マニュエル・オランテス
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マニュエル・オランテス | ||||
基本情報 | ||||
フルネーム | Manuel Orantes Corral | |||
国籍 | スペイン | |||
出身地 | 同・グラナダ | |||
生年月日 | 1949年2月6日(75歳) | |||
身長 | 177cm | |||
体重 | 75kg | |||
利き手 | 左 | |||
バックハンド | 片手打ち | |||
殿堂入り | 2012年 | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1968年 | |||
引退年 | 1983年 | |||
ツアー通算 | 56勝 | |||
シングルス | 34勝 | |||
ダブルス | 22勝 | |||
生涯通算成績 | 939勝508敗 | |||
シングルス | 641勝253敗 | |||
ダブルス | 298勝155敗 | |||
生涯獲得賞金 | $1,398,303 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | ベスト8(1968) | |||
全仏 | 準優勝(1974) | |||
全英 | ベスト4(1972) | |||
全米 | 優勝(1975) | |||
優勝回数 | 1(米1) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | ベスト4(1968) | |||
全仏 | 準優勝(1978) | |||
全英 | ベスト8(1972) | |||
全米 | 3回戦(1975) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 2位(1973年8月23日) | |||
ダブルス | 160位(1983年1月3日) | |||
マニュエル・オランテス・コルラル(Manuel Orantes Corral, 1949年2月6日 - )は、スペイン・グラナダ出身の男子プロテニス選手。1970年代から1980年代前半にかけて活躍し、1975年の全米オープン男子シングルスで優勝した。左利きの選手。シングルス自己最高ランキングは2位。ATPツアーでシングルス34勝、ダブルス22勝を挙げた。身長177cm、体重75kgで、男子テニス選手としてはやや小柄な体格だった。
来歴
[編集]オランテスが登場する前、スペインの男子テニス界はマニュエル・サンタナが君臨していた。サンタナは1960年代に4大大会で「4勝」を挙げた名選手である。そのサンタナの後に続く選手として、オランテスが活躍を始めた。
1968年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップスペイン代表選手となる。1969年、オランテスは20歳の時に地元スペイン・バルセロナの大会で男子ツアー初優勝を飾った。1972年頃から彼は世界のトップレベルに躍進し、1973年に世界ランキングを自己最高の2位に上げた。1974年の全仏オープンで、オランテスは初めて4大大会の男子シングルス決勝に進出したが、当時18歳になったばかりのビョルン・ボルグに 6-2, 7-6, 0-6, 1-6, 1-6 のフルセットで逆転負けを喫した。最初の2セットをオランテスが先取した後、第3セット以後は若きボルグが一方的な試合展開を進め、オランテスは全仏オープンでは準優勝に終わった。
彼のテニス経歴で最大のハイライトは、1975年の全米オープンで訪れた。この決勝戦で、オランテスは大会2連覇を目指したジミー・コナーズを 6-4, 6-3, 6-3 のストレートで圧勝し、4大大会初優勝を飾った。この年は男子ツアーでも年間10勝を挙げ、1976年にも年間7勝を記録している。1977年には日本の「ジャパン・オープン」で優勝した。
その後もオランテスは息長く現役を続行し、デビスカップでは1980年までスペイン代表選手を務め、1982年にイギリス・ボーンマスの大会で最後のシングルス優勝を飾った。1984年のシーズンを最後に現役を引退し、現在はテニス・スクールを経営して後進の育成に携わっている。
オランテスは2012年に国際テニス殿堂入りを果たした。
4大大会優勝
[編集]- 全米オープン:1勝(1975年)
(全仏オープンシングルス準優勝1度:1974年・ダブルス準優勝1度:1978年)
年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
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1975年 | 全米オープン | ジミー・コナーズ | 6-4, 6-3, 6-3 |
4大大会シングルス成績
[編集]- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 1968 | 1969 | 1970 | 1971 | 1972 | 1973 | 1974 | 1975 | 1976 | 1977 | 1978 | 1979 | 1980 | 1981 | 1982 | 1983 | SR |
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全豪オープン | QF | A | A | A | A | A | A | A | A | A | A | A | A | A | A | A | 0 / 1 |
全仏オープン | 1R | 3R | 4R | 1R | SF | 2R | F | 1R | QF | A | QF | 4R | 4R | 1R | A | 2R | 0 / 14 |
ウィンブルドン | 1R | 1R | 3R | 1R | SF | A | 4R | A | A | A | A | 4R | A | A | A | A | 0 / 7 |
全米オープン | A | 2R | A | 4R | 3R | 3R | 2R | W | QF | QF | 1R | A | A | A | A | A | 1 / 9 |
Win–Loss | 3–2 | 3–3 | 5–2 | 3–2 | 11–3 | 3–2 | 10–3 | 7–1 | 8–2 | 4–1 | 4–2 | 4–2 | 3–0 | 0–1 | 0–0 | 1–1 | 1 / 31 |
外部リンク
[編集]- マニュエル・オランテス - ATPツアーのプロフィール
- マニュエル・オランテス - デビスカップのプロフィール
- マニュエル・オランテス - 国際テニス連盟
- マニュエル・オランテス - 国際テニス殿堂のプロフィール
- マニュエル・オランテス・テニススクール (スペイン語)