Nothing Special   »   [go: up one dir, main page]

コンテンツにスキップ

ジム・アイゼンライク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジム・アイゼンライク
Jim Eisenreich
2009年8月8日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミネソタ州セントクラウド
生年月日 (1959-04-18) 1959年4月18日(65歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1980年 MLBドラフト16巡目(全体401位)でミネソタ・ツインズから指名
初出場 1982年4月6日
最終出場 1998年9月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジェームズ・マイケル・アイゼンライクJames Michael Eisenreich, 1959年4月18日 - )は、アメリカ合衆国ミネソタ州セントクラウド出身の元プロ野球選手外野手)。左投左打。

経歴

[編集]

1980年MLBドラフト16巡目(全体401位)で地元のミネソタ・ツインズから指名され、プロ入り。1982年4月6日にメジャーデビューすると、前年A級所属ながら一気にレギュラーに抜擢されるが、定着はできず。その後、神経衰弱の一種であるトゥレット症候群を患い、観衆の前でのプレーができなくなる。一時は引退状態となり、1985年から2年間はアマチュアでプレーしていた。

1987年カンザスシティ・ロイヤルズ傘下のマイナー球団であるAA級メンフィス・チックスと契約を結び、球界に復帰。そこでルームメイトとなったのがマット・ウインタース(後に日本ハムファイターズでプレー)だった。内気で引っ込み思案のアイゼンライクと明るく社交的なウインタースは性格が対照的にもかかわらず、よく気が合った。そして、精神的に落ち込みそうになりがちなアイゼンライクをウインタースは励ました。一方、マイナー暮らしが長いウインタースも、反対にアイゼンライクから貴重なアドバイスを送られることがあった[1]。この年は3年ぶりにメジャーにも復帰し、44試合に出場した。1989年にはレギュラーとなり、ともにチーム最高の打率.293・27盗塁をマークした。1990年にはこの年より制定の、難病や逆境を克服した選手に贈られるトニー・コニグリアロ賞の初代受賞者となった[2]

1993年フィラデルフィア・フィリーズへ移籍し、いずれの年も規定打席不足ながら在籍4年間連続して打率3割をクリアした。特に1996年は.361の高打率だった[3]

1997年にはフロリダ・マーリンズ(現:マイアミ・マーリンズ)へ移籍し、球団初のワールドシリーズ制覇のメンバーとなった。翌1998年5月14日マイク・ピアッツァトッド・ジールとのトレードで、ゲイリー・シェフィールドボビー・ボニーヤらと共にロサンゼルス・ドジャースへ移籍[4]。この年限りで引退した。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1982 MIN 34 111 99 10 30 6 0 2 42 9 0 0 0 0 11 0 1 13 1 .303 .378 .424 .803
1983 2 8 7 1 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .286 .375 .429 .804
1984 12 36 32 1 7 1 0 0 8 3 2 0 0 2 2 1 0 4 1 .219 .250 .250 .500
1987 KC 44 115 105 10 25 8 2 4 49 21 1 1 0 3 7 2 0 13 2 .238 .278 .467 .745
1988 82 214 202 26 44 8 1 1 57 19 9 3 2 4 6 1 0 31 2 .218 .236 .282 .518
1989 134 519 475 64 139 33 7 9 213 59 27 8 3 4 37 9 0 44 8 .293 .341 .448 .790
1990 142 545 496 61 139 29 7 5 197 51 12 14 2 4 42 2 1 51 7 .280 .335 .397 .732
1991 135 405 375 47 113 22 3 2 147 47 5 3 3 6 20 1 1 35 10 .301 .333 .392 .725
1992 113 380 353 31 95 13 3 2 120 28 11 6 0 3 24 4 0 36 6 .269 .313 .340 .653
1993 PHI 153 394 362 51 115 17 4 7 161 54 5 0 3 2 26 5 1 36 6 .318 .363 .445 .808
1994 104 329 290 42 87 15 4 4 122 43 6 2 3 2 33 3 1 31 8 .300 .371 .421 .792
1995 129 423 377 46 119 22 2 10 175 55 10 0 2 5 38 4 1 44 7 .316 .375 .464 .839
1996 113 373 338 45 122 24 3 3 161 41 11 1 0 3 31 9 1 32 7 .361 .413 .476 .889
1997 FLA 120 331 293 36 82 19 1 2 109 34 0 0 3 4 30 4 1 28 7 .280 .345 .372 .717
1998 30 68 64 9 16 1 0 1 20 7 2 0 0 0 4 1 0 14 1 .250 .294 .313 .607
LAD 75 140 127 12 25 2 2 0 31 6 4 0 1 0 12 1 0 22 2 .197 .266 .244 .510
'98計 105 208 191 21 41 3 2 1 51 13 6 0 1 0 16 2 0 36 3 .215 .275 .267 .542
MLB:15年 1422 4391 3995 492 1160 221 39 52 1615 477 105 38 22 42 324 47 8 435 75 .290 .341 .404 .746

表彰

[編集]

背番号

[編集]
  • 4(1982年 - 1984年)
  • 22(1987年 - 1990年)
  • 8(1991年 - 1998年途中)
  • 12(1998年途中 - 同年終了)

脚注

[編集]
  1. ^ 「カンザスシティ・ロイヤルズ」『大リーグ総集編1989』 週刊ベースボール1990年1月13日増刊号 ベースボール・マガジン社 105頁
  2. ^ Tony Conigliaro Award”. Baseball Almanac. 2017年5月17日閲覧。
  3. ^ 出野哲也『改訂新版 メジャー・リーグ人名事典』言視社、2013年、9頁頁。ISBN 978-4-905369-67-7 
  4. ^ 「緊急特集 ピアーザ電撃移籍の真相と波紋」『月刊メジャー・リーグ』 1998年7月号 ベースボール・マガジン社 36頁

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]