長崎大学教育学部附属幼稚園
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長崎大学教育学部附属幼稚園 | |
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過去の名称 |
長崎県師範学校女子部幼稚科 長崎県女子師範学校附属幼稚園 長崎師範学校女子部附属幼稚園 長崎大学長崎師範学校附属幼稚園 長崎大学学芸学部附属幼稚園 |
国公私立の別 | 国立学校 |
設置者 | 国立大学法人長崎大学 |
設立年月日 | 1886年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒852-8131 |
公式サイト | 長崎大学教育学部附属幼稚園 |
プロジェクト:学校/幼稚園テンプレート |
長崎大学教育学部附属幼稚園(ながさきだいがくきょういくがくぶふぞくようちえん, The Kindergarten Attached to the Faculty of Education, Nagasaki University)は、長崎県長崎市文教町にある国立幼稚園。長崎大学教育学部の附属校で、長崎大学教育学部附属小学校と隣接している。
全国的にも古い歴史を有し、九州では鹿児島大学教育学部附属幼稚園[1]に次いで2番目に開園[2]された幼稚園である。
園章
[編集]- 五光星(☆)の中央に附属の「附」の文字。5つの先端と中央が直線で結ばれている。
園歌
[編集]- 作詞 - 西島宏
- 作曲 - 古田庄平
- 創立100周年を記念して制定された。
学級編成
[編集]クラス名は花の名前になっている。
沿革
[編集]明治
[編集]- 1886年(明治19年)6月4日 - 長崎県師範学校(長崎大学教育学部の前身)女子部に幼稚科を設置。
- 1889年(明治22年)5月7日 - 長崎県師範学校女子部とともに、西彼杵郡長崎村馬場郷(現 長崎市桜馬場町)に校舎・園舎を新築し、移転。
- 1908年(明治41年)4月 - 女子部が長崎県女子師範学校として独立し、附属幼稚園とともに立山に移転。
大正
[編集]昭和(戦前)
[編集]- 1934年(昭和9年)3月 - 大村市の男子師範学校と長崎市の女子師範学校が校地を交換。大村への移転に伴い、附属幼稚園は閉園。
- 1940年(昭和15年)4月 - 大村市下久原に長崎県女子師範学校附属幼稚園として復活。
昭和(戦後)
[編集]- 1947年(昭和22年)4月28日 - 長崎師範学校女子部附属幼稚園と改称。
- 1949年(昭和24年)7月31日 - 長崎大学の発足により、長崎大学長崎師範学校附属幼稚園と改称。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 長崎大学学芸学部附属幼稚園と改称。
- 1954年(昭和29年)4月 - 大村市から長崎市大橋町200番地に移転。(附属小学校と同じ敷地内)
- 1955年(昭和30年)7月 - 長崎市で長崎大学学芸学部附属幼稚園を開園、1年保育2クラスで開始。
- 1964年(昭和39年)7月 - 新住居表示制度により、大橋町200番地が文教町1番14号に変更。(場所はそのまま)
- 1965年(昭和40年)4月 - 1年保育を2年保育に切り替える。(5歳児・4歳児)
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 学部名改称に伴い、長崎大学教育学部附属幼稚園(現園名)となる。
- 1968年(昭和43年)3月 - 新園舎に移転、所在地は長崎市文教町4番23号(現在地)となる。
- 1973年(昭和48年)4月 - 3年保育が設置され、3学級となる。
- 1974年(昭和49年)4月 - 長崎大学教育学部に幼稚園教員養成課程を設置。
- 1975年(昭和50年)4月 - 年長・年中・年少5学級の保育形態が整う。
- 1977年(昭和52年)4月 - 長崎大学教育学部幼稚園課程の学生(3年生)の教育実習を開始。
- 1986年(昭和61年)6月4日 - 創立100周年記念式典を挙行。園歌を制定。
平成
[編集]交通アクセス
[編集]- 最寄駅
- 最寄りのバス停
- 最寄りの道路
- 長崎県道113号長与大橋町線
- 昭和町通り(長崎県道113号線と国道206号を結ぶ道路)
- 長崎バイパス
周辺
[編集]- 浦上川
- 長崎大学文教キャンパス(本部・教育学部・工学部・水産学部・薬学部・環境科学部)
- 長崎大学教育学部附属中学校
- 長崎大学教育学部附属小学校
- 文教郵便局
- 長崎市立西浦上小学校
- 長崎市立西浦上中学校
- 十八親和銀行昭和町支店
- 三菱造船試験場
- 三菱昭和寮
- チトセピア