伏見宮博恭王(ふしみのみやひろやすおう、1875年(明治8年)10月16日 - 1946年(昭和21年)8月16日)は、日本の皇族、海軍軍人。海軍兵学校(ドイツ帝国)卒業、海軍大学校(ドイツ帝国)卒業(海軍兵学校(日本)18期相当)。栄典は元帥海軍大将大勲位功一級。伏見宮貞愛親王の第1王男子(庶長子)。議定官、軍令部総長を務めた。初め名を愛賢王(なるかたおう)といい、華頂宮相続に当たり名を博恭と改めた。日露戦争では連合艦隊旗艦「三笠」分隊長として黄海海戦に参加し戦傷を負う。艦長や艦隊司令長官を務める等、皇族出身の軍人の中では実戦経験が豊富であった。