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シトカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シトカ市郡
City and Borough of Sitka
シトカの街並み
シトカの街並み
愛称 : アラスカ最初の市(First City of Alaska)
標語 : "The Better Place to Visit"
位置
州内の位置の位置図
州内の位置
座標 : 北緯57度03分10秒 西経135度19分54秒 / 北緯57.05278度 西経135.33167度 / 57.05278; -135.33167
歴史
建設 1799年
大シトカ市 1963年9月24日
市郡制施行 1971年12月2日
旧名 ノボ・アルハンゲリスク
(ニュー・アークエンジェル)
行政
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
  アラスカ州
 市郡 シトカ市郡
市長 スコット・マクアダムス
地理
面積  
  市郡域 12,461.8 km2 (4,811.5 mi2)
    陸上   7,443.6 km2 (2,874.0 mi2)
    水面   5,018.2 km2 (1,937.6 mi2)
      水面面積比率     40.27%
標高 ※8 m (26 ft)
人口
人口 2005年現在)
  市郡域 8,986 [1]
    人口密度   1.21人/km2(3.13人/mi2
その他
等時帯 アラスカ標準時 (UTC-9)
夏時間 アラスカ夏時間 (UTC-8)
ZIP CODE 99835
市外局番 907
※市庁舎の高さ
公式ウェブサイト : シトカ市郡公式ウェブサイト
1827年頃のオールド・シトカ(ガヤー・ヘーン)の様子。
総督宅を「キャッスル・ヒル」という防護柵で取り囲み、その上の3つの望楼で監視をしていた。また、トリンギット族の襲撃に備えて32もの大砲を置いていた。

シトカ市郡City and Borough of Sitka)は、アメリカ合衆国アラスカ州アレキサンダー諸島バラノフ島西岸に位置する市郡(市であり郡である自治体)。

概要

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2005年の推定人口は8986人で、アラスカ州で第4の都市人口である。また、アメリカ合衆国では最大の行政面積を持っている都市でもある。

名前の由来

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シトカという地名は、先住民族トリンギット族の言葉で「海のほとりの人々」という意味の「Shee At'iká」から来ている。また、シトカは時々シトカ・バイ・ザ・シー(Sitka-by-the-Sea)とも呼ばれる。

地理

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アメリカ合衆国国勢調査局[2]によると、この郡は総面積1万2461.8 km2 (4811.5 mi2)である。このうち7443.6 km2 (2874.0 mi2)が陸地で、5018.2 km2 (1937.6 mi2)が水地域である。総面積の40.27%が水地域となっている。

シトカは2000年に7440 km2(2874 mi2)の地域が編入したため、ジュノーに代わってアメリカ合衆国で最も広い都市になった。これはアメリカ最小の州ロードアイランド州の4倍の広さである。ジュノーは1970年に、都市と周辺の自治体が統合して7040 km2 (2717 mi2)もの市郡ができた。なお、合衆国本土で最大の都市はフロリダ州ジャクソンビルで、1960 km2 (758 mi2)である。

  • シトカの例年の降水量は2200 mm(86 in)で、降雪量は990 mm(39 in)である。
  • シトカの8月の平均気温は16.7度で、1月の平均気温は-1.1度である。

現在は休火山となっている成層火山のエッジカンベ山(標高 3200 ft)はクルゾフ島南部にあり、晴れた日には市中心部からも望むことができる。

隣接する郡・地域

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国立保護区

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人口

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シトカの年代ごとの人口[3]

1900年 - 1100人
1920年 - 1200人
1930年 - 1100人
1940年 - 2000人
1950年 - 2000人
1960年 - 3200人
1970年 - 3400人
1980年 - 7800人
1990年 - 8600人
2000年 - 8835人

2000年現在の国勢調査[4]で、この郡は8835人、3278世帯、および2219家族が暮らしている。人口密度は1.2/km2 (3.1/mi2) で、0.5/km2 (1.3/mi2) の平均的な密度に3,650軒の住居が建っている。

この郡の人種的構成は白人68.50%、アフリカン・アメリカン0.32%、先住民18.57%、アジア系3.79%、太平洋諸島系0.35%、その他の人種0.94%、及び混血7.53%で、人口の3.28%がヒスパニックまたはラテン系である。

人口のうち1.87%がトリンギット語を自宅で話し、1.62%がタガログ語、1.05%がスペイン語、1.00%がイロカノ語を話すと答えている。[5]

3278世帯のうち、36.2%は18歳未満の子供と暮らしており、53.0%は夫婦で生活している。10.3%は未婚の女性が世帯主であり、32.3%は家族以外の住人と同居している。24.5%は独身の居住者が住んでおり、5.4%は65歳以上で独居である。1世帯あたりの平均人数は2.61人であり、家庭の場合は3.15人である。

郡内の住民は27.2%が18歳未満の未成年、18歳以上24歳以下が9.4%、25歳以上44歳以下が30.9%、45歳以上64歳以下が24.1%、及び65歳以上が8.4%にわたっている。中央値年齢は35歳である。女性100人ごとに対して男性は104.0人いて、18歳以上の女性100人ごとに対して男性は104.8人いる。

この郡の世帯ごとの平均的な収入は51,901米ドルであり、家族ごとでは62,361米ドルである。男性の40,037米ドルに対して女性は30,319米ドルの平均的な収入がある。この郡の一人当たりの収入 (per capita income) は23,622米ドルである。人口の7.8%及び家族の4.2%は貧困線以下である。18歳未満人口の9.2%と65歳以上人口の7.2%は貧困線以下の生活を送っている。

歴史

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もともとこの地域には、先住民族のトリンギット族が定住していた。1799年に、ロシア領アメリカ総督アレクサンドル・バラノフ露米会社の支援を受けここに到着し、町を組織した。露米会社は当時のロシア皇帝パーヴェル1世の認可を受け設立され、ロシア植民地での統治や交易を行っていた。

しかし、1802年にトリンギット族の一派が交易拠点の聖ミハイル砦(現オールド・シトカ)を襲撃し、多数のロシア人を虐殺した。バラノフは生き残った移民を帰国させるため、近くに停泊していたイギリス船に1万ロシア・ルーブルを支払った。

その後、バラノフらはロシアに戻ったが、1804年にロシア戦艦「ネバ」率いる艦隊に多くのロシア人とアレウト族を乗せシトカに来航した。艦隊はトリンギット族を砲撃し、周囲の森に立ち退くよう強制した(シトカの戦い)。戦いに勝ったロシア人は、常設の要塞を築いて定住するようになった。彼らはその要塞をノヴォ・アルハンゲリスクロシア語: Ново-Архангельск、ニュー・アークエンジェルとも。バラノフが生まれたアルハンゲリスク州の州都・アルハンゲリスクに因む)と名づけた。さらに1808年、バラノフ知事によりシトカはロシア領アメリカの首都となった。

1860年代から徐々にラッコ毛皮貿易がすたれ、1867年アラスカ購入が成立すると、シトカではロシア国旗を降ろしアメリカ国旗を揚げる式典が行われた。(式典は毎年10月18日アラスカの日に再演される)それからクロンダイク・ゴールドラッシュまでの間、シトカに駐在するアメリカ政府職員は1人の税関監査官のみだった。しかしその後も、1906年ジュノーへ政府が移転するまで、シトカはアラスカ準州の首都であり続け、準州初の新聞・シトカタイムズは、1868年9月19日にバーニー・O・レイガンが創刊した。

その後、町は金鉱業と魚の製缶業で初期発展を遂げた。しかし、第二次世界大戦が起こるとアメリカ海軍ヤポンスキー島に航空基地を建て、その3万人の作業員を含めてシトカが管轄するようになった。1963年9月24日にシトカ一帯が大シトカ市として統合され[6]1971年12月2日にはシトカ市郡の地方自治が承認された[7]

1959年、日本のアラスカパルプが進出して工場を建設。近隣のトンガス国有林の森林資源を利用して、日本にパルプ材、製材の輸出を始めた。地域の一帯の森林資源は数億立米と桁違いの量が存在したが、徐々に森林資源が減少したこと、環境保護の意識の高まりから伐採規制が強化され、1992年までにパルプ工場、製材工場が閉鎖された[8][9]

宗教の歴史

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シトカにあるセント・ミカエル大聖堂。
(2005年5月9日撮影)

町にあるセント・ミカエル大聖堂(聖ミハイル大聖堂)は、アリューシャン列島カムチャツカ半島千島列島などで活躍したロシア正教会主教インノケンティ(のちモスクワ府主教)が1848年に建てたものである。1966年1月2日に一度火事で焼け落ちたが、その後本来の外観に修復された。しかし、時計盤だけ以前は黒いものだったが、修復後は白いものになった。

インノケンティ主教は、1840年からシトカで暮らし始めた。彼は教育に大変熱心で、家の一部を校舎として寄与するほどだった(それは現在、「ロシア僧正の家」としてアメリカ合衆国国立歴史公園に指定されている)。主教はロシア帝国と緊密な関係だったスウェーデンフィンランドに協力を仰ぎ、1840年にシトカルーテル教会を建てた。それは、太平洋沿岸で最初のプロテスタント教会になった。その後、1867年アラスカ購入によってロシア帝国からアメリカ合衆国へ支配権が移ると、プロテスタントの影響が以前よりも強くなった。町にあったセント・ピーター・バイ・ザ・シー聖公会は、1900年にアラスカ大聖堂と改められた。

現在、シトカには22の建物と史跡がアメリカ合衆国国定史跡に指定されている。[10]

対外関係

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姉妹都市・提携都市

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オールド・シトカを襲撃から守ったロシアン・ブロックハウス。
1962年に国立公園局により復元された。

シトカは以下の都市と姉妹提携を行っている。[11]

教育

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大学

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シトカには、現在大学が1校ある。そのアラスカ州立大学サウスウェスト校のシトカキャンパスは、シトカ近くのヤポンスキー島にあった第二次世界大戦時の古い格納庫を改装して校舎として利用している。また、シトカにあった私立のシェルダン・ジャクソン大学は小規模の長老派教会派の大学だったが、財政上の理由から2007年6月に経営を休止した。

学校

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シトカ市は全域がシトカ学区に属しており、シトカ高校・パシフィック高校といった高等学校やシトカ唯一の中学校のブラッチリー中学校など、いくつかの学校がある。

アラスカ州立マウント・エッジカム高校は寄宿制の高等学校で、ヤポンスキー島にあるアラスカ州立大学に隣接する形で存在している。

図書館

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シトカには、シェルダン・ジャクソン大学内にあるストラットン図書館と公立のケトルソン・メモリアル図書館の2つの図書館がある。

その他

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  • アラスカ州警察アカデミー - シトカにあるアラスカ州警官のためのアカデミー。
  • アイランド研究所 - 現代の社会・倫理的な話題をテーマにした、年に1度開かれるシンポジウムを支援している。

交通

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市内のクレセント港はインディアン川低地に位置し、背後にはザ・シスターズが聳えている。
早朝のシトカ水道の様子。
右にジョン・オコンネル橋が見える。

シトカは全域が島で構成されているので、交通・輸送機関の整備は困難を極めた。アラスカ・パンハンドルの太平洋側に位置するため本土の幹線道路からは離れており、ペリル水道は潮汐の関係で最小限のフェリーと船しか通航できず、大型船は満ち潮の時のみ通航が許されている。

空港

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航空機ではシトカ・ロッキー・グティエレス空港からアラスカ航空とハリス航空機サービスの2社が発着し、サービスを提供しているが、よく天候による欠航や遅れが発生する。空港はバラノフ島からジョン・オコンネル橋を渡ったヤポンスキー島にあるが、この橋は1972年に完成した西半球で初の斜張橋である。

港湾

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フェリーではアラスカ・マリン・ハイウェイが就航していて、速力は低いものの就航率が高く費用も抑えられるため非常に信頼されている。州営のフェリーターミナルはダウンタウンから約11 km(7マイル)北に位置する。その他にも、はしけ舟の貨客船で車などを本土へ運ぶアラスカ・マリン・ラインズなどがある。また、シトカに住む先住民に対しても、アラスカ州交通局は公共交通サービスを提供している。

観光

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シトカ工兵宿泊所

シトカには多数の見どころがある。

  • アラスカの日
  • アラスカ猛禽類センター
  • バラノフ・キャッスル・ヒル
  • イザベル・ミラー博物館
  • ナア・カヒディ・ダンサーズによるシトカ・カワーン・ナア・カヒディの公演
  • ロシア僧正の家
  • セント・ラザニア野生生物保護区
  • セント・ミカエル大聖堂
  • セント・ピーター・バイ・ザ・シー聖公会
  • シェルダン・ジャクソン博物館
  • シトカ美術キャンプ(サマーキャンプ
  • シトカ・ジャズ・フェスティバル
  • シトカルーテル教会
  • シトカ国立歴史公園
  • シトカ工兵宿泊所
  • シトカ・サマー音楽祭
  • スワン湖
  • トンガス国有林
  • クジラ祭り

シトカ地方の動物・植物相は観光資源の1つとなっており、市はクルージングや日帰り旅行(ハイキング)などの大規模事業を展開している。水上機によるフライトセーリングも行っていて、空から多くの絶景を堪能することができる。

自然の見どころ

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中央奥がエッジカム山。
(アメリカ合衆国農務省林野部撮影)

詳細はバラノフ島の主要な地形一覧を参照

シトカはアレキサンダー諸島の中でも山がちな上太平洋に臨むため、豊富な自然を有する。

  • バラノフ島東側の村、バラノフ・ワーム・スプリングスに至るバラノフ島横断遊歩道は、夏季は人気のハイキングコースとなる。しかし山岳地帯やクレバス氷原などを通るため、熟練したバックパッカーかガイドに同伴してもらい、さらに天候を見極めて出発する必要がある。
  • 休火山のエッジカム山は登山が人気の山で、山頂まで11km(7マイル)の登山コースも特徴的である。ガイドによる日帰り旅行も可能だが、登山などの知識はほとんど必要ない。また、その山容が富士山に似ていることから「シトカ富士」とも呼ばれる。
  • 正式には無名で、非公式にはピーク5390(標高のフィート長に由来)と呼ばれている山は、バラノフ島の最高峰で最も登山が難しい山でもある。ほとんどの登山客は途中で下山するが、登頂の望む人は以前に登頂した人へ相談するとよい。[12]
  • カヤックも人気の野外活動で、地元では日帰り体験も行っている。長距離の旅ではゴダード温泉、バラノフ・ワーム・スプリングス、ポート・アレキサンダー、ポート・アームストロングまたはポート・ワルターなどが主な目的地となる。また、チチャゴフ島の西側にあるホワイト・サルファー温泉は海洋カヤックの目的地となっている。
  • シトカ市内には幾つかのトレイルがあり、その多くは一般の道路網から容易に接続できる。主な小道にはインディアン・リバー・トレイル、ビーバー・レイク・トレイル、モスキート・コーブ・トレイル、ハーバー・マウンテン/ギャヴィン・ヒル・トレイル、リダウト・レイク・トレイル、マウント・ヴァースタビア・トレイル、シェリコフ・トレイルなどがある。

出身・関連著名人

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脚注

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  1. ^ アラスカ州全自治体の推定人口(アメリカ合衆国統計局人口部局)”. 2008年10月25日閲覧。
  2. ^ アメリカ合衆国国勢調査局”. 2008年7月29日閲覧。
  3. ^ アメリカ合衆国アラスカ州の各都市の年代別人口”. 2008年10月25日閲覧。
  4. ^ American FactFinder, United States Census Bureau, http://factfinder.census.gov 2008年1月31日閲覧。 
  5. ^ 言語マップ・データ・センター 2008年8月5日閲覧
  6. ^ アラスカ州の行政区分マップ(アラスカ州コミュニティー・経済開発局)”. 2008年10月25日閲覧。
  7. ^ シトカ市郡の自治憲章”. 2008年10月25日閲覧。
  8. ^ 笠原六郎、村尾行一「アラスカのりんぎょう」『林業百科辞典』p16 日本林業技術協会 1984年
  9. ^ 2004年(平成16年)1-12月度こうして倒産した・・・”. 東京商工リサーチ. 2020年4月29日閲覧。
  10. ^ シトカ市郡の国家歴史登録財リスト”. 2008年10月25日閲覧。
  11. ^ アラスカ州の姉妹都市インデックス”. 2008年10月25日閲覧。
  12. ^ http://www.alaska.or.jp/sitka.html アラスカ - 地域情報 - シトカ(アラスカ州政府 日本支局)

参考文献

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  • Andrews, C.L. (1944). The Story of Alaska. The Caxton Printers, Ltd., Caldwell, OH 
  • Fedorova, Svetlana G., trans. & ed. by Richard A. Pierce and Alton S. Donnelly (1973). The Russian Population in Alaska and California: Late 18th Century - 1867. Limestone Press, Kingston, Ontario. ISBN 0-919642-53-5 
  • Hope, Herb (2000) "The Kiks.ádi Survival March of 1804." In: Will the Time Ever Come? A Tlingit Source Book, ed. by Andrew Hope III and Thomas F. Thornton, pp. 48-79. Fairbanks, Alaska: Alaska Native Knowledge Network.
  • Naske, Claus-M and Herman E. Slotnick (2003). Alaska: A History of the 49th State. University of Oklahoma Press, Norman, OK. ISBN 0-8061-2099-1 
  • Nordlander, David J. (1994). For God & Tsar: A Brief History of Russian America 1741 - 1867. Alaska Natural History Association, Anchorage, AK. ISBN 0-930931-15-7 
  • Wharton, David (1991). They Don't Speak Russian in Sitka: A New Look at the History of Southern Alaska. Markgraf Publications Group, Menlo Park, CA. ISBN 0-944109-08-X 
  • Wilber, Glenn (1993). The Sitka Story: Crown Jewel of Baranof Island. "Land of Destiny"—Alaska Publications, Sitka, AK 
  • Tlingit Geographical Place Names for the Sheet'ká Kwáan — Sitka Tribe of Alaska, an interactive map of Sitka Area native place names.

外部リンク

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