西新駅 (国鉄)
西新駅 | |
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駅舎(1983年3月) | |
にしじん Nishijin | |
◄鳥飼 (1.7 km) (2.8 km) 姪浜► | |
所在地 | 福岡市西区昭代3丁目 |
所属事業者 | 日本国有鉄道 |
所属路線 | 筑肥線 |
キロ程 | 8.9 km(博多起点) |
電報略号 | ニン |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
開業年月日 | 1925年(大正14年)6月15日[文献 1][文献 2] |
廃止年月日 | 1983年(昭和58年)3月22日[文献 2] |
備考 | 福岡市内駅 |
西新駅(にしじんえき)は、かつて福岡県福岡市西区(現在の早良区)昭代3丁目にあった、日本国有鉄道(国鉄)筑肥線の駅である[文献 3]。
西新地区からは離れており、現在の地下鉄西新駅から南西に1.2 kmほど離れた早良区(福岡市編入前は早良郡早良町。1975年3月1日 - 1982年5月9日は西区の一部)にあった[文献 4]。
歴史
[編集]- 1925年(大正14年)6月15日:北九州鉄道の西新町駅(にししんまちえき)として開業[文献 2]。
- 1937年(昭和12年)10月1日:国有化で筑肥線となり、西新駅と改称[文献 2]。
- 1983年(昭和58年)3月22日:地下鉄1号線(現・福岡市地下鉄空港線)と筑肥線の相互直通運転開始に伴い、筑肥線博多駅 - 姪浜駅間が廃線となったため、廃止[文献 2]。
なお、地下鉄西新駅の開業は1981年(昭和56年)7月26日であるため、約1年8か月間は国鉄の西新駅と地下鉄の西新駅が共存していた。但し、相互の駅所在地は約1.5 km離れた全く異なる場所であった[注 1]。
駅構造
[編集]タブレット閉塞による単線路線の交換駅で、島式ホーム1面2線となっていた。ホームの端には、1961年(昭和36年)の駅員たちが資金や資材を出し合い作った、ソテツやツゲ、ツツジの庭園があった[文献 5]。
駅舎は、開業から廃駅までトタン葺きの木造平屋が使用されていたが、末期になるとかなりくたびれていた[文献 6]。
利用状況
[編集]1974年(昭和49年)頃の利用客は1日当たり約3,000人で、筑肥線では筑前前原駅・筑前高宮駅・鳥飼駅・今宿駅に次いで5番目に利用客の多い駅だった。うち定期乗車券利用客が1,800人で、3分の2が最寄りの福岡県立福岡工業高等学校の生徒だった。原団地や室住団地、星の原団地などのマンモス団地住人の利用もあったが、西鉄バスとの競合で旅客利用は少なく、むしろ小荷物の取り扱いが多かった。駅周辺の博多人形の工場や高取焼の窯元からの発送も多く、駅で取り扱う小荷物は1日当たり約300個、お盆や年末には1日当たり約500個に及んだ[文献 6]。
駅周辺
[編集]1974年頃は西新地区と対照的に田園地帯が広がり、駅前にあるのは九州電力の福岡西営業所と単身寮(現存)のみだった[文献 5]。その後は市街地化が早く進み、市営団地や国鉄西新アパートを始め民家も多く、駅の様子とは違い混雑する駅であった。西新地区をはじめ早良区に位置する高等学校の最寄り駅で、駅前には通学用の自転車が多数駐輪されていた[文献 6]。
- 福岡市立高取小学校
- 紅葉八幡宮
- 祖原公園
- 福岡県立福岡工業高等学校
駅廃止後
[編集]駅跡地は、廃止後10年ほどは西鉄の代行バス11系統の折り返し所(昭代三丁目バス停)として使用されていたが、後に藤崎まで延長されたため資材置き場になっていた。現在はJR九州に継承され、東部はJR九州リテールが営業するファミリーマート早良昭代3丁目店とドラッグイレブン高取店[注 2]、JR九州グループのアフタースクールに、西部はJR九州グループが運営する老人ホーム「SJRプレシア高取」になっている。
なお、駅の東隣にあった国鉄昭代町官舎もJR九州に継承されて存続したが2020年頃に取り壊され、高層マンションが建設された。