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鈴木保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴木 保
名前
カタカナ スズキ タモツ
ラテン文字 SUZUKI Tamotsu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1947-04-29) 1947年4月29日(77歳)
出身地 埼玉県浦和市
ユース
1960-1962 埼玉大附属中学校
1963-1965 浦和市立高校
1966-1969 立教大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1972-1974 日本の旗 日産自動車
監督歴
1987-1989 日本の旗 日産FCレディース
1989-1996  日本女子
1996-1998 日本の旗 日興證券ドリームレディース
1999  日本女子
2012 日本の旗 立教大学
2013 日本の旗 横浜FCシーガルズ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

鈴木 保(すずき たもつ、1947年4月29日 - )は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元サッカー日本女子代表監督(1989年-1996年、1999年)。

略歴

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浦和市立高校(現:さいたま市立浦和高校)では全国高校サッカー選手権に優勝、立教大学では1969年度に第18回全国大学サッカー選手権第49回天皇杯に準優勝し、主将も務めた[1]U-19日本代表の一員として1966年にフィリピンで開催されたAFCユース選手権1966に出場した[2]

サッカー部設立を目指す日産自動車の関係者から相談を受けた岡野俊一郎がユース代表監督時代の教え子である鈴木を推薦したことにより1970年度に日産自動車に入社[3]。同好会から発展する形で1972年に生まれた日産自動車サッカー部の創設メンバーの1人となった[3]

28歳で引退後、加茂周のもとで1975年から1984年まで日産のコーチを務めた。1975年三重県国体では、ほぼ日産の選手で構成された神奈川県代表の監督を任されサッカー成年の部に優勝した[4]。1985年、総監督に退いた加茂に代わって日産の監督に就任。しかし1985年シーズンの前半戦を終えた時点で3勝5分4敗、12チーム中8位と低迷し[5]、シーズン途中の1985年12月にコーチの山出邦男とともに退任した[5]。以後は日産サッカースクールの責任者、1987年から1989年まで日産FCレディースの監督を務めた。

1989年から1996年まで日本女子代表監督を務め、1991年1995年のFIFA女子世界選手権(現FIFA女子ワールドカップ)、オリンピックに女子サッカーが追加された最初の大会となったアトランタ五輪に出場。1995年世界選手権ではグループステージを突破して準々決勝に進出、AFC女子アジアカップで準優勝2回、アジア競技大会で準優勝(銀メダル)2回。

1996年から1998年まで日興證券ドリームレディースの監督を務め、L・リーグ3年連続優勝、1996年度の全日本女子選手権に優勝した。1999年11月開催の1999 AFC女子選手権では再び日本女子代表の監督を務める。1989年から2004年まで日本サッカー協会女子委員会委員、1999年から2006年まで日本女子サッカーリーグの総務主事、事務局長を歴任。

2008年からイカイFCレディース (東海女子サッカーリーグ所属) の監督を務めたが、2009年11月のチャレンジリーグ参入決定戦に敗れ、日本女子サッカーリーグ参入はならなかった。

2012年に立教大学監督、2013年に横浜FCシーガルズ監督を務めた。2014年よりアスレジーナ (静岡県女子サッカーリーグ) の指導に当たっている。また、2010年からJFAのマッチコミッショナーを務めている。

指導歴他

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監督成績

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年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 JSL杯/Lリーグ杯 天皇杯/皇后杯
1985 JSL1部 日産 - 12 11 3 5 4 準優勝 -
1989 JLSL 日産L 5位 10 7 2 3 5 - 2回戦
1996 L 日興證券 優勝 18 - 17 - 1 予選リーグ 優勝
1997 優勝 18 - 15 - 3 4位 ベスト4
1998 優勝 18 - 17 - 1 予選リーグ 準優勝

1985年の日産はシーズン途中まで指揮。勝敗は自身の監督期間のもの。

タイトル

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日本女子代表

日興證券ドリームレディース

参考文献

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全体

脚注

  1. ^ 加茂周 『モダンサッカーへの挑戦(講談社文庫)』 講談社、1997年、25頁。
  2. ^ 『日本代表公式記録集2008』 日本サッカー協会、2008年、275、557頁。
  3. ^ a b 横浜FMの前身、日産自動車サッカー部の誕生秘話。一本の電話から始まった名門の軌跡【岡野俊一郎さん追悼コラム】”. フットボールチャンネル. 2017年4月22日閲覧。
  4. ^ 加茂周 『モダンサッカーへの挑戦(講談社文庫)』 講談社、1997年、33頁。
  5. ^ a b 加茂周 『モダンサッカーへの挑戦(講談社文庫)』 講談社、1997年、120-121頁。

外部リンク

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