買われた人たちはプロダクツと呼ぶね。
それをやるのはレジュメ発表の場じゃないでしょ。
チームメンバーとか、学生なら教授とか。人間の時間は有限なので、全員ですべてのレジュメについて議論することはできない。発表の場でできることは議論ではなく指摘だけなのだと思う。
やるせなかった気持ちは分かるよ。がんばっただろうし、認められたかっただろうと思う。発表の場ではもっと褒める意見も出た方が未来のためになると思う。でもやっぱり、発表の時間も有限だからな…。
日本は企業に例えたら死に損ないのシャープみたいなものだ。経営陣が総入れ替えになる前のな。
自民党と統一教会を国外に追放して、性悪説前提で政界に法整備して、議員立候補の段階でハードルの高い筆記試験を設けてフィルタリングして、さらに定年制も守らせて老人を追放すればよくなるよ。
皮肉が皮肉になっていなかったのでコメントにより問題構造を理解してもらえたかと思ったのだけど、また急に別の話を始めたな
散々他の増田にも出ていたがミャンマーやイスラム国家など姓を持たない国もあるし、選択的夫婦別姓をすでに採用している国もある
なのでどのシステムを採用するかが問題であって、目下はシステムを変更できるかどうかというところが問題点になる
システムが基幹であるから変えられないかといえば、日本はもともと姓を持たない人が多数の国でありあくまで近代で一般市民も姓を持つようになっただけなのだからすでにシステムの変更の実績があって、なぜこれを変更できないと考えるのかが分からないし、国家の軽視になるのかが分からない
仮に実績がなかったのだとしても姓が国家の根幹にあるというのはあなたの考えであって一般的なものではない だからこそ今いろいろなところで議論されている
まだ続いてるよ〜
私は壺信者でもないし、自民党支持でもないけれど統一教会の話はさておくべきと思う。何でも良いから、内乱に関する罪状で、一定以上の関わりのあったものは政府お得意の解釈変更で死刑にして本当の政治を始めなくちゃいけないんじゃないか。正直、このままいけば2030年までには日本は滅びるのは確実なわけだから
https://www.jca.apc.org/hanten-journal/?p=1548&preview_id=1548
ジャマイカでの公式晩餐会のスピーチで、ウイリアムは、「深い悲しみを表明します。奴隷制度は忌まわしいものであり、決して起きてはならないことでした」と述べたという。また「今も苦しみは深いですが、ジャマイカは決意と勇気をもって未来を切り開いています。ジャマイカの人々の強さと毅然とした態度は、国旗や国の標語に示されているように、不屈の精神の賜物です」とも。
自ら(イギリス王室)の責任に言及することなく、正式な謝罪もすることなく、人ごとのように「悲しみ」を口にして、上から目線で褒め称える。これこそ明仁の「得意技」であり常套手段だった。天皇制はイギリス王室から多くを学んでいるのだ。
大勲位菊花大綬章が授与されていたらしい。なんで。
戦後以降は没後叙勲のみのようだ。「総理大臣経験者のうち若くして亡くなると受勲」らしい。若いってなんだろう、ということはさておき、関係なくない? と思う。
一時期は新聞の影響で首相が降ろせることを面白がっているかのように、ものすごくどうでもいいことですぐ降ろされていた。今それを行われない理由は知らない。けれど、当時の誰かがすぐ成ってすぐ降ろされ別のが上がる感じは馬鹿馬鹿しかった。あの中でも総理大臣経験者なのだろう。
全然、尊敬できないのだ。彼らが総理大臣になったのは政治家や実業家の内輪でネゴが内輪の中で比較的上手かっただけとしか見えない。企業では通用しない方言のようなものに巧みだったのだろう。そして色々な苦難がある総理大臣に成るのは、経験しておくとその後の評価がまるで違うからのように見える。あの無能の極みのように見える M 氏があれだけ力を持つのだから。
それが見て取れる国際イベントは最悪だった。観測範囲では全員が似た印象を抱いているのに、どうやら政界では発言力があるらしい。それは、「偉い立場についたら発言力が保証される」ということが「偉い立場につく」メリットとして共有されているからだと思う。そうでなければ苦労して総理大臣など引き受けない、とでもいうような。
民主主義ってもっと合理的だと思っていたかった。客観的な事実を基にして合理的な判断を行う人がハンドルするものだと思っていた。
現在、民主主義国家は資本主義的合理主義に基づいている。儲けさえすれば法律も変えられるということをやってのけた企業があった。それでも保っていられるのは憲法があるからで、首長が変わってもなんとかやっていけるのは憲法があるからだ。
でもそれは憲法を変えようとした。私欲、というか、お仲間たちのために。それは民主主義を破壊する行為であるようにしか思えない。
昨今、資本主義的合理性に基づく判断が、社会主義国家の理想主義的行動を非道と叫ぶ。多数派だから。私としても縄張り争いの戦争は前世紀のものと思いたい。
でも、民主主義国家でまかり通っているよく分からない慣習が民主主義的であるとも思えない。だから彼らの行動を思想が異なるからこその違いとして咎める気が怒らない。何なんだろうこれは。主義で分けるべき問題なのだろうか。主義を全うしない人が元首になって、章まで受けるのに。
たしかに自分の日記一覧は見れるけど、いつの何についての記事という探し方はできないからなあ
タグ等使ってできなくはないのかも知れないけど
長文を読んでもらえて、割と真面目なレスがもらえたりするのが、自分にとっては居場所になっていた
ただ最近はいつ読んでも論争というか煽り合い罵り合いのような流れのことも多く