釈迦尊寺
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釈迦尊寺 | |
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所在地 | 群馬県前橋市元総社町2497-1 |
位置 | 北緯36度23分03秒 東経139度02分16秒 / 北緯36.38417度 東経139.03778度座標: 北緯36度23分03秒 東経139度02分16秒 / 北緯36.38417度 東経139.03778度 |
山号 | 鷲霊山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦牟尼仏(実際は阿弥陀如来坐像) |
創建年 | 朱鳥元年(686年) |
開山 | 定恵 |
開基 | 羊太夫 |
中興年 | 文永年間(1264年 - 1275年) |
中興 | 蘭渓道隆 |
公式サイト | 釈迦尊寺 曹洞宗 |
法人番号 | 6070005000504 |
釈迦尊寺(しゃかそんじ)は、群馬県前橋市元総社町にある曹洞宗の寺院。
歴史
[編集]686年(朱鳥元年)、羊太夫の開基である。羊太夫は、古墳時代に物部方に加担して都を追われた中臣羽鳥連の末裔といわれており、羊太夫の足跡は多胡碑を始め、現在の群馬県や埼玉県北部に広がっている。中臣羽鳥連の妻が聖徳太子の乳母であり、太子より贈られた1寸8分の釈迦尊仏を祀る寺を建てたのが当寺の起源である[1][2][3][4][5]。開山は定恵と伝える[4][5]。もとは北東約400メートルの小字八日市にあったと伝えられる[6]。
文永年間(1264年 - 1275年)、蘭渓道隆によって中興された[3][5]。これまでは法相宗の寺院であったが、この時に臨済宗に転宗している[1]。
1558年(永禄元年)、応山芳伝が永源寺から入寺、臨済宗から曹洞宗に転宗している[3][4][5]。その後、武田氏の侵攻(西上野侵攻)のため、七堂伽藍は焼失、末寺の龍松寺の場所(現在地)に移転した[1][4]。
1774年(安永3年)、12世泰亮は『上毛伝説雑記』を著している[3][8]。
2023年(令和5年)11月12日、火災により本堂が全焼した[9]。
本尊
[編集]寺伝では天竺から将来した閻浮檀金(えんぶだごん)製の釈迦如来像とされている[5][6]。実際は弥陀定印を結ぶ阿弥陀如来坐像である[4][6]。総高5.08センチメートル、重量105グラム[6]。材質は金銅製や鉄製という説もあったが鉄製説は否定されており[4]、比重からは純銀製である可能性が高いと考えられている[6]。光背が付いていた痕跡があり、平安時代中期[6]または末期[4]の作とみられている。
交通アクセス
[編集]- 新前橋駅より徒歩15分。
周辺
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 歴史・沿革釈迦尊寺
- ^ 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年、20p
- ^ a b c d e f 前橋市史編さん委員会 1984, pp. 730–731.
- ^ a b c d e f g h i 梅澤, 小嶋 & 岩崎 2005, pp. 1–2.
- ^ a b c d e f g 『群馬県群馬郡誌』pp.678-680
- ^ a b c d e f 近藤昭一 (1990-6-28). “釈迦尊寺純銀造阿弥陀如来坐像”. 史迹と美術 (史迹美術同攷会) (605): 184-189. doi:10.11501/6067493. ISSN 0386-9393.(要登録)
- ^ 『上野国志』
- ^ 『群馬県群馬郡誌』p.1447
- ^ “釈迦尊寺の本堂が全焼 故三遊亭円楽さんの墓がある寺 群馬・前橋”. 朝日新聞. (2023年11月13日) 2023年11月13日閲覧。
参考文献
[編集]- 梅澤, 克典、小嶋, 尚、岩崎, 琢郎『文化財調査報告書』 35巻、2005年12月(原著2005年12月)。doi:10.24484/sitereports.16038。 NCID BN03637032 。
- 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年
- 前橋市史編さん委員会 編『前橋市史』 5巻、前橋市、1984年。doi:10.11501/9643049。(要登録)