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都市対抗を讃える野球の歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
都市対抗野球大会 > 都市対抗を讃える野球の歌
都市対抗を讃える野球の歌
三鷹淳楽曲
収録アルバム古関裕而秘曲集 〜プレミアム編
リリース1969年
(原曲発表:1949年
規格シングル盤
ジャンル体育歌
時間3分09秒
レーベル日本コロムビア
作詞者青木薫
サトウハチロー(補作)
作曲者古関裕而
古関裕而秘曲集 〜プレミアム編収録順
嵯峨美術短期大学校歌
(1-20)
都市対抗を讃える野球の歌
(1-21)
第29回国民体育大会 冬季大会スキー競技会行進曲
(1-22)
毎日新聞社日本野球連盟選定

都市対抗を讃える野球の歌」(としたいこうをたたえるやきゅうのうた)は、日本都市対抗野球大会における2代目の大会歌として1949年昭和24年)に制定された楽曲である。作詞・青木薫(渋田喜久雄)、補作・サトウハチロー、作曲・古関裕而

解説

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1927年(昭和2年)に創始された都市対抗野球大会では1934年(昭和9年)の第8回大会より「都市対抗野球行進歌」(作詞・小島茂蔵、作曲・古関裕而)を初代の大会歌として制定していたが、1949年(昭和24年)の第20回大会より毎日新聞社と日本社会人野球協会(のち日本野球連盟)の共同開催となったことを記念して2代目の大会歌を制定することになった[1]。以降、この「讃える歌」は2018年平成30年)の第89回大会まで70年にわたり開会式の入場行進や試合の合間のインターバルの間に演奏(場内放送)され続けて来たが、2019年令和元年)の第90回大会以降は社会人野球日本選手権大会と共通の新テーマ曲「我街(われら)の誇り」へ代替わりしている。ただし、同年以降も地方予選では引き続き「讃える歌」の方が演奏される場合がある。

歌詞は『都市対抗野球優勝物語』の巻頭に収められている[2]

作詞者

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作詞者の青木 薫(あおき かおる)は発表当時に福岡県糟屋郡古賀町(現在の古賀市)在住で、昭和初期に「渋田黎明花」の筆名で時代小説作家として活動した渋田喜久雄(1902年 - 1978年)が生前に用いた様々なペンネームの一つである。古賀町役場の広報紙に渋田本人が「梅田健」のペンネームで連載していたコラムの最終回においては、過去に「ざっと1200篇」を作詞した中の1曲として「都市対抗野球大会歌」を挙げている[3]

音源

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制定時の創唱者は伊藤久男で、歌唱を吹き込んだテスト盤(PR448A)の製造が確認されているが市販・PRの別を問わずSP盤のプレス頒布は確認されていない。その後、1969年(昭和44年)の第40回大会開催に合わせて日本コロムビア三鷹淳の歌唱(事実上のカバー)を吹き込んだシングル盤を製造した。

しかし、同じく古関裕而が作曲した初代の「行進歌」は初期作品として『国民的作曲家 古関裕而全集』(規格品番:COZP-375〜381)を始め2000年代以降に何度もCDへ収録されたのに対し、実際に大会歌として演奏されて来た期間では2代目の「讃える歌」の方が「行進歌」を大きく上回るにもかかわらずCDへの収録は長らく行われず、2021年(令和3年)発売の『古関裕而秘曲集 〜プレミアム編』(COCP-41539〜40)ディスク1のトラック21で初めて収録が実現している[4]

出典

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  1. ^ 毎日新聞大阪本社版)、1949年7月4日付2面「都市対抗を讃える野球の歌入選決る」。
  2. ^ 小川正太郎、鈴木美嶺、松尾俊治『都市対抗野球優勝物語』(ベースボール・マガジン社〈スポーツ新書〉、1956年)。NCID BA58555398
    鈴木美嶺『都市対抗野球優勝物語』第2版(恒文社、1977年)。ISBN 978-4-7704-0242-4
  3. ^ 梅田健「酔筆講談 ペン一本無茶修業」第19回、古賀町役場『広報こがまち』1967年12月1日号, p8。
  4. ^ 古関裕而秘曲集 〜プレミアム編(日本コロムビア)。アルバム収録時の表題は「都市対抗野球を讃える歌」とされている。

関連項目

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先代
都市対抗野球行進歌
(1934年 - 1948年)
都市対抗野球大会のテーマ曲
2代: 都市対抗を讃える野球の歌
(1949年 - 2018年)
次代
我街の誇り
(2019年 - 現在)