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アルヌルフ (東フランク王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルヌルフ
(アルヌルフ・フォン・ケルンテン)
Arnulf von Kärnten
東フランク国王
ローマ皇帝
在位 887年 - 899年(東フランク王)
896年 - 899年(ローマ皇帝)
戴冠式 896年2月22日(ローマ皇帝)

出生 850年
死去 899年12月8日
東フランク王国レーゲンスブルク
埋葬 東フランク王国レーゲンスブルク聖エメラム修道院
配偶者 オーダ・フォン・ヘッセンガウ
子女 一覧参照
家名 カロリング家
王朝 カロリング朝
父親 カールマン
母親 リウスヴィント
宗教 カトリック教会
サイン
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アルヌルフ・フォン・ケルンテンドイツ語: Arnulf von Kärnten, 850年頃 - 899年12月8日)は、カロリング朝第3代・5人目の東フランク国王(在位:887年 - 899年)にしてローマ皇帝(在位:896年 - 899年[1]。帝国内に覇を唱え外敵にも勝ち続けたが、戦い続ける強引な姿勢による成果は病に倒れたことで失われた。

概要

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バイエルンカールマンとリウスヴィント(Liutswind)[注釈 1]との間の庶子。

887年に叔父の皇帝カール3世が廃位された後、アルヌルフは東フランクとロタリンギアを継承した。アルヌルフが王に選出されたのち、現在のスロベニアあたりを中心とする地域を指すカランタニア(ドイツ語だとケルンテン)という言葉が用いられるようになった。

カールマンはカランタニアに王宮を持っており、アルヌルフは幼少時をここですごした。彼をカランタニア人は自らの君主(カランタニア公、ケルンテン公)とみなしていた。

アルヌルフは交渉せず、ただ戦った。891年9月のルーヴァンの戦いではノルマン人ヴァイキング)に大勝して彼らの侵入を断念させ、戦いののちディール川の中州に城を築いた。『フルダ年代記』(Annales Fuldensis)によれば、ノルマン人の死体は川の流れを堰き止めるほどだったという。

891年あるいは892年、また894年あるいは895年に、現在のハンガリー大モラヴィア王国の軍勢を破った。さらに899年にも大モラヴィア王国と戦ったが、征服することはできなかった。

895年、アルヌルフとボヘミア公ボリヴォイ1世の合意によりボヘミアは大モラヴィア王国から離脱してアルヌルフの臣下となった[3]

アルヌルフは896年にはイタリアに侵攻し、時のローマ教皇フォルモススによってローマ皇帝に戴冠された[3]

899年に死去し、嫡子のルートヴィヒ4世が王位を嗣いだ。

子女

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アルヌルフは888年頃にコンラディン家のヘッセンガウ伯ベレンガルドイツ語版の娘オーダ(ウータ)873年 - 903年[4][5]と結婚し、アルヌルフにとって唯一の嫡子を儲けた。

母不詳の庶子

脚注

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注釈

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  1. ^ リウスヴィントは861年にカールマンの策謀に巻き込まれ、ルートヴィヒ2世により廃位されたバイエルンの伯エルンストの娘とされる。また、ルイトポルト家と関係があるとも言われている[2]

出典

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  1. ^ 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』アルヌルフ[ケルンテン]
  2. ^ 森田、p. 59-60
  3. ^ a b 瀬原、p. 57
  4. ^ K-F. Werner, 'Die Nachkommen Karls des Großen bis um das Jahr 1000 (1.–8. Generation),' in W. Braunfels and P. Schramm, ed., Karl der Große Lebenswerk und Nachleben, vol. 4, Düsseldorf, 1967, p. 456
  5. ^ Adelheid Krah, 'Uta (Oda, Ota),' in Lexikon des Mittelalters (LexMA). Band 8, LexMA-Verlag, München, 1997, Sp. 1344.
  6. ^ a b Reuter, p. 158

参考文献

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  • 森田茂 『グレゴリゥス改革とバィエルン・前編 : 歴史的地域研究試論』 慶應義塾大学日吉紀要ドイツ語学・文学, No.33 (2001. 9), p. 51-132
  • 瀬原義生 『ドイツ中世前期の歴史像』 文理閣、2012年
先代
ランベルト
ローマ皇帝
896年 - 899年
次代
ルートヴィヒ3世
先代
カール3世
東フランク国王
887年 - 899年
次代
ルートヴィヒ4世