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鴨方藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鴨方藩(かもがたはん)は、岡山藩支藩江戸期を通じての名称は岡山新田藩(おかやましんでんはん)で、明治元年(1868年)に鴨方藩と改称した。明治4年(1871年)、廃藩置県により鴨方県となった。

概要

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備中国浅口郡(現:岡山県浅口市)・小田郡窪屋郡を領有し、藩庁は鴨方陣屋[1]。石高は2万5000石。寛文12年(1672年)、光政の次男・政言が立藩した[2]

岡山神社に連なる高台を小早川が治めた頃から天神山と呼んでおり、貞享年間天神社山王社が岡山神社に遷座すると、伊庭主膳や榊原香庵が邸宅を構え、寛文7年に信濃守が内山下の対面所から移り住む[3]。藩主はほとんど岡山城下に居住していた。

体制

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岡山大学教育学部社会科教室内地域研究会の資料[4]によると、藩内では家老・中老・小仕置・郡代・判形・大目付・御留方による評議式にて藩を治めていた。なお評定所は設けられておらず、勘定所にて評議が行われていたと同研究会は推測している。

歴代鴨方藩主

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『倉敷市史』[5][6]による。
池田家 - 外様 2万5000石

  1. 政言池田光政の次男。曾祖父は池田輝政[7]
  2. 政倚
  3. 政方
  4. 政香
  5. 政直
  6. 政養
  7. 政共
  8. 政善 – 幕府の公式記録にはないが、はじめ政広(官位なし)が藩主を継ぎ、その身代わりで政善が擁立された[要出典]
  9. 政詮
  10. 政保[8]

藩士関係

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参考文献

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主な著者、編者の50音順。

  • 「寛永備中図」池田家[9][10]
  • 石坂善次郎 編『池田光政公伝』 下、石坂善次郎、東京、1932年(昭和7年)。doi:10.11501/1208478 上下2冊。インターネット公開、図書館・個人送信対象外、遠隔複写利用不可。
  • 「鴨方藩主池田信濃守本邸址」『岡山史蹟 : 岡山市教育会五十周年記念』第1冊、岡山市教育会、岡山、1936年(昭和11年)、48 (コマ番号0030.jp2)頁。doi:10.11501/1099186全国書誌番号:44032767 国立国会図書館デジタルコレクション、インターネット公開、遠隔複写利用不可。
  • 川村 博忠「池田家文庫蔵の備前・備中両「寛永古図」の成立について」『地理科学』第37巻第1号、1982年、69-、doi:10.20630/chirikagaku.37.1_69_2ISSN 0286-4886 
  • 里庄町誌編集委員会 編「第4節 池田家の寛永備中図で里庄地方はすでに陸地であった」『里庄町誌』里庄町(さとしょうちょう)、里庄町 (岡山県)、1971年、58頁 (コマ番号0063.jp2)頁。doi:10.11501/9572472 全665p、図14枚、地図。国立国会図書館内限定、図書館・個人送信対象、遠隔複写可。
    • 「第3節 鴨方藩、麻田藩の学校」267-268頁 (コマ番号0167.jp2)
  • 永山卯三郎 編著『倉敷市史』6号、名著出版、東京、1973年。doi:10.11501/9573733 全881p 図18枚 ; 22cm。注=1960-1964年(昭和35-39年)刊の複製、限定版。国立国会図書館内限定、図書館・個人送信対象、遠隔複写可。
    • 「第64章 池田家履歴略記」159頁(コマ番号0109.jp2)
    • 「第65章 料領知行所」287頁(同0177.jp2)
      • 「岡山藩主池田家領知目録」325頁(同0196.jp2)
      • 「鴨方藩主 池田氏」341頁(同0204.jp2)
      • 「略系」341頁(同0204.jp2)
      • 「略譜」342頁(同0205.jp2)
      • 「侍帳」346頁(同0207.jp2)
      • 「領地」348頁(同0208.jp2)
      • 「鴨方領明細帳」348頁(同0208.jp2)
  • 平井徹治「池田政保公の像(鴨方藩主第十代「最終」)」『鴨方町誌』鴨方町、鴨方町 (岡山県)、1955年、2(コマ番号0006.jp2)頁。doi:10.11501/3008547 国立国会図書館内限定、図書館・個人送信対象、遠隔複写可。
    • 「池田政言公の木像(鴨方藩主第一代)」コマ場号0006.jp2
    • 「池田政保公の像(鴨方藩主第十代「最終」)」同0006.jp2
    • 「西山拙斎先生の像」同0007.jp2
    • 「池田政忠公の題字(池田政保公の裔孫現主)」同0007.jp2
      • 「池田政忠公」同0012.jp2
    • 「鴨方町地図」同0010.jp2
    • 「金石文編 §1. 町出身者録」451頁(同0245.jp2)
  • 森脇正之 編「126 収録写真一覧:明治維新」『写真集明治大正昭和浅口郡』国書刊行会〈ふるさとの想い出282〉、1984年。doi:10.11501/9575550 
    • 「1 鴨方藩知事池田政保(鴨方町)」4頁、42頁
    • 「2 鴨方藩・県庁印(鴨方町)」4頁、43頁
    • 「3 鴨方藩陣屋(鴨方町)」4頁、44頁
    • 「幕末・明治の砲車(鴨方町)」55頁
  • 脚注

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    出典

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    1. ^ 森脇 1984, p. 44, 「鴨方藩陣屋(鴨方町)」
    2. ^ 石坂 1932, pp. 1085- (101コマ目), 「西丸時代 §第59章 光政の致仕と綱政の継承」
    3. ^ 岡山市教育会 1936, pp. 48-49 (コマ番号0030.jp2), 「鴨方藩主池田信濃守本邸址」
    4. ^ [1]
    5. ^ 永山 1973, pp. 341頁(コマ番号0204.jp2), 「略系」
    6. ^ 永山 1973, pp. 342頁(0205.jp2), 「略譜」
    7. ^ 平井 1955, pp. (コマ場号0006.jp2), 「池田政言公の木像(鴨方藩主第一代)」
    8. ^ 平井 1955, pp. 2頁(コマ番号0006.jp2), 「池田政保公の像」(鴨方藩主第十代「最終」)
    9. ^ 里庄町 1971
    10. ^ 川村 1982, pp. 69-

    関連資料

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    本文の典拠ではないもの。発行年順。

    • 「山陽の諸藩《備中国》岡山鴨方藩」『歴史と旅』第15巻第11号 (通号206) 秋田書店、1988年7月、250-251頁 (コマ番号0126.jp2)。doi:10.11501/7947385
    • 河手龍海「研究ノート 備中鴨方藩における給知異動について」神戸女子大学史学会 編『神女大史学』第8号、神戸女子大学史学会、1991年3月。39-54頁(コマ番号0021.jp)。doi:10.11501/4424474ISSN 0912-7658
    • 藤尾隆志『鴨方藩 : 名門池田家の流れを汲み、備中鴨方に陣屋を置く。本家に助けられつつ、存在感を増した分家大名の物語』東京 : 現代書館〈シリーズ藩物語〉、2021年。ISBN 978-4-7684-7159-3。文献一覧あり
    • 佐藤健治『池田光政と鴨方藩領』笠岡 : みさご発行所 (印刷)、2018年。

    関連項目

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    著名な藩士


    先代
    備中国
    行政区の変遷
    1672年 - 1871年 (岡山新田藩→鴨方藩→鴨方県)
    次代
    深津県