鬼武五一
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鬼武 五一(おにたけ ごいち、1893年(明治26年)5月18日[1] - 1985年(昭和60年)8月17日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。旧姓は台田[1]。
経歴
[編集]山口県出身[1][2]。1914年(大正3年)5月、陸軍士官学校第26期卒業[3]。
1939年(昭和14年)3月、陸軍歩兵大佐に進み、歩兵第2連隊長となり[2]、支那事変に出征した[1]。太平洋戦争が勃発すると、1942年(昭和17年)4月、舞鶴要塞司令官を経て[2]、1943年(昭和18年)8月、陸軍少将に進級し、第7独立守備隊長(1944年(昭和19年)5月、富錦駐屯隊に名称変更)に補され富錦に駐屯する[1]。その後、1945年(昭和20年)3月、独立混成第78旅団長を経て[1][2]、独立混成第132旅団長となり終戦を迎えた[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。