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高崎小1女児殺害事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高崎小1女児殺害事件
場所 日本の旗 日本群馬県高崎市
標的 小学校1年生女児
日付 2004年平成16年)3月11日
概要 下校途中だった女児を無理矢理自宅に連れ込み、大声を出されたため、手やタオルで女児の首を絞め窒息死させた。
攻撃手段 手やタオルで首を絞める
攻撃側人数 1人
死亡者 1人
犯人 県営住宅の同じ階に住む26歳の男
刑事訴訟 無期懲役
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高崎小1女児殺害事件(たかさきしょういちじょじさつがいじけん)は2004年平成16年)3月11日群馬県高崎市北久保町の北久保県営住宅で発生した殺人事件。

事件概要

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群馬県高崎市で、群馬県高崎市北久保町に住む会社員(当時38歳)の長女高崎市立豊岡小学校の1年生の女児(当時7歳)が、県営住宅の同じ階に住む男(当時26歳)に殺害された。

男は「いたずらしようとしたら騒がれそうになったので殺した」と供述。2005年平成17年)12月9日に、前橋地方裁判所高崎支部にて男に対し無期懲役判決が言い渡され[1]、その後、検察側・弁護側双方とも控訴せず刑が確定した。

被告が「少女の人形」つまり「少女のフィギュア」を所有し、公判中、検察側より被告宅から押収された「美少女フィギュア」について放棄を迫られた際に、これまでの落胆したかのような態度をひょう変させ、「あの子たちを処分することは、私の子供を殺すかのようなものだ」と激しい泣き声で訴えるなど、フィギュアへの執着を見せたため話題となった。

詳細

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2004年平成16年)3月11日午後2時40分ごろ、自動車部品会社の社員の男(当時26歳)は下校してきた女児を自宅前で待ち伏せしていた。すると、隣に住む(当時7歳)が通りがかったため、女児をエレベーターを降りた付近で抱え上げ、すぐ脇にある男の自宅の玄関内に入れた。その後、騒がれたため、首をタオルで絞め、窒息死させた[1]。 男はこの日16時から翌日の午前1時までの勤務予定があったため、女児の遺体を所持品と共に自室の押し入れに隠匿した後、自転車で出社した[2]

エレベーターで同級生と別れた後、行方が分からなくなり、女児の母親(当時36歳)が15時30分頃、「子供が帰ってこない」と110番通報した。

エレベーター内の防犯カメラには14時26分、女児が10階でエレベーターを降りる姿が映っていた。

行方を捜していた捜査員が18時30分ごろ、女児と同じ階に住む男の部屋を訪れた際、男は不在で母親が対応した[2]。 その後、母親が勤務先にいた男に電話で「女の子がいなくなったらしいが、何か知らないか」と尋ねたところ、「家に戻る」と言い、19時20分頃に男が勤務先から帰宅[2]。 捜査員が事情を聴いたところ「自分がやった」と自供したため、群馬県警は男を殺人の疑いで緊急逮捕した[2]

男は一連の犯行について「肩に手をかけたら騒がれたので家の中に引き込み、玄関で殺した」と供述した。また、女児との面識については「たまたま出くわした。同じ階の女の子というぐらいしかわからなかった」と供述している[2]

男は1996年平成8年)、群馬県内の県立高校を卒業し、東京都内のアニメーション専門学校で1年間学んだ。専門学校に通う傍ら1996年平成8年)春から1999年平成11年)3月まで東京都内の新聞販売所で勤務していた。

1997年平成9年)年春に専門学校を卒業[2]

卒業後、1999年平成11年)4月に高崎市内の自動車部品会社に入社し、事件当時も勤務していた。同僚によると、2年前に鋳造技術の資格を取得するなど勤務態度はまじめで、おとなしい感じだという[2]

2004年平成16年)3月12日群馬県警による遺体の司法解剖の結果、女児の死因は窒息死とみられる[2]

2004年平成16年)3月14日、殺害された女児の告別式で父親は「娘は、7年の人生の間、多くの感動、希望、勇気、安らぎを与えてくれた、悲しみを忘れることは出来ないが、旅立つ女児が、娘であることを誇りに思う」と挨拶した。

同級生からは「女児はいろいろなことにがんばっていました。上手だったことは長縄跳びでした。ここまで書いたら涙が出てきてしまいました。僕は女児の笑顔をいつまでも忘れません」と弔辞が述べられた[3]

また、小学4年生の女児の兄(当時10歳)は、出口に立ち、深々と頭を下げて「ありがとうございました」と大きな声で何度もあいさつしながら、涙をこぼしていた[3]

焼香が終わり、女児の棺に花を手向ける時には、女児が好きだったSMAPの「世界に一つだけの花」が流れた。そのときも兄だけが1人、曲に合わせて歌を口ずさんでいた[3]

最後は、集まった女児のクラスメート25人が全員で「ビリーブ」という曲を合唱[3]

合唱後、参列者は手を合わせ、女児を見送った[3]

裁判

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公判中の被告人質問では、被告は殺害の動機を「性的な欲求はあったが、その欲求は職場でのストレスがたまって生じた」と述べた。また、女児を強姦して殺害することを「犯行の2週間前から想定していた」と述べた。

この日、先立って行われた弁護人からの質問に対し、男は、「自分勝手でひどいことをしてしまった。被害者遺族に本当に申し訳ないと思っている」と事件に対する謝罪を述べていた。

ところが、続いて行われた検察側の質問で、検察官に「被告の作った『フィギュア』を被害者の遺族は取り上げたいと言っている。放棄しますか」と迫られると、「端から見れば汚い人形だが、自分を支えてくれた大切なもの」と言って泣き出し、「遺族の気持ちも分かるが、私が被害者を殺害してしまったように、相手から大切なものを奪ったら後悔するだろう。そんなことしてほしくない」などと頭を抱えて叫んだ。

このやり取りを傍聴していた女児の母親は、男の態度に憤った様子で、傍聴席から駆け足で退出した。

最終的に人形の放棄を承諾した男は「くそっ」と漏らしたまま俯き鳴咽した。

閉廷直前、裁判長は「人が命を落とすことの重大性が分かりますか。その人はもう帰ってこないということです」と男を諭した。

2005年12月9日前橋地裁高崎支部で判決公判があり、男に求刑通り無期懲役を言い渡した[1][4]

判決では「わずか7歳の女児に対する欲望のおもむくままの自己中心的で短絡的な動機に酌量の余地はない」[4] 「人間性をかなぐり捨てた欲望のおもむくままの動機に酌量の余地はない。再犯のおそれは否定しがたく、終生、反省悔悟の日々を送らせ、罪を償わせるのが相当」と断じた[1]

また、犯行態様については男がエレベーター前で待ち伏せするなど、検察側が論告で指摘していた犯行の計画性を認定した[4]。その上で、「小児性愛の性癖などに基づく犯行で、矯正には著しい困難が伴い、再犯の恐れは否定しがたい」とし、「社会一般に与えた影響、とりわけ同年代の女児を子に持つ親に与えた不安は深刻」と指摘した[4]

さらに、量刑については、犯行態様や公判中の態度などから「有期懲役刑で処断することは相当とはいえない」として、弁護側が「加害者の立場から男が考えた」として、子どもからあいさつされると恐れや迷いが生まれて犯罪を起こしにくい――などとする防犯対策を記したメモを同支部に提出するなど、改悛(かいしゅん)の情を訴えていた主張を退けた[4]

当時の報道について

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例として『真相報道 バンキシャ!』では、番組内でボークス社製のドールと事件とを結びつける報道を行った。これに対してボークスは抗議声明を発表。法的手段に訴える事を表明した[5]。これに対し日本テレビは翌週、日本テレビ報道局チーフニュースプロデューサー酒巻和也の名の下に、同社に謝罪を行った[6]

脚注

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関連項目

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