スポーツマンズ・パーク
スポーツマンズ・パークIII Sportsman's Park III | |
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施設データ | |
所在地 |
Sullivan Ave. 3623 Dodier St. (Cardinals) & 2911 N Grand Blvd (Browns). St. Louis , Missouri[1] |
開場 | 1902年4月23日[1] |
修繕 | 1909 [1] |
拡張 | 1909, 1922, 1926 |
閉場 | 1966年5月8日 |
取り壊し | 1966年 |
所有者 |
セントルイス・ブラウンズ (開場 ~ 1952年) 、 セントルイス・カージナルス(MLB) (1953年 ~ 閉場) |
グラウンド | 天然芝 |
建設費 | 50万ドル |
設計者 | オズボーン・エンジニアリング |
建設者 | 不明 |
旧称 | |
ブッシュ・スタジアム(1953年 ~ 閉場) | |
使用チーム • 開催試合 | |
セントルイス・ブラウンズ(開場 ~ 1953年)、 セントルイス・カージナルス (MLB)(1920年 ~ 閉場) 、セントルイス・カージナルス (NFL)(1960年 ~ 1965年) | |
収容人員 | |
8,000人(開場時)、18,000人(1909年)、 34,000人(1926年)、30,500人(閉場時) | |
グラウンドデータ | |
球場規模 |
左翼 - 351.1 ft (約107.0 m) 左中間 - 379 ft (約115.5 m) 中堅 - 422 ft (約128.6 m) 右中間 - 354 ft (約107.9 m) 右翼 - 309.5 ft (約94.3 m) バックネット - 67 ft (約20.4 m) |
フェンス |
左翼 ~ 中堅 - 11.5 ft (約3.5 m) 右中間 ~ 右翼 - 36.67 ft (約11.2 m) |
スポーツマンズ・パーク(Sportsman's Park)は、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイスにかつて存在したスタジアムである。
スタジアムの歴史
[編集]初代(グランド・アベニュー・パーク)
[編集]1875年5月6日、セントルイスの一画にグランド・アベニュー・パーク(Grand Avenue Park)という野球場が開場。ナショナル・アソシエーション・リーグに1875年に誕生したセントルイス・ブラウンストッキングスの本拠地となった。ナショナル・アソシエーションがその年限りで消滅すると、このチームは翌1876年からナショナルリーグへ移籍した。このときに球場名がスポーツマンズ・パークへ変更された。ブラウンストッキングスは1877年シーズン終了後に球団解散した。
1882年、アメリカン・アソシエーション・リーグが発足。セントルイスには前述のチームと同じ名前のセントルイス・ブラウンストッキングス(現セントルイス・カージナルス)というチームが誕生した。ブラウンストッキングスはスポーツマンズ・パークを改修し、本拠地として使用した。ブラウンストッキングスは翌1883年にチーム名をセントルイス・ブラウンズに改め、1892年にはナショナルリーグへ移籍した。そしてこの年までは初代スポーツマンズ・パーク(グランド・アベニュー・パーク)を本拠地にしていた。
2代目(ロビソン・フィールド)
[編集]1893年、このセントルイス・ブラウンズは初代スポーツマンズ・パークの北東に建設された新スポーツマンズ・パークへ移転した。ブラウンズは1899年にパーフェクトズ、1900年にカージナルスに球団名を変更し、1911年には球団オーナーであったスタンリー・ロビソンの死去に伴い球場名をロビソン・フィールドに改称して、カージナル・フィールドとも言われながら1920年のシーズン途中まで本拠地とした。
詳細はロビソン・フィールドの項目を参照のこと。
3代目(ブッシュ・スタジアム)
[編集]一方で新しく1901年にアメリカンリーグが発足し、その時に誕生したミルウォーキー・ブルワーズ(1954年以降現在までのボルチモア・オリオールズ)が、その1年限りでミルウォーキーを捨て、カージナルスのいるセントルイスに移転してきた。このチームは球団名をカージナルスが1898年まで使っていたセントルイス・ブラウンズとした。これは翌1903年に同じ1901年に誕生した当時のボルチモア・オリオールズ(現在のニューヨーク・ヤンキース)がスーパーバス(後のドジャース)やジャイアンツのいるニューヨークへ移転したことも含めて、ナショナルリーグの球団と同じ都市にフランチャイズを設置することは、明らかに新興勢力(アメリカンリーグ)が既存の勢力(ナショナルリーグ)に対して挑戦状を叩きつける動きだった。
新しいセントルイス・ブラウンズ(後のオリオールズ)は新球場を建設し、球場名をカージナルスがかつて使っていたスポーツマンズ・パークと名付けた。ブラウンズはセントルイス1年目に78勝58敗の2位と健闘したことでファンの支持を得た。その後ブラウンズは下位に低迷したが、観客動員ではカージナルスを上回った(1902年から1908年の7年間の平均観客動員は、ブラウンズが約5,160人、カージナルスが約3,440人。この期間中にカージナルスが年間観客動員でブラウンズを上回ったのは1904年のみ)。
そしてブラウンズは球場の改修に着手し、1909年に改修が終了したこの3代目スポーツマンズ・パークは、鉄筋コンクリート製のものであった。やがて木製の球場が時代遅れになっていた1920年のシーズン途中に、とうとうカージナルスもロビソン・フィールド(2代目スポーツマンズ・パーク)からこのスポーツマンズ・パークに移転してきた。セントルイスをフランチャイズとするブラウンズとカージナルス両球団が同じ球場を本拠地にするようになった。
そしてカージナルスが移転してきてから、この両球団の力関係は逆転する。カージナルスはその後30年間でリーグ優勝9回、うちワールドシリーズ制覇6回の強豪になる。一方のブラウンズはリーグ優勝が1回のみ。両者が直接対決した1944年のワールドシリーズではカージナルスが4勝2敗で勝利。観客動員もカージナルスがブラウンズを圧倒するようになって、スポーツマンズ・パークの所有権も1952年シーズン終了後にブラウンズからカージナルスに移った。そして同時に球場名もカージナルスのオーナーの名前からブッシュ・スタジアム(Busch Stadium)に変更された(最初は親会社の商品名からバドワイザー・スタジアム(Budweiser Stadium)への変更が予定されていたが、機構が認めなかった)。ブラウンズは1953年シーズン終了後、メリーランド州ボルチモアへ移転した。
やがてブッシュ・スタジアム(3代目スポーツマンズ・パーク)は老朽化が進んでいった。1960年にはNFLのカージナルスがシカゴから移転してきて、球場が野球とアメフトとの兼用になったことも、球場の負担を増した。
1966年、クッキーカッター型(野球とアメフトの兼用を前提に作られた巨大円形スタジアム)の新しいブッシュ・スタジアムが完成し、両カージナルスがそちらに移転しスポーツマンズ・パークはその年のうちに解体され、その長い歴史に終止符が打たれた。
主要な出来事
[編集]野球
[編集]- 1902年4月23日、インディアンス戦で開場(ブラウンズ 5 - 2 インディアンス)。
- 1931年8月21日、ヤンキースのベーブ・ルースが史上初の通算600本塁打を達成。
- 1940年7月9日、オールスターゲーム開催(ナ 4 - 0 ア)。
- 1948年7月13日、オールスターゲーム開催(ア 5 - 2 ナ)。
- 1951年8月19日、タイガース戦に、身長3フィート7インチ(約109センチ)のエディー・ゲーデルが出場。
- 1957年7月9日、オールスターゲーム開催(ア 6 - 5 ナ)。
- ワールドシリーズ開催:1926年、1928年、1930年、1931年、1934年、1942年、1943年、1944年、1946年、1964年
- 1966年5月8日、ジャイアンツ戦で閉場(ジャイアンツ 10 - 5 カージナルス)。
脚注
[編集]開催イベントとテナント | ||
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前本拠地: ロイド・ストリート・グラウンズ 1901 - (1シーズン限り) |
ボルチモア・オリオールズの本拠地 1902 - 1953 |
次本拠地: メモリアル・スタジアム 1954 - 1991 |
前本拠地: ロビソン・フィールド 1893 - 1920 |
セントルイス・カージナルスの本拠地 1920 - 1966 |
次本拠地: ブッシュ・スタジアムII 1966 - 2005 |
前本拠地: コミスキー・パーク 1929 - 1959 |
アリゾナ・カージナルスの本拠地 1960 - 1965 |
次本拠地: ブッシュ・スタジアムII 1966 - 1987 |
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