長谷川利行
長谷川 利行 (はせかわ としゆき) | |
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自画像 | |
生誕 |
長谷川利行 1891年7月9日? 京都府京都市[1]山科区 |
死没 |
1940年10月12日(49歳没)[2] 東京府東京市[1] |
国籍 | 日本 |
教育 | 私立耐久中学校中退 |
著名な実績 | 洋画 |
受賞 |
第1回新光洋画会展入選(1920年) 第14回二科展樗牛賞(1925年)[1] 「一九三〇年協会」展奨励賞 (1926年) |
後援者 | 天城俊彦[1] |
活動期間 | 1920年代 - 1940年 |
長谷川 利行(はせかわ としゆき、明治24年(1891年)7月9日? - 昭和15年(1940年)10月12日)は京都府出身の洋画家、歌人。姓の読みは本人の署名に従い「はせかわ」とした。愛称は「りこう」[3]。
経歴
[編集]1891年に京都府京都市山科区で伏見警察署の警察官であった長谷川利其(としその)、テルの五人兄弟の三男として生まれる。家族構成や出生日はいくつかの説があり、はっきりとしていない。和歌山県有田郡広村(現・広川町)の私立耐久中学校(現・県立耐久高校)に入学し文学を志し同人誌などを発行するも[4]、1909年に中学校を中退する。当時は詩歌に興味を持ち、1919年には「長谷川木葦集」という私家版の歌集[5]を発行している。30歳になる1921年に上京するも、しばらくは大衆小説などを書いていた。
いつ頃から絵を始めたか不明であるが、独学で画を学ぶ。自身の「アトリエ」を持たず、「思い立ったら絵を描く」スタンスを生涯続けた。帝展や二科展に落選を重ね、田辺至ら主催[6]の第1回新光洋画会展(1920年)[7][8]にて「田端変電所」が初入選する。
関東大震災に被災し、また震災の被害をうけた東京をうたった歌誌「火岸」[9]を刊行後、帰郷し、一時京都で活動する。1926年に再上京し、日暮里の日蓮宗中山派修練所の離れで暮らす。紹介で高橋新吉と出会い、前田寛治や里見勝蔵の知遇を得る。
靉光や熊谷守一、熊谷登久平、麻生三郎、井上長三郎、寺田政明らとの交流が始まり、第14回二科展で樗牛賞を受賞、精力的に活動。翌1926年には佐伯祐三らの「一九三〇年協会」展で奨励賞を受けるなど、徐々に評価を高めていった。
だが、長谷川の生活は、浅草近辺の貧民街で一日中絵を描いているか、絵を換金して酒を飲んでいるかだったという。ついには、友人たちに絵を描いて送りつけたり、前田夕暮、岸田國士ら著名人のところに押しかけて絵を描き、金をせびったりするなど生活は荒れ果てていった。このため、知人たちは後世まで彼については堅く口を閉ざしており、その経歴には不明な点が多い。
40歳を過ぎた1929年以降は山谷の木賃宿や簡易宿泊所、救世軍の宿舎などを転々とし、1937年の二科展を最後に公募展へ出展していない。1932年に詩人や小説家と共に芸術家グループ「超々会(シュルシュル会)」を結成し、長谷川は会の中心的な人物となるものの、1年ほどで自然消滅したという。
その後、理解者であった天城俊彦が新宿に開いた天城画廊で頻繁に個展を開いていたが、安酒の飲み過ぎで慢性化していた胃潰瘍が悪化すると徐々に身体が弱り、また1936年の晩秋頃に泥酔してタクシーにはねられ重傷を負うなど、1939年以降はほとんど作品を残していない。
1940年5月17日、三河島の路上で行き倒れになり養育院に収容される[10]。胃癌の治療を拒否し、同年10月12日死去。49歳没。この際、手元にあったスケッチブックなどの所持品はすべて養育院の規則により焼却された。
翌1941年1月になって養育院を訪れた天城俊彦らにようやくその死が知られることとなり、遺骨は天城によって引き取られた。1947年に追悼の短歌集が発行され、高橋新吉、里見勝蔵、児島善三郎、熊谷登久平、あるいは長谷川を援助した有島生馬[11]らが文を寄せた[12]。
30周忌を迎えた1969年10月15日、上野不忍池弁天島で「利行碑」および隣に立つ歌碑の除幕式を画廊羽黒洞(代表・木村東介)が執り行う[注釈 1]。
画風
[編集]画家としての活動は20年に満たないが、その割に残っている作品数は多い。非常に速筆で、1〜2時間ほどでれっきとした油絵を仕上げた。絵の具の特質を活かし、木ヘラや指などで引っ掻いたように描いた作品もある。色彩としては、白を好んで用いた。1935年からの数年間は、ガラス絵を多く手掛けている。見ていた人物の証言によると、ガラスを手に持ち正面を手前に向けたまま反対側に手を回し、裏面からひょいひょいっと僅かな時間で描いたという。
評価
[編集]劇団手織座は長谷川利行を描いた演劇として、1967年に第10回公演「落日の涯 長谷川利行の半生」(脚本:高橋玄洋)を朝日生命ホールで上演した(11月7日 - 19日)[13]。
しかし、その無頼な生き方や経歴故に贋作が非常に多いことも手伝い、長谷川の作品の評価が進んだのは死後数十年たってからである。2009年、第3回「一九三〇年協会」展に出展した[14]絵画のうちの1点「カフェ・パウリスタ」が発見され、2月24日放送の『開運!なんでも鑑定団』で紹介された。鑑定額は1800万円。その後、職員が同放送を見ていたことから東京国立近代美術館が2009年度に買い取った[15]という経緯が、同番組で明かされた[16]。美術館では修復と科学分析が行われ[17][18]、所蔵する長谷川作品は『岸田国士像』(1930年)、『鉄工場の裏』(1931年)や『新宿風景』(1937年頃)と合わせて4点となった[注釈 2]。
主な回顧展
[編集]1961年に開かれた個展では、短い会期に100点ほどが紹介された。それから半世紀以上を経た2018年の春から冬にわたり、代表作を含む140点前後を集めた規模の大きな回顧展が国内各地の5館で開催される。この「長谷川利行展 Hasekawa Toshiyuki - Retrospective」には新発見の作品も展示されている。
- 1961年 - 3月 7日 「長谷川利行名作展」 3月12日
- 日本橋三越(主催・日本経済新聞社)を会場に、没後20年を経て開かれた個展。100点近くを集めた[注釈 3]。
- 2018年 - 3月24日12月24日 「長谷川利行展 Hasekawa Toshiyuki - Retrospective」
- 油彩、水彩、素描、ガラス絵で構成。「カフェ・パウリスタ」のほか、再発見された「水泳場」に加え、新発見「白い背景の人物」(1937年・個人蔵)、40年前に公開された「夏の遊園地」(1928年・個人蔵)を出展している[22][注釈 4]。
- 「碧南市制70周年記念事業日」 4月22日福島県立美術館 「長谷川利行展 藝術に生き、雑踏に死す-」[24][3] 3月24日 -
- - 5月19日 7月 8日府中市美術館 「長谷川利行展 - 七色の東京」前期・後期で展示替え[22][25][注釈 5]
- - 7月21日 9月 9日碧南市藤井達吉現代美術館[22] 碧南市制70周年記念事業 開館10周年記念「長谷川利行展 -藝術に生き、雑踏に死す-」[27][注釈 6]
- - 9月22日11月 4日久留米市美術館[22] 「長谷川利行展 Hasegawa Toshiyuki」[28][29][注釈 7]
- 11月13日 - 12月24日 足利市立美術館[22] 「長谷川利行 展-生きることは絵を描くことに価するか-」[注釈 8]
主な作品
[編集]タイトル | 制作年 | 技法・素材 | サイズ(cm) | 所蔵先 | 出品展覧会 | 備考 |
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田端変電所 | 1923年 | キャンバス・油彩 | 23.8x32.6 | 広島県立美術館 | 第4回新光洋会展(1923年) | |
陸橋みち | 1927年 | キャンバス・油彩 | 21.8x45.0 | かみや美術館 | (1927年) | |
酒売場 | 1927年 | キャンバス・油彩 | 53.3x65.5 | 愛知県美術館 | 第14回二科展(1927年) | [31] |
夏の遊園地 | 1928年 | キャンバス・油彩 | 112.0x163.5 | 個人 | 第15回二科展(1928年) | |
頭蓋骨のある静物 | 1928年 | キャンバス、ボード・油彩 | 37.8x30.2 | 個人 | 第15回二科展(1928年) | [19] |
カフェ・パウリスタ | 1928年 | キャンバス・油彩 | 53.0x72.8 | 東京国立近代美術館 | 第3回「1930年協会」展(1928年) | 2009年購入[32][注釈 9] |
地下鉄道 | 1928年 | キャンバス・油彩 | 60.6x72.7 | 個人 | 第3回「1930年協会」展(1928年) | |
汽罐車庫 | 1928年 | キャンバス・油彩 | 112.0x194.0 | 鉄道博物館 | 第4回「1930年協会」展(1929年) | [注釈 10] |
靉光像 | 1928年 | キャンバス・油彩 | 45.7x37.8 | 個人 | 第4回「1930年協会」展(1929年) | [注釈 11] |
人物 | 1928年 | キャンバス・油彩 | 33.3x45.2 | 個人 | 第4回「1930年協会」展(1929年) | |
子供 | 1929年 | キャンバス・油彩 | 7270x60.3 | 個人 | 第16回二科展(1929年) | |
タンク街道 | 1930年 | キャンバス・油彩 | 80.8x61.0 | 個人 | 第17回二科展(1930年) | [19][注釈 12] |
ポーチレエ(前田夕暮氏像) | 1930年 | キャンバス・油彩 | 100.0x72.5 | 個人 | 第17回二科展(1930年) | [19] |
岸田國士像 | 1930年 | キャンバス・油彩、左上に署名、年記 | 74.0x54.0 | 東京国立近代美術館[注釈 13] | 第18回二科展(1931年) | |
水泳場 | 1932年 | キャンバス・油彩 | 90.9x116.7 | 板橋区立美術館 | 第19回二科展(1932年) | [注釈 14] |
女 | 1932年 | キャンバス・油彩 | 97.0x130.3 | 京都国立近代美術館 | 第19回二科展(1932年) | |
地下鉄ストアー | 1932年 | キャンバス・油彩 | 72.0x90.0 | 東京地下鉄株式会社 | 1931年(昭和6年)12月に開業し、壁面の20mもある大時計[37]で有名な「上野地下鉄ストアー」[38]を描いている。 | |
荒川風景 | 1935年 | ガラス・油彩 | 44.0x65.2 | 個人 | 利行のガラス絵の中でも異例の大作。 | |
大和家かほる | 1935年 | キャンバス・油彩 | 41.0x32.0 | 個人 | 当時安来節で人気を誇った大和家三姉妹一座の座員を描いたものか。 | |
新宿風景 | 1937年頃 | キャンバス・油彩 | 46.0x53.0 | 東京国立近代美術館 | 1957年(昭和32年)度 購入[39][40][注釈 15]。 | |
ノア・ノア | 1937年 | キャンバス・油彩 | 80.2x65.0 | 堀美術館[41] | 第1回一水会展 | 利行最後の団体展出品作[19]。新宿にあった喫茶店ノア・ノアで描いた[41]。 |
著作
[編集]- 「敦賀の所感(投稿欄)」『みづゑ』第80号、1911年。
- 長谷川利行『長谷川木葦集』1919年。NDLJP:914899 -『長谷川利行全文集』に収載。
- 矢野文夫(編)『伊吹:詩集』邦画荘、1944年。 NCID BA48324978。 - 1冊
- 「空しき青春」、白樺書房、1947年、doi:10.11501/1341704。
- 矢野文夫(編)『長谷川利行全文集』五月書房、1981年。 NCID BN10043402。 - 362p、図版[9]p
参考文献
[編集]- 片多徳郎「新光洋画会」『絵画清談』第8巻第7号、絵画清談社;東京美術館、1920年7月、24-25頁、doi:10.11501/1500166。
- “メトロアーカイブアルバム 「上野地下鉄ストア」(写真)”. メトロ文化財団 (1926年 - 1940年(昭和元年 - 15年)). 2018年11月18日閲覧。
- “作品詳細 劇作家(岸田国士氏肖像)”. 東京国立近代美術館 (1930年). 2018年11月18日閲覧。
- “長谷川利行”. 日本美術年鑑 (美術研究所) (昭和16年版): 93頁. (1942). doi:10.11501/1142497.
- “作品詳細『新宿風景』(作品画像あり)”. 東京国立近代美術館. 2017年12月12日閲覧。
- “美術界年史(彙報)> 長谷川利行名作展”. 東京文化財研究所 (1961年3月). 2018年11月20日閲覧。
- 『三岸好太郎・長谷川利行・靉光』 11巻、講談社〈日本近代絵画全集〉、1962年。 NCID BN04301864。
- 『7 長谷川利行「新宿風景」』 9巻、三一書房〈日本の名画:洋画100選〉、1965年。 NCID BN13567476。
- 矢野文夫(編)「放水路落日=長谷川利行晩年」『考える人=ロダン;ユトリロの伝説と生涯;ヴァン・ゴッホの世界;放水路落日=長谷川利行晩年』18号、角川書店〈世界の人間像 / 角川書店編集部(編)〉、1965年。 NCID BN02871919。
- 高橋玄洋『落日の涯 長谷川利行の半生』上演ID No.:00358-1-1967-02、早稲田大学演劇博物館、1967年 。2018年11月18日閲覧。
- ヨシダ・ヨシエ (1974-10). “書評 矢野文夫「長谷川利行」”. 美術手帖 (美術出版社) 26 (386): 176-177. ISSN 0287-2218.
- 寺田政明「今月の話題作 放浪の天才画家・長谷川利行展より「銀座風景」」『月刊美術』第2巻3(5)、実業之日本社、1976年3月、46-47頁。
- “有島生馬”. 日本美術年鑑 (東京国立文化財研究所) (昭和49・50年版): 256-257. (1976). ISBN 9784805513002. OCLC 673073870.
- 『長谷川利行展:放浪の鬼才:日本のゴッホ』松坂屋、中日新聞社、1979年。 NCID BA50433116。 - 図版1冊(頁付なし)
- 矢野文夫(編)「矢野文夫宛書簡(昭和4年6月2日)」『長谷川利行全文集』五月書房、1981年。 NCID BN10043402。
- 新井康子「三河島日記ー長谷川利行の思い出」『脳死をこえて』読売新聞社、1985年。ISBN 4643741805。 NCID BN03202222。
- 『長谷川利行展:歿後60年』神奈川県立近代美術館、東京新聞、2000年。 NCID BA50131354 。2018年11月18日閲覧。
- 東京文化財研究所『大正期美術展覧会出品目録』中央公論美術出版、2002年。 NCID BA60432062。
- 山本發次郎、河崎晃一『山本發次郎コレクション―遺稿と蒐集品にみる全容』淡交社、2006年。ISBN 4473033236。 NCID BA77067879。
- 洲之内徹『洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵』求龍堂、2008年。ISBN 9784763007322。 NCID BA86393013。
- “時計絵葉書「日本の時計」8. 上野駅前地下鉄ストアー大時計”. TIMEKEEPER. 2010年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月18日閲覧。
- 保坂健二朗「[作品研究]長谷川利行《カフェ・パウリスタ》収蔵の経緯と修復・分析の報告」『現代の眼(東京国立近代美術館ニュース)』584(2010年10-11月号)、2010年。
- 同上「長谷川利行作《カフェ・パウリスタ》の調査報告--来歴、「価格」、主題、修復、成分分析、X線透過写真について」(pdf)『東京国立近代美術館研究紀要』第15巻、東京国立近代美術館、2011年、ISSN 0914-7489。[注釈 16]
- 「日本美術(絵画)団体史年表」(pdf)、光風会、2014年11月3日、 オリジナルの2015年5月30日時点におけるアーカイブ、2018年11月20日閲覧。
- “『酒売場』作品画像”. 愛知県美術館. 2017年12月12日閲覧。
- “光風会略史 > 1910年代(明治45年・第1-7回展)”. 光風会. 2018年11月20日閲覧。
- 東俊郎(「長谷川利行展図録」収載). “「かすかにわれはすみわたるかも」-利行が歌人だった頃”. 三重県立美術館. 2018年11月18日閲覧。
- 永井龍之介「「カフェ・パウリスタ」再発見秘話 開運!なんでも鑑定団で驚きの鑑定額」『美術の窓』第37巻第4号、生活の友社、2018年、NCID AA12079546、全国書誌番号:00073423。
- 池田充枝 (2018年5月20日). “知られざる漂泊の画家・長谷川利行が描いた「七色の東京」を見る”. 小学館. 2018年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月20日閲覧。
- “葛飾区史 第4章 現代へのあゆみ(戦後〜平成)> 第1節 戦後の葛飾 > 葛飾区の玩具産業:苦難の時代を乗り越えて”. 葛飾区. 2018年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月20日閲覧。
- イベントバンク (2018年). “イベント情報 > 長谷川利行展 - 18年ぶりの大規模回顧展”. 朝日新聞社. 2018年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月20日閲覧。
- “長谷川利行展 藝術に生き、雑踏に死す─”. 福島県立美術館. 2018年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月20日閲覧。
- 沢山遼 (2018年6月5日). “REVIEW - 2018.6.5 長谷川利行展「七色の東京」筆触網と非気密性”. 美術手帖. 2018年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月20日閲覧。
- “収集方針 > 長谷川 利行「カフェの入口」”. 府中市美術館 (2008年4月1日). 2018年11月20日閲覧。
- “展覧会 > 碧南市制70周年記念事業 開館10周年記念 長谷川利行展 -藝術に生き、雑踏に死す-”. 2018年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月20日閲覧。
- “展覧会ポスター > 長谷川利行展 -藝術に生き、雑踏に死す-”. 碧南市藤井達吉現代美術館. 2018年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月20日閲覧。
- “展覧会 > 長谷川利行展 2018.09.22(土) - 2018.11.04(日)”. 久留米文化振興会. 2018年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月20日閲覧。
- “EXHIBITIONS > 長谷川利行展 久留米市美術館|09.22 - 11.04”. 美術手帖. 2018年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月20日閲覧。
- “開催中の展覧会 > 長谷川利行 展―生きることは絵を描くことに価するか―”. 足利市立美術館. 2018年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月20日閲覧。
- 原田光『長谷川利行展 = Hasekawa Toshiyuki retrospective』2018年。 NCID BB26302640。 - 225p、viiip - 巡回展図録
- “みどころ(展示作品のご紹介) 長谷川利行”. 名古屋 堀美術館. 2018年7月7日閲覧。 - 作品「ノア・ノア」の写真あり。
関連文献
[編集]評伝
[編集]- 矢野文夫『夜の歌:長谷川利行とその芸術』邦画荘、1941年。 NCID BA66175144。 - 259p 図版24枚
- 宇野浩二「水すまし(小説)」『文芸』4月号、改造社、1943年4月1日、112-127頁。
- 矢野文夫『放水路落日:長谷川利行晩年』芸術社、1960年。 NCID BA57539975。[注釈 17]
- 井上長三郎「リベラリスト長谷川利行」『みづゑ』第673号、美術出版社、1961年4月、NAID 40005117186。
- 佐藤真一、赤根和生、匠秀夫、ヨシダヨシエ『異端の画家たち』造形社、1969年。 NCID BN12960538。- 220p
- 『長谷川利行画集』講談社、1972年。 NCID BN10560233。- 274p
- 『長谷川利行作品集』八重洲美術店、1973年。 NCID BN13081135。- 169p(図録)
- 矢野文夫『長谷川利行』美術出版社〈美術選書〉、1974年。 NCID BN05665571。[48]- 214p 図13枚
- 同上『野良犬:放浪画家・長谷川利行』芸術社、1976年。 NCID BB08026392。 - 359p 図版18p
- 『長谷川利行未発表作品集』1号、東広企画〈パリ通信選書〉、1978年。 NCID BN0165666X。- 138p
- 田崎暘之介『野ざらしの詩:長谷川利行伝』協和出版、1980年。 NCID BN14251172。- 309p
- 井上長三郎「長谷川利行断片(長谷川利行<特集>)--(長谷川利行の思い出)」『三彩』第413号、三彩社、1982年2月、50-51頁、NAID 40001483474。
- 吉田和正『アウトローと呼ばれた画家:評伝長谷川利行』小学館、2000年。ISBN 4093861021。 NCID BA47321420。- 255p 図版3枚
- 酒井忠康 編『どんとせえ!:Don't say:長谷川利行画文集』求龍堂、2000年。ISBN 476300039X。 NCID BA49639872。- 127p
- 大塚信一『長谷川利行の絵:芸術家と時代』作品社、2020年。ISBN 4861827817。- 229p
展覧会図録
[編集]- 高崎正男『長谷川利行画集』(改訂増補)明治美術研究所、1942年。 NCID BA75068994。 - 30p[注釈 18]
- 『長谷川利行遺作展』長谷川利行画集刊行会、196-。 NCID BN05211064。 - 1冊(頁付なし)
- 『長谷川利行名作展』三越;日本経済新聞社、三越、1961年。 NCID BB03384078。 - 26p
- 『長谷川利行作品集』便利堂、1962年。 NCID BN1442590X。 - 19p 図版33枚(原色図版共)
- 『長谷川利行画集』長谷川利行画集刊行会、1963年。 NCID BN12983668。 - 36, 120, 82p
- 『長谷川利行展:放浪と詩情の画家』第19回、毎日新聞社、伊勢丹〈毎日美術サロン〉、1967年。 NCID BB03761900。 - 10p
- 『異色の近代画家たち = Exhibition of Unique painters in modern Japan』京都国立近代美術館、1967年。 NCID BA5475231X。 - 1冊(頁付なし)
- 『放浪の鬼才 長谷川利行展』羽黒洞、1968年。 - 46p
- 小倉忠夫『長谷川利行』40号、講談社〈日本の名画〉、1973年。 NCID BN06729181。 - 28p(おもに図)
- 『長谷川利行展:放浪の天才画家』三越、毎日新聞社、1976年。 NCID BN05209969。 - 1冊(頁付なし)[49]
- 匠秀夫、小倉忠夫、陰里鉄郎『小出楢重・長谷川利行・萬鉄五郎』5号(愛蔵版)、講談社〈日本の名画〉、1977年。 NCID BN09046866。 - 97p(おもに図)
- 『長谷川利行画集』長谷川利行画集刊行委員会(編)、協和出版;大和書房(発売)、1980年。 NCID BB08219024。 - 42p 図版 [128]
- 『東京の落書き1930's展図録:長谷川利行と小熊秀雄の時代』板橋区立美術館、板橋区立美術館〈シリーズ・Art in Tokyo〉、1988年。 NCID BN15278480。 - 112p
- 『長谷川利行展:生誕100年記念』朝日新聞社、1991年。 NCID BA33172989。 - 1冊(頁付なし)
- 『鬼才長谷川利行と二人:熊谷登久平・矢野茫土 一関ゆかりの画家生誕百年』一関市博物館:岩手日日新聞社、2001年。 NCID BA55998519。 - 118p
- 『長谷川利行:幻の名作と、素描力!』不忍画廊、2008年。 NCID BA90183149。 - 1冊
- 尾崎眞人『読んで視る長谷川利行視覚都市・東京の色』5号、オクターブ〈「池袋モンパルナス」叢書;池袋モンパルナスそぞろ歩き〉、2009年。ISBN 9784892310720。 NCID BB00997070。 - 60p
- 岸田劉生、白髪一雄、佐伯祐三、蔵屋美香、Stephens, Christopher『泥とジェリー = Mud and jelly』東京国立近代美術館、2014年。 NCID BB14656963。 - 1枚
- 『長谷川利行展』フクヤマ画廊、2014年。 - 47p
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 上野の「利行碑」揮毫は熊谷守一による[4]。有島生馬が筆を執った隣の歌碑には、次の短歌2首が刻まれた。
「己が身の影もとどめず水すまし 河の流れを光りてすべる」
「人知れずくちも果つべき身一つの今かいとほし涙拭はず」
- ^ 所蔵品に加え、2011年2月末当時は『ガイコツと瓶のある静物』(頭蓋骨のある静物・1928年)と『タンク街道』、『前田夕暮像』(二点とも1930年)のほか『お化け煙突』(1935-36年)や『ノアノアの女』(1937年)の合計5点を受託している[19]。
- ^ 遺作展[20]は同じ1961年2月末に東京の兜屋画廊で開催した[21]。
- ^ 「長谷川利行展 Hasekawa Toshiyuki - Retrospective」の監修は原田光(美術史家)で「長谷川利行の会」が協力。企画協力は一般社団法人INDEPENDENT[23]。
- ^ 府中市美術館は長谷川利行作「カフェの入口」(1930年)を収蔵[26]。
- ^ 碧南市制70周年記念事業 開館10周年記念「長谷川利行展 -藝術に生き、雑踏に死す-」は碧南市藤井達吉現代美術館のほか碧南市と碧南市教育委員会が主催、中日新聞社およびNHKプラネット中部が共催[23]。
- ^ 久留米市美術館で開かれた「長谷川利行展 Hasegawa Toshiyuki」は久留米市美術館ならびに西日本新聞社とRKB毎日放送が主催、久留米市教育委員会(後援)に加え、株式会社ブリヂストン(スペシャルパートナー)ならびにオフィシャルパートナーとして学校法人久留米大学と株式会社筑邦銀行および株式会社森光商店が連名している。
- ^ 「長谷川利行 展―生きることは絵を描くことに価するか―」は公益財団法人 足利市みどりと文化・スポーツ財団、東武鉄道の協力を得て開かれる[30]。展覧会の題名にある「生きることは絵を描くことに価するか」は、長谷川が関東大震災直後に発表した歌誌『火岸』に記した言葉[9]。
- ^ 「カフェ・パウリスタ」は2018年の巡回展に出展[33]。
- ^ 「汽罐車庫」は2018年の巡回展に出展[33]。
- ^ 「靉光像」は2018年の巡回展に出展[33]。
- ^ 友人に宛てた手紙にこのときの情景を記している[34]。
先夜寺島カエリニ千住タンク地帯ガ気ニ入ッタモノデスカラ、昨日ト今日、油絵ヲ描キニ出カケル所デス。
寺島とは旧南葛飾郡寺島町を指し、現在の東京都墨田区の東向島周辺に当たる。1930年当時は3年前から株式会社タカラトミーの前身の工場などが稼動し、おもちゃ産業の中心地として輸出を支えていた[35]。およそ4万9,000の人が住み、都市化の最中の活気に惹きつけられた長谷川が「タンク街道」を描いた2年後には、郡ごと東京市に編入された。
- ^ 1955年(昭和30年)度に木村東介より受贈[36]。
- ^ 画集などではキャンバスと記載しているが、実際には麻袋のような目の荒い布に描かれている。「水泳場」は2018年の巡回展に出展[33]。
- ^ 「新宿風景」は2018年の巡回展に出展[33]。
- ^ 英文抄訳付き。Research report on Hasekawa Toshiyuki's Cafe Paulista: regarding its provenance and history, "price," subject, restoration, componential analysis and X-ray photographs.
- ^ 角川書店『世界の人間像』シリーズに再録[47]。
- ^ 高崎正男は天城俊彦の本名。
出典
[編集]- ^ a b c d 日本美術年鑑 1942, p. 93.
- ^ 日本美術年鑑 1942.
- ^ a b 福島県立美術館 2018.
- ^ a b 東俊郎 2018.
- ^ 長谷川利行 1919.
- ^ 光風会 2014.
- ^ 光風会 2018.
- ^ 片多徳郎 1920.
- ^ a b 空しき青春 1947, pp. 40–50.
- ^ 新井康子 1985.
- ^ 日本美術年鑑 1976.
- ^ 空しき青春 1947, pp. 93–127.
- ^ 早稲田大学演劇博物館 1967.
- ^ 東京文化財研究所 2002, p. 525.
- ^ 保坂健二朗 2011, pp. 1, 60.
- ^ 永井龍之介 2018, p. 38.
- ^ 保坂健二朗 2010, pp. 12–14.
- ^ 保坂健二朗 2011, pp. 60–73.
- ^ a b c d e 保坂健二朗 2011, p. 73.
- ^ 遺作展 1961.
- ^ 美術界年史 1961.
- ^ a b c d e サライ 2018.
- ^ a b 碧南市藤井達吉現代美術館 2018b.
- ^ 朝日新聞社 2018.
- ^ 沢山遼 2018.
- ^ 府中市美術館 2018.
- ^ 碧南市藤井達吉現代美術館 2018a.
- ^ 久留米市美術館 2018.
- ^ 美術手帖 2018.
- ^ 足利市立美術館 2018.
- ^ 愛知県美術館 2017.
- ^ 保坂健二朗 2011, p. 1.
- ^ a b c d e 巡回展 2018.
- ^ 矢野文夫 1981.
- ^ 葛飾区 2018.
- ^ 東京国立近代美術館 1930.
- ^ TIMEKEEPER 2010.
- ^ メトロ文化財団 1926.
- ^ 東京国立近代美術館 1957.
- ^ 新宿風景 1965.
- ^ a b 堀美術館 2018.
- ^ a b c d e 日本近代絵画全集 1962.
- ^ a b c 洲之内徹 2008.
- ^ 東俊郎 2000.
- ^ 河崎晃一 2006.
- ^ 中日新聞社 1979.
- ^ 矢野文夫 1965.
- ^ ヨシダ・ヨシエ 1974, pp. 176–177.
- ^ 寺田政明 1976, pp. 46–47.
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 長谷川利行(はせかわとしゆき) - 愛知県美術館
- 所蔵品検索 > 長谷川利行 はせがわりこう - 三重県美術館