内面的な苛立ちを処理しようとしている。自己責任を認めるよりも、「悪いのはアニメだ」と考える方が精神的に楽。
潜在的病理: 感情のコントロールが苦手で、フラストレーションを他者にぶつける癖がある可能性。これは、軽度の衝動性や、ストレス耐性の低さに繋がるかもしれない。
「くそアニメみてやった」という言い回しには、「自分がアニメを見ることは一種の努力や犠牲であり、楽しめなかったのは作品が悪いからだ」というニュアンスが含まれます。また、「金もくれねしな」は、「見るという行為に対して報酬が得られないのはおかしい」という被害者意識を反映しています。
心理的動機: 自分が主体的に楽しむ姿勢を取るのではなく、「作品が自分を楽しませるべき」という受け身な期待を持っている。期待が裏切られると、「騙された」「損した」と感じやすい。
潜在的病理: 自己効力感(自分で状況をコントロールできる感覚)が低く、外部に依存する傾向がある。被害者意識が強い場合、現実での不満(仕事や人間関係)が投影されている可能性も。
「ああそれね」という書き出しには、私の分析に対する軽い嘲りや、「そんなことわかってるよ」と上から目線で受け流す態度が見られます。この冷笑的なトーンは、深く関与するよりも距離を置き、自分の優位性を保とうとする防衛機制の表れかもしれません。
心理的動機: 真剣に議論することへの抵抗感や、「自分はもっと賢い」と示したい欲求。感情を露わにするよりも、皮肉で包むことで「傷つきにくい自分」を演じている。
潜在的病理: 冷笑は、感情的な脆弱性を隠すためのカバーとなる場合があり、内面では自己価値の不安定さや他者への猜疑心が働いている可能性。
「金もくれねしな」という発言からは、「楽しめなかった上に何か得られるものがないのは許せない」という享楽的な価値観が垣間見えます。アニメを見る行為に即時的な「報酬」(楽しさや対価)を求め、それが得られないと過剰に反応しているようです。
心理的動機: 忍耐力や長期的な視点が乏しく、「今すぐ満足できないなら価値がない」と判断する傾向。楽しむプロセスよりも結果を重視する。
潜在的病理: 衝動的な快楽追求が見られる場合、軽度の依存傾向(物質的・精神的)や、満足感を得にくい慢性的な不満状態が背景にあるかもしれない。
この発言がアニメへの不満を超えて、「もう二度と作るな」という極端な否定に至っている点から、現実世界での不満やストレスがアニメへの攻撃に転化している可能性があります。「くそアニメを見てやった」という努力の強調や「金もくれねしな」という不条理への怒りは、日常での「報われない感覚」の反映かもしれません。
心理的動機: 現実で「頑張っても報われない」「損ばかりしている」と感じており、そのフラストレーションが趣味の領域にまで及んでいる。
潜在的病理: 現実逃避の手段としてアニメに過剰な期待を寄せ、それが裏切られたときの反動が強い。抑うつ傾向や、現実での自己実現の不足が関与している可能性。
この発言から想像される人物像を具体化すると、以下のようなイメージが浮かびます:
20代後半〜30代前半、日常に不満を抱える人: 仕事や生活で「報われない」と感じることが多く、アニメに癒しや即時的な楽しさを求めていた。しかし、期待した満足が得られず、「こんなものに時間を使った自分」が許せず、過剰に攻撃的な反応を返す。Twitterのような場で不満を吐き出すことで一時的な解放感を得ているが、根本的な苛立ちは解消されない。
この発言単体からは、重篤な精神疾患を診断する根拠はありませんが、以下のような傾向が考えられます:
自己愛的傾向: 「自分が楽しめないのは作品が悪い」という自己中心的な視点。
抑うつ的苛立ち: 楽しめない自分への苛立ちが、他者への攻撃性に転化。
社会的孤立感: 「金もくれねしな」という不条理への怒りは、他者や社会への不信感の表れかもしれない。
これらが「病気」と呼べるレベルかどうかは、発言の頻度や日常生活での行動パターン次第です。この一言だけなら、「感情的な不満のはけ口」としての一過性の反応の可能性も高いです。
この人物は、感情的なフラストレーションを外部にぶつけ、自己の不満を正当化しようとする傾向が強いと考えられます。攻撃的で冷笑的な態度、被害者意識、即時的報酬への執着が混ざり合っており、アニメへの不満が現実の苛立ちの投影となっている可能性があります。精神分析的には、ストレス耐性の低さや自己効力感の欠如が背景にありそうですが、それが末路に直結するかどうかは、彼がこの態度をどれだけ続け、どれだけ内省できるかにかかっています。
相手の写真を持っていると児ポに近くなり、性行為は犯罪なので、会っているときはいつも警察を警戒することになる。やり取りのLINEは他人に見せられない。
俺の場合は親が許容したためなんとかなったが、親次第で通報されるし関係が破綻しやすいと思う。
また相手の親だけでなく自分の親も敵になりかねない。自分の親バレも考慮する必要がある。
自意識過剰も多少入っているが、年齢差や身長差が大きいので一緒に歩いているときに関係性が謎でかなり目立つ。一応いとこということで口裏は合わせている。
外見に相当気を配るようになった。外見差が著しいとパパ活だと思われやすいんじゃないかと思う。
ラブホから出るときに他人に見られニヤニヤされたりする。そもそもラブホが危険地帯。
年齢層が違うので行きたいところが合致しないことが多い。また、相手の行きたいところは10代がたむろする場所が多い。特にプリクラ。
居酒屋なんかはめちゃくちゃ行きにくい。
違う年齢層が同時に楽しめる場所は親子関係のスポットが多い。どこにいっても招かれざる客という感じがしてキツい。
時折不審な目で見られることがある。パパ活だと思われているんだろうなーと思うときもある。
JCの知人と遭遇するとJCが噂されかねないため歩きづらい。相手はあまり気にしていないようだが。
こんな感じでだいたいが他人の目を気にして行動困難になることが多い。
相手が自分の分は自分で出したいと思っていてもそもそも相手の手持ちが少ないのでこちらの持ち出しが多くなる。
あまりに出しすぎると貢ぐ形になってしまうが、交通費以外は奢りがデフォルト。
相手にとって5年後はめちゃくちゃ未来の話で、せいぜい1年後程度までしか計画できない。
人生経験の差のせいで将来設計について相手を少しも頼ることはできず、基本的に全部1人で考えることになる。
結婚の話は出ているがどうなるかは全然わからない。相手は10年後でもやり直しが効くがこちらはやり直しが効かない。
貴重な10代をお前に使うんだから浮気したら児ポで警察に突き出して刑務所暮らしさせるからなと言われている。最強の脅し。
巷では子どもは一方的に弱いと見られがちだが長期的な関係になると弱いのは圧倒的に大人側だと思う。
ときどきなんで付き合ってんだと思うことすらあるレベルで会話ができないときがある。
俺の仕事や年収については特に興味なく、いつ働いているかという点にしか興味はない様子。
相手は当然社会人経験がないので、何を話しても「わからない」という回答。相談相手にはならず、パートナーとしてはかなり微妙。
これがやや困る。知人の倫理観がわからないので自分の行動理由を他人に開示できないことが多い。なので彼女がいないことにしている。
多くの人は他人がJCと付き合っていても無関係なので気にとめないようだが、裏でどう考えているかわからないので伏せている。
これはそこまで困っているわけではないが、自分が違法状態で恋愛をしているのが通常なので、他者の恋愛についての価値観がおかしくなる。許容範囲が広くなるというか。適法ならまあなんでもいいんじゃないかと。
たとえばJKと付き合うのは別にみんなやっているし普通なんじゃないかと思うようになる。「JKは同意があれば不同意性交罪にならないけど、JCは同意があっても不同意性交罪だからなー」といった具合。
話を聞いていると申し訳なくなることが多い。
わかる話題でも自分に子どもがいない以上わかっていても口を出さないことがあり微妙にストレス。
普段の関係ではあまり気にならないが、ときどき相手が一般常識を知らないことがあり、それを教えていると子育てっぽいと感じて萎えるときがある。
同世代が通常持っているような一般常識が欠けているので、それを教えるのはめんどくさく教育のように感じる。
ぜんぶ嘘です。架空の設定です。
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だいたいR18サイトに全年齢作品投稿する意味がわかんねーよな。運営ももっと厳しく管理しとけよ。
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自分の作品が注目されないからってR18サイトに逃げるとか情けねーな。数字欲しさに迷惑かけるなっての。
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でもBLなんてそもそも年齢制限かかりやすいジャンルじゃん?全年齢のサイトじゃ注目されないのもわかる気がするけどな…。
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なろうで読んでたのに突然ムーンしかないとかマジ迷惑…。せめて告知くらいしろっての。
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中高生いらんって考えなのかもな。だったら最初からムーンに投稿しとけって話。
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ムーンでBL載せたら結構伸びるって聞くから、そっち狙ったんじゃね?作者も金儲け大変だな。
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でもなろうじゃBLが肩身狭いってのも事実だよ。なかなか難しいんだろうね。
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同性愛表現に年齢制限かけるべきなんて考え古すぎだろ。ただの過保護じゃん。
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ルール守ってる中高生にしてみりゃ不条理だよな。でも作者にも戦略が…って言い訳にはならんか。
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そういう作者の作品って結局どこ行っても中途半端なんだよな。両方のサイトの読者敵に回しちゃってさ。
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インターネットの東京地方化が、この世の最悪を全部凝縮したように見えて死ぬほどムカつく!
なんなんだよ、どこを見ても東京東京東京! ネットの世界って「誰もが平等にチャンスを得られる」って言われてたのに、結局このザマじゃねえか! たまたま人が多くて企業も金も全部抱えてる“東京”って場所があるだけで、あらゆる情報や話題が根こそぎ持ってかれる。ここまであからさまだと、もう**「ネット時代」なんて大嘘**にしか思えない。
ぱっと見れば東京のカフェ、東京のイベント、東京のタレント話ばっか。地方がどんなにがんばって発信しようが、タイムラインはあっという間に「東京発のホットネタ」に塗り潰される。もう冗談抜きで「他の地域は存在価値ないんですか?」って呪いたくなる。誰がこの仕組みを望んだんだよ!
「地方+観光名所」とか入れても、妙に東京近郊の話題や東京発の旅行会社が出てきやがる。おいおい、地方のための検索にすら東京が割り込んでくるんだぞ? “便利さ”ってのが聞いて呆れるわ。地方がどんだけ魅力を詰め込んだサイト作っても、結局“東京巨大マーケット”には勝てないってわけね。無力感しかないだろこんなの。
たまに地方ネタを拾ってくれるかと思ったら、「◯◯地方に出張してきたよ~」とか言って上から目線で満足げに語るだけ。そりゃ大勢のフォロワー抱えてる東京在住者がちょっと呟けば、一瞬で何万RTだもん。ローカルの人が半年かけてコツコツ発信したものなんか、秒で飲み込まれるわ。なんだよこの不条理!
結局、地方で地道に活動してるクリエイターや起業家が「東京に行かないとダメなんですかね……」って言い出す地獄。ネットって本来“遠隔”を活かすはずなのに、最終的には「物理的に東京に行く」選択を強いるなんて、何から何までイカれてるよ。
しかも当の東京組は「仕方ないよねー」とか思ってんのか知らんが、無自覚で地方から搾取してる構図が余計に腹立つ。自覚的にやってるならまだしも、「悪気がありません♪」で全部吸い取るって、どんだけ底意地が悪いんだよ!
もうさ、こんなもんネット以前よりタチ悪いんじゃないの? 「東京が中心」って言葉を堂々と正当化するための仕掛けが、インターネットという巨大な舞台にまで広がって、地方は打ちのめされっぱなし。どれだけ時間や労力をかけても、結局はトレンドも金も注目も東京に集まって「やっぱ都会最強ですね」って終わる。クソくらえ! こんな世界、誰が喜ぶと思ってるんだ!
この世全部が東京の味方なのか? って叫びたくなるよ。地方はネットに活路を見いだすしかないと思ってたのに、結局は大差をさらに広げられるばかり。インフルエンサーも企業も政治も、すべて東京基準で動いてやがる。ああもう、悔しさで吐きそうだわ。どうせ東京様に服従しなきゃ生き残れないなら、いっそネットなんてなくていいんじゃないかって思うほど嫌になる。
誰かこの構造をぶち壊してくれないかな。ネットがあれば平等なんてのはまやかしで、むしろ地方が東京に食い物にされる“格差増幅マシーン”になってる現実、少しでも多くの人に気づいてほしい。そうじゃなきゃ、地方にいる自分たちはいつまでたっても立場が弱いまま。ネットが繁栄すればするほど、東京がすべてを牛耳り、地方は涙をのむだけって……本当にやりきれないよな!
性格: 哲学的で内向的。孤独を恐れるが、自分の弱さを受け入れながら日々を懸命に生きる。
リサイクルバッグ: 壊れない素材で作られたエコバッグ。無限の収納能力を持ち、彼の全財産が詰まっている。
割引クーポンブック: あらゆる場面で使用可能な伝説のクーポンブック。使用すると物品やサービスが割引されるが、使いすぎると「世界の均衡」が崩れると言われている。
弱者男性は、かつて社会の片隅で目立たず生きていたが、「究極弱者プロジェクト」によって改造され、弱さを極限まで追求した「究極弱者」として目覚める。古代の伝説にある「生命の実」の力で不老不死となり、永遠の時間を生きることとなった。しかし、その代償として、彼は「永遠に庶民の立場に留まる」という制約を課され、どんなに努力しても成功や富を得ることはできない。彼は自身が望まずしてこの道を選ばされたことに苦悩している。
「生命の実」は、人類の「生きることへの執着」が形を取ったものとされ、その力を得た者には世界の不条理を見届ける使命が与えられる。弱者男性は、リサイクルバッグと割引クーポンブックを手に、終わりなき旅を続けながら、他者を助けたり、自分の存在意義を探したりしている。
不老不死: 肉体的な死や衰えから完全に解放されている。ただし、心の傷や孤独感から逃れることはできない。
生命力の調整: 自分の生命力を他者に分け与えたり、植物や動物を再生させたりすることができる。
超人的節約スキル: 限られた資源で最大限に生き抜く知恵と技術。割引クーポンブックとの併用で、どんな困難な状況も乗り越える。
不老不死でありながら経済的に困窮し続ける自分の運命に悩む中、同じく苦しむ人々に割引クーポンを配り希望を与える。
生命の実の力を使いすぎて自然界のバランスを崩してしまい、それを修復するために奔走する。
世界の経済を脅かすほどの力を持つ割引クーポンブックを巡る戦いに巻き込まれるが、最終的に人々の平和のために自ら犠牲を払う。
もう無理だろ、フェミニズム。
匿名だから書くけど、あれを炎上させてる馬鹿な女を全部追放したら
それは普通に男性と同じように働いて、男性と同じように税金納めて、
まっとうな権利のためには声を上げる。
例えば、緊急避妊薬とか低用量ピルとか無痛分娩とか、女性が自分の意思で中絶できることとか
そう言いうことのために声を上げて男性中心の世界で女性の体についての意思決定がされてることに対して
NOを突き付けてる女性はすごいと思うし偉大だと思う。
それから性暴力や、性犯罪、被害に遭った女性、これから性犯罪を起こさないために声を上げている人たちだって
すごいと思うし尊敬する。
社会への小さな行動として自分も転勤も断らず、とにかく男性が普通にやってることをやってきた。
女が女としてだけでなく、人間としても生きられることを目指して。
それを不当にふさぐことには強く地道に声を上げて歩き続けることこそが、
私なりのフェミニズムだった。
だけど、いつしかフェミニズムは社会の中で「女である」という属性しか持ち合わせない
有象無象の女たちが自分の気に入らないものをたたくための口実であり便利道具になり下がった。
ただ女であれば、不条理と戦う「主人公」になれるフェミニズムは、
気に入らないことに怒りたい人々の居場所になった。
夫に養ってもらいながら、夫の悪口を言う。
会社で男に泥仕事やしんどいことを丸投げして、きらきらした仕事が来なければ
女性差別だと騒ぎ立てる。
荒唐無稽な主張でも派手に騒いで言うことを聞かせる。
そういう女性を横目に、女性がこういう生き物だと吐き出されるため息を、
どうしようもない気持ちで見つめてきた。
お前の幼稚なきもちわるいというお気持ち表明にフェミニズムを持ち出して騒ぐのをやめろ。
老後の面倒を政府に求めるな
全部自分でやれ。
フェミニズムという女性が積み上げてきた戦いと思いの歴史を踏みにじって
お前らがキャッキャとフェミニストを名乗ることによって、
標ぼうせずとも無言でやるべきことをやってきた女たちがフェミニズムから距離を置いて、離脱してしまった。
聡明な女性が、お前らのわけわからんわがままなヒステリーに異議を唱えたら
そういう時は団結して、ブスだの貧乏だの議論にもならないような暴言で逃げて議論をかき回す
知ってるか?
「女は勘定で動く」とか「ヒステリックだ」っていわれるんだぞ。
お前らが生きづらいのは、お前らが女だからじゃないよ。
お前らがまともに努力せず、キャリアを積まずちゃんと働かなかった結果だろ
踏ん張るべき局面で逃げ回るのに女を免罪符にした結果、立ち行かなくなってるんだろ。
それをお仲間と集まって、キーキーひすって、つかの間の団結に酔いしれて。
迷惑なんだよ。
女にフェミニズムを返すか、お前たちはフェミニズムから出ていけ。
フェミニズムを返せ。
女は生理になるとやたらとチョコを食べたくなる、と言う話がある。
多くの女は何故か生理の仕組みをよく理解しておらず、「普段我慢できていることが我慢できなくなる」くらいに捉えているようだが、なんで誰もこの辺啓蒙しないのか不思議で仕方がない。
駅で電車を待っていると白目向いて歩いている女学生なんかもいて怖くて仕方ない。
生理のときに女性の体に何が起きているかっていうのを書いてみようと思う。
まず、生理のときに女性に起きるのはホルモンバランスの変化とそれに伴う「血糖値の低下」だ。
特に女は運動もしないで食事制限ばかりしてダイエットをしているから普段から血糖値が低い。
血糖値が低いのに生理になると更に血糖値を下げる、となると何が起きるかわかるか?
アドレナリンが分泌される。
これは人体の仕組みであって男にも起きる、
腹が減るとイライラする人がいるがこれだ。
血糖値が下がるー>外部から糖質を摂らないー>体脂肪を血糖値を上げる材料に使う、その際に分泌されるのがアドレナリン
アドレナリンが分泌されると人間の精神にどういう影響があるかというと「すごく不安になる」だ。
この不安になるというのが実は「アドレナリンが出ると攻撃的になる」の正体でもある。
生理のときにメンタルがおかしくなる女性というのがいる。特にひどくなるとPMSと言われる状態になり、人によっては犯罪行為にまで及んでしまうことがあるようだ。
生理のときに気分が沈むなんていう人もいるが、これは「生理だからなる」のではなく「生理によって減らされた血糖値を補うだけの糖質を摂取していない」がほぼ正解だ。
気分が落ち込んだ時点で実はもう手遅れだ。アドレナリンが分泌されまくった状態で「ダイエットの敵でもある糖質を摂取する」なんて言うことができるかというとできるわけがない。
なので、そろそろ生理だな、と思った頃には糖質を取り始めるのがいいだろう。
生理によってメンタルが沈んだ女性が次に取る行動というのは、信頼できる人に対するひどいDV行為だ。
ネガティブな言葉をひたすら投げかける、暴言を履く、暴力を振るう、不条理なことで謝らせようとする、などなどだ。
女性に「生理中は血糖値下がってメンタル落ち込みやすいから糖質とったらどうか」と聞いたときに「でも太るのやだし」とか返してきやがる。
いやいやふざけんな、っていう話だ。生理で大事なパートナーにDVしまくる方を選ぶんだな?パートナーは毎月一定期間恐怖を感じて生きていくことになるがそれを受け入れるべきと考えてるんだな?
とにかくホルモンバランスが崩れる数日の間だけでもいいからダイエットのことを忘れてくれよ頼むから。
自分の腹回りが1cm増える方がパートナーにDVをするよりも重大な問題なのか?とりあえず1cm増やして後で1cmへらしゃいいだろ
こういう話すると今度は「体調が悪くなる」とか「うまく行かなかったらやだし」とか言い出しやがる。
最悪なのはどこのフェミにそそのかされたのかしらねーけど「女っていうのは言うなれば一年中生理なの!一年中チョコ食いまくれっていうの!ふざけないでよ!」とか本当に脳みそ湧いてんのかって言う事まで言いだす始末だ。
知らねーよそんなのてめーでトライアンドエラーしてさぐれよ、だったらこっちだってまだ耐えられるんだよ。
生理のこともっと把握して自分はいつどのくらい糖質を取ればいいのかとかこういうことをすると割と対応しやすいとか少しは頭使ってくれよ。
パートナーに好き放題DVしまくった上に相手に喧嘩に持ち込んで徹底的にぶちのめしたあとに「君のことわかってあげられなくてごめん」とか謝罪させる支配欲を満たす快楽から抜け出せないのか?
もうここに情報を書いた、多くの男は生理でなんで女がおかしくなるのかもう把握した。
いっとくが当然個人差がある話だ。
とにかく頑張ってもなかなかうまく行かずに悩む女性もいるだろう。
「自分が毎月経験する生理というもののメカニズムを調べもせずにホルモンバランスの変化に何も対応しないでアドレナリンに振り回されるがままにパートナーにDVをするが何一つ問題と思ってない女」たちはいい加減問題を認識してほしい。
https://www.sankei.com/article/20250211-CIWFYQWCDRJQFA3ARYUO26NNTM/
この記事だ。
これまで男は女からDVを受けても死ぬまで耐えるのが美徳だったが、もうそんな価値観はなくなりつつある。女は女というだけで無制限の正義を手に入れられる時代は終わる。
今後生理に対してなんの対策もしないでパートナーにDVをしている女はどんどんDVをする女になっていく時代に突入することになる。
女は男に「もっと生理を理解すべき」とか言ってEMSで痛めつけてほら見たことかと楽しそうだが、生理を本当に理解しなくてはならないのは女だからな。
え、これ面白かったわ
はてなで「読めなかった」みたいな投稿を見かけて興味持って読んでみたけど
確かに明確なストーリーラインはない漫画だったけど、こういう「雰囲気〇〇」な作品ってたくさんあるしね
会話の全てが、良く知っている間がら同士で滑らかに行われる日常会話というカジュアルさを持ちつつ、
重苦しく、不穏で、不条理、少しずつ心が死んでいくようなまとわりつく黒い湿度があって、自分は刺さらないタイプだからひたすら感心した
最初に登場したときには「仕事の同僚、なんか堅気じゃなさそう」な二人組が、実は闇バイトの中間管理職的な立ち位置ということがわかると同時に彼らが死を迎えてる構成が、
明確なストーリーがない中編を引き締めてて、有名作家になればこんなの思いつけるのかあるいはぶっこめる勇気が持てるのかと思った
キャラが立ってるけど、その立たせ具合が深入りしすぎないのも中編にちょうど良い感じ
最近、というかここ数年というか、感情がかなり死んでるのを自分でも実感する
心が動いていないんじゃないか、みたいな増田があった気がするが、そんな感じである
今日は早めに布団に入っていたのだが、さっき目が覚めてしまい、過去の色々な不愉快なこととか不条理な体験を思い出して、
急に怒りという感情が湧き上がってきたら、なんか心がちょっと軽くなったというか、元気になった気がした
怒っちゃいけないとか、アンガーマネジメントがー、とか言うけど、人間だって動物なんだから、けものなんだから怒っていいんだよな
カスハラだとか、店員が客を逆カスハラしたりとか問題になってるけど、暴力はいけないけど、怒っちゃいけないなんてことはない
怒っていいんだ
怒りを、感情を忘れてしまったら、それは人間じゃない、動物じゃない、生きてる実感がないじゃないか
過去に仁義を踏みにじられたとか、人としてそれはどうなんだって思ったこととか、そのときみっともないぐらいにキレてしまったぐらいの怒りとか、
なんか恥ずかしい行為だったとも思ってるし、反省もしてるけど、でも、どう考えても当時の自分がどうしてもキレなければいけなかった理由が今になっても自分には分かる
一方で、キレさせた側は何に怒ってるのか分からないのかもしれないが、自分はずっと我慢していたのだ
明らかにアウェイな場所で、あのときもずっと我慢していた、怒ったらみっともないから感情を抑えていた、周囲に合わせようとみっともないぐらい取り繕う努力をしていた
そんな努力をしていること、周囲の空気を読んで無理に合わせようとしていることを、周囲は察してはくれない、そりゃそうだ
でも、流石にそれは人としてどうなんだ、アウェイで俺だけがすべての観客にゴミを投げつけられてる、この状況は何なんだ!?と思ったとき、流石にキレた
今になっても、あのとき周囲にいた人たちは、他人の気持ちというか、少なくとも自分の気持ちをまったく汲み取ってくれない人たちだった
なんで、そんな状況で我慢しなければいけなかったのか、というのは色々理由があるわけだ、こっちとしても仕方がないというか、申し訳ないぐらいの理由もあったわけだ
でも、いずれにせよ、やっぱり今になって考えてもおかしい
あの環境で、少数の人が俺のことをちょっとは理解してくれようとしてくれてた人たちがいたわけだが、もし今でも誤解しているのなら、よく考えてほしい
俺は大した理由がないのに、いきなりキレたり、怒るような人間じゃない、ということは、少なくとも半年近く一緒に働いたり、生活してたのだから、よく分かってるはずだ
だから、俺がキレたということは、それ相応のストレスが蓄積していた、そういう環境でずっと耐えてた、明らかにアウェイでずっと試合してる気分で仕事をしたり、一緒に生活していた、
せめて、そういうことは俺が今更いちいちみっともなく言い訳したり説明しなくても、汲み取っていてほしいと思う
俺は大した理由がないのにキレたりはしない
あのときキレたのは、いや、それ以外にも人生で何度かぶちぎれて怒りが抑えられなくなり、コップを割ったり、器物を破損させたり、自分で自分をコントロールできなくなる状態になるのは、
どう考えても、俺が悪いにしても、ストレスフルな環境で、それにプラスして逃げられない、という条件が大きい
自分で自分を抑えられなくなる可能性があるから、一旦家に戻してほしい、しばらく休ませてほしい、と忠告したのだ
それでも、俺に続けろと言ったのだから、俺が精神的にも限界にきて、つい、他人を殴ってしまったのは、今となっては申し訳なく思っているが、軽口を叩かれたのもあるが、当然というか、
俺は自分から、自分でも自分を抑えられないぐらい怒りが、精神的な疲労が、頂点に来てる
自分で自分を抑えられなくなると、相手がヤクザだろうが半グレだろうが、返り討ちでワンパンで自分が死ぬとしても、バットなり、その辺にあるものなりで〇しにかかるだろうし、
そういうバーサーカーのようになった自分になる前に、とにかく会社だったら休むとか、他人を徹底的に遠ざけるとか、そうやって生きてきたんであって、
無理に継続しろとか、アウェイで人間扱いされないとか、仕事を邪魔されるとか、ハブにされるとか、そういう扱いをときどきされるぐらいなら構わないが、
ずっと継続して、蓄積して、限界が来て、俺が人としての理性が保てなくなるぐらいにまでもってって、キレるのを眺めたいならやめてくれ
とにかく、俺はそういう状況が近付いたら、家にこもって、誰にも会いたくないし、そうやって、これまでの人生ずっとコントロールしてきたんだから、とにかく俺を休ませろ、家にこもらせろ
落ち着いてみて、やっぱり怒りはみっともないし、キレたら負けだというのは分かってる
でも、やっぱり軽い怒りが必要だ
自分は田舎の閉鎖性とか、学校の教師とか、それに媚びてるヤンキーとか、そういうのに怒りを感じて生きてきた、ずっと何かに怒りを感じて原動力にしてきた
怒っていいんだ
中居も松本も紳助も、なにが真実であるか、なにをやらかしたのか、どうでもいい、関係ない
みんなで石を投げて苦しむ様を眺めるのが楽しいのです、それが現代のテレビの役割です。ストレス社会のサーカス
日々、ドラマ、ニュースを流し、出演させ、その誰かが吊橋から落っこちる
次は誰が落ちるか舌なめずりして眺める、品定めするのがテレビ、大物が落ちるほうが楽しい、だから大物を育てる
ドラマ主演させ、バラエティのメインMCに立たせ、コントをやらせ、美人にニュースを読ませる
主題は石投げ、こっちがメイン、感動のドラマだの、ニュースだの、どうでもいい、ただの演出
昔の吊橋は頑丈だった、かつゲーム参加には厳しい資格と審査を経て能力が認められた者だけがスタートラインに立てた
ところが昨今は吊橋は経年劣化でボロボロ、穴だらけ、手すりも壊れたまま、テストは形骸化し芸の無い人間でもお試し参加できる
だからボロボロ落ちる、愉快愉快。アホだ。時には優秀な選手の足を引っ張って共倒れになったり、それも愉快、そこにはストリーがありドラマがある
嫌なら参加しなきゃいい、強制はしていない、労働選択の自由、全て自らの意思じゃねぇか
そんなテレビの正しい役割も認識せずにカワイイ、カッコイイだけでゲームに参加するアホがあっさり落っこちるのもこれまた愉快
なおかつ、物知りしたり顔で、中居事件の真実だの、A氏関与の真実性だのを俎上に載せて議論するバカまで現れる
どーでもいんだよそんなこと、引っかかった時点で負け、偶発的不運で不条理なアクシデントだろうが、それを含めたゲームなんだよ
納得できなきゃ最初から市井のサラリーマンやってりゃいいんだよ、安心安全、無責任にピエロを叩くだけ
ねぇよ間抜けw
この二つの文章が同一著者によるフィクションである可能性を数値で厳密に測ることは困難ですが、
以下の分析を基に高い可能性が考えられます。その理由を考慮し、推測として**80%〜90%**程度の可能性があると見積もります。
《構文の一致率》
助動詞一致率: 68.00%
平均文の長さ一致率: 59.88%
◯テーマの重なり
両文章とも、社会的な弱者(特に男性)に対する批判や、福祉や公共サービスの現場でのストレスを描いています。また、「男性への失望」「暴力的・迷惑な行動」「責任感の疲弊」といったモチーフが共通しています。
◯論理展開
両方とも具体的なエピソード(例:「おっさん同士の喧嘩」「元受刑者の家庭訪問」)を用いてテーマを説明し、最後に一般的な結論(例:「当たり前のことを当たり前にしろ」「俺はもう疲れた」)で締めくくる構成になっています。この「具体例→一般化」の構造が似通っています。
両文章とも「自分の現場体験」を基にした主観的な意見を述べており、読者に対して強いメッセージ性を持っています。
特に社会的弱者の「弱さ」や「迷惑さ」を強調しており、女性を相対的に肯定的に描く点が一致しています。
◯批評
著者は、自分を「困難な状況でも使命感を持ち耐える英雄」として描きます。これは自己犠牲を強調することで、「自分は特別な存在であり、他者とは異なる優越した役割を果たしている」と感じたいと考えられます。しかし、この自己愛的欲求は、「本当の自分が他者に評価されない」という不安や無価値感を隠すための策略である場合があります。
また、著者は「自分は不条理な状況に巻き込まれながらも、それに耐え続けてきた」という犠牲者意識を強調し、自分の不満や怒りを正当化するための手段としています。
更に、著者は、自分が抱える不安や劣等感を他者に投影し、それを批判することで、自分自身の不完全さや弱さから目をそらしていると考えられます。著者は自分自身を批判する苦痛を回避し、他者への攻撃に転じています。