レイ・オブ・ライト (マドンナの曲)
「レイ・オブ・ライト」 | ||||
---|---|---|---|---|
マドンナ の シングル | ||||
初出アルバム『レイ・オブ・ライト』 | ||||
リリース | ||||
録音 | 1997年 | |||
ジャンル | EDM | |||
時間 | ||||
レーベル | マーヴェリック/ワーナー・ブラザース・レコード | |||
作詞・作曲 | マドンナ、ウィリアム・オービット、カーティス・マドゥーン | |||
プロデュース | マドンナ、ウィリアム・オービット | |||
マドンナ シングル 年表 | ||||
| ||||
「レイ・オブ・ライト」(Ray of Light)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライターのマドンナの楽曲。7枚目のスタジオアルバム『レイ・オブ・ライト』(1998)のタイトル・トラックであり、1998年4月27日にマーヴェリック・レコードからアルバムのセカンド・シングルとしてリリースされた。ベスト・アルバム『GHV2』(2001)と『セレブレイション 〜マドンナ・オールタイム・ベスト〜』(2009)にも収録されている。
楽曲はマドンナ、ウィリアム・オービット、クライヴ・モルドゥーン、デイブ・カーティス、クリスティン・リーチによって書かれ、マドンナとオービットがプロデュースした。楽曲はカーティス・マドゥーンの「セフェリン」に基づいており、曲のジャンルとしてはテクノ、トランス、ユーロダンス、ディスコの要素を含んだエレクトロニックダンス・ミュージックの要素がある。「レイ・オブ・ライト」は、主にシンセサウンドと、エレキギターのリフで構成されており、楽曲の歌詞は自由をテーマにしている。
この曲はクラブによく似合うエレクトロニックなサウンド、歌詞、そして「エモーショナルな暖かさ」を感じさせる事が音楽評論家から高い評価を集めた。この曲はグラミー賞で最優秀レコード賞、最優秀ダンス・レコーディング賞、最優秀短編ミュージックビデオ賞の3部門にノミネートされ、その内の後者2部門を受賞した。
「レイ・オブ・ライト」はBillboard Hot 100では5位に初登場し、これまでのマドンナのシングルの初登場順位の中では最高位となった。また、ダンス・クラブ・チャートでも1位となった。世界的にもカナダ、フィンランド、イギリスでトップ5に到達し、ギリシャ、スコットランド、スペインでは1位となっている。
ミュージック・ビデオは、ジョナス・アカーランドが監督を務め、マドンナはビデオの中で世界中のさまざまな都市の背景をバックにこの曲を歌っている。ビデオは非常に高く評価され、グラミー賞の最優秀短編ミュージックビデオ賞を受賞した。ほかにも1998年のMTV Video Music Awardsでも5つの賞を受賞した。後年、ステファノ・サルヴァティは、1994年にビアージョ・アントナッチに向けて監督したミュージックビデオのコンセプトを盗用されたとして彼女を非難している。
この曲はこれまでマドンナが行った3つのコンサート・ツアーでも演奏され、その中でもThe Celebration Tour (2023年)が最も新しい。楽曲は多くのアーティストや大衆文化に取り上げられ、ドラマ『Glee/グリー』や様々な広告キャンペーンなどでも使用されている。
背景とリリース
[編集]1996年、マドンナは娘のルルドを出産したり、東方の神秘主義やカバラに興味を持ったり、ミュージカル『エビータ』の映画化では主演を務めるなど、多くの「人生を変える出来事」を経験した。1年後、彼女は7枚目のスタジオ・アルバム『レイ・オブ・ライト』の制作に取り掛かる。マドンナはアルバムの為にウィリアム・オービット、パトリック・レナード、リック・ノウェルズ、ベイビーフェイスらと一緒に曲を書いた[1]。このアルバムは彼女の人生に起こった変化を反映したものとなっている。著者のキャロル・ベンソンはアルバムが「とても精神的なダンス・レコード」であり、それらは彼女のキャリア、旅、そしてアイデンティティがベースになっているであろうと推定した。子供を産んで育てるという事は彼女の感情をよりマイルドなものにし、それが歌に反映されている。彼女のアイデアとしてはこれまでのダンスナンバーよりより深く、パーソナルなものにしたいと語っていた[2]。
マーヴェリック・レコードでマドンナのマネージャーを務めるガイ・オセアリーがウィリアム・オービットに電話をかけ、いくつかの曲をマドンナに送って欲しいと提案した後、オービットはアルバムの核として深く関わる事となった[3]。彼は13曲入りのデジタルオーディオテープ(DAT)をマドンナに送ったが、「レイ・オブ・ライト」はその中の一曲だった。楽曲は英国のフォークミュージック・デュオのカーティス・マドゥーンによるトラック「セフェリン」(1971)をベースにしている[4]。1996年、マルドゥーンの姪である英国のシンガーソングライター、クリスティン・リーチはデュオの作品はもちろん、その中でも「セフェリン」を大変気にいっており、彼女のバージョンの「セフェリン」を録音した、オービットはそのデモ制作に関わっており、その際に彼が取り組んでいたメロディーの上に「セフェリン」を被せたデモを録音した。この時リーチはコーラスを書き直し、元の曲から数ビットを取り除いている[4] [5]。オービットはその曲はリーチが曲を書いたものと考えてDATに含めていた[1]。そのDATに収められていたその曲を聴いたマドンナは楽曲を気に入り、新たに歌詞を書き直して「レイ・オブ・ライト」を完成させた [4]。
楽曲は1998年4月27日にイギリスでアルバムからのセカンド・シングルとしてリリースされた。米国では1998年6月23日に、40,000部のビデオ・シングルとともにリリースされた。カーチスは、マドンナが「セフェリン」を「レイ・オブ・ライト」として録音している事をラジオから流れてくる楽曲を聴いて初めて知った。彼は「信じられなかった」とし、最初は少し腹立たしく思ったものの、マドンナが彼の楽曲を使った事に満足した[4]。また彼は楽曲のソングライターの一人として受け取った15%の使用料にも満足していた。この楽曲のロイヤリティはマドンナが30%を受け取り、その他の15%はマルドゥーンのエステートに与えられ、残りはマドンナのレコード会社が獲得している[6]。マドンナはこの曲について「元のバージョンの長さは10分をはるかに超えていた。私はそのバージョンが大好きだった。しかし適度な曲の長さにカットする事になりそれは悲痛な事だった」と述べている。オリジナルのバージョンは『ベロニカ・エレクトロニカ』というリミックス・アルバムに収録される予定だったが、そのアルバムが結局リリースされる事は無かった [7] 。カーティスは2017年1月の雑誌『オーストラリアン』のインタビューの中で「セフェリン」のコンテンポラリー・ジャズ・バージョンを録音したことを語っている[5]。
レコーディング
[編集]「レイ・オブ・ライト」は、1997年半ばにカリフォルニア州ノースハリウッドのLarrabee North Studioでアルバムの他の楽曲とともに一緒に録音された。マスタリングはニューヨークのスターリング・スタジオでテッド・ジェンセンによって行われた。そのDATにはニューヨークのマドンナの家で行われたデモ・セッション、およびヒット・ファクトリー・スタジオで録音された曲の主要部分が収録されていた。楽曲で録音されたシンセサウンドはRolandJuno-106でプレイされたもの。マドンナとオービットはロサンゼルスでドラマー選びのセッションを行ったが、上手くいかなかった。そこでオービットは彼にドラムサンプルを送ったFergus Gerrandに連絡を取った。オービットは彼らにReCycle!のような自動編集ソフトウェアを使用する代わりに、彼自身のワークステーションを与え、それらを切り取ったものを使用した[8]。
本楽曲はアシッドエレクトロニカのスタイルに影響を受けている[9]。マドンナの伝記を書いた作家ルーシー・オブライエンによると、オービットはマドンナが彼女のダンスミュージックのルーツに拘ってより電子的なサウンドを求めるのに対し、トラックに感覚的な雰囲気を作り出す事で応えたとしている[9] [10] 。Musicnotes.comが発行している楽譜によると、曲は一般的な曲の長さに設定されており、1分あたり126ビートの適度に速いグルーブのテンポだとされている。それはB ♭メジャーのキーで構成されており、マドンナのボーカルは2オクターブとB ♭ 3からB 5までの1半音にまたがり、曲の終わり近くには高音が帯びているとしている。楽曲は、コード進行としてB ♭ –E ♭ –B–E–B ♭の基本シーケンスを持つ[11]。
曲はイギリスのオルタナティヴ・ロック・バンド、オアシスの音楽に匹敵するようなエレキギターのリフで始まる[12]。コードは互いに調和し、それは22秒間続く[13]。次にテクノのメロディーが始まり、メインのシンセサウンドが主要な音符の中で振動し、 EQが低音と高音の間を移動する[9][13]。「落ち着きのない」ビートには、ロックにインスパイアされたコードリフが伴い、マドンナの声のピッチはアルバムの他のトラックよりも高くなっている[13] [14]。録音中、オービットは曲のキーを歌手の限界よりも半音高く保ち、ボーカルに緊張を加えた。「レコーディングの最中、彼女はフラストレーションを感じていたが、それは歌手に限界を到達してほしい意図があった。曲中で彼女の声がしゃがれた時にそれを偽りなく聴く事が出来るだろう」と彼は回想した[9]。最後のコーラスの前に、1970年代のプロロックレコードを彷彿とさせるシンセ・ソロが再びある。Rikky Rooksbyによるとこれは「セフェリン」の曲の起源へのリンクだとしている [13]。
歌詞としてはトラックに見合った明るいテーマを持つ。マドンナによると詩は宇宙に対しての神秘的な見方であり、自分たちは宇宙と比べてどれほど小さいかを表している[1]。マドンナとしては誰かが目を開けて初めて世界を見た時のような不思議な気持ちを歌詞で捉えて表現したかったとした[15]。マドンナはNMEの中で、宇宙の広さの中での小ささを伝えたかったと語った。また歌詞は日常生活は光の速さのように過ぎていくが、そこから抜け出して客観的な視点で見つめるという事も歌っている[16]。
評価
[編集]「レイ・オブ・ライト」は音楽評論家から高い評価を受けた。アルバム全体のレビューでオールミュージックのスティーヴン・トマス・アールワインは曲を「くらくらする」と表現した[17]。マキシCDシングルのレビューで、同じウェブサイトのLiana Jonasはこのトラックを「ひどく良いクラブソング」であり、「音響的に進歩的でありながらリスナーに優しい」と評した。更に彼女はマドンナのボーカルをこれまでと比べて「クラブの歌姫から天の女神」へ変化したと賞賛した[18] 。Qのスチュアート・マッコニーは「タイトル・トラックは強烈なレイブ・アンセムにまるでそぐわないようなアルペジオのギターが混ざり構築されている」と「レイ・オブ・ライト」のレビューの中で書いている。更に「鋭い音楽性だがケミカル・ブラザーズの楽曲より明るい」とも記述[19]。
ビルボードのラリー・フリックは楽曲をマドンナのベストだと表現し、「精神的に高まった、主に詩的な歌」と呼んだ。彼は特に柔軟なボーカルとレコーディング・アーティストとしてのマドンナの進歩について言及している[20]。ローリング・ストーンはアルバム全体のレビューの中で、「スウィム」や「ドラウンド・ワールド」などといった他の楽曲と比べ、本楽曲の中でのマドンナは「積極的で凶暴」に聞こえると書いている[12] 。Slant MagazineのSal Cinquemaniはこの曲は「お祝いの狂乱」のようであるとして、マドンナの高揚した歌声に言及した[21]。『GHV2』のレビューの中で、Cinequemaniは次のように書いている。
最近ヒットした他のマドンナの楽曲とは異なり、「レイ・オブ・ライト」は、まるでお祝いの熱狂の中にマドンナがいるようだ。それがスピリチュアルなものであろうと音速的なものであろうと、楽曲から感じる彼女の高揚感は紛れもないものである。オービットのアナログシンセとエレキギターのリックのサイクルは、マドンナの新しく訓練された声帯の弾力性を完全に補完する役割を果たしている。それは「ディーパー・アンド・ディーパー」からの流れで始まったものとは違う[22]。
スプートニク・ミュージックのレビュアーはこの楽曲を『レイ・オブ・ライト』のアルバムの中のおすすめの曲としてリストした[23]。オブライエンはこのトラックが「空への恍惚とした賛美歌」であることに気づいた[9]。AVクラブのスティーブン・トンプソンは「盛り上がったタイトルトラックは、当然のスマッシュになるはずだ」とコメントした[24]。ボルティモア・サンのJDコンシジンは、「マドンナの新しい強さは「レイ・オブ・ライト」のような躍動したナンバーで明らかであり、空高く舞い上がるようなコーラスは束の間の夢の橋のようだ」と記述[25]。デビッド・ブラウンはエンターテインメント・ウィークリーの『レイ・オブ・ライト』のレビューの中でこの曲を「サイレンのようなテクノグリッターボール」だと記述した[26]。アイドレーターのスティーブン・シアーズは本楽曲を含めてアルバム全体でのマドンナのボーカルは「ゲームチェンジャー」だと述べ、映画『エビータ』の撮影期間中のボイストレーニングがもたらした影響だとした。彼は「確かに 「レイ・オブ・ライト」をディスコ・ヘヴンに持ち上げるのに聖歌隊は必要ない」と述べてレビューを締めくくっている。マドンナは完璧なタイミングで高音を発しており、3分27秒や4分14秒にそれは顕著だとした[27]。マドンナの60歳の誕生日を記念してガーディアンで行われた歴代シングルのランキングの中でジュード・ロジャースは本楽曲を「最も楽しいエレクトロニックポップシングルの1つ」と呼んだ[28]。
チャート成績
[編集]米国のBillboard Hot 100では1998年7月11日付けの号で楽曲が5位に初登場したと発表した。彼女の初登場順位としては当時の史上最高であり、「愛をこえて」(1995)と「フローズン」(1998)で記録した8位を上回った。楽曲はマドンナにとっての37曲目となるトップ40ヒットとなり、マドンナはコニー・フランシスの記録を抜かしてHot 100で最もトップ40にチャートインした女性になった[29]。「レイ・オブ・ライト」はHot 100に合計20週間チャートインし、年末チャートでは75位にランクインした。この曲はビルボードのダンス・クラブチャートのトップにも到達し、合計4週間トップの位置に留まった。1998年9月にはアメリカレコード協会(RIAA)からゴールド認定を受け、全米で50万枚のシングルを出荷。カナダでは、RPMにて85位でデビューし、8週目には3位に達した[30]。チャートには合計30週間インした[31]。
オーストラリアでは1998年5月24日に6位で初登場し最高位もまた同様であった。チャートには合計17週間ランクインし、オーストラリアレコード産業協会(ARIA)からは35,000部のシングルの出荷でゴールド認定を受けた。ARIAの年末チャートでは、1998年のオーストラリアで57番目に売れたシングルとされた。ニュージーランドでは、RIANZシングルチャートの9位に初登場し最高順位も同様。チャートには合計14週間ランクイン。
イギリスでは1998年5月9日に2位に初登場、1位は同じ週にデビューしたオール・セインツの「アンダー・ザ・ブリッジ/レディ・マーマレード」だった[32]。英国レコード産業協会(BPI)は「レイ・オブ・ライト」に対してシルバー認定を授けた。オフィシャル・チャート・カンパニーによると、楽曲は2008年8月の時点で275,000枚を売り上げた [33]。ユーロチャートホット100では1998年5月16日付けで9位に初登場[34]。ベルギーでは「Ray of Light」はフランデレン・ワロン両方の地域でそこそこ成功を収め、フランデレンでは25位、ワロンで33位の最高位に達した。オランダでは45位で初登場し、1998年5月16日に22位の最高位を記録、その位置に3週間留まった。フィンランドでは2週連続で2位を記録し、合計5週間チャートインした。スウェーデンでは14位が最高位であり、チャートには10週間もの間留まった。スイスの シュヴァイツァー・ヒットパラーデでは「レイ・オブ・ライト」は1998年5月24日付けでで最高位32位で初登場。スペインでは3週連続の1位を記録した [35]。
ミュージック・ビデオ
[編集]「レイ・オブ・ライト」のミュージック・ビデオの監督は過去に物議を醸したプロディジーの「スマック・マイ・ビッチ・アップ」(1997年)のクリップを監督したジョナス・アカーランドが務めた[36]。マドンナは、モハーヴェ砂漠で前のシングル「フローズン」のビデオを撮影していたときから本楽曲のビデオについて計画を立てていた。「スマック・マイ・ビッチ・アップ」のビデオは当時のマドンナのお気に入りであり、それもあって彼女はアカーランドに監督を依頼した [37]。マドンナは、アルバムを作るときは「魂を込める」と述べているが、ミュージック・ビデオでは監督との協力がはるかに重要となる。『レイ・オブ・ライト』のアルバムからのビデオでは、彼女はこれまでよりも新鮮な表現、および新たなディレクターとのコラボレーションを求めた。彼女はアカーランドの「特別な働き方」が好きで、電話で彼と話した。彼らの会話は6か月以上続き、ほとんどの時間はビデオの最終的なコンセプトを考え出すのに費やされたものだった[38] [39]。アカーランドはスウェーデンの新聞Aftonbladetとのインタビューで次のように述べている。
私は曲に合わないアイデアを2つ持っていた。私は彼女がどうビデオで映るかについてのより明確なアイデアを持っていても彼女はノーと言った。私は別のアイデアに取り組み、それらを組み合わせて彼女に見せた。私は出来ることは全てやった。(中略)振り返ってみると結果的に最初のアイデアよりも楽曲に適したビデオが作れたので気分が良い。マドンナはスタイル、音楽、ビジネス、どれにおいても素晴らしい軌道を辿ってきた。彼女はすべてのことに気を配り、自分自身が完全に満足するまでは決して諦めない。そしてミュージック・ビデオの中での彼女は、片手間で仕事を行う事はなく、彼女は100パーセントのクオリティを証明したんだ [38]。
マドンナはこのクリップについて「地球の1日を描いており、1900年代の終わりに向けて全速力で急いでいることを示している。ジョナスは私に2日間狂ったように踊らせたが、それは曲に対しての優れた解釈だったと思う。彼はタフな監督だ」と語った [38]。レビュアーはそれを1982年のアメリカの実験映画『コヤニスカッツィ』と比較した。コヤニスカッツィとは都市のタイムラプス映像を示したもの [40]。マドンナのシーンは、1998年3月25日から26日まで、ロサンゼルスのMTV/VH1スタジオで撮影された。背景シーンは、ロサンゼルス、ニューヨーク、ロンドン、ラスベガス、ストックホルムなどのさまざまな都市で撮影された [36] [38]。ストックホルムで撮影されたテストショットはあくまでビデオのイメージを伝えるためにマドンナに提示されたものだったが、ビデオで使用するのにも適していると見なされた [41]。
撮影中、アカーランドにはスウェーデン人の3人の従業員、写真家のHenrik Halvarsson、プロダクションデザイナーのMattias Lindgren、編集者のMaxVitaliが同行した。また、マドンナの娘ルルドもセットにいた[38]。アカーランドは撮影の翌日、ミック・ジャガーからローリング・ストーンズの新しいミュージック・ビデオを監督するよう呼びかけられたことを思い出したが、「レイ・オブ・ライト」のプロダクションに時間がかかっていた為、申し出を辞退しなければならなかった[38]。彼らは14日間以上撮影し、その間に彼は1台の車に乗組員を乗せ、 35mmカメラのアングルを調整し、1枚ずつそれらが撮影されるのを待った [41]。彼はずっとポケットに図を入れなければならず、それは彼らが撮影したすべてのフレームのすべての計画が書かれていた。10秒ごとに1フレームをキャプチャし、30分続けて約5秒の映像を取得。その結果「レイ・オブ・ライト」は、アカーランドのミュージック・ビデオとしては史上最長の撮影時間となった[40]。また、彼らはカメラをバスに取り付けシーンをキャプチャするためにニューヨークを走り回った[41]。
マドンナは「フローズン」のビデオの間に、クリス・カニンガム監督との打ち合わせの為に彼が編集を行なっていたロンドンに何度も行ったり来たりした経験があり、その工程を繰り返したくなかったため、アカーランドにビデオはロサンゼルスで編集する必要があると主張した。これはアカーランドと彼のチームが撮影期間中米国に住まなければならないことを意味した。彼らはホテルに住み、持ち帰り用の中華料理を食べ、クリップを完成させた[38]。すべてのシーンが高速化された上に曲が長かったため、撮影したすべての映像が実際のビデオになった[41]。
ビデオは1998年5月12日にMTVライブで初公開された[36]。ビデオはまず、太陽が昇り、男性が家のカーテンを開けるところから始まる。「コヤニスカッツィ」にインスピレーションを得たセクションに進むまで、地下鉄に乗っている人、食べ物を注文している人、ボウリングをしている人、教室の子供たち、高速道路など、日常生活をタイムラプスで撮影した映像が続く。それらを背景にマドンナが歌ったり踊ったりしている。日暮れのシーンが終わると、マドンナがディスコで踊っているシーンとなり、その後、彼女はダンスフロアで眠りに落ちるような素振りを見せ、ビデオは地球の回転ショットで終わる。
1998年6月23日にはWarner Music Visionから40,000部の限定版としてシングルビデオがVHSでリリースされた。リリース後、翌月には7,381部を売り上げ、ニールセンサウンドスキャン時代のベストセラービデオシングルとなった[42]。ビルボードのミュージックビデオ販売チャートには合計13週間チャートされた [43]。リリースの数日後、イタリアの監督ステファノ・サルヴァティはマドンナとワーナー・レコードを非難した。彼が監督したビアージョ・アントナッチの1994年のシングル「Non è Mai Stato Subito」のコンセプトを盗用したとマーヴェリックに対して訴えを起こした。 サルヴァティによると彼のビデオのコピーは、「レイ・オブ・ライト」のビデオが撮影される前にマーヴェリックに提出されたが採用されなかったとした。両方のビデオの共通項として歌手の背景に高速画像を用いた事が挙げられる。しかし、結局彼は歌手や彼女の会社を訴えなかった[44]。
「レイ・オブ・ライト」のビデオでマドンナは長いブロンドの髪とブロンズのボディを備えた彼女の新たな「アース・マザー」ルックを披露している [27] [45]。ジョージズ・クロード・ギルバートは、彼の著書の中で、彼女の外見は、歌手のアラニス・モリセットやベネチアの絵画にも匹敵すると書いている。マドンナによると彼女はイタリアのルネサンスのような外見を求め、画家のラファエロとボッティチェッリの作品を参考にした[46]。ギルベールはそれが時代精神と調和したポストモダニズムに対応していることを発見し、それが彼女のイメージチェンジの1つにすぎないと述べた。マドンナはこのルックに飽きて、その後のアルバムからのシングルでは黒髪の新しいルックを披露したとされている[47] 。『 Ex-foliations:Reading Machines and the Upgrade Path』という本の中で著者のTerry Harpoldは、タイムラプスの演出について「日常生活を無益な生存の試みとして描写していると感じ、子宮内の胎児の超音波検査とハムスターが車輪の上を走っている様子を示す別のショットを映す事によってそれは強調されている」とコメントした[48]。SantiagoFouz-Hernándezは、ビデオの中のマドンナを秘教的であると説明した [49] [50]。このビデオは、『ベスト・ヒット・コレクション 93-99』(1999)および『セレブレイション~マドンナ・オールタイム・ベストDVD』(2009)に収録されている[51] [52]。
受賞と評価
[編集]1999年、「レイ・オブ・ライト」は第41回グラミー賞で最優秀ダンス・レコーディング賞と最優秀短編ミュージック・ビデオ賞を受賞した。最優秀レコード賞にもノミネートされたが、セリーヌ・ディオンの「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」に敗れた[53] [54]。さらに Village Voiceは、Pazz&Jopの批評家の投票で1998年に4番目に優れているとランク付けした[55]。1999年の米国作曲家作詞家出版者協会ではダンスソング部門のトップを受賞した。同じ年のASCAPポップアワードでも最も演奏された曲のカテゴリーで賞を獲得[56] [57] 。1999年のアイヴァー・ノヴェロ賞ではインターナショナル・ヒット・オブ・ザ・イヤーのカテゴリーにノミネートした[58]。
「レイ・オブ・ライト」は1990年代の最高の曲の1つとしてランク付けされることもよくある[14]。 2003年、Qは本楽曲を「史上最高の1001曲」のリストで609位にランク付けした[59]。2005年、この曲はBlenderの「あなたが生まれてからの最高の曲500選」で401位にランク付けしている[60] 。Slant Magazineの「1990年代のベストシングル」リストの中では16位にランクインし、レビュアーはこの曲について「落ち着きのないビート」、「レイ・オブ・ライト」は「傑出したシングル」であると評した[14]。ビルボードは「マドンナの最高の曲ランキング」で本楽曲を5位にランク付けし「彼女の輝かしいキャリアの新しい章をマークした」と述べた[61]。ローリング・ストーンによる歌手のグレイテスト・ソング50のランキングでも、「レイ・オブ・ライト」が8位にランクインし、雑誌のライターはマドンナの「これまでのマドンナの楽曲の中で最も力強く歌われたボーカル」に注目した[15]。2018年5月、ビルボードは1998年のトップソングを決めるランキングの中で「レイ・オブ・ライト」を9位にランク付けした。ジョー・リンチはこの楽曲について「ラジオに最も楽しく、活気にあふれ、人生を肯定するダンス・バンガーを与えた。数年に渡り若手が褒め称えられていたが、39歳の母がTOP40に再びチャートインした事で最終的には再び彼女が乗っ取った」としている。1か月後、ガーディアンは本楽曲をマドンナの4番目に優れたシングルとしてリストした[28]。同様に、エンターテインメント.ウィークリーは本楽曲を彼女の5番目に素晴らしいシングルとしてランク付けした[62]。
ミュージック・ビデオは1998年のMTV Video Music Awardsで8つの部門にノミネートされ、最終的に5部門(最優秀ビデオ賞、最優秀女性ビデオ賞。最優秀ビデオディレクション賞、最優秀編集賞、最優秀振付賞)を獲得した。これは彼女のキャリアの中で当時最多となる[63]。最優秀ビデオ賞を受賞したのは初めてであり、マドンナはMTVがビデオを評価した事に対して感謝した[39]。インターナショナル・ダンス・ミュージック・アワードでは、最優秀ダンスビデオ賞のトロフィーを獲得し[64]、マッチ・ミュージック・ビデオ・アワードでも、ベスト・インターナショナル・ビデオ賞のトロフィーを獲得した[65]。1998年のミュージックビデオ制作協会の式典でも受賞し、ベスト・ポップ・ビデオ・オブ・ザ・イヤーのカテゴリーを受賞した[66]。このビデオは、2006年8月にチャンネルの25周年を記念してMTVが発行した「ルールを破ったビデオトップ10」のランキング上位にランクインした[67]。2016年、 ローリング・ストーンはBilge Ebiriとともに、「マドンナの20の最高のビデオ」のランキングで本楽曲を2位にランク付けし、「マドンナがVMAを受賞する為のエレクトロニカの大胆な抱擁」と呼んだ[40]。
ライヴ・パフォーマンス
[編集]1998年2月、マドンナはアルバムを宣伝するためにロキシーNYCナイトクラブで行われたサプライズ・コンサート中に「レイ・オブ・ライト」を初披露した[68] 。3か月後、彼女はオプラ・ウィンフリー・ショーに出演し、アルバム曲の「リトル・スター」と一緒に本楽曲を披露した[69] 。1998年のMTV Video Music Awardsでは黒髪でサリーを身に付けたマドンナがまず「シャンティ/アシュタンギ」を披露、その後、レニー・クラヴィッツがギターを弾いて登場し、「レイ・オブ・ライト」を歌った。世界ヴィシュヌ派協会(WVA)と呼ばれる宗教団体は、彼女が頭にヒンドゥー教のシンボルを身に着けて行ったパフォーマンスでヒンドゥー教徒を怒らせたと主張。協会のスポークスパーソンは、マーク(オームと呼ばれる)は純潔、調和、純粋さの象徴であり、「神への献身」を示すように設計されていると述べた。代表者はまた、マドンナが性行為をシミュレートし、マークを付けたままステージ上でシースルーのタンクトップを着用したため、ヒンズー教徒とヨギ教徒の両方を怒らせたと述べた [70]。マドンナの広報は、彼女に侮辱の意図は無く、なぜWVAが動揺したのか理解していなかったと述べた[70]。しかし、WVAの副社長は、「世界中のヒンズー教徒のコミュニティと東部の精神的な探求者は、マドンナが悟りを開いた人生に真に関心を持っているという点で、マドンナに満足しているはずです」と述べた[71]。
「レイ・オブ・ライト」は、マドンナのコンサート・ツアーのセットリストに3度組み込まれている。1度目は2001年のドラウンド・ワールド・ツアーで、パンク風の服を着て演奏したネオパンク・セグメントの5曲目として演奏された。背景画面には曲のミュージック・ビデオが編集して流された。この際モンテ・ピットマンがエレキギターを弾いた[72]。Music OMHのMichael Hubbardはパフォーマンスについて『単純に崇高さが伝わってくる一曲だった』と述べた。2005年、マドンナはLIVE 8の慈善コンサート[73]で「レイ・オブ・ライト」を演奏し、1年後のカリフォルニア州インディオで開催された2006年のコーチェラ・フェスティバルでも本楽曲を演奏した[74]。2度目のコンサート・ツアーでの披露は 2006年のコンフェッションズ・ツアーで、マドンナはショーの第3幕であるグラムパンク・セグメントの2曲目として「レイ・オブ・ライト」のロック・バージョンを披露した。このパフォーマンスではマドンナはエレキギターを弾き、聴衆にジャンプするように煽ったりした。彼女はシンクロした振り付けをする黒い服と白いネクタイを着た6人の男性のバックアップダンサーを伴っていた [75]。ローリング・ストーンはパフォーマンスを「ハードロッキング」と呼んだ [76]。
「レイ・オブ・ライト」は、2007年にロンドンのウェンブリー・スタジアムで開催されたライブ・アースのコンサートで、再び演奏された[77]、イベントでのマドンナのパフォーマンスは450万人の人々に見られた[78] 。3度目の披露となる2008–09年のスティッキー・アンド・スウィート・ツアーでは、ショーの最終セグメントの3曲目として披露。マドンナは再びエレキギターを弾き、胸板と短いかつらを着用した未来的な衣装を着ていた。彼女は同じく未来的な衣装を着てロボット風の振り付けを行ったダンサーを伴っていた[79]。ニューヨーク・デイリー・ニュースのジム・ファーバーは、この曲のパフォーマンスをショーの「最もエネルギーの高い」ダンスナンバーの1つと呼んだ [80] 。2016年12月6日、マドンナは『レイト×2ショー with ジェームズ・コーデン』のカープール・カラオケの企画に出演し、この曲をコーデンと一緒に歌った[81]。2017年7月27日にフランスのサントロペで開催されたレオナルド・ディカプリオ主催によるチャリティー・イベントだった[82]。その後、2023年の「The Celebration Tour」でも披露された。
カバーとその他の使用
[編集]アル・ヤンコビックの 1999年のアルバム「ランニング・ウイズ・シザーズ」に収録されている「ポルカパワー・メドレー」ではポルカ・バージョンの本楽曲のコーラスが組み込まれている[83] 。2004年のコンピレーション・アルバム『Platinum Blonde NRG, Vol. 2: Nrgised Madonna Classics』ではFuture ForceによってHi-NRG風にカバーされたものが収録された[84]。イギリスの歌手ナターシャ・ベディングフィールドが、BBCラジオ1の40周年を記念して「レイ・オブ・ライト」のカバー・バージョンを録音した。そのナターシャのバージョンは2007年9月19日の『クリス・モイルズ・ショー』で演奏され、『Radio 1 Establish 1967』のコンピレーションに収録されている。ナターシャは「その歌を歌うのがどれほど難しいかを学んだ後、私はマドンナをとても尊敬しています。彼女は素晴らしい声を持っています。この歌を歌うのに必要な音域は信じられないほどです」と述べた。2008年、イギー・ポップとザ・ストゥージズは、ロックの殿堂を受賞したマドンナへのトリビュートとして授賞式で「バーニング・アップ」とともに本楽曲を演奏した [85] 。2010年、この曲は映画『バーレスク』でも挿入歌として使用された[86]。2012年後半、アメリカの歌手アダム・ランバートは、VH1 Divasのライヴの中で司祭の黒と白のチュニックを着用しながら本楽曲のカバーを披露した[87]。
この曲は2001年のWindows XPの広告キャンペーンでも使用された。内容は男性が緑の野原を飛び越えて、晴れた空に飛び降りるところから始まる。これは、Windows XPのデフォルトの背景画像でもある[88]。また、Windows XPを使用してリアルタイム通信を行ったり、風通しの良いレストランで共同作業したり、飛んでいる人々のデジタル画像を中継したり、ビデオを見たり、音楽を聴いたりする人々のシーンがそれに続き、次に曲の歌詞の抜粋が続く[88]。その抜粋はアメリカ同時多発テロ事件の後に一部が変えられた [88] 。2008年、Sunsilkのシャンプーのコマーシャルでは、マリリン・モンローとシャキーラの後にマドンナが登場し、その際本楽曲が使用された。伝えられるところによると、マドンナはこの曲の使用に対して1,000万ドルを受け取った[89]。このコマーシャルは第42回スーパーボウルで初めて放送された[89]。 2010年、米国のテレビドラマ『Glee/グリー』のマドンナへのトリビュート・エピソード「マドンナパワー」において、学校のチアリーダーチームのシーンで、「レイ・オブ・ライト」が挿入歌として使用された[90] 2011年の『ファミリー・ガイ』のエピソード「新しい腎臓が町にやってくる」では、主人公のピーター・グリフィンが、レッドブルを飲んだ後に「レイ・オブ・ライト」のビデオを観るというシーンがある[91]。
トラックリスト
[編集]
|
|
クレジット
[編集]- マドンナ:ボーカル、作詞作曲、プロデューサー
- ウィリアム・オービット:作詞作曲、プロデューサー
- クライブ・モルドゥーン:作詞作曲
- デイブ・カーティス:作詞作曲
- クリスティン・リーチ:作詞作曲
- パット・マッカーシー:エンジニア
チャート
[編集]
週間チャート[編集]
|
年間チャート[編集]
|
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c Black, Johnny (August 2002). “Making of Ray of Light”. Q 17 (8). ISSN 0955-4955.
- ^ Metz & Benson 1999, pp. 25–26
- ^ Walter, Barry (April 1998). “Madonna Just Made Her Most Daring Album in Years...”. Spin 14 (4). ISSN 0886-3032 November 1, 2011閲覧。.
- ^ a b c d “Curtis Maldoon. Sepheryn”. Purple Records. April 15, 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。May 25, 2014閲覧。
- ^ a b Howe, Alan (January 3, 2017). “Madonna's Ray of Light: track reborn as a dance hit”. The Australian January 28, 2017閲覧。
- ^ Priddey 2014, p. 198
- ^ Flick, Larry (February 21, 1998). “WB Expects Madonna To 'Light' Up International Markets”. Billboard 110 (8): 83. ISSN 0006-2510 December 8, 2012閲覧。.
- ^ Kot (July 1998). “The Methods and Machinery Behind Madonna's Ray of Light”. Keyboard. October 9, 1999時点のオリジナルよりアーカイブ。April 7, 2016閲覧。
- ^ a b c d e O'Brien 2008, pp. 326–327
- ^ Goldberg (January 27, 1998). “Madonna Reinvents Herself As Queen of Electro-Pop”. MTV News. October 18, 2011閲覧。
- ^ “Madonna Ciccone 'Ray of Light' Sheet Music”. Musicnotes.com. December 18, 2012閲覧。
- ^ a b Sheffield, Rob (April 2, 1998). “Ray Of Light”. Rolling Stone October 18, 2011閲覧。.
- ^ a b c d Rooksby 2004, p. 52
- ^ a b c Cole (January 9, 2011). “The 100 Best Singles of the 1990s: Madonna, 'Ray of Light'”. Slant Magazine. p. 17. October 18, 2011閲覧。
- ^ a b “Madonna's 50 Greatest Songs: Ray of Light No. 8”. Rolling Stone (July 27, 2016). February 1, 2017閲覧。
- ^ Patterson, Sylvia (March 7, 1998). “Madonna: The Mother of All Things Pop Is Back”. NME: 38. ISSN 0028-6362 January 30, 2017閲覧。.
- ^ Thomas Erlewine. “Madonna > Ray of Light”. AllMusic. May 25, 2014閲覧。
- ^ Jonas. “Ray of Light [Single]”. AllMusic. October 18, 2011閲覧。
- ^ Maconie, Stuart (April 1998). “Expressing herself”. Q: 105.
- ^ Flick, Larry (May 16, 1998). “Reviews & Previews”. Billboard 110 (20): 24. ISSN 0006-2510 May 25, 2014閲覧。.
- ^ Cinquemani. “Madonna: Ray Of Light”. Slant Magazine. October 18, 2011閲覧。
- ^ Cinquemani (November 8, 2001). “Madonna – GHV2”. Slant Magazine. 30 December 2017閲覧。
- ^ “Madonna – Ray of Light”. Sputnikmusic (August 13, 2006). July 14, 2013閲覧。
- ^ Thompson, Stephen (March 29, 2002). “Madonna: Ray Of Light”. The A.V. Club May 27, 2014閲覧。.
- ^ Considine, J.D. (March 3, 1998). “Seeing, hearing the light Review: Madonna's depth and deft feel for techno pop should sway any nonbelievers.”. The Baltimore Sun May 27, 2014閲覧。
- ^ Browne, David (March 6, 1998). “Madonna: Ray of Light (1998)”. Entertainment Weekly May 27, 2014閲覧。
- ^ a b Sears (March 4, 2013). “Madonna's 'Ray Of Light' Turns 15: Backtracking”. Idolator. May 27, 2014閲覧。
- ^ a b Rogers (August 16, 2018). “Every one of Madonna's 78 singles – ranked!”. The Guardian. August 26, 2018閲覧。
- ^ Bronson, Fred (July 11, 1998). “With 'Light', Madonna's Life Begins At 40”. Billboard 110 (28): 88. ISSN 0006-2510 July 15, 2013閲覧。.
- ^ “Top RPM Singles: Issue 3552”. RPM. Library Archives of Canada. July 15, 2013閲覧。
- ^ “Top RPM Singles: Issue 6984”. RPM. Library Archives of Canada. July 15, 2013閲覧。
- ^ Patterson, Colin (October 14, 2014). “Ten hits you may not know were cover versions”. BBC News November 28, 2016閲覧。
- ^ “Madonna: The Official Top 40”. MTV UK. October 10, 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。December 20, 2010閲覧。
- ^ a b “Hits of the World Continued”. Billboard 110 (20): 51. (May 5, 1998). ISSN 0006-2510 July 15, 2013閲覧。.
- ^ a b “Hits of the World Continued”. Billboard 110 (21): 63. (May 23, 1998). ISSN 0006-2510 July 15, 2013閲覧。.
- ^ a b c “Madonna Takes It To The Dance Floor For 'Ray Of Light' Video”. MTV News (May 12, 1998). March 2, 2014閲覧。
- ^ “Madonna On 'Light' Mysticism, 'Smack My Bitch Up' Video”. MTV News (April 23, 1998). January 31, 2017閲覧。
- ^ a b c d e f g Ericzén, Bobo (May 8, 1998). “Madonna är cool, skön att jobba med [Madonna is cool, comfortable to work with]” (スウェーデン語). Aftonbladet: pp. 1–2 May 25, 2014閲覧。
- ^ a b Hay, Carla (September 26, 1998). “MTV Video Music Awards Offers Additional Appel In Its Spetacle”. Billboard 110 (39): 145. ISSN 0006-2510 May 24, 2014閲覧。.
- ^ a b c Ebiri (July 7, 2016). “Strike a Pose: Madonna's 20 Greatest Videos: Ray of Light (1998)”. Rolling Stone. January 31, 2017閲覧。
- ^ a b c d Ebiri (February 25, 2015). “Express Yourself: The Making of Madonna's 20 Greatest Music Videos: Ray of Light (1998)”. Rolling Stone. January 31, 2017閲覧。
- ^ Ray, Carla (July 18, 1998). “Video Singles Look For Higher Retail Profile”. Billboard 110 (29): 83. ISSN 0006-2510 May 24, 2014閲覧。.
- ^ “[0=ss_chart_search_title%3A%22Ray%20Of%20Light%22&f[1]=itm_field_chart_id%3A388&refine=1 Chart Search: Madonna 'Ray of Light']”. Billboard. February 2, 2017閲覧。
- ^ “Italian Director Claims Plagiarism In Madonna Video”. MTV News (June 29, 1998). October 18, 2011閲覧。
- ^ Fouz-Hernández & Jarman-Ivens 2004, p. 93
- ^ Guilbert 2002, p. 172
- ^ Guilbert 2002, p. 174
- ^ Harpold 2009, p. 240
- ^ Fouz-Hernández & Jarman-Ivens 2004, p. 44
- ^ Fouz-Hernández & Jarman-Ivens 2004, p. 91
- ^ Basham, David (October 8, 1999). “Madonna Offers Up New Video Compilation”. MTV News April 7, 2016閲覧。
- ^ Greenblatt, Leah (August 26, 2009). “Madonna's 'Celebration' track list revealed: Are the greatest hits all there?”. Entertainment Weekly July 6, 2016閲覧。
- ^ “41st annual Grammy nominees”. CNN (January 5, 1999). May 25, 2014閲覧。
- ^ “General Categories”. Los Angeles Times. (February 25, 1999) May 25, 2014閲覧。
- ^ “Pazz & Jop 1998: Critics Poll”. Robert Christgau (March 2, 1999). October 18, 2011閲覧。
- ^ Hazelwood, Darrell T. (May 28, 1999). “Flash! / The latest entertainment news and more...”. Newsday: A.16. ISSN 0278-5587.
- ^ Pride, Dominic (October 30, 1999). “Lange Aces PRS Awards: Writers Of Most-Played U.S. Songs Feted”. Billboard 111 (44): 70. ISSN 0006-2510.
- ^ Hunter, Nigel (April 29, 2000). “Shania Twain Garners 4 Novello Nominations”. Billboard 112 (18): 71. ISSN 0006-2510.
- ^ Q - 1001 best songs ever (2003)
- ^ Staff, Blender (October 2005). “The 500 Greatest Songs Since You Were Born”. Blender February 1, 2017閲覧。.
- ^ “Madonna's 15 Best Songs: Billboard Staff Picks”. Billboard (September 9, 2015). February 1, 2017閲覧。
- ^ Arnold (August 15, 2018). “Madonna's 60 best singles, ranked”. Entertainment Weekly. September 28, 2018閲覧。
- ^ “1998 Video Music Awards”. MTV. May 31, 2014閲覧。
- ^ “14th Annual International Dance Music Awards”. Winter Music Conference. March 6, 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。December 6, 2010閲覧。
- ^ “1998 Much Music Video Awards – Winners”. Much Music Video Awards. June 1, 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。December 15, 2010閲覧。
- ^ Hay, Carla (April 24, 1999). “Squarepusher Pulls In Three At MVPA Music Video Awards”. Billboard 111 (17): 76. ISSN 0006-2510 .
- ^ “Madonna tops MTV 'groundbreaking' videos poll”. Hürriyet Daily News (July 25, 2006). January 31, 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。January 20, 2017閲覧。
- ^ “Madonna plays the Roxy, NYC”. Madonna.com (February 16, 1998). February 9, 2014閲覧。
- ^ “Madonna Steps Into The Media 'Light' With Oprah, Firms Up Film Work”. MTV News (May 25, 1998). May 13, 2012閲覧。
- ^ a b “Madonna's VMA Performance Draws Ire Of Hindu Organization”. MTV News (September 15, 1998). May 31, 2014閲覧。
- ^ “Madonna Draws Praise From Leader Of Previously Critical Hindu Group”. MTV News (September 17, 1998). May 27, 2014閲覧。
- ^ Clerk 2002, p. 172
- ^ “The Live 8 Event”. BBC News June 14, 2005閲覧。
- ^ “Coachella Day Two: Madonna Makes It Quick, Gnarls Goes 'Crazy'”. Billboard (May 1, 2006). August 12, 2020閲覧。
- ^ Gonzalez (August 23, 2006). “Madonna: Confessions Tour”. Slant Magazine. October 15, 2009閲覧。
- ^ Baltin, Steve (May 22, 2006). “Madonna Launches Tour With Disco Crucifixion”. Rolling Stone July 14, 2013閲覧。
- ^ Lewis, Derence (July 7, 2007). “Madge closes Live Earth with a bouncing, planet-saving set”. MTV News May 21, 2009閲覧。
- ^ Sweney, Mark (July 9, 2007). “Complaints over Live Earth swearing”. The Guardian (London) May 11, 2010閲覧。
- ^ Liss, Sarah (October 20, 2008). “Live review: Madonna feels it in her heartbeat”. Canadian Broadcasting Corporation November 6, 2009閲覧。
- ^ Farber, Jim (August 24, 2008). “Madonna rocks hard, wears little in Sticky and Sweet start”. Daily News (New York) July 14, 2013閲覧。
- ^ Kelley (December 8, 2016). “Madonna Twerks, Vogues and Talks Kissing Michael Jackson in Full Carpool Karaoke (Watch)”. Variety. January 20, 2019閲覧。
- ^ Gardner (July 27, 2017). “Madonna Makes Surprise Appearance at Leonardo DiCaprio's St. Tropez Fundraiser”. The Hollywood Reporter. October 31, 2017閲覧。
- ^ Considine, J.D. (July 23, 1999). “Running with Scissors Review”. Entertainment Weekly April 1, 2012閲覧。
- ^ “Various Artists - Platinum Blonde NRG, Vol. 2: Nrgised Madonna Classics”. Allmusic. Rovi Corporation. July 15, 2013閲覧。
- ^ “Madonna Has Her Say At Rock Hall Ceremony”. CBS News. (March 18, 2008) May 18, 2010閲覧。
- ^ “Burlesque” (ポルトガル語). Terra Networks. July 15, 2013閲覧。
- ^ “Miley Cyrus, Demi Lovato and Adam Lambert unleash their inner divas...”. MTV Australia (December 18, 2012). July 16, 2013閲覧。
- ^ a b c “Microsoft Campaign Borrows Madonna's 'Ray'”. Billboard. (October 16, 2001) July 15, 2013閲覧。
- ^ a b Elliott, Stuart (January 14, 2008). “I'm Gonna Wash That Brand Right Into My Hair”. The New York Times May 27, 2014閲覧。
- ^ Stack, Tim (October 21, 2009). “'Glee' Exclusive: Madonna is on board! Is Adam Lambert next?”. Entertainment Weekly March 4, 2010閲覧。
- ^ Deeken (January 10, 2011). “'Family Guy' Patriarch Covers Madonna, Causes 'Price Is Right' Mayhem”. TV Squad. January 10, 2011閲覧。
- ^ Ray of Light (US 12" vinyl liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. SAM 3269。
- ^ Ray of Light (US 2 x 12" vinyl liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. 9 44523-0。
- ^ Ray of Light (EU 12" vinyl liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. W 0444 T。
- ^ Ray of Light (EU CD Single liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. 9362 44535-2。
- ^ Ray of Light (US 7" vinyl liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. 7-17206。
- ^ Ray of Light (US CD Single liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. 9 17206-2。
- ^ Ray of Light (AU CD Single liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. 5439-17209-2。
- ^ Ray of Light (JP CD Single liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. WPCR-10525。
- ^ Ray of Light (UK cassette single liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. W0444C。
- ^ Ray of Light (UK Maxi-CD liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. 9 44523-2。
- ^ Ray of Light (AU Maxi-CD liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. 9362-44521-2。
- ^ Ray of Light (EU Maxi-CD liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. W 0444 CD。
- ^ Ray of Light (JP Maxi-CD liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. WPCR-1860。
- ^ Ray of Light (UK CD single 1 liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. W 0444 CD。
- ^ Ray of Light (UK CD single 2 liner notes). Madonna. Maverick Records. 1998. W 0444 CD2。
- ^ "Australian-charts.com – {{{artist}}} – {{{song}}}". ARIA Top 50 Singles.
- ^ "Austriancharts.at – {{{artist}}} – {{{song}}}" (in German). Ö3 Austria Top 40.
- ^ "Ultratop.be – {{{artist}}} – {{{song}}}" (in Dutch). Ultratop 50.
- ^ "Ultratop.be – {{{artist}}} – {{{song}}}" (in French). Ultratop 50.
- ^ ERROR: Billboard chart was invoked without providing an artist. Artist is a mandatory field for this call."{{{artist}}} Chart History (Canadian Hot 100)". Billboard.
- ^ “HR Top 20 Lista”. Croatian Radiotelevision. May 24, 1998時点のオリジナルよりアーカイブ。March 7, 2021閲覧。
- ^ “European Radio Top 50”. Music & Media: 20. (June 13, 1998) July 31, 2019閲覧。.
- ^ "{{{artist}}}: {{{song}}}" (in Finnish). Musiikkituottajat – IFPI Finland.
- ^ "Lescharts.com – {{{artist}}} – {{{song}}}" (in French). Les classement single.
- ^ "Musicline.de – {{{artist}}} Single-Chartverfolgung" (in German). Media Control Charts. PhonoNet GmbH.
- ^ “Top National Sellers”. Music & Media 15 (23): 16. (June 6, 1998) May 4, 2018閲覧。.
- ^ a b “Top National Sellers”. Music & Media 15 (21): 22. (May 23, 1998) June 8, 2020閲覧。.
- ^ “Íslenski Listinn Topp 40 (NR. 272 Vikuna 14.5. – 21.5. 1998)” (アイスランド語). Dagblaðið Vísir: p. 22. (May 15, 1998) July 6, 2018閲覧。
- ^ "Dutchcharts.nl – {{{artist}}} – {{{song}}}" (in Dutch). Single Top 100.
- ^ "Charts.org.nz – {{{artist}}} – {{{song}}}". Top 40 Singles.
- ^ "Swedishcharts.com – {{{artist}}} – {{{song}}}". Singles Top 100.
- ^ "Swisscharts.com – {{{artist}}} – {{{song}}}". Swiss Singles Chart.
- ^ "{{{artist}}}: Artist Chart History". Official Charts Company.
- ^ ERROR: Billboard chart was invoked without providing an artist. Artist is a mandatory field for this call."{{{artist}}} Chart History (Hot 100)". Billboard.
- ^ ERROR: Billboard chart was invoked without providing an artist. Artist is a mandatory field for this call."{{{artist}}} Chart History (Adult Pop Songs)". Billboard.
- ^ ERROR: Billboard chart was invoked without providing an artist. Artist is a mandatory field for this call."{{{artist}}} Chart History (Dance Club Songs)". Billboard.
- ^ ERROR: Billboard chart was invoked without providing an artist. Artist is a mandatory field for this call."{{{artist}}} Chart History (Pop Songs)". Billboard.
- ^ "Music Video Sales: {{{date}}}". Billboard.
- ^ ERROR: Billboard chart was invoked without providing an artist. Artist is a mandatory field for this call."{{{artist}}} Chart History (Rhythmic)". Billboard.
- ^ “ARIA Charts – End of Year Charts – Top 100 Singles 1998”. Australian Recording Industry Association. October 18, 2011閲覧。
- ^ “RPM's Top 100 Hit Tracks of '98”. RPM 63 (12): 20. (December 14, 1998) March 23, 2019閲覧。.
- ^ “Eurochart Hot 100 Singles 1998”. Music & Media 15 (51): 8. (December 19, 1998). OCLC 29800226 December 24, 2018閲覧。.
- ^ “Classement Singles année 1998” (フランス語). Syndicat National de l'Édition Phonographique. September 5, 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。December 20, 2012閲覧。
- ^ “Best Sellers of 1998 – Singles Top 100”. Music Week: 7. (January 16, 1999).
- ^ “Najlepsze single na UK Top 40-1998 wg sprzedaży” (ポーランド語). June 4, 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。April 30, 2019閲覧。
- ^ a b c “Billboard Year End Issue 1998”. Billboard. p. 90. August 28, 2010閲覧。
- ^ “1999 the year in music: Dance: Hot Dance Maxi -Singles Sales”. Billboard 111 (52): YE-61. (December 25, 1999) April 8, 2021閲覧。.