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ブルーノ・セナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブルーノ・セナ
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1983-10-15) 1983年10月15日(41歳)
出身地 ブルーノ・セナ・ラッリ(出生名)
サンパウロ州サンパウロ
フォーミュラEでの経歴
デビュー 2014–15
出走回数 21
優勝回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 1
シリーズ最高順位 10位 (2014–15)
基本情報
略称表記 SEN
F1での経歴
活動時期 2010-2012
過去の所属チーム '10 HRT
'11 ロータス・ルノー
'12 ウィリアムズ
出走回数 46
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 33
ポールポジション 0
ファステストラップ 1
最終戦

2012年ブラジルGP

ル・マン24時間での経歴
2009, 2013-2014, 2016
チームチーム・オレカ・マットムート AIM 
アストンマーティン・レーシング
最高位5位(2014)[1]
クラス優勝0
テンプレートを表示

ブルーノ・セナ・ラッリBruno Senna Lalli, 1983年10月15日 - )は、ブラジルサンパウロ市出身のレーシングドライバーである。

起業家、慈善家でアイルトン・セナの姉であるビビアーニ・セナの長男であり、つまりアイルトンの甥にあたる。

経歴

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生い立ち

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偉大なレーサーであった叔父の影響は大きく、幼少期からF1ドライバーを目指そうと決めていた。

しかし、1994年5月1日サンマリノグランプリでアイルトンが突然この世を去り、さらに追い討ちをかけるかのように翌年には父フラビオ・ラッリがバイク事故で他界したのをキッカケに、母親にモータースポーツ活動を禁じられた。

デビュー

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叔父の死後10年経って、彼の生前の友であるゲルハルト・ベルガーらがブルーノの家族の説得に動いたことで、ようやくレース活動を許され、2004年9月にイギリスブランズハッチで行われたレースからフォーミュラ・BMWの最終2イベント(各イベント2レースずつ開催)に出場し、最終イベントでは2レースともフロントローにつけた。

また、マカオグランプリに際しては、併催のフォーミュラ・ルノーに参戦し、それまで同シリーズの車体の運転経験がなかったにもかかわらず、いきなり2位表彰台を獲得し、この計5レースを戦ったのみで、ジュニア・フォーミュラを早々に終えた。

F3、GP2

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2005年

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イギリスF3に移り、キミ・ライコネンが共同出資者として名を連ねるライコネン・ロバートソン・レーシング(Raikkonen Robertson Racing)に所属した。終盤になって調子を上げ、シルバーストンで開催された第16レースで3位表彰台に立つと、ニュルブルクリンクで開催された第18レースでポールポジションを記録するとともに2位表彰台を得るなど、最後の7レースでポールポジション1回、表彰台3回を記録し、結果、ランキング10位でシーズンを終えた。その後、マカオグランプリにも出場したが、リタイアに終わった。

2006年

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2006年F1オーストラリアGPのサポートレースでF3車を駆るブルーノ

2006年も引き続き同チームからイギリスF3に参戦した。

イギリスF3の開幕前に、F1の開幕戦バーレーンGPのサポートレースのひとつとして開催されたワンメイクレースや、F1の第3戦オーストラリアGPのサポートレースのひとつとして開催されたF3レースに出場しており、オーストラリアのF3レースでは、2レース目から4レース目までを連勝で制して4戦中3勝という結果を残し、これが自身のレースキャリアにおける初優勝となった。

2007年

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2007年はアーデン・インターナショナルからGP2に参戦し、スペインのレース2で優勝を記録した。

2008年

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アーデン・インターナショナルを放出されたため、前年のチャンピオンチームであるiSportに移籍しモナコGPイギリスGPで2勝を上げたがジョルジオ・パンターノに9ポイント届かずシリーズ2位となった。

F1

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2009年

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2008年のシーズンオフにはF1のホンダチームのテストに参加し、叔父とも縁の深いホンダからF1デビューするのではないかとみられた。しかし、ホンダがF1撤退を表明し、後継チームとして発足したブラウンGPルーベンス・バリチェロの継続起用を選択したため[2]、セナのF1デビューは先送りとなった。

その後、メルセデス・ベンツからドイツツーリングカー選手権 (DTM) へのオファーを受けたが、F1でのチャンスを優先するために断り[3]ル・マン24時間レース及びル・マン・シリーズに参戦していた。

デビューレースにてヒスパニアのマシンF110を駆るブルーノ・セナ。写真はバーレーンGP

2010年

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カンポス・グランプリ(後にヒスパニア・レーシング ⇒ HRTに名称変更)からF1に参戦することが決まった。チームメイトはGP2時代の2008年にチームメイトだったカルン・チャンドック

シーズン開幕前にテストを行うことが出来ず、開幕戦バーレーンGPにはぶっつけ本番で出走した。開幕2戦はマシントラブルでリタイアに終わるが、第3戦マレーシアGPで16位に入り自身初の完走を果たした。第7戦トルコGPでは、初めて予選でヴァージン・レーシングルーカス・ディ・グラッシの前のグリッドを獲得。決勝でもヴァージン・レーシングの2台とバトルを繰り広げるが、燃料系トラブルでリタイアに終わった。

第10戦イギリスGPではセナに代わりテストドライバーの山本左近が出走したが、次の第11戦ドイツGPからは再びレギュラードライバーに復帰、予選でロータスヘイキ・コバライネンやヴァージンのティモ・グロックと0.3秒差以内のタイムを記録し自己ベストの21位に入った。第13戦ベルギーGPの予選では不安定な天候の中で数名のドライバーがタイムを上手く出せなかったこともあり自己ベストを更新する20位に入った。

マシントラブルやクラッシュなどにより、第15戦シンガポールGPまでに出走した14レース中9レースでリタイアしたものの、7台がリタイアした第16戦日本GPでは15位、9台がリタイアした第17戦韓国GPは14位といずれも完走して自己ベストを更新する成績を残した。しかし、全体的には完走率が低かったことに加えチーム首脳陣がセナの契約更新を行わない方針にしたため、チームを離れた[4]

ロータス・ルノーGPR31を駆るブルーノ・セナ。写真はヘレスにおけるテスト走行にて。

2011年

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1月31日、ロータス・ルノーGPのリザーブドドライバーとして就任する事を発表された[5]ハンガリーGPでは金曜フリー走行を行った。続くベルギーGPでは、同GPとイタリアGPにてニック・ハイドフェルドに変わって出走することが決定し、後にハイドフェルドがチームを離れることに合意したため、残りも全戦で出走することが決まった。

ベルギーGPでは自身初のQ3進出となる予選7番手を獲得したものの、スタート直後にハイメ・アルグエルスアリと接触し大きく順位を落として13位で完走となった。イタリアGPでもQ3に進出し予選10番手を獲得したが、1コーナーの混乱を避けるために大きく順位を落とした。しかしその後は、強い追い上げといくつかのオーバーテイクをするなど見せ場を作り自身初入賞となる9位入賞を果たした。

しかしロータスは翌年のドライバーラインナップはキミ・ライコネンロマン・グロージャンの起用を発表しブルーノは再びレギュラードライバーの座を失った。

2012年

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ウィリアムズ・FW34を駆るセナ(2012年マレーシアGP)

2012年のシート争いで残るシートはウィリアムズとかつて所属していたHRTの2つだけであったが、ルーベンス・バリチェロエイドリアン・スーティルとの争奪戦の末、かつて叔父のアイルトンが最後に所属していたウィリアムズのシートを獲得した。これに際し、ブルーノの家族(母親や祖父母)は反対せずむしろ大賛成でウィリアムズの加入を喜んだ。なお、メディアではスポンサーマネーで獲得したと報道されたが、ウィリアムズやブルーノ側はこれを否定した。契約締結に至る決め手となったのはウィリアムズ独自のテストに合格したからだとブルーノは発言している。チームの意向により、金曜日のフリー走行1回目の大半(20戦中15戦)はリザーブドライバーのバルテリ・ボッタスにマシンを譲るという契約になった。

第2戦マレーシアGPでは、赤旗中断までにノーズ交換など2回のピットストップがあり最下位まで落ちてしまうも、その後は順位を上げこの年最高の6位入賞を果たした。第12戦ベルギーGPでは初のファステストラップを記録。クラッシュが目立つチームメイトのパストール・マルドナドに比べると、対照的にレースでの安定感に富み入賞回数では10対5と差を付けたが、予選では1PP含め3位以上5回を記録したマルドナドと比べ最高が9位、5勝15敗と予選では逆に差をつけられた。

シーズン終盤にはヘルメットを叔父似の黄色ではなくオレンジ色のオリジナルデザインに変更した。だが皮肉にも、母国であるブラジルGPでは1周も終えずにリタイアする憂き目にあった。

シーズン終了後、ウィリアムズは翌年のドライバーラインナップとして、マルドナドの残留とボッタスの昇格を発表した。これによりブルーノはウィリアムズを離れることになったが、翌年のF1でのシートは得られなかった。

WEC

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2013年よりFIA 世界耐久選手権(WEC)にアストンマーティン・レーシングよりル・マンGTエンデュランスのAmクラスに参戦。初戦のシルバーストンでクラス優勝するなど2勝を上げ個人ランキング8位の成績を残した。2014年も同チームより序盤の2戦にのみ参戦した。

フォーミュラE

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2014年よりフォーミュラEにおいてマヒンドラ・レーシング・フォーミュラEチームより参戦[6]。チームメイトはまたもチャンドックとなる。

その他

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マクラーレン・MP4/8を駆るブルーノ。バイザーを開けたその眼差しは叔父によく似ている。

ブルーノは、農場でしばしば叔父と共にカートレースを楽しみ、自身のドライビングの才能を高く評価されたと言われており、生前、叔父がマクラーレンチームを去る時に当時マクラーレンのチーム代表であったロン・デニス"If you think I'm fast, just wait until you see my nephew Bruno." (※:もしあなたが、私を優れたドライバーだと評価するのなら、それは私の甥のブルーノを見るまで評価するのを少し待ってください)とも語っていた[7]

ブルーノは黄色をベースに緑と紺の帯をあしらった、叔父のそれによく似たヘルメットを用いている。また、ヘルメットから見える眼差しは叔父と瓜二つである。

参戦初年度である2010年でも、母国の航空会社であるヴァリグ・ブラジル航空エンブラテル、スペインのサンタンデール銀行スイス高級腕時計ブランドHublot(ウブロ)を個人スポンサーとして抱える他、レッドブルアイルトン・セナ財団からの支援をうけている。2011年にハイドフェルドの後任としてロータス・ルノーGPのシートに座った際にも4つのスポンサーを獲得しているが、内エンブラテルはデビューの頃よりセナをスポンサーし、ブラジルに深い縁があるOGXペトロレオなどもセナがレギュラーシートを再度獲得してからスポンサー活動を開始しており[8]、またハイドフェルドとの交代劇の背景にはセナのスポンサーやビジネス性を見込んでロータス・ルノーGP上層陣が交代することを前提に先んじてスポンサー活動を行っていたと言われる[9]

叔父が伝説のドライバーであるひいき目もあって、ブルーノが“セナ”の名を再び輝かせると信じる者も少なくない。しかし、ブルーノ本人は“セナ”だから、F1に行けたと思われたくないと、自らの実力での評価を望んでいる[10]。また、F1デビューが決定した時のインタビューで "I hope in a short time that everybody remembers me for being Bruno, myself, and not for my uncle's surname."(※:みんな僕のことを叔父の苗字じゃなく、ブルーノで早く覚えてくれるよう願っているよ。)とも語っている[11]

レース戦績

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フォーミュラ

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イギリス・フォーミュラ3選手権

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チーム エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 順位 ポイント
2005年 ライコネン・ロバートソン・レーシング 無限 C DON
1

6
DON
2

Ret
SPA
1

C
SPA
1

C
CRO
1

Ret
CRO
2

5
KNO
1

14
KNO
2

DNS
THR
1

11
THR
2

Ret
CAS
1

12
CAS
2

10
MNZ
1

Ret
MNZ
2

6
MNZ
3

5
SIL
1

Ret
SIL
2

Ret
SIL
3

3
NÜR
1

Ret
NÜR
2

2
MON
1

12
MON
2

14
SIL
1

Ret
SIL
2

2
10位 75
2006年 メルセデス C OUL
1

1
OUL
2

1
DON
1

1
DON
2

4
PAU
1

11
PAU
2

10
MON
1

1
MON
2

5
SNE
1

Ret
SNE
2

DNS
SPA
1

3
SPA
1

3
SIL
1

2
SIL
2

8
BRH
1

7
BRH
2

5
MUG
1

10
MUG
2

1
SIL
1

4
SIL
2

2
THR
1

4
THR
2

6
3位 229

GP2シリーズ

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チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 順位 ポイント
2007年 アーデン・インターナショナル BHR
FEA

4
BHR
SPR

8
CAT
FEA

1
CAT
SPR

4
MON
FEA

11
MAG
FEA

3
MAG
SPR

7
SIL
FEA

11
SIL
SPR

10
NÜR
FEA

15
NÜR
SPR

Ret
HUN
FEA

13
HUN
SPR

12
IST
FEA

10
IST
SPR

6
MNZ
FEA

4
MNZ
SPR

3
SPA
FEA

Ret
SPA
SPR

8
VAL
FEA

Ret
VAL
SPR

14
8位 34
2008年 iスポーツ・インターナショナル CAT
FEA

2
CAT
SPR

4
IST
FEA

15
IST
SPR

Ret
MON
FEA

1
MON
SPR

5
MAG
FEA

Ret
MAG
SPR

5
SIL
FEA

6
SIL
SPR

1
NÜR
FEA

4
NÜR
SPR

3
HUN
FEA

3
HUN
SPR

3
VAL
FEA

9
VAL
SPR

Ret
SPA
FEA

11
SPA
SPR

Ret
MNZ
FEA

5
MNZ
SPR

9
2位 64
GP2アジアシリーズ
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エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 DC ポイント
2008年 iスポーツ・インターナショナル DUB1
FEA

2
DUB1
SPR

19
SEN
FEA

7
SEN
SPR

2
SEP
FEA

Ret
SEP
SPR

8
BHR
FEA

4
BHR
SPR

Ret
DUB2
FEA

DSQ
DUB2
SPR

11
5位 23

F1

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チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 WDC ポイント
2010年 HRT F110 コスワース・CA2010 2.4L V8 BHR
Ret
AUS
Ret
MAL
16
CHN
16
ESP
Ret
MON
Ret
TUR
Ret
CAN
Ret
EUR
20
GBR GER
19
HUN
17
BEL
Ret
ITA
Ret
SIN
Ret
JPN
15
KOR
14
BRA
21
ABU
19
23位 0
2011年 ロータス・ルノー R31 ルノー・RS27 2.4L V8 AUS MAL CHN TUR ESP MON CAN EUR GBR GER HUN
TD
BEL
13
ITA
9
SIN
15
JPN
16
KOR
13
IND
12
ABU
16
BRA
17
18位 2
2012年 ウィリアムズ FW34 AUS
16
MAL
6
CHN
7
BHR
22
ESP
Ret
MON
10
CAN
17
EUR
10
GBR
9
GER
17
HUN
7
BEL
12
ITA
10
SIN
18
JPN
14
KOR
15
IND
10
ABU
8
USA
10
BRA
Ret
16位 31

(key)

フォーミュラE

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チーム シャシー パワートレイン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
2014-15年 マヒンドラ・レーシング スパーク・SRT 01E SRT 01E BEI
Ret+
PUT
14+
PDE
6
BNA
5+
MIA
Ret+
LBH
5
MON
Ret
BER
17
MOS
16
LON
16
LON
4
10位 40
2015-16年 マヒンドラ・M2エレクトロ BEI
13
PUT
5
PDE
Ret
BNA
10
MEX
10
LBH
5
PAR
9
BER
15
LON
2
LON
6
11位 52

スポーツカー

[編集]

ル・マン・シリーズ/ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ

[編集]
チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 順位 ポイント
2009年 チーム・オレカ-マットムート オレカ・01 LMP1 CAT
3
SPA
Ret
ARG
3
NÜR SIL 16位 12
2018年 ユナイテッド・オートスポーツ リジェ・JS P217 LMP2 CAS
12
MON SPL SIL SPA ALG 32位 0.5
2019年 RLR・Mスポーツ オレカ・07 LMP2 CAS
8
MNZ
Ret
CAT
13
SIL SPA
14
ALG
15
21位 5.5

FIA 世界耐久選手権

[編集]
チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
2013年 アストンマーティン・レーシング アストンマーティン・ヴァンテージ GTE LMGTE Pro SIL
1
SPA
2
LMN
Ret
SAO
Ret
COA
1
SHA
2
BHR
Ret
8位 94
LMGTE Am FSW
1
2014年 LMGTE Pro SIL
SPA
4
LMN
10
COA FSW SHA BHR SÃO 17位 14
2016年 RGRレーシング・バイ・モラン リジェ・JS P2 LMP2 SIL
1
SPA
4
LMN
6
NÜR
2
MEX
1
COA
2
FSW
2
SHA
3
BHR
2
2位 166
2017年 バイヨン・レベリオン オレカ・07 LMP2 SIL
2
SPA
2
LMN
6
NÜR
2
MEX
1
COA
3
FSW
1
SHA
1
BHR
1
1位 186
2018-19年 TVR・レベリオン・レーシング レベリオン・R13 LMP1 SPA
DSQ
LMN
4
SIL FSW
3
SHA
4
SEB
Ret
SPA
5
LMN
4
7位 73
2019-20年 LMP1 SIL
9
FSW
3
SHA
1
BHR
3
COA
1
SPA
3
LMN
2
BHR 3位 145

ユナイテッド・スポーツカー選手権

[編集]
チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
2017年 テキーラ・パトロンESM 日産・オンローク DPi P DAY
7
SEB
10
LBH CTA DET WGL
8
MOS ELK LGA PET
4
17位 97
2018年 ユナイテッド・オートスポーツ リジェ・JS P217 P DAY
4
SEB LBH MDO WGL
4
MOS LIM ELK VIR LGA PET 33位 56

(key)

ル・マン24時間レース

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ル・マン24時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
2009年 フランスの旗 チーム・オレカ・マットムート AIM モナコの旗 ステファン・オルテリ
ポルトガルの旗 ティアゴ・モンテイロ
オレカ・01-AIM LMP1 219 DNF DNF
2013年 イギリスの旗 アストンマーティン・レーシング フランスの旗 フレデリック・マコヴィッキィ
イギリスの旗 ロブ・ベル
アストンマーティン・ヴァンテージ GTE GTE
Pro
252 DNF DNF
2014年 イギリスの旗 ダレン・ターナー
ドイツの旗 シュテファン・ミュッケ
GTE
Pro
310 35位 6位
2016年 メキシコの旗 RGRレーシング・バイ・モラン ポルトガルの旗 フェリペ・アルブケルケ
メキシコの旗 リカルド・ゴンザレス
リジェ・JS P2-日産 LMP2 344 14位 10位
2017年 スイスの旗 バイヨン・レベリオン フランスの旗 ニコラ・プロスト
フランスの旗 ジュリアン・カナル
オレカ・07-ギブソン LMP2 340 16位 14位
2018年 スイスの旗 TVR・レベリオン・レーシング スイスの旗 ニール・ジャニ
ドイツの旗 アンドレ・ロッテラー
レベリオン・R13-ギブソン LMP1 375 4位 4位
2019年 スイスの旗 ニール・ジャニ
ドイツの旗 アンドレ・ロッテラー
LMP1 376 4位 4位
2020年 フランスの旗 ノーマン・ナト
アメリカ合衆国の旗 グスタヴォ・メネゼス
LMP1 382 2位 2位

デイトナ24時間レース

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デイトナ24時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
2017年 アメリカ合衆国の旗 テキーラ・パトロンESM アメリカ合衆国の旗 エド・ブラウン
アメリカ合衆国の旗 ヨハネス・ヴァン・オーヴァービーク
ニュージーランドの旗 ブレンドン・ハートレイ
日産・オンローク DPi P 636 17位 7位
2018年 アメリカ合衆国の旗 ユナイテッド・オートスポーツ イギリスの旗 ポール・ディ・レスタ
スイスの旗 ウーゴ・ドゥ・サデレール
アメリカ合衆国の旗 ウィル・オーウェン
リジェ・JS P217-ギブソン P 804 4位 4位

スパ・フランコルシャン24時間レース

[編集]
スパ24時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
2013年 ニュージーランドの旗 フォン・ライアン・レーシング イギリスの旗 ロブ・バーフ
イギリスの旗 クリス・グッドウィン
マクラーレン・MP4-12C GT3 Pro 540 15位 8位
2015年 イギリスの旗 エイドリアン・クアイフェ=ホッブス
ポルトガルの旗 アルヴァロ・パレンテ
マクラーレン・650S GT3 Pro 511 18位 11位
2016年 イギリスの旗 ガレージ・59 ブラジルの旗 ピポ・デラーニ
イギリスの旗 ダンカン・タピー
Pro 500 40位 22位

脚注

[編集]
  1. ^ Wood, Donald (15 June 2014). “Le Mans 24 2014 Results: Final Complete Leaderboard, Highlights, and More”. Bleacher Report (ターナー・ブロードキャスティング・システム). http://bleacherreport.com/articles/2097709-le-mans-24-2014-results-final-complete-leaderboard-highlights-and-more 14 February 2016閲覧。 
  2. ^ "ブルーノ・セナ、新ホンダF1のシート喪失に動揺". F1-Gate.com.(2009年3月4日)2013年1月15日閲覧。
  3. ^ "ブルーノ・セナ、メルセデスDTMのオファーを断る". F1-Gate.com.(2009年4月19日)2013年1月15日閲覧。
  4. ^ “ブルーノ・セナ 「F1に残るのは厳しい」”. F1 Gate.com. (2011年1月8日). http://f1-gate.com/senna/f1_10363.html 2011年1月31日閲覧。 
  5. ^ “ブルーノ・セナ、ロータス・ルノーGPのリザーブドライバーに就任”. F1 Gate.com. (2011年1月31日). http://f1-gate.com/senna/f1_10555.html 2011年1月31日閲覧。 
  6. ^ “セナとチャンドックが再会、マヒンドラからFE参戦”. AutoSports web. (2014年5月26日). https://www.as-web.jp/past/%e3%82%bb%e3%83%8a%e3%81%a8%e3%83%81%e3%83%a3%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%83%e3%82%af%e3%81%8c%e5%86%8d%e4%bc%9a%e3%80%81%e3%83%9e%e3%83%92%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%a9%e3%81%8b%e3%82%89fe%e5%8f%82%e6%88%a6 2014年9月14日閲覧。 
  7. ^ “Bruno Senna out to show he is more than just a famous name”. Telegraph. (2010年3月10日). http://www.telegraph.co.uk/sport/motorsport/formulaone/camposmeta1/7407119/Bruno-Senna-out-to-show-he-is-more-than-just-a-famous-name.html 2010年7月28日閲覧。 
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  9. ^ “ハイドフェルドに落胆するブーリエ”. ESPN F1. (2011年7月25日). http://ja.espnf1.com/renault/motorsport/story/55240.html 2011年9月11日閲覧。 
  10. ^ “Bruno Senna - more than just a famous name?”. Formula1.com. (2009年11月10日). http://www.formula1.com/news/features/2009/11/10214.html 2010年6月30日閲覧。 
  11. ^ “Senna officially unveiled by Campos”. CNN. (2009年11月12日). https://edition.cnn.com/2009/SPORT/11/11/motorsport.f1.senna.campos/index.html 2011年9月17日閲覧。 

外部リンク

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