西方寺 (京都市右京区)
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西方寺 | |
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所在地 |
京都府京都市右京区 常盤出口町1 |
位置 | 北緯35度1分14秒 東経135度42分33秒 / 北緯35.02056度 東経135.70917度 |
山号 | 入逢山 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 1259年(正元元年) |
開基 | 宇都宮頼綱 |
法人番号 | 4130005000598 |
西方寺(さいほうじ)は、京都府京都市右京区常盤出口町にある浄土宗の寺院。山号は入逢山。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。開基(創立者)は宇都宮頼綱。
歴史
[編集]西方寺は、1259年(正元元年)、当時既にあった寺(西明寺とされる)の境内に、法然に帰依して出家した宇都宮氏第5代当主宇都宮頼綱(実信房蓮生)が念仏堂を建て、西方寺と呼んだことに始まるとされる。宇都宮頼綱は関東・宇都宮にあって鎌倉幕府に仕える御家人であったが、北条氏との政権抗争に巻き込まれ、謀反の嫌疑をかけられたのを機に折から熊谷直実(蓮生)の勧めで入信していた法然の元で出家し、京に隠遁した人物である。京では藤原定家と懇意になり、定家の子の為家に娘を嫁がせ姻戚関係を結んだ。
応仁の乱の際は、焼失した仁和寺の寺基が当寺に移されたといわれる。
- 1017年(寛仁元年)8月 - 敦明親王、皇太子を辞し小一条院としてこの地にて隠棲する。
- 1259年(正元元年)- 宇都宮頼綱(実信房蓮生)が建立した念仏堂を西方寺と称す。
- 1467年(応仁元年)- 応仁の乱により御室仁和寺の伽藍が全焼、寺基をこの地に移す。
- 1634年(寛永11年)- 仁和寺の再建に伴い寺基を移す。
- 1940年(昭和15年)- 奈良時代の土器と平安時代~鎌倉時代の瓦が出土。
- 2005年(平成17年)- 山門が落成。