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ラン (フランス)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Laon


行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オー=ド=フランス地域圏
(département) エーヌ県
(arrondissement) ラン郡
小郡 (canton) 2
INSEEコード 02408
郵便番号 02000
市長任期 アントワーヌ・ルフェーヴル
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté d'agglomération du Pays de Laon
人口動態
人口 25 317人
2012年
人口密度 603人/km2
住民の呼称 Laonnois
地理
座標 北緯49度33分50秒 東経3度37分28秒 / 北緯49.563889度 東経3.624444度 / 49.563889; 3.624444座標: 北緯49度33分50秒 東経3度37分28秒 / 北緯49.563889度 東経3.624444度 / 49.563889; 3.624444
標高 平均:83m
最低:63 m
最高:183m
面積 市: 42km2 (42ha)
Laonの位置(フランス内)
Laon
Laon
公式サイト http://www.ville-laon.fr/
テンプレートを表示

ランLaon)はフランス北部、オー=ド=フランス地域圏の都市である。エーヌ県の県庁所在地。人口は 26,265人(1999年)。そのつづりから、日本語ではラオンと表記されることもある。

歴史

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古代には、ガリア人レミ族(Remi、仏語名rèmes)が領有しており、その城市であるビブラクス(Bibrax)が重要な拠点として存在した。ガリア戦争のときには、ローマ・レミ族側とベルガエ人(Belgae、仏語名Belges)との係争地となった。

ローマ時代の名称はアラウダヌム (Alaudanum) およびルグドゥヌム・クラウァトゥム (Lugdunum Clavatum) といった。

1814年ナポレオン戦争フランス戦役においては、ランの戦いBattle of Laon、ラオンの戦い)の戦場となって、ブリュッヘル率いるプロイセンロシア連合軍がナポレオン1世率いるフランス軍を撃破した。

ラン大聖堂(Cathedral of Laon)

文化遺産

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中世の文化遺産に富むことで知られる。

ラン大聖堂(Cathedral of Laon)は初期ゴシック建築の代表作とされる。

人口統計

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1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
25 078 26 316 27 914 26 682 26 490 26 265 26 522 25 317

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[1]、2004年以降INSEE[2][3]

交通

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新交通システムであるポマ2000が、ガール駅 (Gare) から市庁舎のあるオテル・ド・ヴィル駅 (Hôtel de Ville) までを自動無人運転で結んでいる[4]

著名人

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ランで生まれた著名な人物には次の人物がいる。

  • ランのベルトラダ (720-783年): カール大帝の母
  • ランのアンセルムス(1117年没): 11世紀中頃のキリスト教神学者
  • ジャック・マルケット(1636-1675年): イエズス会員、宣教師

姉妹都市

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脚注

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外部リンク

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