ビセンテ・エンゴンガ
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名前 | ||||||
本名 |
ビセンテ・エンゴンガ・マテ Vicente Engonga Maté | |||||
ラテン文字 | Vicente Engonga | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
スペイン 赤道ギニア | |||||
生年月日 | 1965年10月20日(59歳) | |||||
出身地 | バルセロナ | |||||
身長 | 181cm | |||||
体重 | 84kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (CH) | |||||
ユース | ||||||
ジムナスティカ | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1984-1986 | ジムナスティカ | 51 | (2) | |||
1986-1991 | スポルティング・マオネス | 112 | (3) | |||
1991-1992 | バジャドリード | 37 | (2) | |||
1992-1994 | セルタ | 72 | (0) | |||
1994-1997 | バレンシア | 69 | (2) | |||
1997-2002 | マジョルカ | 149 | (4) | |||
2002-2003 | オビエド | 11 | (1) | |||
2003 | → コヴェントリー・シティ (loan) | 8 | (0) | |||
通算 | 509 | (14) | ||||
代表歴 | ||||||
1998-2000 | スペイン | 14 | (1) | |||
監督歴 | ||||||
2008-2009 | 赤道ギニア | |||||
2011 | マジョルカB | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ビセンテ・エンゴンガ・マテ(Vicente Engonga Maté, 1965年10月20日 - )は、スペイン・バルセロナ出身のサッカー選手、サッカー指導者。スペイン代表。赤道ギニアの家系に生まれた[1]。
セントラル・ミッドフィルダー、時にはスイーパーとしてプレー。6つの異なるクラブに所属(母国では5つ)し、リーガ・エスパニョーラの舞台で327試合8得点を記録。また、RCDマヨルカ加入時は32歳だったにもかかわらず、ここで最高の時を過ごした。
スペイン代表としては2年プレーし、UEFA EURO 2000に出場した。
経歴
[編集]元サッカー選手の父の下でカタルーニャ地方のバルセロナに生まれ、カンタブリア州で幼少期を過ごした[2]。下位リーグに所属する地元のヒムナスティカ・デ・トレラベーガでキャリアを始め、その後にCFスポルティング・マオネスでプレーした。
1991年、プリメーラ・ディビシオンのレアル・バリャドリードに移籍するも、加入初年度にセグンダ・ディビシオンに降格した。そこから、セルタ・デ・ビーゴに移籍し、1994年にはコパ・デル・レイ決勝のピッチに立った[3]。
1994年夏、強豪バレンシアCFに移籍し3シーズンに渡りプレーした。移籍して暫くはなかなかポジションを掴みきれずにいたが、1996-97シーズンにチームは10位と中位に終わったものの、エンゴンガはレギュラーとして35試合に出場した。その後、イバン・カンポを含む5人の同僚と共にエクトル・クーペル監督率いるRCDマヨルカに加入した。
マヨルカでは、1998年にFCバルセロナを3-1で破りキャリア初タイトルとなるスーパーカップを獲得するなど最高のサッカー人生を送った。翌年のUEFAカップウィナーズカップでは決勝戦に進出するも、イタリア・セリエAのSSラツィオに1-2で敗れ、優勝は叶わなかった。この時点で公式戦に約200試合出場した。2000-01シーズンは31試合とレギュラーを務め、クラブ史上初となるUEFAチャンピオンズリーグ出場圏内の3位に貢献した。
2002年、マヨルカとの契約終了後は2部のレアル・オビエドと契約を結び半年プレー。2003年1月にイングランド・2部のコヴェントリー・シティFCに半年の期限で貸し出され[4]、シーズン終了後にほぼ38歳となったエンゴンガは現役引退した。
引退後は古巣のマヨルカにコーチングスタッフとして加入。2008年8月、赤道ギニア代表監督に任命された[5]。
代表
[編集]1998年7月23日のロシア戦で33歳にしてスペイン代表デビューを果たし、1999年5月のクロアチア戦で初にして唯一となる得点を記録。2000年にUEFA EURO 2000のメンバーに選ばれ、グループリーグのスロベニア代表戦に1試合出場。これが代表最後の試合となり、出場試合数14を記録した。
また、非公式のサッカーカンタブリア自治州代表でプレー経験がある[2]。
人物
[編集]弟のオスカル・エンゴンガもサッカー選手として活動しMFでプレーした。彼は、兄弟一緒にプレーしたバジャドリード以外はキャリアの殆どをスペインの下位リーグで過ごし、2003年に赤道ギニア代表監督を務めていた。
個人成績
[編集]代表
[編集]- 試合数
- 国際Aマッチ 14試合 1得点(1998年 - 2000年)
スペイン代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1998 | 3 | 0 |
1999 | 5 | 1 |
2000 | 6 | 0 |
通算 | 14 | 1 |
- 得点
# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
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1 | 1999年5月5日 | セビリア、エスタディオ・オリンピコ・セビージャ | クロアチア | 1-1 | 3-1 | 親善試合 |
タイトル
[編集]- スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 1998
関連項目
[編集]脚注
[編集]外部リンク
[編集]- ビセンテ・エンゴンガ - BDFutbolによる個人成績
- ビセンテ・エンゴンガ - BDFutbolによる監督成績
- ビセンテ・エンゴンガ - Soccerbase
- ビセンテ・エンゴンガ - National-Football-Teams.com