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バアス党(バアスとう、アラビア語: حزب البعث‎, ラテン文字転写: Ḥizb al-Ba‘th, ヒズブ・アル=バアス)は、シリア・イラクなどのアラブ諸国で活動する汎アラブ主義政党。公式名称はアラブ社会主義復興党(アラビア語: حزب البعث العربي الاشتراكي‎, ラテン文字転写: Ḥizb al-Baʻth al-ʻArabī al-Ishtirākī)。日本では慣用としてバース党 とも表記するが、実際のアラビア語の発音では「バアス」と発音・表記する。 バアス党の結党当初の目標は、西洋によって線引きされた既存の国家群を解体し、統一したアラブ民族による国家を建国することが目的であり(バアス党のシンボルにも表されている)、その領土は西は北アフリカのモーリタニアから、東はイランのフーゼスターン州、南は東アフリカのソマリアまで含まれる。 2011年のアラブの春の発端ともなるジャスミン革命以後チュニジアでバアス党が公認された。

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  • バアス党(バアスとう、アラビア語: حزب البعث‎, ラテン文字転写: Ḥizb al-Ba‘th, ヒズブ・アル=バアス)は、シリア・イラクなどのアラブ諸国で活動する汎アラブ主義政党。公式名称はアラブ社会主義復興党(アラビア語: حزب البعث العربي الاشتراكي‎, ラテン文字転写: Ḥizb al-Baʻth al-ʻArabī al-Ishtirākī)。日本では慣用としてバース党 とも表記するが、実際のアラビア語の発音では「バアス」と発音・表記する。 「バアス」(بعث‎)とはアラビア語で「復興」「使命」を意味し、党名への採用にあたり「かつて東は中国から西はスペインに及ぶ広大な領土を勢力下に置き、化学や医学など様々な学術・技術で世界をリードしていたアラブの栄光を取り戻す」という意を込めている。更に、アラブ社会主義・汎アラブ主義(アラブ民族主義)を併せ持つ政治的主張を有している。(かつてエジプトでガマール・アブドゥル=ナーセルらが目指した様に)アラブ近代化もイデオロギー上で大前提としている為、イスラム原理主義(イスラム主義)とは対立している。「単一のアラブ民族、永遠の使命を担う」(أمة عربية واحد ذات رسالة خالدة‎)をスローガンとし、「統一」(وحدة‎)、「自由」(حرية‎)、「社会主義」(اشتراكية‎)の実現をめざす。一連の思想を「バアス主義」と言う。 バアス党の結党当初の目標は、西洋によって線引きされた既存の国家群を解体し、統一したアラブ民族による国家を建国することが目的であり(バアス党のシンボルにも表されている)、その領土は西は北アフリカのモーリタニアから、東はイランのフーゼスターン州、南は東アフリカのソマリアまで含まれる。 バアス党の創設者の一人であるミシェル・アフラクがフランス共産党の植民地政策容認に失望するまでは共産党の活動家だったようにマルクス主義の影響はあるものの(サラーフッディーン・アル=ビータールもマルクス主義者であった)、イラクのバアス党はアブドルカリーム・カーシム首相がアラブ連合共和国への参加を拒むとイラク支部長のフアード・リカービーは閣僚を辞任して1956年からのカーシムの属するやイラク共産党との同盟 を解消してカーシム暗殺未遂事件を起こし、ラマダーン革命の際はカーシムを支持した共産党を弾圧している(1963年11月イラククーデターでバアス党はナセル主義者に追放され、7月17日革命で樹立したアフマド・ハサン・アル=バクル政権は共産党とイラク国民進歩戦線を結成し、共産党員を2名入閣させるも後に弾圧し、小さなセクトのみ容認した)。シリアのバアス党は1950年代から共産党との共闘路線を続けており、現在のバッシャール・アル=アサド政権下でもシリア国民進歩戦線でシリア共産党と連立して入閣させ続けている など容共である。 バアス党の源流は20世紀の初頭にさかのぼることが出来、シリア人の思想家ミシェル・アフラク(1910年 - 1989年)らによって基本的な政治信条が形成されていった。第1回の公式の党大会は1947年4月7日にダマスカスで開催、最初は軍の少壮将校や知識人など限られた層で成り立っていたが、次第に影響力を強め1954年 - 1958年にシリアを本拠にイラク・レバノン・ヨルダン・イエメンに党地域指導部を置いた(カタールとチュニジアにも存在したが、両国政府により非合法化される)。しかし、アフラクの亡命を受け入れたイラク・バアス党はシリア・バアス党と主導権と正統性を争い、その他諸国のバアス党もレバノンを除いてダマスカスではなく、バグダードの路線に従った。 2011年のアラブの春の発端ともなるジャスミン革命以後チュニジアでバアス党が公認された。 (ja)
  • バアス党(バアスとう、アラビア語: حزب البعث‎, ラテン文字転写: Ḥizb al-Ba‘th, ヒズブ・アル=バアス)は、シリア・イラクなどのアラブ諸国で活動する汎アラブ主義政党。公式名称はアラブ社会主義復興党(アラビア語: حزب البعث العربي الاشتراكي‎, ラテン文字転写: Ḥizb al-Baʻth al-ʻArabī al-Ishtirākī)。日本では慣用としてバース党 とも表記するが、実際のアラビア語の発音では「バアス」と発音・表記する。 「バアス」(بعث‎)とはアラビア語で「復興」「使命」を意味し、党名への採用にあたり「かつて東は中国から西はスペインに及ぶ広大な領土を勢力下に置き、化学や医学など様々な学術・技術で世界をリードしていたアラブの栄光を取り戻す」という意を込めている。更に、アラブ社会主義・汎アラブ主義(アラブ民族主義)を併せ持つ政治的主張を有している。(かつてエジプトでガマール・アブドゥル=ナーセルらが目指した様に)アラブ近代化もイデオロギー上で大前提としている為、イスラム原理主義(イスラム主義)とは対立している。「単一のアラブ民族、永遠の使命を担う」(أمة عربية واحد ذات رسالة خالدة‎)をスローガンとし、「統一」(وحدة‎)、「自由」(حرية‎)、「社会主義」(اشتراكية‎)の実現をめざす。一連の思想を「バアス主義」と言う。 バアス党の結党当初の目標は、西洋によって線引きされた既存の国家群を解体し、統一したアラブ民族による国家を建国することが目的であり(バアス党のシンボルにも表されている)、その領土は西は北アフリカのモーリタニアから、東はイランのフーゼスターン州、南は東アフリカのソマリアまで含まれる。 バアス党の創設者の一人であるミシェル・アフラクがフランス共産党の植民地政策容認に失望するまでは共産党の活動家だったようにマルクス主義の影響はあるものの(サラーフッディーン・アル=ビータールもマルクス主義者であった)、イラクのバアス党はアブドルカリーム・カーシム首相がアラブ連合共和国への参加を拒むとイラク支部長のフアード・リカービーは閣僚を辞任して1956年からのカーシムの属するやイラク共産党との同盟 を解消してカーシム暗殺未遂事件を起こし、ラマダーン革命の際はカーシムを支持した共産党を弾圧している(1963年11月イラククーデターでバアス党はナセル主義者に追放され、7月17日革命で樹立したアフマド・ハサン・アル=バクル政権は共産党とイラク国民進歩戦線を結成し、共産党員を2名入閣させるも後に弾圧し、小さなセクトのみ容認した)。シリアのバアス党は1950年代から共産党との共闘路線を続けており、現在のバッシャール・アル=アサド政権下でもシリア国民進歩戦線でシリア共産党と連立して入閣させ続けている など容共である。 バアス党の源流は20世紀の初頭にさかのぼることが出来、シリア人の思想家ミシェル・アフラク(1910年 - 1989年)らによって基本的な政治信条が形成されていった。第1回の公式の党大会は1947年4月7日にダマスカスで開催、最初は軍の少壮将校や知識人など限られた層で成り立っていたが、次第に影響力を強め1954年 - 1958年にシリアを本拠にイラク・レバノン・ヨルダン・イエメンに党地域指導部を置いた(カタールとチュニジアにも存在したが、両国政府により非合法化される)。しかし、アフラクの亡命を受け入れたイラク・バアス党はシリア・バアス党と主導権と正統性を争い、その他諸国のバアス党もレバノンを除いてダマスカスではなく、バグダードの路線に従った。 2011年のアラブの春の発端ともなるジャスミン革命以後チュニジアでバアス党が公認された。 (ja)
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  • バアス党(バアスとう、アラビア語: حزب البعث‎, ラテン文字転写: Ḥizb al-Ba‘th, ヒズブ・アル=バアス)は、シリア・イラクなどのアラブ諸国で活動する汎アラブ主義政党。公式名称はアラブ社会主義復興党(アラビア語: حزب البعث العربي الاشتراكي‎, ラテン文字転写: Ḥizb al-Baʻth al-ʻArabī al-Ishtirākī)。日本では慣用としてバース党 とも表記するが、実際のアラビア語の発音では「バアス」と発音・表記する。 バアス党の結党当初の目標は、西洋によって線引きされた既存の国家群を解体し、統一したアラブ民族による国家を建国することが目的であり(バアス党のシンボルにも表されている)、その領土は西は北アフリカのモーリタニアから、東はイランのフーゼスターン州、南は東アフリカのソマリアまで含まれる。 2011年のアラブの春の発端ともなるジャスミン革命以後チュニジアでバアス党が公認された。 (ja)
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