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高田城 (尾張国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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高田城
愛知県
神明社にある石碑
神明社にある石碑
別名 河田城
城郭構造 平城
築城主 羽柴秀吉
築城年 1584年天正12年)
廃城年 不明
遺構 石碑
指定文化財 史跡等未指定[1]
埋蔵文化財
包蔵地番号
県遺跡番号02Y003(河田城)[2]
再建造物 なし
位置 北緯35度21分18.7秒 東経136度49分55.0秒 / 北緯35.355194度 東経136.831944度 / 35.355194; 136.831944座標: 北緯35度21分18.7秒 東経136度49分55.0秒 / 北緯35.355194度 東経136.831944度 / 35.355194; 136.831944
地図
高田城の位置(愛知県内)
高田城
高田城
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高田城(こうだじょう)は、愛知県一宮市浅井町河田字神明社にあった戦国時代日本の城。現在は「河田城(こうだじょう)」と表記される事が一般的である[2]

概要

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1584年天正12年)の小牧・長久手の戦いの際、羽柴秀吉織田徳川連合軍と戦う為に構えた城である。戦いの後も秀吉側の城として存続したという。廃城時期は不明。

城跡は残っていたが、1963年昭和38年)の木曽川の改修工事の為、その形跡は無くなってしまった。すこしはずれた場所に石碑がある。

地名の河田は「こうだ」と読み、元々は尾張国河田村であるが、安土桃山時代1585年(天正13年)におきた木曽川の洪水により村が川で分断。豊臣秀吉により、新たな川を尾張国美濃国の境としたため、二つの村になった。分断後も尾張国、美濃国のどちらも河田村を名乗った。高田城は尾張国側になる。

尾張国側は、葉栗郡河田村となり、葉栗郡浅井町に合併後、一宮市浅井町河田となり、現在に至る。

美濃国側は、羽栗郡河田村となり、羽栗郡川島村に合併後、羽島郡川島村を経て羽島郡川島町になる。現在は各務原市川島河田町となっている。

脚注

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関連項目

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