アンドレイス・ルビンス
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Andrejs Rubins | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ラトビア | |||||
生年月日 | 1978年11月26日 | |||||
出身地 | ソビエト連邦、リガ | |||||
没年月日 | 2022年8月3日(43歳没) | |||||
身長 | 174cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
代表歴 | ||||||
1998-2011[1] | ラトビア | 117 (9) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アンドレイス・ルビンス(Andrejs Rubins, 1978年11月26日 - 2022年8月3日)は、ラトビア、リガ出身で同国代表の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF。
来歴
[編集]クラブ
[編集]1996年、ラトビアリーグの2部に属していたFK Audaでプロキャリアをスタートさせた。翌年はスウェーデンのÖsters IFに移籍。1998年、ヴィルスリーガの強豪スコントFCに移籍し、在籍期間中に67試合に出場し14得点を挙げた。2000年、イングランドのクリスタル・パレスFCに移籍。フットボールリーグカップのレスター・シティ戦(0-3)では27mの距離からシュートを放ち得点を決めた[2]。準決勝の1stレグ、リヴァプールFC戦(2-1)でも得点をしチームの勝利に貢献をしたが、2ndレグのアウェーでは5-0で敗れた[3]。リーグ戦では加入1年目にはある程度出場をしたが2、3年目にはサブとして出場をした。2003年、ロシアのFCシンニク・ヤロスラヴリに移籍をし、2005年には強豪のFCスパルタク・モスクワに4年契約で移籍するも、出場は5試合に留まった。2013年3月13日、現役引退を表明した。
死去
[編集]2022年8月3日、43歳という若さで死去した[4]。
代表
[編集]- ラトビア代表 117試合出場 1998-2011
- 2004年 EURO2004 ポルトガル大会(グループリーグ敗退)
所属クラブ
[編集]- FK Auda 1996
- エステルスIF 1997
- スコントFC 1998-2000
- クリスタル・パレスFC 2000-2003
- FCシンニク・ヤロスラヴリ 2003-2004
- FCスパルタク・モスクワ 2005
- → FCシンニク・ヤロスラヴリ 2006 (loan)
- → FKリエパーヤス・メタルルグス 2007(loan)
- FCインテル・バクー 2008-2010
- カラバフFK 2010-2011
- シムルグPFC 2011-2012
脚注
[編集]- ^ “Andrejs Rubins - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ Leicester 0-3 Crystal PalaceBBC Sport、2011年9月2日閲覧。
- ^ Palace leave Liverpool red-facedBBC Sport、2011年9月2日閲覧。
- ^ “Pāragri mūžībā aizsaukts Andrejs Rubins” (ラトビア語). LFF.lv. 2022年8月3日閲覧。