キール・オーディトリアム
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キール・オーディトリアム | |
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施設情報 | |
所在地 | 1401 Clark Avenue, St. Louis, MO 63103 |
位置 | 北緯38度37分41秒 西経90度12分06秒 / 北緯38.627972度 西経90.201782度座標: 北緯38度37分41秒 西経90度12分06秒 / 北緯38.627972度 西経90.201782度 |
開場 | 1934年4月14日 |
閉場 | 1991年 |
取り壊し | 1992年 |
建設費 | $600万米ドル |
設計者 | Louis LaBeaume and Eugene S. Klein |
旧称 | |
ミュニシパル・オーディトリアム (1934–1943) | |
使用チーム、大会 | |
セントルイス大学 (NCAA) (1934–1991) セントルイス・ホークス (NBA) (1955–1968) | |
収容人員 | |
9,300 |
キール・オーディトリアム(Kiel Auditorium)は、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイスにあった屋内アリーナ。
概要
[編集]1934年に600万ドルの建設費を投じて完成。収容人数は9300名であった。当時の名称はミュニシパル・オーディトリアムであったが、1943年に建設当時の市長であったヘンリー・キールをたたえ、現在の名称となった。
NBAのセントルイス・ホークスの本拠地を1968年まで使用されたほか、1983年にはミス・ユニバース世界大会が行われていた。
この会場はセントルイス・レスリング・クラブによるプロレス興行でも使用されていた。ナショナル・レスリング・アライアンス(NWA)の会長であったサム・マソニックがプロモーターであったことから“NWAの総本山”と呼ばれ、全日本プロレスの主力選手も遠征していたが、1984年に開始されたWWF全米侵攻作戦によって総本山の地位を喪失した[1]。
しかし施設の老朽化などで1992年に閉場され、取り壊された。
現在、その跡地にはエンタープライズ・センターが建てられており、側壁の一部とサインボードが保存されている。
参考文献
[編集]- 『週刊プロレスSPECIAL 日本プロレス事件史 Vol.18』ベースボール・マガジン社、2016年。ISBN 9784583624181。
- 『想い出のプロレス会場物語』ベースボール・マガジン社、2016年。ISBN 9784583624372。
開催イベントとテナント | ||
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先代 ミルウォーキー・アリーナ |
セントルイス・ホークスの本拠地 1955 - 1972 |
次代 オムニ・コロシアム |
先代 ボストン・ガーデン ウォー・メモリアル・アット・オンセンター ボストン・ガーデン |
NBAオールスターゲーム 開催場 1958 1962 1965 |
次代 オリンピア ロサンゼルス・メモリアル・スポーツ・アリーナ シンシナティ・ガーデンズ |
脚注
[編集]- ^ 『週刊プロレスSPECIAL 日本プロレス事件史vol.18』P51 - P58(2016年、ベースボール・マガジン社、ISBN 9784583624181)