ラン (フランス)
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Laon | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オー=ド=フランス地域圏 |
県 (département) | エーヌ県 |
郡 (arrondissement) | ラン郡 |
小郡 (canton) | 2 |
INSEEコード | 02408 |
郵便番号 | 02000 |
市長(任期) |
アントワーヌ・ルフェーヴル (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération du Pays de Laon |
人口動態 | |
人口 |
25 317人 (2012年) |
人口密度 | 603人/km2 |
住民の呼称 | Laonnois |
地理 | |
座標 | 北緯49度33分50秒 東経3度37分28秒 / 北緯49.563889度 東経3.624444度座標: 北緯49度33分50秒 東経3度37分28秒 / 北緯49.563889度 東経3.624444度 |
標高 |
平均:83m 最低:63 m 最高:183m |
面積 | 市: 42km2 (42ha) |
公式サイト | http://www.ville-laon.fr/ |
ラン(Laon)はフランス北部、オー=ド=フランス地域圏の都市である。エーヌ県の県庁所在地。人口は 26,265人(1999年)。そのつづりから、日本語ではラオンと表記されることもある。
歴史
[編集]古代には、ガリア人のレミ族(Remi、仏語名rèmes)が領有しており、その城市であるビブラクス(Bibrax)が重要な拠点として存在した。ガリア戦争のときには、ローマ・レミ族側とベルガエ人(Belgae、仏語名Belges)との係争地となった。
ローマ時代の名称はアラウダヌム (Alaudanum) およびルグドゥヌム・クラウァトゥム (Lugdunum Clavatum) といった。
1814年、ナポレオン戦争のフランス戦役においては、ランの戦い(Battle of Laon、ラオンの戦い)の戦場となって、ブリュッヘル率いるプロイセン・ロシア連合軍がナポレオン1世率いるフランス軍を撃破した。
文化遺産
[編集]中世の文化遺産に富むことで知られる。
ラン大聖堂(Cathedral of Laon)は初期ゴシック建築の代表作とされる。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2012年 |
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25 078 | 26 316 | 27 914 | 26 682 | 26 490 | 26 265 | 26 522 | 25 317 |
source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[1]、2004年以降INSEE[2][3]
交通
[編集]新交通システムであるポマ2000が、ガール駅 (Gare) から市庁舎のあるオテル・ド・ヴィル駅 (Hôtel de Ville) までを自動無人運転で結んでいる[4]。
著名人
[編集]ランで生まれた著名な人物には次の人物がいる。
姉妹都市
[編集]脚注
[編集]- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=18722
- ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
- ^ http://www.insee.fr
- ^ Le Poma - Transports Urbains Laonnois