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スターキングダム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スターキングダム
欧字表記 Star Kingdom
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1946年4月30日
死没 1967年4月21日
Stardust
Impromptu
母の父 Concerto
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産者 R.Ball
馬主 W.Harvey
→C.Leigh
→S.Wootton
調教師 J.C.Waugh
→F.Templeman
競走成績
生涯成績 16戦9勝
獲得賞金 1万2293ポンド
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スターキングダム (Star Kingdom) は、アイルランド生まれの競走馬種牡馬。競走馬としては大レースに勝利することができなかったが、種牡馬としてオーストラリアで大きな成功を収めた。

経歴

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競走馬時代

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スターキングダムは1946年にImpromptuの第2仔として誕生した。1歳時にドンカスターで行われたセリ市に出品され、出版業者のW.ハーヴェイによって3100ギニーで落札された。ハーヴェイは後のスターキングダムに「スターキング」という競走馬名をつけた。

スターキングは1947年4月8日に競走馬としてデビュー。5月にかけて3連勝を飾った。7月に出走した4戦目のナショナルプロデューズブリーダーズズテークスでは後に短距離戦線で大きな活躍を見せるアバーナントに接戦の末敗れた[1]が、その後8月にかけてリッチモンドステークスジムクラックステークスと2連勝を飾り、翌年のクラシックに備えて休養に入った。この年のイギリスの2歳フリーハンデではアバーナント(133ポンド)に次ぐ第2位(131ポンド)に格付けされた。

1948年4月上旬にレースに復帰し、グリーナムステークスを勝利。同月下旬の2000ギニーではアバーナントに次ぐ2番人気に支持されたが10着に敗れた(アバーナントは2着、優勝馬はニンバス)。その後6月にジャージーステークスを優勝し、7月のジュライカップでアバーナントとの3度目の対戦に臨んだが11馬身離された3着に敗れた。ハーヴェイはジュライカップ出走後、8月にハンガーフォードステークスに優勝したスターキングを引退させ種牡馬にしようと考えたが、C.レイから購入の申し出を受けて売却した。

C.レイの下、スターキングは1949年も競走生活を送り、5月に出走したシーズン初戦に優勝した。しかしその後は4戦したものの勝利を挙げることができず、S.ウートンに売却された。ウートンはスターキングを引退させ、生まれ故郷であるオーストラリアで種牡馬として供用することにした。

種牡馬時代

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スターキングはオーストラリアへ輸入された後、同国に同名の現役競走馬がいたことから、当時の規則に従って「スターキングダム」と改名された[2]

スターキングダムの産駒は短距離戦を中心にオーストラリアで優秀な成績を収め、1958/1959年シーズンから4シーズン連続で、さらに1964/1965年シーズンにリーディングサイアーとなった。産駒は特に2歳戦で活躍し、1954/1955年シーズンから6シーズン連続で2歳リーディングサイアーとなり、また、産駒は1957年から1961年にかけて5年連続でゴールデンスリッパーステークス[3]を優勝した。スターキングダムはブルードメアサイアーとしても能力を発揮し、1967/1968年シリーズから3シーズン連続でリーディングブルードメアサイアーとなった。

血統表

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スターキングダム血統ハイペリオン系 / Sunstar 4x4=12.50%、 Canterbury Pilgrim 5x5=6.25%) (血統表の出典)

Stardust
1937 栗毛 イギリス
父の父
Hyperion
1930 栗毛 イギリス
Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Selene Chaucer
Serenissima
父の母
Sister Stella
1923 栗毛 イギリス
Friar Marcus Cicero
Prim Nun
Etoile Sunstar
Princesse de Galles

Impromptu
1939 青鹿毛 アイルランド
Concerto
1928 青鹿毛 イギリス
Orpheus Orby
Electra
Constellation Sunstar
Stop Her
母の母
Thoughtless
1934 青鹿毛 アイルランド
Papyrus Tracery
Miss Matty
Virgin's Folly Swynford
Widow Bird F-No.1-g


脚注

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  1. ^ なお、当時イギリスでは写真判定の制度が導入されておらず目視により判定がなされたが、この時の判定結果については新聞が取り上げるなど物議をかもした。
  2. ^ その後、このようなケースでは競走馬名の後に原産国名の略号をつけて混同を防ぐようになった。
  3. ^ オーストラリアにおける2歳馬短距離路線のチャンピオン決定戦。

参考文献

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外部リンク

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