テンプル伯爵
テンプル伯爵(英語: Earl Temple)は、かつて存在したイギリスの伯爵位。
1749年に第2代コバム女子爵ヘスター・グレンヴィルが叙されたのに始まる。その後、グレンヴィル家はバッキンガム=シャンドス公爵位などさらに上級の爵位を受けたのでテンプル伯爵位はその従属爵位となったが、1889年に第3代バッキンガム=シャンドス公爵(第6代テンプル伯爵)リチャード・プランタジネット・キャンベル・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィルが継承者なく死去したことにより、バッキンガム=シャンドス公爵位などとともに廃絶した。
歴史
[編集]陸軍元帥の初代コバム子爵リチャード・テンプル(1669–1749)の妹で庶民院議員リチャード・グレンヴィルと結婚していたヘスター・グレンヴィル(1690頃-1752)は、1749年9月13日に兄の初代コバム子爵が死去すると第2代コバム女子爵位を継承し、さらに同年10月18日に初代テンプル女伯爵に叙せられた[1][2]。
ヘスターの死後、彼女の長男であるリチャード・グレンヴィル(1711–1779)が第2代テンプル伯爵位を継承した。彼は後にテンプル姓を加えて「グレンヴィル=テンプル」に改姓している。しかし彼には男子がなかった[2]。
一方ヘスターの次男であるジョージ・グレンヴィル(1712-1770)はホイッグ党の政治家として政界の中枢で活躍し、1763年から1765年にかけて首相を務めている[3]。彼は4人の男子に恵まれたため、1779年9月12日に2代テンプル伯が死去するとジョージの同名の長男であるジョージ・グレンヴィル(1753–1813)が第3代テンプル伯爵位を継承した。彼はこの継承の際にテンプル姓や妻の実家の家名を加えて「ニュージェント=テンプル=グレンヴィル」に改姓している[2][4]。彼は小ピット政権で閣僚職を歴任し、1784年12月4日にバッキンガム侯爵(Marquess of Buckingham)に叙せられ、また1788年10月13日には岳父(妻の父)ロバート・ニュージェントからアイルランド貴族爵位の第2代ニュージェント伯爵位を特別継承規定によって継承している[5][6]。ちなみに彼の弟である初代グレンヴィル男爵ウィリアム・グレンヴィルも政界で活躍し、1806年から1807年にかけてフォックスと連携して総人材内閣を組閣して首相を務めている[7]。
1813年2月11日に初代バッキンガム侯が死去し、その長男であるリチャード(1776–1839)が第2代バッキンガム侯爵位・第4代テンプル伯爵位を継承した。彼は1799年に妻の実家の家名(ブリッジス)と爵位名(シャンドス公爵)を加えて「テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル」と改姓し、さらに1822年2月4日には連合王国貴族爵位バッキンガム=シャンドス公爵(Duke of Buckingham and Chandos)とシャンドス侯爵(Marquess of Chandos)とストーのテンプル伯爵(Earl Temple of Stowe)に叙せられた[8][9]。
彼の孫である第3代バッキンガム=シャンドス公(6代テンプル伯爵)リチャード(1823–1889)が1889年3月26日に男子なく死去すると、テンプル伯爵位の他、バッキンガム=シャンドス公爵位、シャンドス侯爵位、バッキンガム侯爵位、ニュージェント伯爵位は廃絶した[10][11]。
ただしコバム子爵位は初代コバム子爵の妹クリスティアン・リトルトン(-1748)の家系も継承可能だったため、クリスティアンの玄孫にあたる第5代リトルトン男爵チャールズ・リトルトン(1842–1922)に継承された[10][12]。またストーのテンプル伯爵位も2代バッキンガム公の娘アン(-1879)の家系への継承が可能だったため、アンの子であるウィリアム・スティーブン・ゴア=ラントン(1847–1902)に継承されている[13][14]。
歴代当主
[編集]テンプル伯 (1751年)
[編集]- 初代テンプル女伯ヘスター・グレンヴィル (c. 1690–1752) 2代コバム女子爵
- 2代テンプル伯リチャード・グレンヴィル=テンプル (1711–1779)
- 3代テンプル伯・初代バッキンガム侯ジョージ・ニュージェント=テンプル=グレンヴィル (1753–1813)
- 1784年にバッキンガム侯爵に叙される
- 4代テンプル伯・初代バッキンガム=シャンドス公リチャード・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル (1776–1839)
- 1822年にバッキンガム=シャンドス公爵、ストーのテンプル伯爵に叙される
- 5代テンプル伯・2代バッキンガム=シャンドス公リチャード・プランタジネット・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル (1797–1861)
- 6代テンプル伯・3代バッキンガム=シャンドス公リチャード・プランタジネット・キャンベル・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル (1823–1889)
- 彼の死とともに廃絶。
ストーのテンプル伯 (1822年)
[編集]系図
[編集]ピーター・テンプル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アンソニー・テンプル | ジョン・テンプル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウィリアム・テンプル (1555-1627) | 初代準男爵 トマス・テンプル (1567-1637) | アレグザンダー・テンプル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジョン・テンプル (1600-1677) | 2代準男爵 ピーター・テンプル (1592–1653) | ジョン・テンプル | ジェイムズ・テンプル (1606-1680) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジョン・テンプル (1632-1705) | 3代準男爵 リチャード・テンプル (1634–1697) | ピーター・テンプル (1613-1660) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
初代パーマストン子爵 ヘンリー・テンプル (1673-1757) | 初代コバム子爵 4代準男爵 リチャード・テンプル (1669–1749) | エレノア・テンプル (-1729) m. リチャード・グレンヴィル (1647-1719) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
テンプル卿 ヘンリー・テンプル (-1740) | 初代テンプル女伯 2代コバム女子爵 ヘスター・グレンヴィル (1690-1752) | リチャード・グレンヴィル (1678-1727) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代パーマストン子爵 ヘンリー・テンプル (1739-1802) | 2代テンプル伯 リチャード グレンヴィル=テンプル (1711-1779) | ジョージ・グレンヴィル (1712-1770) 首相(在職1763–65) | ヘスター・ピット (1720-1803) m.大ピット (1708-1778) 首相(在職1766–68) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3代パーマストン子爵 ヘンリー・ジョン・テンプル (1784-1865) 首相(在職1855–58,1859–65) | 初代バッキンガム侯 3代テンプル伯 ジョージ テンプル=グレンヴィル (1753–1813) | 初代グレンヴィル男爵 ウィリアム・グレンヴィル (1759-1834) 首相(在職1806–07) | 小ピット (1759-1806) 首相(在職1783–1801,1804–06) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
初代バッキンガム公 4代テンプル伯 リチャード テンプル=グレンヴィル (1776-1839) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代バッキンガム公 5代テンプル伯 リチャード テンプル=グレンヴィル (1797-1861) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3代バッキンガム公 6代テンプル伯 リチャード テンプル=グレンヴィル (1823-1889) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ Lundy, Darryl. “Hester Temple, Countess Temple” (英語). thepeerage.com. 2015年12月21日閲覧。
- ^ a b c Heraldic Media Limited. “Temple, Earl (GB, 1749 - 1889)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月21日閲覧。
- ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 299.
- ^ Lundy, Darryl. “George Nugent-Temple-Grenville, 1st Marquess of Buckingham” (英語). thepeerage.com. 2015年12月21日閲覧。
- ^ Heraldic Media Limited. “Buckingham, Marquess of (GB, 1784 - 1889)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月21日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Robert Nugent, 1st Earl Nugent” (英語). thepeerage.com. 2015年12月21日閲覧。
- ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 300.
- ^ Heraldic Media Limited. “Buckingham and Chandos, Duke of (UK, 1822 - 1889)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月21日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Richard Temple-Nugent-Brydges-Chandos-Grenville, 1st Duke of Buckingham and Chandos” (英語). thepeerage.com. 2015年12月21日閲覧。
- ^ a b Heraldic Media Limited. “Cobham, Viscount (GB, 1718)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月17日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Charles George Lyttelton, 8th Viscount Cobham” (英語). thepeerage.com. 2015年12月21日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Charles George Lyttelton, 8th Viscount Cobham” (英語). thepeerage.com. 2015年12月21日閲覧。
- ^ Heraldic Media Limited. “Temple of Stowe, Earl (UK, 1822)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年3月16日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “William Stephen Temple-Gore-Langton, 4th Earl of Stowe” (英語). thepeerage.com. 2016年3月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 松村赳、富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478。
- Heathcote, Tony (1999). The British Field Marshals, 1736–1997: A Biographical Dictionary. Barnsley: Leo Cooper. ISBN 0-85052-696-5