『名もなき者』が解き明かすボブ・ディランの音楽の“魔法の秘密” 作品のテーマを徹底考察
1960年代から、今なお多くの人々に多大な影響を与え続け、ミュージシャンとして初のノーベル文学賞を受賞している、世界的シンガーソングライター、ボブ・ディラン。そのキャリア初期の時代を映画化したのが、彼の名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」(Like a Rolling Stone)の歌詞の一部をタイトルにした、『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』である。
『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』(2005年)、『フォードvsフェラーリ』(2019年)などの充実した作品で、もはや巨匠の風格を得た、ジェームズ・マンゴールド監督が、ティモシー・シャラメを主演に迎え、当時の雰囲気とともにボブ・ディランの日々を表現し、多くの観客の絶賛を浴びることとなった。
ここでは主に、この伝説的アーティストを題材に、本作『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』が何を描こうとしたのか、そしてクライマックスにおける、物議を醸した破壊的な衝動の意味や、ラストシーンに隠されていると考えられるテーマを、できる限り探いところまで掘り下げていきたい。
※本記事では、映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』のストーリー展開を明かしている部分があります。ご注意ください。
物語は、まだあどけなさの残る青年ボブ・ディラン(ティモシー・シャラメ)が、1961年の冬に、わずか10ドルとギターを持ってニューヨークへと降り立ったところから動き出す。折しもアメリカは、ベトナム反戦運動や公民権運動などの社会運動が活発化していた時期。有名な反戦歌、プロテスト(抵抗)ソングである「花はどこへ行った」(“Where have all the flowers gone?”)の作者でもあるフォークシンガー、ピート・シーガー(エドワード・ノートン)は、政治的な活動により当局から弾圧を受けていた。
そんなシーガーがディランに会ったのが、病で入院中のフォークシンガー、ウディ・ガスリー(スクート・マクネイリー)の病室だった。ガスリーに心酔していたディランは、「彼のために作った」という曲をガスリーの前で弾き語りする。シーガーはその才能に驚き、ディランを自分の家に宿泊させることにする。そこでティモシー・シャラメ自身がディランになりきって歌う「北国の少女」(Girl from the North Country)が、シーガーや、その妻のトシ(初音映莉子)の心を響かせる。観客もまた、その表現力に感動するのではないだろうか。
この曲が書かれたのは、後にディランの恋人となる女性をモデルとしたシルヴィ(エル・ファニング)と出会った後、イギリス旅行の後に書かれたと考えられているので、歌われるタイミングが早い気もするが、劇中ではまだ途中までしか出来ていないことが示されているので、史実的にはセーフなのかもしれない。いずれにせよ、このボロを纏って放浪している若い青年が、人の心の深いところに触れるような歌詞を書きあげたことには、あらためて驚かされる。まるで、小さな麻袋の中に隠された美しい宝石を垣間見たような思いだ。なぜ彼は、このような特別なことができるだろうのか。それが音楽界の長年の謎であり、本作の大きなテーマともなっている。
本作では、このエピソードに続き、シーガーの尽力によるフォークシンガーとしてのデビュー、シルヴィやジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)との出会い、キング牧師のスピーチに代表される社会運動への共感と、キューバ危機やケネディ暗殺などの歴史的事件、歴史的代病床のガスリーとの交流や、名曲「風に吹かれて」(Blowin' in the Wind)の成立過程、プロテストソングとして歌われる「時代は変る」(The Times They Are a-Changin' )、そしてディランが大衆的な人気を得ていく様子が、次々に描かれていく。
少なくともこの時代、歌の力により世の中を変えようとしていたのは、ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、ジョーン・バエズ、またディランも同様だったと考えられる。劇中で示されるのは、ディランへの幅広く熱狂的な人気により、シーガーが“本当にフォークソング、プロテストソングの力で世の中を変えていくことができる”という確信を、感動とともに得ていく姿だ。しかしディランはこの後描かれるように、フォークから次第に距離を取り始める。当時のフォークのファンからは商業的だとされていたロックへと接近し、ジャンルを超えた存在になっていくのだ。
その決別の萌芽は、すでにディランとシーガーの最初の出会いのシーンから描かれていた。ディランは自分の音楽を、「フォークに改良を加えた」ものだと説明し、ロックミュージックをはじめ「何でも好きだ」と述懐していた。映画は、一貫してディランはディランだったのだと示しているのである。プロテストに参加したのは、あくまで自分の信条が時代のなかでフォークの時代性と共鳴した結果であり、そのとき、そのときのディランの心のあり様によって変化するだけなのだと。
そんなディランの性格は音楽性だけでなく、人間関係でも発揮される。夜中、気まぐれにジョーン・バエズの部屋に現れたり、別れたはずのシルヴィを突然に訪ねてフォーク・フェスに誘い、あまつさえ彼女の前でジョーンと親密なデュエットを見せたりして、無神経に彼女の心を傷つける。それはディランがそのときの自分の心のままに振る舞っただけなのだが、翻弄される周囲の人間にしてみれば支離滅裂で不誠実な態度に映るのは当然だろう。
そして、自分の心情を優先する姿勢の集大成として、本作のクライマックス、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでのロック演奏がおこなわれることとなる。フォークフェスでのエレクトリック・ロック・パフォーマンスは、フォークのファンである聴衆の期待をジャンル的に裏切る行為であり、反戦や格差是正などのメッセージやプロテストとも方向性が異なっていた。
しかし、もともとディランの音楽は、プロテストソングとしての性質があるものだとしても、他の読み方ができる抽象性が含まれていた。「風に吹かれて」にしても、当時のアメリカ国内の社会状況への無関心が題材になっていたとはいえ、「答えは風に吹かれている」という、やや無責任にも感じられるロマンティックな歌詞が印象的だ。
とはいえ、この抽象性がディランへの幅広い人気の理由にもなっているはずだ。社会問題を糾弾するだけでなく、当時の若者の世代的な感情や漠然とした不安などに共通する個人的感覚の表出こそが、あまり社会の事柄に興味のない人々をも巻き込むことになったのである。本作でシーガーは、この幅の広い支持を社会運動へと変換し、変革へと繋げようとしていたのだ。