背尾伊洋
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市旭区[1] |
生年月日 | 1973年8月15日(51歳) |
身長 体重 |
181 cm 90 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1991年 ドラフト5位 |
初出場 | 1996年4月4日 |
最終出場 | 1997年4月30日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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背尾 伊洋(せお よしひろ、1973年8月15日 - )は大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]大阪桐蔭高時代、3年次の1991年に春の選抜、夏の第73回全国選手権に出場[1]。エースナンバーを着ける和田友貴彦(東洋大-東芝府中)との2本柱で夏は準決勝・星稜高戦で当時2年生の松井秀喜を抑えて完投勝利[2]、決勝戦でも登板し、初出場での初優勝に貢献する。同期に萩原誠、澤村通、1学年下に渕脇芳行がいた。
1991年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから5位指名を受けて入団[1]。
大型投手として期待されていたが二軍でも結果が出ずオーバースローからサイドスローに転向し、プロ5年目の1996年に一軍登板を果たすと初勝利を完封勝利で飾るなど18試合に登板した。 スライダーやシュートが武器で、斎藤雅樹ばりのサイドスローのフォームが話題となる。しかし、翌年以降は故障の連続で一軍登板から遠のく。
1998年シーズン途中、大森剛との1対2の交換トレードで南真一郎とともに読売ジャイアンツへ移籍する[1]。しかし、巨人では故障により一軍登板が無く、2000年シーズン終了後に現役を引退[1]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996 | 近鉄 | 18 | 7 | 1 | 1 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 216 | 49.0 | 45 | 5 | 27 | 0 | 3 | 40 | 3 | 0 | 24 | 20 | 3.67 | 1.47 |
1997 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 26 | 6.1 | 2 | 0 | 6 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.26 | |
通算:2年 | 22 | 7 | 1 | 1 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 242 | 55.1 | 47 | 5 | 33 | 1 | 3 | 41 | 4 | 0 | 24 | 20 | 3.25 | 1.45 |
記録
[編集]- 初登板:1996年4月4日、対オリックス・ブルーウェーブ3回戦(藤井寺球場)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、9回表にトロイ・ニールから
- 初先発:1996年4月14日、対福岡ダイエーホークス3回戦(福岡ドーム)、3回1/3を1失点
- 初勝利・初完投勝利・初完封勝利:1996年9月16日、対日本ハムファイターズ25回戦(藤井寺球場)
背番号
[編集]- 45 (1992年 - 1998年途中)
- 86 (1998年途中 - 1999年)
- 51 (2000年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 背尾伊洋 - NPB.jp 日本野球機構