TV FUN
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メーカー | トミー工業 |
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種別 | 据置型ゲーム機 |
世代 | 第1世代 |
発売日 | 1977年~1978年 |
次世代ハードウェア | ぴゅう太 |
TV FUN(テレビ ファン)は、トミー工業(現・タカラトミー)が発売していた家庭向けテレビゲームシリーズ。
概要
[編集]トミー工業が1970年代に発売していた第一世代のテレビゲームシリーズ。ハードウェアは全て沖電気との共同開発。
同時期にテレビゲームシリーズを展開していたバンダイの『TV JACK』とは、一部で同じLSIチップの供給を受けており、その為ゲーム内容が重複するモデルが存在する。
ハードウェア
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仕様
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製品ラインナップ
[編集]- TV FUN 301
- 専門誌やカタログなどで告知されていたが、実際には発売されなかったモデル。予定価格22,000円。同型機種がその後、日幸信販より『テレビゲームModel213V』として販売された。
- TV FUN 401
- 1977年発売。本体価格18,000円。木目調の筐体にモノクロで4種類のゲームを内蔵。18,000円の価格設定は、発売当時では最も廉価なゲーム機となった[要出典]。LSIはゼネラル・インスツルメンツ社のAY-3-8500-1を使用。
- TV FUN 501
- 1977年発売。本体価格12,000円。カラーで3種類のゲームを内蔵。ラケットの大きさを3段階で変更可能。ACアダプタを標準添付させることで乾電池を不要とした。LSIはナショナル セミコンダクター社のMM57100を使用。
- TV FUN 601
- 1977年9月発売。本体価格9,800円。TV FUN 501の機能をそのままに、本体を小型化させて1万円を切る価格設定でリニューアルした製品。色違いで茶色と白の2種類の本体がある[1]。井村屋のキャンペーン景品に起用された。
- TV FUN 602
- 1977年9月発売。本体価格12,800円。TV FUN 601の姉妹機で、ダブルスを増やして内蔵ゲームを6種類とし、本体直付けのパドル2つの他に外付けの2つのパドルを付けて4人プレイを可能とした。後期モデルは本体の形状を変更してTV FUN 601と異なるデザインとなっている。
- TV FUN 701
- 1977年9月発売。本体価格16,000円。グリッドボールやバスケットボールを加えてカラーで8種類のボールゲームを内蔵。コントローラに8方向のアナログスティックを採用し、ラケットが8方向に動かせるようになっている。LSIはゼネラル・インスツルメンツ社のAY-3-8600-1を使用しており、同じLSIを使用したバンダイの『TV JACK 1500』と同一の内容となっている。
- TV FUN 801
- 1977年9月発売。本体価格18,000円。TV FUN 602と同様のボールゲームに射撃ゲームを追加。外付けの2つのパドルが筒状になっているのが特長。射撃ゲーム用の光線銃も付属。本体はTV FUN 401と同じ筐体となっている。
- TV FUN 901 スタントサイクル
- 1978年発売。本体価格18,000円。カラーで4種類のボールゲームの他にモトクロスなどのスタントゲームを内蔵。外付けでスロットルの付いたバイクコントローラが付属する。スタントサイクル部分はバンダイの『TV JACK アドオン5000』用ゲームカセット『スタントサイクル』と同じ内容である。ボールゲームを省略したTV FUN 902も発売された。
周辺機器
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脚注
[編集]- ^ コアムックシリーズNO.682『電子ゲーム なつかしブック』p.51.
参考文献
[編集]- 『エレクトニック・ゲーム・コレクターズ』オークラ出版、2000年2月。ISBN 4-87278-547-9。
- 『テレビゲームの世界』ゲームス・スクエア、1997年8月。
- 『I/O別冊 TVゲーム徹底研究』工学社、1978年4月。
関連項目
[編集]- TV JACK - TV FUNと同時期にバンダイより発売されたテレビゲームシリーズ。
- システム10 - TV FUNと同時期にエポック社より発売されたテレビゲーム。
- カラーテレビゲーム15 - TV FUNと同時期に任天堂より発売されたテレビゲーム。
- 第20回週刊少年マガジン新人漫画賞
- 当時行われた週刊少年マガジンの創刊1000号記念の新人賞の際に、佳作受賞者への副賞として本機が贈られた。贈られた佳作受賞の漫画家の1人のもろが卓(後のガスコン金矢)は、入選を取れなかった悔しさのあまり飽きるほどTVゲームで遊んでいたら、いつのまにかゲーム雑誌の編集者になっていたと語っている。